第28話~作戦変更~
響音に連れられてカンナと燈は宝生の部屋を訪れた。
「度々すみません、宝生将軍。緊急でお話があるのですが」
響音が慣れた様子で宝生に言った。
「何だ? 言ってみろ?」
宝生は機嫌を悪くすることもなく発言を許した。
部屋の隅には八門衆の男が石像のように微動だにせず直立していた。この男が震ではないことは仮面の模様と氣で分かった。別の八門衆の者だろう。その者の丁度反対側には側近らしい男が1人立っていた。こちらの男は仮面など着けていないので素顔が分かるが全くの無表情で八門衆の男と同じく石像のようだ。
「今夜梵将校が敵兵糧輸送隊の襲撃に出撃されると聞きました。今貴重な将校を減らすのは不利ではないでしょうか?」
「全くその通りだ。しかしな、こうも膠着状態が続いていてはこちらとしても徒に兵糧を消費するだけだ。出来るだけ早期に決着を着けたい」
響音はニヤリと笑い左手の人差し指を立てた。
「輸送隊の襲撃ではなく、兵糧庫の襲撃であれば人数は最小限に抑えられます。梵将校を使うまでもないかと」
「聞かせろ」
宝生は響音の話に興味を持って話を続けさせた。
カンナは響音の横顔を黙ってみていた。燈も大人しくしている。
「敵の兵糧庫は敵本陣の北に20キロの杔凌高。そこを潰せば100キロ以上先の首都焔安からの補給に頼らざるを得なくなり敵の補給は著しく滞るでしょう。そうなれば必ず敵陣は浮き足立ち隙が出来ます。ですが、輸送隊の襲撃では、代わりの部隊が編成されて補給にすぐには敵戦線に影響が及ばない恐れがあります」
「なるほどな。しかし、杔凌高の守備も堅いであろう? どちらにせよ、兵を派遣せねばなるまい」
「いえ、確かに守備は堅牢。されど、急拵えで造られた木造の倉庫故良く燃えます。ひと度火を点けてしまえば火の手は瞬く間に広がり、鎮火する頃には兵糧は全滅しているでしょう。ここから出動する人数は1人か2人で十分です」
「分かった。して、それを誰にやらせると言うのだ?」
宝生はチラリとカンナを見た。
「まさか……」
「あら宝生将軍、流石です。そう、澄川カンナです」
響音に名前を呼ばれたのでカンナは1歩前に出た。
「宝生将軍。この任務、是非とも私にやらせてください! そうすれば梵将校を陣内に留めておくことが出来ます」
「軍人でもないただの民間人にそのような任務を任せられるか」
宝生の言い分はもっともだ。カンナはそれ以上返す言葉が見つからなかった。
「あたしも民間人です。そのあたしに敵地の情報を探らせたりするのは良いのですか?」
響音は目を細めて言った。
「それは……お前は特別だ」
宝生も痛い所を突かれたようで今までの歯切れの良い回答が初めて詰まった。
「あたしは特別なんですね?」
響音が微笑んだ。何か企んでいる顔だ。
「なら、あたしが兵糧庫襲撃に行きます。その補佐にカンナを連れて行かせてください」
「何……!?」
宝生は目を丸くして驚いた。部屋の隅に立っている八門衆の男も少し動いたように見えた。
「……しかし、軍人でない者を軍の任務に就けるわけには……」
「軍がどうこうと面倒くさいですね。それなら、あたしを軍に入れてください」
「簡単に言うな。そんなこと」
「軍に入れるにしろ入れないにしろ、既に軍は民間人であるあたしを使ってるんですよ? 今更所属がどうのこうの言ったって仕方ありませんよ? あたしは、特別、なんでしょ?」
宝生が腕を組んで唸っている。帝都軍司令官の宝生を追い込むとは、多綺響音という女は只者ではないと思った。
「分かった。今回は多綺響音、お前に兵糧庫襲撃を命ずる。その護衛件補佐として澄川カンナを就ける。至急準備をし、出動せよ。連絡用に兵を1名同行させる。襲撃完了後速やかにその兵を使い俺に報告を入れろ」
「了解致しました。吉報をお待ちください」
