第29話~青龍山脈の戦い・燃える砦、散る命~
単興が1万の兵で完全に瀋王の砦を包囲していた。
董韓世が先に奪取した蔡王の砦に2千だけ残し、残りの8千を率いて単興の元へやって来た。
董韓世が到着すると、単興はすぐに損害と状況を報告した。
「こちらの損害は兵106名。瀋王追撃による損害はありませんでしたが、突然現れた年老いた弓使いの女に砦付近であっという間に106人が射殺されました。その隙を突かれ、瀋王に籠城を許してしまいました。申し訳ございません」
「その女、何者だか分からぬのか? 単興」
「蔡王の部下にも瀋王の部下にも弓使いの女などおりません。全くの正体不明です」
「今その女はどこに?」
董韓世は砦の方を見た。遠目からは兵士の1人も見えない。完全に籠城しているようだ。
「瀋王と共に砦の中に」
「たった1人で我が軍の兵を106人も射殺したというのか……その女、只者ではないな」
「いかが致しましょう?」
董韓世は腕を組んで砦を睨んだ。包囲していればこれ以上犠牲を出すことなく瀋王の首は取れるだろう。しかし、それには時間が掛かる。一刻も早く青龍山脈を制圧して青幻の元へ帰還したい。多少の犠牲を払ってでも今日明日には瀋王の首を取りたい。雲梯等の攻城兵器はこの山路には運び込めない。
「まずは降伏勧告を出し、従わなければ火矢を使え。木製の砦など焼き払ってしまえ。降伏しない者は皆殺しだ。出来れば、弓使いの女だけは生け捕りにせよ」
「ではすぐに!」
単興は機敏な動きで部下を召集して降伏勧告と火矢の準備を進めた。
しばらくすると単興が馬に乗り砦の門の辺りまで駆けて行った。董韓世はそれを後方の幕舎の前で同じく騎乗して眺めていた。
「賢明なる指導者瀋王殿! もはやあなたに勝ち目はありません! 今降伏すれば、兵達とその家族の身の安全の保証を致しましょう! もし受け入れなければ全員死ぬことになります! どうか賢明なご判断を!」
単興が叫んだが敵の反応はない。単興はそのまましばらく馬で門の前を駆け回り勧告を続けた。
すると、砦の防壁の上に1人の女が現れた。女は長い髪を風に靡かせ短弓に矢を番えた。
董韓世は隣にいた兵に双眼鏡を用意させ覗き込んだ。そしてその女を見た時、董韓世は驚愕した。
「あれは……神々廻師範!?」
それは学園の弓術師範だった女、神々廻妃咲。2年前に死んだ中位幹部・公孫莉の師であり、弓での暗殺術の達人。しかし彼女は2年前の学園戦争で行方不明になっていた。
「確かに神々廻師範なら、1人で106人を射殺したというのも頷ける。弓に関しては化け物だからな」
董韓世は誰に言うでもなくただ呟いた。
「引け! 単興! 誰か! 単興を援護せよ!」
董韓世は単興に向かって叫んだ。神々廻が弓を構えたという事は即ち死を意味する。神々廻の矢を避ける事は至難の業だ。
単興はすぐにこちらに駆けて来た。代わりに董韓世の後ろから3騎が単興の退却を助ける為に駆けて行った。
砦の上の神々廻は退却してくる単興の背中に狙いを定めた。
矢が1本風を切って放たれた。
かなり離れた筈だが、矢は単興の背中に一直線に向かった。
矢が単興の背中にあと数センチというところで援護に向かった騎兵が単興を馬ごと突き飛ばし代わりにその騎兵の身体に矢が突き立った。単興はバランスを崩し掛けたが持ち堪え馬から落ちた兵を一瞥するとまたこちらに駆けて来た。
援護に向かった2騎は単興を身体で護るように神々廻の矢の軌道上を駆けた。
何とか単興は無傷で董韓世の元に帰還した。
「董将軍! あの女です! あの女が106人の兵を……」
「だろうな。あいつは元学園弓術師範の神々廻妃咲。暗殺弓術の達人で2年前に死んだ公孫莉の師だ」
「あの女が……なるほど、それならば納得です。しかし、一体何故、瀋王の味方などしているのでしょうか?」
