第31話~成功と報復~
完全に焼失した托凌高の兵糧庫をカンナと響音、そして帝都軍兵士の田噛は無言で見届けていた。
200人近くいた守兵は半分以上を響音1人で片付け、カンナと田噛が相手にしたのはほんの数人だけだった。残りの敵兵は散り散りに逃げてしまった。響音は逃げる兵には目もくれず兵糧庫の焼き討ちだけを黙々と進めたのだ。
全てが怖い程上手く行き、カンナは日も昇っていたので宝生の本営に滝夜叉丸を飛ばした。そして今は林の中でその滝夜叉丸の帰りを待っているところだ。
今回大活躍だった響音は木の根元に腰掛け、すやすやと眠っていた。
「多綺さんてマイペースなんですね」
田噛が苦笑しながらカンナに言った。
「そう……みたいですね」
カンナも苦笑しながら答えた。
「みたいですね……って、澄川さん、多綺さんと同じ学園の生徒だったんですよね?」
田噛は曖昧なカンナの返事に疑問を抱いたようで首を傾げていた。
「そうなんですけど、私、あまり多綺さんの本当の顔を知らないんです。仲良くなった時にはもう多綺さんは学園を去ってしまったので……」
「そう……ですか。なんか、色々あったんですね」
田噛が気を遣ってそれ以上聞かないでくれたのでカンナはただ小さく頷いた。
「あ、澄川さんもあの鷹が戻って来るまで眠っていて大丈夫ですよ。俺起きて見張りしときますので」
「え、いや、そんな、悪いですよ」
カンナは田噛に両手を向けて断った。
「遠慮は無用です。俺は軍人で、見張りとか慣れてますから」
田噛は笑顔で槍を持って力強く振り回して見せた。
「うーん……じゃあ、お言葉に甘えて少しだけ」
「おやすみなさい! 何かあればすぐに起こしますから安心してください」
カンナは響音の横に腰を下ろし、響音と同じ様に木の幹に寄り掛かり1つ大きな欠伸をして目を閉じた。思えば大陸側に来てからちゃんと寝ていない。少し気が抜けてしまうと猛烈な睡魔に襲われた。また少しだけ目を開けると田噛がカンナ達から少し離れた所へ歩いて行き、地面に槍を突き刺し、そこで腰を下ろした。きっとカンナが安心して眠れるように距離を取ってくれたのだろう。そして、その横には響華と田噛の馬が仲良く草を食んでいた。
カンナはまた欠伸をして目を閉じると心地よい風と共にすぐに眠りへと堕ちた。
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「起きてください! 2人とも! 鷹が戻って来ましたよ!」
気持ちのいい眠りに堕ちたと思った途端にカンナは田噛の声で起こされた。まだ全然寝ていない気がする。響音も目を擦りながら不機嫌そうな顔をして目を開けていた。
「あ、ピヨちゃん」
カンナは寝ぼけまなこで響華の鞍の上に停まっている滝夜叉丸を見て呟いた。
「宝生将軍からのご指示がこの鷹の脚に付いていたので読みますね」
田噛はいつの間に外したのか、白い四角く畳まれた小さな紙を広げてその内容を読み始めた。
「『兵糧庫襲撃の任、良くやってくれた。こちらではまだ動きはないが、一先ず本営に帰還せよ』」
響音は田噛が読み上げたのを聞き終えると、左腕を上に上げ伸びをすると勢い良く立ち上がった。
カンナもそれを見てゆっくりと立ち上がった。
「よーし、じゃあ帰るかー」
「そうですね、帰ってゆっくりベッドで眠りたいです」
響音が膝を伸ばしたりアキレス腱を伸ばしたりまた走る準備を始めた。
カンナも手首や足首を回し響華の上に停まっている滝夜叉丸をまた籠に戻そうとした。しかし、滝夜叉丸はカンナの手が近付くといきなり飛び立ち頭上を旋回し始めた。
「はは、天気が良いから自分で飛んで帰りたいんじゃないの?」
響音が旋回する滝夜叉丸を見上げて言った。
「ピヨちゃん、ちゃんと飛んで帰れるならそのまま就いて来てね」
カンナが両手を口の横に添えて滝夜叉丸に叫ぶと、滝夜叉丸は1つ鳴き声を上げた。
「よし、じゃあ出発するよ」
響音がまた先頭を走り始めたのでカンナと田噛も馬を駆けさせその後に続いた。
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薄全曹と孟秦に未だ目立った動きはない。
まだ敵には兵糧庫が襲撃された事実は伝わっていないのだろうか。
茉里は敵陣が見える櫓の上で護衛対象の水主村と共に物見遊山していた。一応は護衛役なので弓と矢筒を持ってきている。右の太ももにはいつも通りナイフを仕込んである。
水主村という男は燈の護衛対象の梵とは比べ物にならない程背が高く、身長180センチを超える久壽居と同等の体格でとにかく顔が怖かった。年齢は30代前半の久壽居よりも上に見える。茉里は男という存在が嫌いなので自分が適わなそうな水主村にはより近付きたくなかった。ましてや、カンナが押領司という将校に襲われたと言う話を聞いてからより一層男に対する不信感が募った。