「呉羽! すぐに命令変更を梵に伝えろ!」
宝生の命令で八門衆の男の反対側に直立していた男が返事をしてすぐに部屋から飛び出して言った。
響音、カンナ、燈は宝生に一礼して部屋から出た。
部屋から出ると燈は笑みを浮かべていた。
「燈、お前やっぱり梵将校と一緒にいられることになって嬉しいんじゃない」
響音が白い八重歯を見せて言った。
「馬鹿! んなわけねーだろ! あたしはカンナの無実が証明されて、新しい任務が貰えたことが嬉しいんだ! 意味わかんねーこと言うな!」
「ま、まあ、そういうことにしておきましょう、響音さん」
カンナは恥ずかしがる燈を見て微笑みながら響音に言った。
「素直じゃないねー、まったく。それより、燈。あんたは早く梵将校の所に行きなさいよ。護衛の任務続行よ」
「おう! 言われなくても分かってる!! ……ありがとな」
カンナと響音は去り行く燈の背中を見てクスリと笑った。
「なんだよ『ありがとな』って。まるで自分にとって有難いことがあったみたいじゃない」
「ホントですね」
燈は梵の事が好きかどうかは分からないかもしれないが気になっている事は事実だろう。カンナ自身もそのような気持ちを経験した事があるので燈の気持ちは良く分かった。
カンナと響音は出発の準備を整えた。
托凌高までは馬で駆けて数時間らしい。カンナは響華に最低限の荷物だけ括り付けて響音と共に久壽居の幕舎にやって来た。
久壽居の幕舎には既に宝生の側近の呉羽がおり、将軍の木曽と護衛の八門衆の震、そして梵、水主村、十亀の3将校を召集していた。勿論3将校と共に、燈、茉里、奈南の3人も待機していた。茉里の足元には鳥籠に入った『滝夜叉丸』がいた。
カンナと共に響音が幕舎の入り口でメンバーを見回した。すると、響音は奈南の顔を見て表情を変えた。
「奈南さん……?」
響音はそれ以上言葉が出て来ないのか口を開けたまま固まってしまった。どうやら響音は今回の護衛任務に奈南がいる事を知らなかったようだ。
「響音さん……お久しぶりです。元気にされてましたか?」
奈南が微かに微笑むと響音の目からは一筋の涙が零れた。
カンナを含めその場にいた者は皆響音に目を奪われていた。
「泣くことないじゃないですか。子供じゃないんだから」
「……泣いてなんかないですよ……! ちょっと目にゴミが入っちゃって」
響音が左腕の袖で涙を拭った。
すると奈南は響音に近付き、そっと抱き締めた。
「兵糧庫襲撃の任務が終わったらゆっくりお話しましょう、響音さん」
響音の涙腺はついに決壊し、声にならない声で返事をし頷いた。奈南は響音の頭を撫でると一旦離れ、黙って様子を見ていた木曽の方を見た。
「積もる話もあると思うが、今は事を急がねばならない」
木曽の代わりに事情を理解している久壽居が言った。
響音と奈南は同時に頷いた。
「呉羽から話は聞いた。決まった以上は確実に兵糧庫襲撃の任成功させろ。そして必ず生きて帰還せよ。命令だ。多綺響音、澄川カンナ」
「はい!」
木曽の力強い言葉にカンナと響音はしっかりと返事をした。
「宝生将軍の許可があるので今回は止めない。総帥からも宝生将軍の命令には従えと言われている。だが、本来任務中に別の任務を勝手に行うことは禁止されている。いいな、澄川」
話を黙って聴いていた震が言った。
「……はい。分かりました」
カンナは震に頭を下げた。
「気を付けてくださいね。澄川さん、響音さん。もしも明るくなってから伝令を送るのなら兵士よりピヨちゃんの方が早いですわ。是非連れて行ってください」
茉里がカンナに足元に置いてあった鳥籠を渡したので受け取った。
「こっちの護衛は任せとけ! 必ず帰って来いよ! 2人とも」
燈はカンナと響音の肩をポンと叩いた。
「任せてよ! 今まで皆に心配掛けちゃった分必ず役に立って見せるよ! ピヨちゃんありがとね」
