第130話~敵船内の攻防《斑鳩vs王華鉄》~
夜更けの船内が突如として騒がしくなった。
ベッドの上とはいえ、敵地のど真ん中で眠る事など出来るはずもなく、カンナは横にしていた身体を起こした。
カンナを挟むように寝ていた茉里と柚木も異変に気が付きほぼ同時に起き上がっていた。茉里もカンナと同じく眠ってはいなかったようで、異変を感じるとすぐに起き上がり身構えた。
「やれやれこんな時間に誰でしょうね」
柚木は肩を回しながら独り言のように言う。やはりこの男も眠ってはいないようだった。いつも通りの爽やかな表情でカンナと茉里の様子を見る。
ちょうどその時、部屋の扉を静かにノックする音が聞こえた。
「柚木様。手筈通り、脱出の準備は出来ております。別船へお乗り換え下さい」
部屋に入って来るなり片膝を突いて言う若い男は、見た瞬間に強者だと分かった。小柄な男だがかなりの修行を積んだ武人だ。
「流石、仕事が早いですね。君彦」
柚木は笑顔を見せながら身の回りの荷物を簡単にまとめ始めた。
「紹介します。彼は槐君彦。”蒼炎”という蒼帝国の13人から成る幹部候補者の組織の一員です。今は僕の付き人として働いてもらっています」
柚木の紹介を受けると槐という男は立ち上がり、部屋の外の様子を慎重に監視している。
「さあ、カンナ、後醍院さん。出発しますよ。ここにいるときっと斑鳩君や斉宮さんがあなた方を助けに来てしまいます」
「あの劉雀という男は勝手に出発するなと言ってましたが、いいんですか?」
「いいんですよ。劉雀さんはこの事態を想定していなかったでしょうから。緊急事態に対処するのは現場の者の役目」
柚木は初めから妨害が入る事を予測していたかのようだ。いやに冷静で少しも動じない。
柚木はカンナに早くしろと目で合図を送る。
「後醍院さん、行こう」
カンナが隣に座っている茉里に言うと、茉里はただ小さく頷いて無言で立ち上がった。
「従順な女の子は好きですよ。殴らなくて済みますから」
柚木が不敵に微笑むと、茉里は不快そうに下を向いた。
そんな茉里にカンナは耳元で囁く。
「大丈夫。絶対助かる。諦めちゃ駄目」
その言葉に茉里は顔を上げカンナの顔を見た。そして、ニコリと笑った。
茉里の笑顔を見たのは何だか久しぶりな気がした。
「急ぎましょう。柚木様」
槐が急かしたのでカンナと茉里は柚木の後に続き部屋を出た。
廊下には刀を持った蒼兵達が何人もいて殺気立っている。その兵士達の間を縫うように進むと、カンナ達が乗っている船の隣に少し小型の船が見えた。
「あちらです」
船と船の間は板が渡してあった。
槐が先に乗り込み、手を差し出してカンナを引き込む。そして、カンナが茉里に手を出すと躊躇いながらも茉里はその手を取り乗り移った。
最後に柚木が乗り込むと、渡しの板を外して槐に託す。
「さあ行きましょう。僕達の新天地となる蒼帝国へ」
柚木が嬉しそうに言うと船頭の蒼兵が舵を切る。
徐々に遠ざかる目の前の船。
見渡せば、浪臥村の明かりが見える。もっと遠くには学園の狼煙台の明かり。
遠ざかるその光景をカンナは静かに見続けた。
♢
斉宮つかさの豪天棒が蒼兵の頭を打ち抜いた。その兵士が掴んでいた水無瀬蒼衣諸共木の床へと激突した。
床下に隠れている水本京介は息を潜めてつかさに自分の存在を報せるべきかを考えていた。
「貴様……捕虜の女……?」
そうこうしている内に周りの蒼兵達はすぐにつかさを取り囲む。
