第20話~学園序列1位捕縛任務・玉黄戴の戦い~
曇天の空が果てしなく広大な大地を覆っていた。
斑鳩は馬を歩かせ大陸側である龍武帝国領の『玉黄戴』という遺跡の入り口の前に到着すると暗雲が垂れ込める空を仰いだ。近くの『江霞村』という小さな村からも大分離れた、我羅道邪の国『鼎』との国境付近にある森の中にひっそりと佇む中規模の遺跡だ。
今回の任務は斑鳩が今までに学園から受けた任務の中で最も危険なものだ。
『学園序列1位、神髪瞬花の捕縛』
神髪瞬花といえば、学園最強の女槍使いで2年前の学園戦争の際に行方不明となった生徒だ。瞬花は他の生徒達の前に現れる事は滅多になく、その素顔と力を知っているのは総帥や師範達の他には、実際に交戦した澄川カンナと、その時一緒にいた斉宮つかさの2人だけだ。
神髪瞬花は行方不明の今でも序列1位として序列表には名前がある。何故、自らどこかに消えてしまった者を2年もの間探し続け、そして捕縛し連れて帰るのか。斑鳩には理解出来なかった。
「斑鳩さん? どうしました? 」
斑鳩が空を見上げて動かなくなったので、隣りに馬を寄せていた水無瀬蒼衣は首を傾げて訊ねた。
「いや、なんでもない。それより、この遺跡の中に、今も神髪瞬花はいるんですか? ドゥーイさん」
「間違いない。今も神髪瞬花はこの中にいる。いいか、お前達生徒はここから決して動くな。神髪瞬花は僅かな氣の動きを感じ取るという。奴の半径500メートル圏内で気取られずに動けるのは我々『八門衆』だけだ」
今回の任務、学園出発時は斑鳩と水無瀬蒼衣、そして蓬莱紫月の3人だけだったが、実は重黒木に「4人の八門衆と合流せよ」と言われていた。初めは何の事だか分からなかったが、浪臥村からの船が鄭程港に到着した時、白い不気味な仮面を着けたドゥーイという男が声を掛けて来た。ドゥーイは自らを『八門衆』と名乗り、重黒木からの書状を持っており、その書状にはご丁寧に学園の判子が押してあったので重黒木の言葉がこの事だったのかとようやく理解した。
そして、ドゥーイに先導されるままに拠点となる大都市、南橙徳に到着すると、そこでドゥーイと同じく白い仮面を着けた八門衆の男2人が加わった。南橙徳には1日滞在し、さらに何個か街を転々とし、それから、神髪瞬花を追跡中だというもう1人の八門衆の男と先程森で合流し現在に至るというわけだ。
驚く事に八門衆は森の手前で馬を降り、森に入ってからはずっと自分の脚で木の枝から枝へと飛び移り、まるで忍びのような動きで移動していた。
「作戦のおさらいだ」
ドゥーイは斑鳩と蒼衣、紫月、そして他の3人の八門衆を呼び集め、背負っていた刀を抜き、地面に遺跡の見取り図を描き始めた。
「まず、我々八門衆が遺跡の反対側から神髪瞬花を我々が今いるこちら側の入り口に向かって追い立てる。だが恐らく奴は絶対に逃げない。むしろ我々を殺そうと向かって来るだろう。そこで我々は負けた振りをしてこちら側に逃げてくる。そして、この入り口から神髪瞬花が出てきた時、水無瀬蒼衣と蓬莱紫月は五百旗頭流弓術とやらで捕縛しろ」
蒼衣と紫月は静かに返事をして頷いた。
「斑鳩爽はこの2人が確実に神髪瞬花を拘束出来るようにフォローしろ」
ドゥーイの目玉が仮面の2つの穴から斑鳩を見た。
「了解しました」
「八門衆8人全員がいればお前達の手を借りずとも済んだのだが、生憎別の任務にも八門衆を割かなければならなくなったのだ。危険な任務を任せてしまって済まない」
ドゥーイは刀を背中の鞘に戻しながら言った。
「あの、1つ、聞いても良いですか? ドゥーイさん」
「なんだ?」
斑鳩はかねてからの疑問をドゥーイにぶつけた。
「何故、神髪瞬花を2年間も追い掛けてまで捕まえるのですか?」
「そんな事……危険だからに決まっているだろう」