カンナが応えると、木曽や久壽居、そして他の将校達が激励と共に送り出してくれた。梵だけは人一倍心配そうにカンナを見詰め、視線が重なった時に頷いて見せてくれた。カンナも黙って頷いた。
そしてカンナは響音と2人で未明には本営から出発した。
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雨が上がったので、夜が明けたと同時に董韓世は青龍山脈の中へ軍を進めた。
単興が兵を引き連れ先行し、あっという間に敵の本陣付近まで行軍した。地形を把握していない指揮官なら2、3日掛けて慎重に行軍する所を、たったの1日で済ませてしまったのだ。
董韓世は単興の部隊の後方を追い掛ける形で行軍したので同じく1日で敵本陣を包囲するまでに至った。
あまりの行軍の速さに蔡王も瀋王も出撃の機会を逃した。
蔡王と瀋王はそれぞれの砦には最小限の守備しか置かず、殆どの兵を前線に配置しておりあわよくば逆落しを狙っていたのだろう。しかし、今は完全にどう攻めるべきか決めあぐねている。
単興は部隊の前方に馬防柵をわざと緩めに組んだ。馬防柵は本来、騎馬隊の突撃を止める為のものだが、今回は目的が異なり、敵の騎馬隊の逆落しを誘発させる為である。敵には騎兵だけではなく、『犀獄』という巨大な犀の部隊がおり、それらの部隊に対しては馬防柵など意味をなさない。故に敵は馬防柵を破壊する為に犀獄部隊を突撃させて来る筈だ。そうなればこちらの計略は成功したも同然。犀獄部隊が単興が作った塹壕の落とし穴に嵌れば他の敵兵を大きく乱すことが出来る。単興の狙いはそれなのだ。
数時間程包囲が続いたが、ついに痺れを切らした蔡王と瀋王は犀獄部隊を突撃させて来た。
「掛かった!」
単興の思惑通り、犀獄部隊は突撃落とし穴に落ちてバランスを崩し、それに続いていた騎兵も同じく穴に落ちていった。
「放てーー!!」
単興の号令と共に大量の矢が穴に落ちた犀獄や兵士達に突き立った。
「よし! 全軍! 塹壕を回避し突撃せよ!!」
単興が兵達の戦闘で剣を振った。董韓世もそれを見て自らが指揮する兵達に突撃命令を出した。
次々に穴に落ちていく蔡王と瀋王の兵達。そして騎馬隊に突撃され敵は呆気なく崩れた。本陣を捨て敵は砦まで潰走を始めた。蔡王が董韓世の目に写った。馬首を返し、砦まで逃げようとしている。
「蔡王の首を上げよーー!!」
董韓世が叫んだ。こちらの兵達は勇ましく蔡王を追い掛ける。しかし、瀋王の姿は見えない。単興の姿も董韓世からは見えなかった。
犀獄の殆どを穴に落としたので脅威はもうなかった。敵の全容が見えている以上、地形に惑わされる事はない。
その勢いのまま、董韓世は蔡王を砦まで追い詰めた。混乱して逃げ遅れた蔡王の兵の殆どは突き殺した。既に蔡王の残兵は数百まで減っていた。
このまま蔡王が砦に逃げ込めば数日以内に蔡王の首を上げられる。そう思ったが甘かった。
蔡王は砦に逃げ込まず、僅かな兵を守備に置いたままの砦を放棄しそのまま青龍山脈の奥地へ逃げて行った。
董韓世は舌打ちをして兵の追撃を止めた。単興が近くにいない今、深追いするのは危険だ。董韓世はすぐにそう判断し蔡王が捨てた砦を包囲した。するとすぐに砦の中の蔡王の兵達は降伏し砦の門を開け放った。
僅か1日で蔡王の軍は滅びたのである。
1時間後、単興から伝令の兵が董韓世の元へ来た。
話しによると単興は瀋王を瀋王の砦の方に追い込み現在包囲しているとの事だった。だが、弓使いの謎の女が、たった1人で単興の攻撃を妨害したのだという。そのせいで、思いのほか瀋王の兵達は生き残り、まだ1千近くはいるらしい。その弓使いの女が何者なのか見当もつかないが、董韓世は蔡王の砦を一先ず小隊長の宣英に任せ、すぐに兵5千を連れ、単興のいる瀋王の砦に向かった。