「流星、その床に倒れてる裸の女に服を渡して」
「はい」
つかさが一緒に連れて来た流星という女の子はつかさの言う事に素直に従い、倉庫から持って来た蒼衣の服を無様な格好で倒れている蒼い髪の女に渡した。
「流星隊長? まさか、裏切ったのか?」
周りの蒼兵達は流星の姿を見るやいなや動揺してザワついている。
「ごめんなさい。私はこの人と行く。大人しく行かせてくれればあなた達に危害を加えない」
流星は言いながら自らの獲物、鴛鴦鉞を構えた。
「見逃したりしたら俺達がただじゃすまねえ。悪いが、行かせるわけにはいきません」
蒼兵達は刀を構えた。その数ざっと30人。
「君はそこから出なくていいよ。その代わり、これを斑鳩さんに渡して来て」
つかさはチラリと床下にいた水本に目をやると、腰に付けていたサイドバックを水本のいる穴に投げ落とす。ずっしりと重いサイドバックの中味は確認しなくても何だか分かった。どうやら初めからつかさは水本の存在に気付いていたようだ。
そして、つかさは流星と共に蒼兵の中へと突っ込んだ。
♢
王華鉄という男は腰に佩いていた柳葉刀を抜き、それを巧みに振り回して斑鳩に襲い掛かる。
素手の斑鳩は刀を受ける事は出来ず、ただ避けるしかない。
「序列2位か!! 2年前の学園の序列2位は神技を持っていたと聞くが、お前はただの男だろ? 神技なくして武術国家の男を倒せるのか??」
王華鉄の柳葉刀の攻撃には一切の隙がない。躱すだけで精一杯だ。今は斑鳩のもとに闘玉は1発もない。素手で凌ぐしかない。
斑鳩は周りの地形を襲い来る柳葉刀を躱しながらしっかりと確認した。
このまま後退すれば太い柱にぶつかる。柳葉刀ではこの柱は切れない。
「よく避けるな斑鳩! だが、いつまでも避けるだけじゃ勝ち目はないぞ!」
王華鉄の柳葉刀が斑鳩の首を狙う。背中に固い柱の感触。その瞬間、斑鳩は姿勢を低くして柱に回り込むように逃れた。
柳葉刀が思いっ切り柱に食い込む音がした。
──今だ!!
斑鳩は王華鉄の柳葉刀が柱に食い込んだ隙を待っていた。──だが、そこには既にしっかりと柳葉刀を刀から外していた王華鉄。
「死ね!」
柳葉刀が斑鳩の頭を割るように振り下ろされる。
「くそっ!」
間一髪、床を転がりその刃を逃れたが、斑鳩のいた場所の床は柳葉刀の斬撃によって破壊されていた。柳葉刀が柱に当たる可能性を予期されていたのか、柱に食い込む刀を即座に抜けるように日頃から訓練されているのかは分からない。ただ、制圧部隊の隊長を任されるだけの実力は確かにある。
「なるほどな。逃げ足が序列2位というわけか。間抜けな称号だ」
斑鳩は王華鉄の暴言を受け流し、額の汗を拭いながら立ち上がる。ふと床に空いた穴に目をやると、微かに暗がりで何かが動くのが見えた。
その時、周りが一段と騒がしくなった。
「おい! あれ、船が勝手に動いてるぞ!?」
蒼兵達が騒ぎ出したので王華鉄も窓の外を見た。斑鳩の位置からもその船は見えた。
「柚木だろう。あの男、私を置いて先に出るとはふざけた真似を」
王華鉄は怒りで顔を真っ赤にしてギョロりと斑鳩を睨む。
「追跡用の船を用意しろ! すぐに奴を追う。この男の相手をしてる時間はなくなった」
「奇遇ですね。俺もあなたの相手をしている時間がなくなったところです」
「何だと??」
「水本!!」
斑鳩は足元の抜けた床の下に水本が戻って来ていたのを把握していた。
「斑鳩さん! これを!」