「さあな、分からん。とにかく、降伏は受け入れないということだ。火矢を射掛けろ。たっぷりと油を使えよ。瀋王め、丸焼きにしてくれる」
「神々廻師範の生け捕りはいかが致しましょう?」
「殺すつもりでやらなければこちらが殺される。学園の師範だった者に手加減はするな。あっという間に死ぬぞ」
「御意!」
単興はまたすぐに火矢の準備を兵達に指示を出した。
まだ神々廻は砦の防壁の上に弓を構え立っていた。
単興が2千の弓兵に火矢を番えさせた。
「放てーー!!」
2千本の火矢は防壁や砦の内部までも一気に埋め尽くした。
防壁の上の神々廻の姿は既になく、防壁に突き立った火矢から燃え移った火が勢い良く砦を炎に包み始めた。
しばらくすると砦の門が開き一斉に騎兵が飛び出して来た。
「逃がすな! 全員討ち滅ぼせー!」
董韓世の声が全軍に届き、単興は腰の刀を抜いて馬腹を蹴り突撃した。
およそ1万近い兵が、向かって来る瀋王の1千の兵に突撃する。
乱戦。
たったの1千なのに、死を覚悟した敵兵は1万ものこちらの大軍相手に怯みもしなかった。
敵兵の先頭には飾りの着いた兜の瀋王が一際立派な馬に乗って槍を振り回している。
瀋王はまともに戦うとかなり手強い相手である。屈強な身体付きは兄の蔡王に勝るとも劣らないもので、武術の腕も流石に『王』を名乗るだけはあった。
次々とこちらの兵が突き殺されていく。
単興が瀋王の元へ向かった。しかし、途中で敵兵が幾度となく邪魔をしている。単興が敵を斬り捨てていく。董韓世は連れて来た8千の内の1千だけ連れて単興の後ろから突っ込んだ。こちらがこの戦闘に勝利するのは時間の問題だ。
単興が瀋王の元へ辿り着いたのが見えた。しかし、すぐに瀋王の周りの兵に邪魔をされて距離を取られた。
董韓世が乱戦の中次々に敵兵を斬り捨てていると、砦の門の所に騎乗した神々廻が弓を構えて単興に狙いを定めているのが見えた。神々廻ならこの乱戦の中でも単興に矢を当てる事が出来るだろう。
「単興!!」
董韓世は叫んだ。しかし、その声は届かない。
その時、単興がまた瀋王に辿り着いた。単興の刀が瀋王の槍を叩いた。すぐに瀋王は単興を馬上から叩き落とそうと槍を振った。単興は身体を仰け反らせて槍を躱した。董韓世はまだ敵兵に阻まれて単興に近付けない。
董韓世は神々廻を見た。丁度その時、矢を放ったのが見えた。矢は真っ直ぐに兵達の間を抜け、単興の背中に突き立った。
「単興ー!!」
董韓世が叫ぶがその声はやはり届かない。
単興が前のめりにバランスを崩すと瀋王の槍が単興の身体を貫いた。
董韓世は周りに群がる敵兵の首を何個も飛ばし単興の元へ馬を駆けさせた。
すると、槍で貫かれた単興はその槍を左手で掴み、そのまま馬を前身させた。槍が単興の身体をより深く貫いていく。そして、瀋王の槍を握る手が単興の身体に最も近付いた時、単興は最後の力を振り絞り右手の刀を横に振った。
飾りの着いた兜を被った瀋王の首が、鮮血を吹き上げ宙を舞った。
それと同時に、単興の後頭部に矢が突き立った。神々廻がまた矢を射たのか。単興は身体に槍と矢が刺さったまま馬上から前に倒れるように落ちた。
董韓世が単興の元へ到着したのは単興が地面に落ちた丁度その時だった。
「単興!!」
董韓世が呼んだが単興はすでに死んでいた。
瀋王が死んだ事により、敵兵は潰走を始めた。
「誰か! すぐに単興を運べ! 他の者は逃げる敵兵を皆殺しにしろ!!」
董韓世が叫ぶと近くにいた兵が単興の遺体を拾い上げ、馬に乗せて撤退した。
董韓世はそれを確認するとまた矢をこちらに向けている神々廻の元へ馬を駆けさせた。
神々廻が矢を放った。董韓世の身体へ一直線に飛んできたが刀を一振し打ち落とした。
