第23話~非道な罠~
押領司の背後から男が刀を振り下ろした。
カンナの視線に気付き押領司は振り返ったが時すでに遅く、振り下ろした刀を避ける事は出来ず咄嗟に身体を庇った右腕が呆気なく切り落とされた。
押領司の悲鳴と共に切断された腕からは鮮血が辺りに飛び散りカンナの肌と真っ白なバスローブに降り注いだ。
カンナは何が起こっているのか一瞬分からなかったが、「押領司を護衛する」という任務を思い出した。刀を持った男はまた刀を振り翳したのでカンナは絶叫する押領司の大きな身体を突き飛ばし刀の軌道をずらした。しかし、刀は押領司の左肩を斬りまた血を噴き上げた。
突き飛ばされた押領司は叫びながら助けを呼び、カンナを置いて幕舎から飛び出して行った。
幕舎に残されたのはカンナと刀を持った男だけ。男はカンナを一瞥したがすぐに逃げ去った押領司の後を追おうと動いた。
カンナはその男を捕まえようと男の足元に右脚を伸ばした。男は躓いたが前転して体勢を立て直し、カンナの方を向き構えた。
「あれだけの重症を負わせれば戦の指揮は執れんだろう。貴様は澄川カンナだな?」
男は押領司を追うのはやめてカンナに話し掛けてきた。
「あなたは青幻の部下ですか?」
「そうだ。俺は中位幹部の程突と申す。以後お見知り置きを」
程突と名乗る男は刀を持ったまま両手を胸の前で合わせて律儀に挨拶をしてきた。
「あなたが青幻の暗殺者である以上、ここから逃がすわけにはいきません!」
カンナはいつの間にか目尻から零れていた涙を袖で拭い構えた。
「結果的に危ないところを助けてやったのだから見逃してくれても良さそうなものを」
「それは……感謝しますが、あなたは敵です」
カンナは言いながら氣を瞬時に練り、程突の刀を持つ手を狙い手刀を放った。
程突は横に跳んで躱した。いつの間にか程突は刀を逆刃に持ち替えていた。それに目をやっていると程突はカンナに蹴りを放ち、逆刃に持った刀を振ってきた。カンナが上手く攻撃を躱し、程突の背後に周り後頭部を肘で狙う。程突は屈んで躱し刀を振り回した。程突の振り回した刀は部屋の中の棚や机を吹き飛ばし部屋中をめちゃくちゃにしていった。逆刃でなければ棚や机は両断されただろう。何故程突は逆刃で刀を振り回すのだろうか。カンナは剣激を後ろに跳んで躱し程突の隙を窺った。青幻の中位幹部という事は2年前に闘った牙牛という男と同じだ。そうなると一筋縄ではいかない。
カンナは唾を飲んだ。
すると辺りが騒がしくなり突然幕舎に数人の兵達が飛び込んで来た。
「時間切れだ、澄川カンナ。貴様とはまたいずれ遊んでやろう」
程突はそう言うと、幕舎内に侵入する為に切り開いていた天井付近の壁から身軽に跳んで消えてしまった。
カンナは程突を追おうと兵達のいる入口から出ようと走ったが何故か兵達は槍をカンナの前に交差して道を塞いだ。
「何ですか!? あいつを追わないと!」
「追撃は我々がやります。あなたは着替えて宝生将軍の元に出頭してください!」
兵達は無表情にそう言うと、カンナの行く手を阻む槍を下ろし道を開け、カンナの荷物がある部屋に案内した。
カンナは言われるまま血塗れのバスローブを脱ぎ、顔や身体に飛び散った押領司の血を濡らしたタオルで拭った。何故今程突を追わせずにカンナを宝生の元へ出頭させるのか? カンナには理解出来なかった。それよりも押領司はどうなったのか。その事が気になった。
夜も更けた頃、カンナは響華に跨り2キロ離れた帝都軍本営に盛満に先導され2人の兵士と共に向かった。雨は弱まっていたが、カンナは頭に笠をかぶっていた。
