第32話~四百苅奈南~
日は高く昇っていた。
カンナ、響音、田噛の3人は帝都軍本営まで後半分のところまで近付いていた。
一旦馬を休める為に3人は街道で休憩する事にした。滝夜叉丸もどこかへ飛んでいく事もなく響華の鞍の上に停まった。
カンナは1本の大きな木の下に座り込んだ響音の隣に腰を下ろした。
「何よカンナ。あたしにベッタリじゃない? そんなにあたしの事好きなの? 変わってるわね」
かつて自分を殺したい程憎んでいた響音の事が今は姉のような存在に感じた。出来ればずっと一緒にいたい。そう思ったが、きっとそれは叶わないのだろうと思った。
「響音さん、あれから畦地さんに会いましたか?」
カンナは予てから気になっていた事を尋ねた。響音は少し首を傾げた。
「まりか? いや、会ってないわよ。そういえばあいつも学園を抜けたらしいわね」
「畦地さんの事、どう思ってるんですか?」
カンナが聞くと響音は突然鋭い目付きでカンナを見た。
「どうしてそんな事聞くの?」
「あ、いえ。すみません。嫌な事思い出させちゃいましたよね……」
「喧嘩を売ってきたのはあいつよ。あたしがあいつの事どう思ってるかなんて聞くまでもないでしょ?」
響音は明らかに不機嫌になりカンナから顔を背けた。
カンナは不味い事を聞いてしまったと思い別の話題を探した。
「あの……響音さん? あなたは何故、青幻の幹部達の暗殺をしているんですか? やっぱり……復讐ですか?」
「復讐……?」
響音はまたカンナの顔を見た。まだ目付きは鋭いままだ。
「そんなんじゃないわよ。復讐するなって言ったのはあなたでしょ? カンナ」
「そうですけど……」
カンナは響音の迫力に息を飲んだ。すると、響音は1つ息を吐いた。
「あたしはね、黄龍心機を青幻から取り戻したい。その為には奴の戦力を削いで奴に近付く必要がある。流石のあたしでも、1人じゃ国を作った青幻に辿り着く事は出来ない。だから、帝都軍と協力してあたしが出来る事をやってる。それだけよ」
「でも、人を殺せばまた復讐の連鎖に巻き込まれますよ?」
カンナが言うと響音の表情は何故か穏やかになった。
「相変わらず、あなたはお人好しね。カンナ。それとこれとは話が違うでしょ? これは戦争。国と国同士のね。そして、明らかに悪いのは青幻。奴らを放っておけばいずれ従わない者は皆殺される。だから先に戦力を削がなければならない。あたしにはそれをやるだけの力がある。だからやってる」
奈南の言っていた通りだ。響音は個人的な復讐で青幻の幹部達の暗殺をしていたわけではなかった。
「でも……殺された報復として今度は帝都軍の将校達を狙って来ているんですよ。それじゃあ結局……」
「それでも、多綺さんがやった事は世界の平和の為には必要な事です」
カンナの話に田噛が口を挟んできた。
「青幻はこの世界から一刻も早く退場してもらわなければならない。でないと、また関係のない人々まで悲しい目に逢う。俺はそれだけは絶対に防がなければならないと思います。これは戦です。残念ですが、死人は出ます。それを減らすか増やすかは我々次第なのです」
田噛の話にカンナは俯いて溜息をついた。
「関係のない犠牲者を出さない為にも、明らかな悪は排除しなければならないって事か……」
「考え方は人それぞれ違うと思うけど、戦場では割り切る事も必要よ。カンナ」
俯いたままのカンナの肩を響音は優しく叩いた。
「ところで田噛。なんか食べ物持ってないの? お腹すいたわ」
響音は目の前に槍を担いで立っていた田噛に食べ物を要求した。
「え? ないですよ? 昨日の休憩で食べ切っちゃいましたから」
田噛は苦笑しながら首を振った。
「え? あたしが干し肉あげたでしょ? その分のお返しとかないわけ?」
響音はキッと田噛を睨み付けた。
