第15話~離別と接吻~
カンナは走った。
突然の話で無我夢中で走っていた。
斑鳩が今日島外に出発する。そんな柚木の信じられない情報にいてもたってもいられず、柚木を押し退けて一心不乱に体特寮に走って来た。
体特寮に到着すると、急いで階段を駆け上がり斑鳩の部屋の扉をノックした。
「澄川です! 斑鳩さん! いますか??」
すると静かに扉が開いた。
「なんだ、澄川。俺の方から会いに行こうと思ってたのに。来てくれたのか」
斑鳩はいつも通りの爽やかな笑顔でにこりと微笑んだ。
「斑鳩さん! 今日島外へ行っちゃうって本当ですか!?」
カンナはこの話が何かの間違いだと思いたかった。急に立たなければならない任務とは何なのか。カンナは斑鳩の顔を見詰め答えを待った。
「ああ、ついさっき決まった。仕方ないな。総帥からの命令だ」
「……そうなんですか……。あの、任務ってなんなんですか? 期間はいつまでですか?」
「学園序列1位、神髪瞬花の居場所を総帥の手の者が補足したらしい。俺は神髪瞬花を拘束して学園に連れ帰る任務を命じられた。期間は決まってない。だからいつ帰れるか分からない」
カンナは愕然とした。学園で斑鳩に会えなくなる。しかも神髪瞬花の拘束など下手したら殺されるかもしれない。カンナは拳を握り締めた。
「そんな危険な任務……だったら、私も」
カンナが言い掛けた時だった。
「その任務には私達が同行します。澄川さん」
カンナがその声のする方へ振り返ると2人の女が立っていた。
青い髪のボブヘアーの女は序列18位、水無瀬蒼衣。茶髪のロングヘアーの女は序列22位、蓬莱紫月。2人とも弓特の生徒で2年前の学園戦争を生き抜いた猛者だ。しかし、カンナはこの2人とはあまり交流がない。
「水無瀬さんと、蓬莱さん……」
序列1位である神髪瞬花を拘束するなら上位序列の方が適任であるはずだが、中位序列のこの2人を斑鳩と共に同行させるとはカンナには些か解し難い事だった。
青い髪の蒼衣がニヤリと笑いカンナに近付いて来た。
「どうしてコイツらが……? みたいな顔してますね〜序列4位の澄川カンナさん。でも、不思議な事は少しもありませんよ? 私と紫月は”五百旗頭流弓術”という、敵を捕縛する弓術を使います。この学園で捕縛術に関して私達の右に出る者はいないのですから」
蒼衣は不敵な笑みを浮かべた。この女の笑い方はかつて学園序列5位だった畦地まりかを彷彿とさせた。あまり良い思い出ではない。
蒼衣の隣りの紫月は一言も発さず黙ったままだ。
「ま、この紫月は実質私のサポートしか出来ないんですけどね。私は別に1人でも大丈夫なのですが、今回はあの序列1位、神髪瞬花の捕縛という事で念の為紫月も同行する事になったのです」
蒼衣は嫌味ったらしく鼻で笑いながら言った。益々畦地まりかを思い出す。
紫月は相変わらず何も喋らないがその眼光は蒼衣を鋭く睨み付けていた。
どうやら2人は仲が良くないようだ。
「と、言うわけで、水無瀬と蓬莱と一緒に行く。澄川。お前の気持ちは嬉しいが、これは総帥命令だ」
斑鳩にそう言われると受け入れるしかない。カンナはガッカリして俯いた。
「それじゃあ! 斑鳩さん! 早く行きましょうか!」
蒼衣は斑鳩の腕を取り馴れ馴れしくくっ付いた。
「ちょっと! 何やってるの!?」
カンナは堪らず蒼衣の行動を咎めた。
「何って? スキンシップですよ? え? 何か問題でも?」
蒼衣は自分より序列の高いカンナに対して話し方こそ丁寧だが、どこか暴力的なものを感じた。何故蒼衣がそのような態度を取るのか分からない。そして、相変わらず紫月は何も喋らない。ただ腕を組んでどこか遠くを見ていた。