「あの、押領司さんは無事ですか? 盛満さん」
「ええ、命に別状はないと軍医が言ってました。それにしても、あなたにはガッカリしましたよ。まさか護衛任務着任当日に護衛対象の指揮官を負傷させてしまうとは」
「それは……」
「まあ話は宝生将軍の元でじっくりしましょう」
カンナは押領司を負傷させた事を咎める為に宝生の元に出頭するのかとこの時ようやく理解した。しかし、言い訳するつもりはないが、押領司と盛満がカンナを罠に嵌めるような事をしなければ襲撃は防げた筈だ。
カンナは押領司と盛満の陰謀を宝生の前で打ち明けてやろうと思った。
15分程歩くと宝生のいる本営に到着した。カンナは部屋に通された。
宝生は椅子に座り腕を組んで待っていた。カンナが部屋に入って来ても目だけカンナを見ただけで動かなかった。
「澄川カンナ、出頭しました」
「話は聞いたよ。押領司と共に同じ部屋にいたのに襲撃を防げず、押領司に戦の指揮が執れない程の重症を負わせてしまったらしいじゃないか。これは本当かね?」
「はい……本当です」
確かに宝生の言う事はその通りだ。
「うむ。澄川カンナ。申開きがあれば言ってみよ」
「確かに、襲撃を防げず、押領司上級将校に重症を負わせてしまった事は間違いありません。しかし、それは私が動けない事情があったのです」
「事情とは、なんだ?」
宝生は腕を組んだまま眉だけ動かした。
「私は襲撃前に押領司上級将校に身体を無理矢理触られるなどの性的な嫌がらせを受けていました。丁度押領司上級将校が私に馬乗りになっている時に襲撃があったのです。もしそんな事がなければ私は押領司上級将校をちゃんと護れました!」
「何? それは本当か?」
宝生はようやく組んでいた腕を解いた。そしてカンナを心配するような眼差しで見詰めた。
「ははっ! そんなデタラメ、誰が信用すると思う? 宝生将軍、澄川カンナは自分の失敗を事もあろうに押領司上級将校のせいにするつもりです。押領司上級将校がそんな事をする筈がありません」
カンナの隣りで話を聴いていた盛満が呆れたと言わんばかりに反論した。
「うむ。確かに、澄川カンナがしっかりと護衛に就いていればこんな事にはならなかったと俺は思う。澄川カンナの実力は申し分ない。あの解寧を倒したのだからな。しかし、この娘が初日から気を抜くとも思えんぞ。何か動けない事情があったと考えるのが自然と思える」
「澄川カンナは護衛の任務を請け負っていながら、その自覚が足りず気を抜いていたのです。だから押領司上級将校襲撃に対応できなかったのです。押領司上級将校がこのような小娘に手を出すと思われますか? これは澄川カンナの怠慢です。これは由々しき事態ですぞ! どうか厳しき処罰を!」
盛満のカンナを陥れる意図は明らかだった。自身の行いが露呈しないようにカンナを一方的に悪者にしようというのだろう。
カンナは拳を握り締めた。
「私は押領司上級将校とこの男に嵌められたんです! この男は押領司上級将校からお金を受け取っていました。最初から私を護衛ではなく慰みものとして着任させる計画だったんです! 調べてください! このまま私が怠慢という理由で罰を受けるのは納得がいきません!」
宝生はカンナの訴えを聴き顔色を変え盛満を見た。
「盛満。今の話は」
「この女! この私も悪者扱いにするつもりか! 金を受け取っただと? そんなものは知らん! そこまで言うなら証拠を見せろ!」
盛満はカンナに怒鳴り散らした。
「卑怯者!!」
カンナも負けじと罵声を浴びせた!