「多綺さんて、意外と」
「あー! 響音さん、私チョコレートなら持ってますよ! あげます! どうぞ」
カンナは田噛が良からぬ事を口にしようとしたのを咄嗟に悟り、上着のポケットに入っていたチョコレートの粒を5粒響音に渡した。
「ありがと! カンナ! あたし甘い物好きなのよ」
「お腹の足しになるかどうかは分かりませんが、喜んで頂けたなら良かったです」
響音は笑顔でカンナに礼を言うと、左手だけで器用にも1粒チョコレートの包装を解き口の中に放り込んだ。美味しそうにもぐもぐと口を動かす響音の横顔がとても愛おしく見えた。
その時、カンナは強い氣を感じ即座に立ち上がった。響音も何かを感じたようでほぼ同時に立ち上がっていた。
「え!? どうしたんですか? 2人共」
田噛は突然怖い顔をして立ち上がったカンナと響音を見て驚いて1歩後ずさった。どうやら田噛は何も感じていないようだ。響華や滝夜叉丸にも何の反応もない。
「何か……いますよね? 響音さん」
「やっぱり、カンナも気付いた?」
カンナと響音はお互いに背を向け合い周りを見回した。しかし、この場所は見晴らしの良い街道だ。辺りには果てしなく原野が続いているだけで目立つ物と言えばカンナと響音が根元に座っていた大きな木が1本と、まばらに生えている小さな木が数本見えるだけだ。
カンナの感じている氣の感じだとかなりの近距離にその者がいるように感じるが、近くにいるのは田噛だけで、他には誰もいない。勿論、田噛とは別の氣だ。
田噛も槍を構えて辺りをキョロキョロと見回した。
「氣を確かに感じるのですが、それらしき姿はどこにも見えませんね」
「何だか気持ち悪いわね。さっさとここを離れましょうか」
響音はそう言うとまた帝都軍本営へ向かい歩き始めた。
カンナと田噛も馬に跨り響音を追った。
「あれ?」
響音が急に下を向き立ち止まった。
「どうしました? 響音さん?」
カンナが疑問に思い声を掛けると響音はカンナの顔を見た。
「あたし、カンナから5粒貰ったチョコレート、まだ1粒しか食べてないのに3粒しかなくなってる……」
「なんだ、そんな事ですか。1粒くらい、その辺に落としたんじゃないですか?」
「だったらまたあげますよ、響音さん」
カンナの提案に響音は首を振った。
「いや、いいよ。もう行こう」
響音の様子がおかしかったがすぐに走り始めたのでカンナも田噛も馬腹を蹴って早々にその場から駆け去った。
まだ背後には先程の妙な氣があったが、それは追い掛けて来る事はなく、しばらく駆けているうちにその事もカンナはすっかり忘れていた。
本営内に侵入した敵はかなりの手練だった。
燈が視認した限りでは10人程度。しかし、1人1人の武術は相当優れており、鍛え上げられた帝都軍の兵も瞬く間に斬り殺されていった。
燈は梵と共にその敵の襲撃の鎮圧に向かった。気が付けば各所で火の手が上がっていた。燈も梵も刀を抜きまず目の前で暴れている盗賊風の男達の所へ斬り込んだ。
燈からしたらなんのことはない。『色付き』の名刀『戒紅灼』を振る度に男達の刀は棒切れのように両断され、一瞬で数人を武装解除した。しかし、男達は武器がなければ体術だと言わんばかりに燈に襲い掛かってきた。無論、燈は男達の体術など巧みに躱し、オレンジ色の刀身で男達の身体を両断し、その肉片を吹き飛ばした。
梵も無傷で男達を斬り捨ててしまっており、燈と梵が到着して5分足らずで視界の範囲内の敵は全滅させた。
「やるじゃないか、火箸さん。流石は学園の序列7位」
「こんくらい、学園の生徒なら誰でも出来るっつーんだよ。ほら、さっさと次行くぞ!」
燈は梵から顔を逸らし、すぐに火の手の上がる方へ走った。
「やれやれ。お前達も続け! 火を消すんだ!」