「危険?」
斑鳩には神髪瞬花が危険という意味が分からなかった。カンナの話によれば、瞬花はかつて前総帥の割天風が雇っていた殺し屋の鵜籠に陵辱されかけたつかさを助けたと言っていた。仲間を助けるような人間が危険だとは思えなかった。
「我々も詳しくは知らぬ。だが、神髪瞬花は強大な力を持っている。そして『神技持ち』の貴重な人物だ。神技持ちの人間は己の力に溺れ盗賊になるのが関の山だ。これ以上の説明はいらんだろ」
ドゥーイはそう言うと右手で他の3人の八門衆に合図した。すると、3人は一瞬でその場から消えるように持ち場に移動していった。
「いいか、お前達。危険を感じたら逃げろよ。この任務で死ぬ必要はない」
「ま、大丈夫ですよ。私の弓術と斑鳩さんがいれば、流石の序列1位もあっという間に縛り上げてやりますよ」
蒼衣はやはり紫月を一切無視しているようだ。
「おい、水無瀬。お前、蓬莱との連携技を使うんだろ? ずっと蓬莱を無視してるみたいだが大丈夫か?」
斑鳩が紫月の事に触れると蒼衣はあからさまに不快な顔をした。
「大丈夫ですよ。紫月がしっかり私に合わせてくれればね。私は完璧にやる自信しかないですよ」
紫月は紫月で蒼衣の発言を完全に無視して自分の馬の背の装置を確認していた。
蒼衣と紫月の馬の背には何やらワイヤーを巻き取る装置が付いている。そのワイヤーは専用の矢に繋がっていて、その矢を使い瞬花を捕縛するらしい。紫月はその装置の調整に余念がないようだ。
ともあれ、この2人の仲で本当に序列1位の神髪瞬花を捕えられるのか不安は募った。
ドゥーイが持ち場に就こうとした時だった。その気配は広範囲に一気に現れた。
囲まれている。
敵は神髪瞬花ではない何かだ。
その気配を感じたのはどうやら斑鳩とドゥーイだけのようで、ドゥーイは敵の数を数え始めた。
「100以上はいるな。いや、もっといる。まだ数百メートル先だが徐々に距離を詰められている」
「何が?」
蒼衣は1人で喋り始めるドゥーイに苛立ちながら訊いた。
紫月は静かに辺りの様子をキョロキョロと見回している。
「分からんが敵だ。この遺跡を包囲しているようだ。という事は、奴らの狙いも神髪瞬花か……」
「どうします? ドゥーイさん」
「中止だ。神髪瞬花捕縛は中止。しかし、撤退するにも奴らの包囲網を突破しなければならない。我々八門衆だけならやり過ごせるがお前達には馬もいる。身を隠す事も出来んな」
その時、森の木々の間に一瞬動く黒い影が目に入った。
ドゥーイは手で馬から降りるように合図した。すぐに斑鳩達は馬から降り、木の影に隠れた。
「一瞬敵の武器が見えたが、奴ら銃を持っている」
ドゥーイが木の影に屈んで小声で言った。
「って事は……我羅道邪の?」
「ここは鼎との国境付近だ。ほぼ間違いないだろう。恐らく、神髪瞬花の情報をどこからか手に入れた我羅道邪が神髪瞬花の力を手に入れる為、あるいは始末する為に派遣したのだろう」
他国に狙われる程の力があるという事だろう。神髪瞬花は斑鳩が想像しているよりも凄まじい力を持っているという事だ。
すぐに先に持ち場に着いていた八門衆の3人が戻って来た。
「およそだが、敵戦力は500。全員自動小銃で武装している。これ程の兵力と銃火器、間違いなく我羅道邪の軍だ」
八門衆の1人が状況を報告した。この短時間で敵戦力の全容を掴むとは常軌を逸している。
「任務は中止。恐らく、神髪瞬花も既にこの状況には気付いている筈、神髪瞬花が動き、我羅道邪の部隊が混乱し始めたら包囲を突破する。いいか?」
「何なのよ! もう! こんな時に!」
蒼衣は苛立っていた。咄嗟に馬達も木の影に隠しはしたが、馬の気配は消せない。もう少し近付かれたらこちらの存在がバレてしまうだろう。
