第129話~悪魔のような女~
船底倉庫の天井裏はいわゆる甲板の下に当たる。その狭く暗い通路を斑鳩爽と水無瀬蒼衣、そして水本京介の3人は、腹這いの状態で動かず、息を殺してじっとしていた。
頭上では絶えず蒼兵が歩き回っているようで、歩く度に木の軋む音が不安を煽る。
斑鳩はつかさを置き去りにした事がどうしても気になり、船底倉庫の天井の板の隙間からつかさの様子を見ていた。 3人は通路に一列に並んでいる為、板の隙間から下の様子が見られるのは最後に天井に上った斑鳩だけだ。後の2人は黙って耳を傾けている。蒼衣に関しては、何かに少し苛立っているようで終始髪を弄って落ち着きがない。
すると、斑鳩達が天井裏に隠れてからすぐ、倉庫の中に蔡禁が別の女を連れて戻り、つかさに斑鳩達がどこに消えたのかを尋問し始めた。つかさは断固として斑鳩達の事を教えなかった為に、蔡禁から身体を弄ばれ泣き叫んだ。そんな姿を見ているのも我慢出来なくなった斑鳩が下に降りてつかさを助けようとした時、それは突然起こった。
なんと、蔡禁が連れて来た女が、斑鳩がつかさに渡したナイフで蔡禁を刺殺してしまったのだ。
どうやらその女は、つかさが乱暴されている姿に耐えきれず、寝返ってつかさを助けたようなのだ。
女はつかさの身体を縛る鎖の鍵を蔡禁の腰に付いていた鍵束からくすねると、つかさの拘束を解き、鉄格子を昇降させるハンドルを回した。
鉄格子は上に大きな音を立てて上がり始めた。
「どうやら私達が手を貸さなくても斉宮さんは助かったみたいですね。だから早く澄川さん達を探そうって言ったのに」
下のつかさと女の会話が聞こえていたのか、蒼衣が不服そうに言う。
「結果的に助かったから良かったが……つかさの奴、あの女と倉庫の扉から出るつもりか? こっちに引き上げた方がいいな」
斑鳩は閉めていた板をもう一度外そうと手を伸ばす。が、それを蒼衣の手が遮った。
「無理ですよ。あの人がこっちに来ると思いますか? 私も斑鳩さんも完全に嫌われちゃいましたよ? それに、あの敵の女の子はどうするんですか? 一緒に引き上げます? もしあの子が寝返ったフリをしていたらどうするんですか?」
斑鳩は蒼衣の言葉に苛立ちを覚えた。つかさを簡単に見捨てるような発言。そして、自分も裏切り者の嫌疑が掛かっているにも関わらず、他人には容赦なく猜疑の目を向ける。
「あの子も引き上げよう。敵だった者からはこちらが欲しい情報を貰えるかもしれない。もし、裏切るようならその時はその時だ」
蒼衣の意見を真っ向否定して見せたが、蒼衣は心底嫌そうな顔で反論する。
「斑鳩さんがそう言っても、私は嫌です。私は斉宮さん嫌い。一緒にいても喧嘩になるだけ……」
蒼衣が言い掛けたその時、頭上の板が突然崩壊したので、斑鳩は咄嗟に蒼衣を水本の方へ突き飛ばした。
「きゃっ!?」
頭上から現れたのは人の手。それは近くにいた斑鳩の首を掴み、そのまま甲板を突き破り持ち上げた。
「こそこそとネズミかと思ったら大きな男が釣れたな。誰だ貴様は?」
斑鳩の目の前の男は浪臥村で蒼兵達の指揮を執っていた男、王華鉄。どうやらもう戻って来ていたようだ。その周りには蒼兵が10人程いて、皆斑鳩を囲むように槍を向けている。
斑鳩は王華鉄に片手で喉を掴まれたまま、足下の穴から見える蒼衣に目で逃げろと合図を送る。
蒼衣は一瞬苦い顔をしたが、すぐに穴の奥へと姿を消した。
「俺は斑鳩爽。あなたは、王華鉄殿とお見受けする……浪臥村での指揮は……もういいのですか?」
斑鳩の質問に王華鉄は首を傾げる。
「ほう。私の事を知っているという事は学園の生徒か。そう言えば劉雀様が澄川カンナと後醍院茉里以外に捕虜が2人いると仰っていたが、その内の1人か……だが、それなら何故そんな所に潜んでいた?」
「そこに閉じ込められていたんですよ。……暗くて、狭くて……最悪でした」
「つまらん冗談だな。脱走したと素直に言えばいいものを。おい、捕虜が脱走しているぞ。誰か船底倉庫の様子を見に行け。脱走した捕虜が他にもいる筈だ。見付けたら生きたまま捕らえろ」
王華鉄の命令で近くにいた蒼兵の数人が地下への階段を降りていった。
不味い事になった。まさか敵の気配に気付けなかったとは。せめて、蒼衣と水本、そしてつかさは無事に逃げていて欲しい。
「他の捕虜仲間はもうとっくに逃げましたよ。今さら捜しても遅いです」
「ほう。……そうか」
眉間に血管を浮き上がらせながら、王華鉄は斑鳩を突き飛ばし壁に叩き付けると、跳び上がり一回転した勢いで蹴りを放った。
「くっ……!」
斑鳩は間一髪王華鉄の回転蹴りを避けたが、斑鳩の背後の木製の壁は簡単にぶち抜かれて大きな穴が作られた。
「動ける状態にしておくから悪いのだ。脚の1本や2本、へし折っておけばいい話」
「王隊長、あまり船を壊されますと劉雀様に怒られます」
近くの槍を持った兵士が引き攣った顔で言う。
「なに、この男のせいにしておけば問題ない。そんな事より、私は村で既に劉雀様に大目玉を食らった。4人の隊長達を流星以外戦死させたてしまったからな。これ以上失態は重ねられん。この男は必ず生きたまま捕らえる。お前達は手を出すな。他の捕虜を捜してこい」