本当は男の護衛などしたくはなかった。カンナとも離れ離れの退屈極まりない任務だ。ただ、任務は任務なので仕方なく我慢している。茉里は今まで受けた任務では1度も失敗した事がなかった。故に任務は完璧に遂行したいという思いが強かった。
「動かんな」
目の前で敵陣を眺めている水主村が突然口を開いた。
「そうですわね」
茉里は短く答えた。
もともと水主村自身も無口で共に部屋にいる時も会話がない時間がほとんどだ。
「まだ奴らが兵糧庫襲撃を知らないとは思えない。襲撃があってからもう5時間過ぎた」
「まあ、そのうち嫌でも動きますわよ」
茉里は髪を弄りながら答えた。
「薄全曹が兵站の管理を怠っているとは思えん。私の予想ではもうとっくに兵糧庫襲撃が薄全曹と孟秦には伝わっている筈だ。孟秦は知らぬが、薄全曹は青幻の幹部達の中では最も兵法に長けている戦の達人だ」
「そう……ですか」
水主村がここまで話をするのは珍しい。茉里はその言葉の重みに圧倒された。もしかしたら既に敵は作戦を練っているのかもしれない。
「あの、もし敵が兵糧庫襲撃に気付いているのに何も動きがないのは何故なのでしょう?」
「分からぬ。薄全曹の考えていることなど1将校の私には分からぬ。だから、それが引っ掛かるのだ」
水主村は敵陣を眺めたまま言った。
その時、嫌な風が吹いた。
茉里の紫色の髪をふわっと靡かせた。
茉里が辺りを見回していると水主村が突然櫓の屋根から飛び込んで来た男に蹴飛ばされて櫓の囲いの板に叩き付けられた。
茉里はすぐに矢を取り一瞬で弓に番え飛び込んで来た男に矢を放った。しかし、その矢は男に躱され後ろの囲いの板に音を立てて突き立った。躱された瞬間に茉里はまた矢筒から左手で矢を1本取り、躱した男に回転しながら振り翳した。だが、それすらも男は躱しそのまま櫓から下に飛び降りた。
「待ちなさい!」
茉里が飛び降りた男を見ると男は腰に佩いていた刀を抜き櫓の木製の脚を斬り始めた。
「敵襲!!」
茉里は叫びながら刀を振り回す男に矢を放った。だが、男は刀で頭上からの矢を的確に弾いた。ようやく帝都軍の兵達が騒ぎを聞きつけて集まって来た。今まで守兵は何をしていたのか。────と、考えた茉里の視界に血塗れで倒れている無数の帝都軍の兵達が映った。
「なるほど、音も無く我が兵達を斬り殺していたか。あの男、青幻の幹部の者に違いない」
茉里の隣にはいつの間にか立ち上がっていた水主村が下を見下ろして呟いた。
「ご無事でしたか?」
「無傷だ。それより、この櫓、倒されるぞ。来い!」
水主村はそう言うと茉里を抱え上げ櫓から勢い良く飛び降りた。
茉里は驚きのあまり声も出せなかった。そして、水主村が茉里を抱えて飛び降りた瞬間、櫓は支えの脚を男に切断され、無惨にも崩れ落ちた。
水主村は白い布の張られた幕舎の屋根に着地し、そのまま滑るように降り地面に着地した。そして、そっと茉里を地面に立たせた。
茉里が水主村に目をやると既に水主村は先程の男の方を睨み付けていた。
男は茉里と水主村が危機を脱した事に気付き、群がる兵士を斬り、その頭の上に飛び乗り踏み台のようにしてこちらに走って来た。
「今度こそ仕留めます」
茉里は弓に矢を番え引き絞った。だが、その時集まって来た兵達の槍が一斉に男を狙い茉里の狙いが定まらなくなった。
「チッ……」
茉里は弦を引き絞ったまま男を狙い続けた。
「分が悪いか。まあ、いい。後は薄全曹殿に任せるとしよう」
男はそう言ったと思うと笑いながら兵達を足蹴に茉里とは反対方向へと消えてしまった。
茉里は弓を下ろした。
「申し訳ございません。取り逃しました」
「構わん、それより、宝生将軍はご無事だろうか」
水主村はいつの間にか腰の刀を抜いていたがまたそれを鞘に納めた。
「宝生将軍には八門衆が就いていますので心配ないかと」
茉里が答えると先程戦闘していた兵達とは別の兵士が物凄い勢いでやって来た。
「水主村将校、木曽将軍がお呼びです! 薄全曹と孟秦が同時に動きました! 現在、梵将校と十亀将校は内部の混乱の収拾に動いております。水主村将校は至急兵を纏めて迎撃をとの事! すでに木曽将軍と久壽居将軍が出撃しております!」
水主村は「分かった」と一言だけ言うとその兵士を追い払った。
「後醍院。私は部隊を率いて木曽将軍と久壽居将軍の援護に向かう。其方 はさっきの襲撃者を探せ。可能なら捕縛。無理なら殺して構わん」
「しかし、わたくしの任務はあなたを」
茉里が水主村に反論しようとした時、本営の方方で火の手が上がったのが見えた。
「行け!!」
茉里は水主村の大きな声に気圧されて走り出した。
本当に水主村から離れていいのか。そう思ったがこれ以上水主村の傍にはいられないとも思った。
そんな事を考えながら茉里は混乱する兵達の中を掻き分けて走った。走ってるうちに火の手はみるみる大きくなっていた。