徐々に我羅道邪の包囲網は狭まってきていた。
森は静寂に包まれた。
紫月は冷静に息を殺していた。顔からは汗の雫が流れるのが見えた。
動いた。
猛烈な殺気を放った神髪瞬花が馬で遺跡の入り口に駆けて来た。
その馬蹄が森の静寂をかき消した。
同時に四方から銃撃が始まった。
耳を劈くような音。かつて一度だけ聴いた忌まわしき音。家族が死んだ時の凄惨な光景を斑鳩は思い出した。
「我々が道を開く。斑鳩、女達を頼むぞ」
そう言い残し、ドゥーイ達八門衆はたった4人で向かい来る銃声に突っ込んでいった。
「斑鳩さん!?」
蒼衣の声でようやく斑鳩は自分の身体が硬直して動けなかった事に気が付いた。まさか、恐怖心で身体が固まるとは。そう考えたが、今は一刻も早くこの森から抜けなければならない。
「すまない、行くぞ! 水無瀬! 蓬莱!」
先程まで光っていた銃口の火花が、斑鳩達の進む方には見えなくなっていた。斑鳩は馬を疾駆させた。蒼衣も紫月もしっかりと就いて来た。
何人か何事かとこちらを見ている男達がいたが、斑鳩はその男達を視認した瞬間に闘玉を投げて打ち殺した。
後方から就いて来る蒼衣や紫月も的確に矢を放ち、一矢足りとも外さずに男達を射殺していた。この状況下で的確な騎射。流石に今回の任務に選ばれただけはある。
それよりも斑鳩が驚愕したのは八門衆の戦闘能力だ。斑鳩が突き進む道には既に何十人もの男達の死体が転がっているのだ。たった4人でどのように殺しているのかまるで検討がつかない。もしかすると、八門衆8人全員いれば本当に神髪瞬花に勝てるのではないかとさえ思った。
しかし、その考えはあまりにも甘かった。
後方からは男達の悲鳴や銃声が鳴り止まない。立った1人に何百人もの男達が自動小銃を持って突っ込んでいるのになぜ後方では未だに戦闘が行われているのか。一体男達は何と戦っているというのか。
「水無瀬! 蓬莱! 無事か!?」
斑鳩は駆けながら後方を駆ける2人に声を掛けた。
「大丈夫です! それより、後ろが阿鼻叫喚なんですけど!」
斑鳩が振り向くと紫月は騎射で忙しそうだった。斑鳩と目が合うと紫月は頷いた。
「問題ありません」
周りでは混乱した男達が手当たり次第に銃を乱射していた。口々に「何かいるぞ!」等と叫んでおり、自分達が何に殺されているのか解っていないようだ。
数分駆けるとようやく男達の包囲網から脱出したようで、静かな森に戻った。まだ後方では銃声や悲鳴が微かに聴こえた。
いつの間にか森を抜けていた。
斑鳩は後ろを見た。蒼衣も紫月も奇跡的に無傷でしっかりと突破して来ていた。ただ、2人とも大量に準備していた矢筒の矢はほとんどなくなっていた。
「全員無事か。良かった」
先に森を出ていたドゥーイもその他の八門衆の3人も全員返り血こそ浴びてはいるが皆無事なようだった。
ドゥーイは八門衆の2人に引き続き瞬花の動きを監視するように命じた。すぐにその2人は森へ引き返して行った。
「まったく! 初めてですよ私、本物の銃を見たの。銃声も初めて聴いたわ。せっかく神髪瞬花を追い詰めたのに」
蒼衣はまだ不機嫌な様子で不平を吐いた。
紫月はもう疲れたという表情をして皮の水筒の水を飲んでいた。
「一先ず、ここから一番近い江霞村に戻る。乾、お前は一度学園に戻り今回の件を総帥に報告し、新たな指示を仰いで来てくれ。俺は生徒達を守りつつ江霞村にて待機する」
「分かった」
ドゥーイがもう1人の八門衆の乾という仮面の男に指示を出すと、乾はすぐに森の手前に繋いでたいた馬に飛び乗り先に村の方へ駆けて行った。
「我々も戻ろう。今は待機するしかない」
煮え切らない気持ちのまま、斑鳩達は江霞村に引き返す事になった。
その道中、誰も口を開く者はいなかった。
次第に灰色の空からは雨が降ってきた。