梵は辺りにいた帝都軍の兵士達に指示を出すと、先に走って行った燈の後を急いで追った。
空中を飛び回るように刀を持った1人の男が襲って来た。
奈南は腰の双鞭を抜き男の刀を受けた。
男はすぐに奈南から離れ、また近くの建物の壁を蹴って空中で回転。そのままの勢いで奈南に刀を振り下ろした。それをまた両手の鉄鞭で受け、押し返し蹴りを見舞った。確かに奈南の蹴りは男の身体に入ったと思ったが男はバク転しながら奈南から距離を取り、地面に手を着き奈南の顔を見てニヤリと笑った。
「私は学園序列13位、四百苅奈南。あなた、何者?」
奈南は右手の鉄鞭を男に向けて言った。
「俺は蒼国の中位幹部、程突。成程、どの将校達も護衛が固いな」
程突は立ち上がりながら言った。
「目的は内部を撹乱し、戦に参加させる指揮官を減らす事か。程突よ」
奈南の背後から下級将校の十亀がぬっと現れた。手には三節棍が握られていた。
「その通り、十亀将校。本当は押領司将校のように戦闘不能にしたいところだったが、こうして2将校と兵力を本営に釘付けに出来たので良しとしよう」
程突は奈南と十亀を前にしても顔色1つ変えず涼しい顔をしている。
「木曽将軍と久壽居将軍が指揮しておられるのだ。負ける筈がない」
十亀が言うと程突は鼻で笑った。
「我々が手強いと思っているのは久壽居将軍だけ。他の将軍将校達は眼中にない。ましてやこちらは薄全曹殿と孟秦殿の指揮する軍。微力とて貴様ら将校も加勢に行かなければ負けるぞ?」
十亀は舌打ちをして三節棍を程突に向けた。
「ま、そうさせない為に我々が暴れているのですがね」
程突は不敵に笑うと刀を握り直し、一直線に十亀に襲いかかっていった。
奈南は瞬時に十亀と程突の間に鉄鞭を伸ばした。そしてすぐにもう片方の鉄鞭を程突の身体に振り翳す。程突は後方に跳び鉄鞭の空を切り裂く一撃を躱した。
「十亀将校。この男は私が始末します。あなたは帝都軍の兵をまとめて事態の収拾に当たってください」
奈南が見渡す限り、既に近くに帝都軍の兵達が集まり始め十亀の元へ集まって来ていた。十亀の実力は分からないが程突が只者ではない事はひしひしと伝わっている。十亀にもしもの事があれば護衛の任務の失敗という事実は勿論、帝都軍全体の士気の低下にも繋がってしまう。
「分かった。四百苅。任せたぞ」
十亀は一言だけ言うと傍の兵士達を集め火の消化へ向かった。
「どうやら、貴様を殺さない限り十亀将校を殺す事はおろか、ここから去る事も出来なそうだな」
程突は刀を構えた。1歩ずつ奈南の横に回り込むようにゆっくりと動き出した。
奈南も同じ動きをしてその距離を保った。
1対1の真剣勝負は何年ぶりだろうか。恐らく学園の生徒では奈南が1番古株だ。美濃口鏡子や久壽居朱雀よりも前から学園に在籍し武術を磨いた。だが、その武術を試したのはかつての師である前総帥割天風と前剣特師範である袖岡と太刀川だけで、生徒同士では1度も真剣に剣を交えた事はない。つまり、1度も序列仕合をした事はない。それは単に『序列』というものに興味がなかったからだ。新しく生徒が入学する度に序列を闘わずに譲って来た。武術は磨いたが、争いは嫌いだ。自分の身が守れればそれでいい。そういう考えで20年以上も学園で平和に暮らしてきた。
「貴様、序列13位と言っていたな。とてもそうは見えん」
対峙したままお互い1歩も踏み込めないでいるとこちらの様子を窺いながら程突が言った。
「どういう意味かしら?」
「澄川カンナに勝るとも劣らない力を感じる。一体貴様は何者だ」
奈南は答えなかった。
そして次の瞬間、奈南は地面を蹴り程突に飛び込んだ。程突の懐に入り双鞭を振り程突の刀を打った。程突の刀は容易くへし折れた。程突は歯を食いしばりながら奈南を睨んだ。その凶悪な顔に、奈南は躊躇うことなく鋼鉄の鞭を叩き込んだ。