水本が床下から投げた2つの鉄の玉。紛れもなく斑鳩の闘玉だ。それを右手で受け取ると、一瞬で指の間に仕込む。
『玉面痛打』
斑鳩が右手を横に振り抜くと、その2個の闘玉は王華鉄の眉間と顎に綺麗に当たり、後ろによろけながら手すりを乗り越え真っ逆さまに暗い海へと転落した。
「ほら、早く助けないと死ぬぞ」
斑鳩の言葉に蒼兵の3人は槍を捨てて王華鉄が落ちた海へと飛び込んで行った。
「あとの奴らは俺に1艘船を用意しろ。逆らえば王華鉄と同じように暗い海に落とすぞ」
水本から闘玉が満載されたサイドバックを受け取りながら斑鳩は言った。
だが、蒼兵達はヤケになり槍を斑鳩に向けて突っ込んで来る。
「やれやれ」
15人。斑鳩は15発の闘玉を両手に分けて取り出すと、それを次々に蒼兵へと打ち込む。
「助かった、水本」
斑鳩は床下の水本に言った。
「いえ、お役に立てて良かったです」
「お前が俺の闘玉を持ってここに戻って来たって事は……」
「斉宮さん達と合流しました。向こうで斉宮さんと流星って人が戦ってます。水無瀬さんも無事です」
「分かった。なら、水本。俺は柚木師範を追う。お前は斉宮達と合流したらここから脱出して学園に戻れ。水無瀬からは目を離すなよ」
水本は驚いた顔で立ち上がる。
「斑鳩さん1人で行くつもりですか?」
「今追わないと間に合わない。頼む」
「……斑鳩さんの命令でしたら従わないわけにはいきません」
水本は渋々承諾し、また床下へと潜り込んだ。
「ご武運を」
「ああ。お前達も無事に学園に戻れよ」
水本は頷くと暗い床下の奥へと消えていった。
♢♢♢
水平線に朝日が昇ってから3時間程が経った。
残りの村人達の避難は完了し、浪臥村には弓特、剣特、自警団が揃った。
美濃口鏡子と大甕がいるのはとても心強い。
こちらの戦力は100人に満たない。せいぜい70人程。対する蒼兵は深夜の内に一気に増え、500人はいる。
体特は現在、蔦浜祥悟と抱キナは学園に残っている。蔦浜の様態はその後どうなったか聞いていない。キナは蔦浜の付き添いで今回は戦闘には参加しないようだ。斑鳩はカンナ達を捜索に出たきり帰って来ていないし水本も未だ行方不明である。
一方槍特は、斑鳩と同行した斉宮つかさがいないのと、蔦浜と同じく重症の和流馮景が避難所で寝たきりで不参加だが、その他は意気揚々と馬に跨り槍をぶんぶんと振り回している。
篁光希は左右の膝を交互に伸ばしながら、避難所から見える村を埋め尽くすその光景を睨む。
完全に身体の怪我が治ったとは言えないが、戦うのに支障はない。
腰にはあまり得意ではない刀を差した。武装した兵士達に挑むのに、いくら体特とは言え武器も持たずに飛び込むのは無謀過ぎると言われ自警団に渡された。ついでに左腕には木製の小さな盾も付いている。
「気合入ってるね、篁さん」
声を掛けてきたのはまた十朱太史だ。
「まあ。まずは学園を守らなくちゃいけないですからね」
「怖くないの?」
「怖い。でも、戦わなきゃいけないから。1人8人くらい倒せば終わるんだし。頑張りましょう」
「そうだね。大丈夫だと思うけど、俺が篁さんを守ってあげるから安心してよ」
光希は胸を張ってドヤ顔している十朱を見た。
「十朱さん、昨日からヤケに私に気を遣ってくれますけど、何かありました?」
光希の質問に十朱はあからさまに顔を赤くした。
「いや、別に何もないよ? いつも通りだよ?」
「いつも通りじゃないから聞いてるんですけど」