蒼衣は斑鳩の腕を掴んだまま勝手に斑鳩の温もりを堪能しているように見えた。そして、カンナを見てニヤリと笑った。
気に入らない。カンナは歯軋りをした。斑鳩も何故蒼衣を振り払わないのか。カンナが見ている前で別の女とくっ付いている姿など面白くないに決まっている。それなのに何故……。
カンナが何も言わないでいると蒼衣が鼻で笑った。
「さ、早く出発しないと日が暮れてしまいます。斑鳩さん。ほら、紫月も行くよ」
蒼衣は相手によって態度をコロコロと変える人間のようだ。気に入らない。
カンナはこの数分で蒼衣の事が嫌いになった。
「悪い、水無瀬。蓬莱。少しだけ時間をくれ。忘れ物をした。学園の門の所で待っていてくれるか?」
斑鳩が蒼衣の肩に手を置いて言った。
「え? あ、はい。分かりました」
蒼衣は不服そうだったが素直に従い、結局何も喋らなかった紫月を連れ、体特寮の階段を降りて行った。
ちらりと、蒼衣がカンナを顧みた。その顔は全くの無表情でどういう気持ちなのかまるで読めなかった。
「斑鳩さん……私……」
「水無瀬は昔から同性には冷たいんだ。気にしない方がいい。それと蓬莱はもともと無口だ。お前に怒ってたわけじゃない」
斑鳩がカンナの頭に手をポンと置き気遣いの言葉を掛けてくれた。
「それは……気にしてません……。ただ、私、斑鳩さんがほかの女の子とくっ付いているのはあまり見たくないっていうか……」
「なんだ、ヤキモチか。澄川。可愛いな」
斑鳩の言葉にカンナは今までの鬱々とした気分が一気に晴れ喜色満面で斑鳩の胸にそっと抱き着いた。斑鳩も突然抱き着いてきたカンナを優しく抱き締めてくれた。
「私……あの子達と斑鳩さんが島外へ行ってしまうのが……辛いです。斑鳩さんは私のものなのに」
カンナは弱々しい声で斑鳩の胸に頬を付けたまま言った。
「心配するな。俺が浮気なんてすると思うか? 任務をさっさと片付けてお前のところに帰ってくるよ。必ずな」
斑鳩はカンナを抱き締めたまま約束してくれた。
「斑鳩さん……好き……大好き」
「俺も好きだよ。澄川」
カンナは斑鳩の胸でにやにやとしてしまう顔を隠しながら甘い言葉に悶えた。すでに身体が熱い。
「斑鳩さん……出発してしまう前に……キス、してください」
斑鳩の目など見られるはずもなく、カンナはボソリと呟いた。
斑鳩は何も言わず微笑みながらそっとカンナを抱き締めたままカンナの唇に唇を重ねた。
背の高い斑鳩とのキスは顔を上に向けなければならず少し体制的に辛いのだが、そんな事がどうでも良くなるくらいにカンナは斑鳩とのキスが好きだった。お互いの舌が絡み合う。斑鳩のキスはとても上手でカンナの脳を蕩けさせた。カンナの舌は斑鳩の舌を求めて別の生き物のように快楽を求めて勝手に動く。次第にカンナの脳も身体も快感を感じてきた。とても気持ちが良い。
カンナの大き過ぎず小さ過ぎずの胸は必然的に斑鳩の身体に押し付けられているのを感じた。
身体の中を快感が駆け回っている。全身が熱く火照り脳が混濁してきた。
もう少しで……
そう感じた瞬間、全身を突き抜けるような激しい快感をほんの刹那の時だけ感じ、カンナは身体を僅かに震せ、斑鳩のコートを両手でぎゅっと握り締め目を閉じてその快感を味わった。
斑鳩がそれに気付き、そっと唇を離した。
「……あ……私……また……キスだけで」
「やっぱお前にはキス以上の事はまだ早いな」
斑鳩はカンナの頭をポンと叩くと玄関の中に置いてあった荷物を取り出し、部屋の戸締まりを始めた。