あっという間に神々廻の元へ到着し刀を真横に振った。流石に神々廻はその攻撃を身を屈めて躱した。すぐに神々廻は反転し距離を取った。
「神々廻師範、何故瀋王の下におられる?」
「董韓世か。久しいのぉ。速射姫を青幻の下へ送った時以来だな」
「質問に答えて貰えませんかね」
神々廻は終始無表情だ。
「この地には速射姫の墓がある。私はそれを護っている。それだけだ。故にこの土地を荒らす者を排除しているのだ」
「そうでしたか。でしたら、我々がこの青龍山脈を支配すればまたこの土地に居座ることも出来るではないですか」
「青幻は学園を裏切ったではないか。そのような者の支配下に愛弟子の墓は置いておけん。速射姫、いや、公孫莉の師として私はこの土地で生涯を終える。殺すなら殺してみよ! 董韓世!」
神々廻の目は闘志で満ちていた。
止むを得ない。放っておけば自分が殺される。
「残念です。もとよりあなたは我が部下単興の仇。弟子の元へ送って差し上げましょう」
董韓世は刀を構えた。
神々廻も弓を構えた。
董韓世が先に仕掛けた。馬腹を蹴り馬を神々廻へ突っ込ませた。神々廻の矢が飛んできた。1本は刀で打ち落としたがすぐにまた1本飛んできた。それを左手で掴み投げ捨てた。神々廻は董韓世から距離をとるように離れた。接近戦では弓使いの神々廻は不利、逆に距離を取られるとこちらが不利だ。
董韓世は上手く神々廻に馬を寄せつつ刀を振った。神々廻は器用にもこちらの斬撃を躱しながら矢を番え瞬時に射てきた。董韓世は至近距離でそれを躱すが数本身体や顔を掠った。
神々廻がまた矢を射た時、董韓世は馬上で飛び上がり、神々廻に蹴りを放つ。神々廻は左手でそれを受けた。しかし、防御した事により、矢を射るタイミングがズレた。
一旦着地して董韓世はまた刀を振った。それを躱した神々廻はバランスを崩し馬から飛び降りて着地した。董韓世はその着地の瞬間にまた蹴りを放つ。神々廻は今度は躱せず両腕で董韓世の蹴りを受けた。
だが、その防御によ、神々廻の両腕の骨は砕けた。
董韓世は仰向けに倒れている神々廻に刀を向けた。
「さっさと殺せ。弓の引けなくなった弓使いなどすでに死んだも同然。其方に殺されるなら本望だ」
神々廻が覚悟を決めた目で董韓世を見てきた。
「どういう意味ですかな? 神々廻師範」
「其方は部下の為に泣ける男ではないか。私は弟子の死にすら泣くことが出来なかった。だからせめてもの償いにと、公孫莉の墓を護っていた」
董韓世は自分の顔を手で触った。確かに気付かぬうちに涙が零れていたようだ。
「其方は青幻の下にいるには勿体ない男だ。ま、私がそれを今言ったところで何の意味もないがな。さあ、もうこの世に未練はない。私は其方の部下の仇であろう? 人思いに殺せ」
董韓世は刀を振り上げた。
「あなたの亡骸は速射姫の隣に葬りましょう。そして私が護りましょう。さらば」
「ありがとう」
神々廻が目を瞑ると董韓世の振り上げた刀は神々廻の心臓を一突きにした。
神々廻の胸からは血が滲み出て辺りを真っ赤に染めた。
「誰か! すぐに神々廻師範のご遺体を公孫莉の墓の隣に葬れ! 決して粗末に扱うなよ! 傷の1つでも付けたものは俺が斬り捨てる!」
すぐに2人の兵が神々廻の遺体を持って来た担架に乗せ運んで行った。
目の前では瀋王の砦が真っ赤な炎が勢い良く燃えている。
董韓世はそれを見届けると幕舎に移された単興の遺体の元へ歩いた。そして単興の遺体の前で座った。
「お前のお陰でこんなにも早く青龍山脈が取れた。礼を言う。単興」
董韓世は単興の肩を軽く叩くとまた涙が零れるのを感じた。
戦で人が死んで泣いたのは初めてだった。
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