「お前達。無駄話は終わりだ。動くぞ」
鹿毛の馬に乗った大甕が光希と十朱の前に来ると、片手に持った蛇矛で遠くに整列している蒼軍を指す。
「お前達、例え敵が我らの倍以上の数だとしても、逃げるわけにはいかん! 学園を何としてでも死守せよ!!」
大甕が号令を掛けると、生徒達と自警団は一斉に喊声を上げた。
それに呼応するかのように、蒼軍の陣の方から太鼓の音が聞こえ始めた。
♢
敵陣から1騎蒼い房を付けた兜を被り、蒼いマントを靡かせた戟を持った将校らしき男が駆けて来た。
その将校は光希達の20m程手前まで来ると馬を止めた。
「俺は劉雀軍の曹畢と申す! 1つ聞きたい事がある! 我が軍の神髪瞬花と多知花拳勝は何処か?」
大声で言う曹畢に対し、大甕は鼻で笑って馬を前に出そうとする。
「雑兵が」
「大甕師範。ここは私が」
大甕を遮ったのは弓特師範の美濃口鏡子だった。額に鉢巻を巻いていてそれが綺麗な黒髪と共に風に靡いた。
武器は長い弓と矢筒に入った大量の矢だけだ。
鏡子は馬で前に出ると停止し曹畢を睨んだ。
曹畢は鏡子の姿を見ると目を見開いた。乗っていた馬が突然嘶き暴れ出す。
それをどうどうと沈めながら異様な殺気を放つ鏡子の姿を注視している。
「私は弓特師範、美濃口鏡子。神髪瞬花は我々の元に戻った。多知花という男はうちの生徒が討ち取ったぞ」
鏡子の声は戦場のヒリついた空気を切り裂くように凛として曹畢に届いた。
「何だと? 馬鹿な。多知花とかいう龍族の強さは知らんが、神髪瞬花がそう容易く貴様らのような餓鬼共に敗れるはずがない!」
「信じないのは勝手だが、現にお前達のもとに神髪瞬花は戻らず、こちらにも被害はない。これが何よりの証拠ではないか? 曹畢とやら」
「生意気な口を……! まあ例えそれが事実だとしても、貴様らはこれから我々蒼軍によって討ち滅ぼされる! そうなればまた神髪瞬花は我らのものとなる! 一応降伏勧告をしてやるぞ? 武器を置くか? 美濃口鏡子!」
「降伏? それはお前達がする事だ」
「良かろう! 降伏は受け入れないのだな。ならば我々を打ち破るという事か! 戦の素人集団が笑わせる!」
「素人でも、お前達如き討ち滅ぼす事など容易な事よ」
「抜かせ! ならば劉雀様の陣形を破れるか??」
曹畢は鏡子の冷静な受け答えに次第にイラつき初め口調が荒くなっていた。対する鏡子は表情1つ変えずまるで動じていない。
「破れるさ。だが、破る必要はない。こちらが攻め掛けなくとも、いずれお前達は兵糧不足で撤退を余儀なくされる。それに引き換えこちらは学園に兵糧が山程ある。我々はここを守り切れば勝てるのだからな」
「ははははは! 城もないのに籠城作戦か! 笑わせるな!」
曹畢は大きな声でわざとらしく笑い出した。
すると鏡子はいつの間にか弓を構え矢を番えた弦を引き絞り、曹畢へと放った。
「ぐあっ!?」
大口を開けていた曹畢の蒼い房の付いた兜が地面へと落ちた。
曹畢の額からは血が流れた。
「貴様ぁぁぁ!!!」
「わざと外したが、今お前を射殺す事も出来た」
鏡子は弓を下ろして言った。
「もう許さんぞ! すぐに捕らえて八つ裂きにしてやる!」
曹畢は落ちた兜を拾うと馬首を返し自陣へと駆け去った。
「さて、これで向こうから攻めて来てくれるでしょう」
鏡子は涼しい顔でそう言うと、弓特の控える列の前へと戻った。
蒼軍のザワついた様子が光希の所からでも良く見えた。