「あの……部屋、締めちゃうんですか? 私……もう少し」
カンナは顔を紅潮させたまま言った。
「すまないな。もう行かなくちゃ。出発が遅れるとまずい」
斑鳩はカンナに優しく微笑んだ。
「また……お預けですか」
カンナは寂しそうに斑鳩にもたれ掛かった。そのカンナの頭を斑鳩は優しく撫でてくれた。
「そう不貞腐れるな。お前はもう少し俺からの刺激に耐性を持てるようにしておけよ。キスだけでそんなに恍惚としてるようじゃ、まだまだだな」
「無理ですよ! 斑鳩さんが上手すぎるんですよ! あんなキスされたらきっと誰だって」
言いながら斑鳩のキスの感触を思い出したカンナはニヤリと顔が勝手に緩んでしまっていた。
「お前……あんまり性に溺れるなよ。自分の身体は自分でコントロール出来るようにしておかないと駄目だ。体術が廃れるぞ」
カンナはそれがどういう意味かよく分からなかった。しかし、体術が廃れるのは嫌だと思った。
カンナがしゅんとしているのを横目に斑鳩は荷物を背負い寮の階段を降り始めた。
本当に行ってしまうんだ。カンナは階段を降りる斑鳩の隣にピタリとついた。
「私、門まで送りますよ」
「いいよ、また水無瀬に不快な思いさせられるだけだぞ」
カンナは蒼衣のあの表情と言葉を思い出し苛立った。
「あの子、なんで斑鳩さんにくっつくんですか? 斑鳩さんの事が好きなのかな?」
「水無瀬がどう思っていようと、俺とお前は恋人同士。俺が好きなのはお前だけだよ。澄川」
斑鳩は頬を赤く染め微笑んだ。その様子に堪らなく嬉しくなったカンナは満面の笑みで頷いた。
カンナが体特寮の入口まで就いて行くと斑鳩は体特寮併設の厩舎から馬を曳いてきて一度立ち止まった。
「ここまででいい。あとは水無瀬と蓬莱と合流するだけだ」
「分かりました。斑鳩さん。気を付けてくださいね」
カンナが最後の別れを言うと、斑鳩は微笑み、馬に跨り颯爽と体特寮を後にした。
カンナはその勇壮な後ろ姿を見えなくなるまで見送った。
寂しそうなカンナの背中を柚木は物陰から見守っていたが、完全に油断しているカンナは全く気付く事はなかった。
それだけ見届けると柚木はすっと消えてしまった。
カンナが体特寮の自分の部屋に戻るといつも通り光希は寝転がって漫画を読んでいた。
「ただいま」
「おかえりなさい」
カンナは挨拶だけするとすっと部屋の隅に体育座りで座り込んだ。
斑鳩に暫くの間会えない。しかも、それがいつまでなのかも分からないし、一緒に行くメンバーがあの憎たらしい蒼衣なのだ。その不安ともどかしさでカンナは穏やかではなかった。おまけに既に先程の斑鳩とのキスで身体が疼き劣情が刺激されとても切ない。この疼きを癒してくれる者はここにはいない。いつものように、自分で慰めるしかない。
ふと、カンナは視線を感じたのでその視線の主に目をやった。
そこには寝転がって漫画を読んでいた光希がその体勢のままカンナを見ていた。
「……どうしたの? カンナ」
光希は心配そうに言った。
「あ……えっと、実はね、斑鳩さんが島外へ神髪さんの捕縛任務に行っちゃったの」
「え!? そうなんだ……。それでそんなに元気ないんだ。私はてっきりあの後和流さんに付き合ってとか言われたのかと思った」
光希の的確な予想にカンナは動揺を隠しながらおもむろに立ち上がった。
「まさかー! あ、シャワー浴びてくるね」
カンナは精一杯の作り笑いをしながら光希から離れた。
「図星かぁ……カンナモテるな〜」
光希は1人呟きながらまた漫画のページを捲った。