「やめんか2人とも見苦しい! 澄川カンナ。お前の言い分は分かった。こちらで一度調査する。しかし、もしお前が押領司上級将校に襲われたという証拠が出なければ、お前は護衛任務を失敗し、我が軍の戦況に多大な影響を及ぼしたとして学園に報告をしなければならない。幸い、お前は軍人ではない。故に軍法会議には掛けん。学園の規則に従いなさい。盛満。お前と押領司上級将校の事も調べる。万が一、澄川カンナの言うような不正があった場合」
「その時は軍法会議にお掛けください」
宝生が言い終わるより前に盛満は頭を下げた。
「盛満。お前はもう下がって良い」
宝生が言うと盛満は一礼して部屋を出て行った。
部屋には宝生とカンナだけになった。
「信じて……貰えないのですか?」
カンナは縋るように宝生に言った。ここでは宝生に縋るしかない。全ての判断を下すのは総司令官である宝生である。
「信じないわけではないが、どちらの言い分も証拠がない。軍という組織である以上、然るべき方法により正義を導き出す。信賞必罰。盛満達に不正があれば奴らを罰する」
宝生は静かに言った。カンナを責めるつもりはないらしい。
「あの……私はどうすれば」
「今は護衛対象の押領司が重症だ。恐らく、しばらくは戦に出られんだろうから敵にまた襲われる心配は低い。故に、今回の護衛の任を解く。押領司の護衛は兵達に任せておけば良い。お前は事件の調査が済むまで俺の元にいろ。部屋を用意する」
「……了解しました」
宝生との話が終わると押領司の幕舎に置いてあった荷物をまとめてまた本営に戻り、宝生が用意してくれた部屋に移った。この頃には雨は止んでいた。
ベッドに横になり眠ろうと思ったが眠れる筈がなかった。カンナは深夜の真っ暗な外に1人で出た。見張りの兵に声を掛けられたが適当にトイレだと言っておいた。
本営の端の物見櫓の下の鉄柵の所まで来た。夜空を見上げると無数の星が瞬いていた。夜風は心地よくカンナの肌を撫で、黒髪と青いリボンを揺らした。
カンナは2年ぶりに孤独と絶望を感じた。2年前の丁度今くらいの季節、カンナは序列11位という特別待遇で入学したお陰で、当時生徒だった響音に嫌がらせを受け、学園の皆からも白い目で見られて死にたくなるような学園生活を送っていた。だが、あの時はつかさが一緒にいてくれた。こんな時に1番頼りたい人は今遠い学園にいる。一緒に任務に来た仲間達もそれぞれ別の場所にいて会う事は出来ない。
カンナは鉄柵に肘を置き俯いた。
「今日はもう……疲れちゃったなぁ……学園に帰りたいよ……つかさ」
カンナがポツリと呟いた時、背後に気配を感じた。
「こんなところで何やってんの? カンナ」
カンナが声のする方を振り向くと、物見櫓の屋根の上に月明かりに照らされた丈の短い和服姿の女がいた。その女は物見櫓の屋根に左手を突いて、右腕の袖だけを風に靡かせてカンナを見下ろしていた。
「響音さん!?」
カンナは目の前に信じられない人物がいる事に驚きを隠せなかった。
響音は10メートル程もある櫓の上から躊躇う素振りも見せず、近くの建物の屋根をぴょんぴょんと足場にしながらカンナの元へ降りて来た。
「また会ったわね。カンナ。なんだ、2年経っても全然変わらないわね」
多綺響音。元学園序列8位で神技『神速』の持ち主。当時カンナを虐めていた女だ。しかし、既に和解して今は友達になっていた。
響音はカンナを見てニコリと可愛らしい八重歯を見せて微笑んだ。
それを見たカンナはもう我慢出来なかった。
「響音さん!! 会いたかった!! 会いたかったです!!」
カンナは響音に抱き着いた。そしてカンナは柔らかい響音の胸に顔を埋めた。
「ちょ、ちょっとカンナ!? 何? 何なの? いきなり。甘えんぼさんか?」
響音はカンナの頭にポンと左手を置いた。
カンナはゆっくりと顔を上げて響音の顔を見た。
「……何があったの? そんな涙と鼻水でブサイクになっちゃって」
響音は優しく聴いてくれた。カンナの頭を優しく撫でてくれた。少し心が落ち着いてきた。頭を撫でられるのは好きなようだ。
「響音さん……私、私……」
カンナは響音に今日あった事を全て打ち明けた。