王華鉄は見た目こそ平静を装っているが、その声色には明らかに怒りが滲み出ていた。かなり虫の居所が悪いようだ。
斑鳩は首を鳴らした。
「どうやら戦闘は避けられないみたいですね。なら仕方ありません。学園序列2位の斑鳩爽がお相手致しましょう」
「ほう。序列2位か。そいつは楽しめそうだ」
王華鉄はニヤリと笑った。
場の空気が一気に変わるのを斑鳩は感じた。
♢
水本京介は狭い甲板の下を必死に進んだ。
突然斑鳩が敵に捕まり動揺せずにはいられなかった。どうしたらいいか分からなかったが、後ろの水無瀬蒼衣が半ば強引に進ませてきたので仕方なく斑鳩を置いて前へ進んだ。
水本は序列38位。学園最下位だ。村当番に行けるのは序列30位以上。故に水本は村当番の経験はない。もちろん、その他の任務の経験もない。つまり、今回の戦闘が初めての実戦だ。
斑鳩と蒼衣に会うまでは1人で行動していたが、2人に会った以上、序列が上である斑鳩の命令には従うのが学園のルール。しかし、斑鳩が捕まり、蒼衣と2人切りになってしまった今、水本は蒼衣の命令に従うほかに道はない。
「早く進んでよ。モタモタしないで」
腹這いで後ろからついてくる青い髪の半裸の女は小声で言った。
「は、はい。すみません……」
頭上では兵士達の足音と騒々しい声が絶え間なく続いている。先程のように、いつ頭上から引き釣り出されるか分からない恐怖が、水本の中にはあった。
「あー、もうなんで寄りにもよって序列最下位の君と2人なのかなぁ。ホント最悪。ほら、止まるな」
信じられない程の横暴な物言いに背後からの恐怖も感じた。水無瀬蒼衣という女は、学園では有名な性悪女だ。普段関わる事のない水本でさえその噂は聞いた事がある。異性には甘えるくせに、同性にはキツく当たるらしい。それなのに、異性である水本に対してもこのキツさというのは話が違う。きっと、水本は男として見られていないに違いない。何だか悔しさと恐怖が混ざり合って今にも泣きたい気持ちになる。
「あの、水無瀬さん。とりあえず前に進んでますけど、どこを目指したらいいんですか?」
水本は匍匐前進しながら恐る恐る後方の蒼衣に尋ねる。
「は? そりゃ、あれよ。出口よ」
蒼衣は何故か言い淀んだ。
「え? 出口? 逃げるんですか? 斑鳩さんはどうするんですか? 澄川さんと後醍院さん、斉宮さんだって助けなきゃ……」
「えー? なになになに? 口答え? 君さ、さっきこの通路の入口に武器があるって言ったよね? そこから武器を取ってきて斑鳩さんを助けるに決まってるじゃない? そんな事も分からないの? 馬鹿なの?」
「す、すみません……」
畳み掛けるような言い方に謝る事しか出来なかった。本当は逃げようとしていたのは何となく悟った。多分水本がいなかったら1人で逃げていたのだろう。水本は既に蒼衣の事が大嫌いになっていた。早く澄川カンナを助けてこの女にガツンと言ってもらいたい。
しばらく進むと水本が侵入した床下の収納スペースの壁が見えた。壁の板を外せば武器が沢山入っている空間に出られる。ここまで来ると通路の天井は、2人が座れる程には高くなっていた。
「着きました。ここが僕が侵入してきた武器が収納されているスペースになります」
薄暗い通路の中で表情すら見えない蒼衣に向かって説明する。
「さっさと開けて。弓矢を探しなさい」
高圧的な態度で蒼衣が命令するので、水本は、人の気配がない事を確認してから、目の前の板をゆっくりと外す。
船の中の灯りがさーっと差し込んでくる。
「あ、あれ?」
「何よ? どうしたのよ?」
水本は目に飛び込んで来た光景に背筋が凍り付いた。
「武器が……ないです」
そこにあった筈の大量の武器は1つ残らずなくなっており、ただ無駄に広い収納スペースがあるだけになっていた。
背後に殺気。
怖くて振り向けない。
「どういう事?」
蒼衣は静かに訊ねてくる。
「確かに僕がここへ来た時にはたくさん武器があったんです……」
水本は振り向けないまま、空の空間を呆然と眺めながら答える。蒼衣も水本の隣から何もない空間を覗く。
「でもないじゃん。君、私に嘘ついたんだね」
「ちがっ、あの、あ、きっとさっき大勢の蒼兵が外へ出て行ったからその時に持って行かれたのかも……」
言いながら水本は首を水無瀬へと向ける。
「あのさ、武器がないと斑鳩さんを助けられないんだけど?」
蒼衣の姿が船の灯りに照らされてようやくはっきりと見えた。だが、あまりにも恐ろしい目をしてこちらを見ているので、思わず水本は視線を下に向ける。
ところが、その視線を下ろした先には蒼衣の裸体があった。板の間から漏れた光がブランケットの隙間の蒼衣の胸と股を照らし出したので、咄嗟に顔を背けるが蒼衣はそれを見逃さなかった。
「あ! 今私の身体見たでしょ? 誰が見ていいって言ったわけ? キモイんだけど」
蒼衣は不快感を露わにして言うと、羽織っていたブランケットで胸と股の辺りを隠すように巻き直した。
「み、見てないですよ……」
水本は首をブンブンと横に振って無実を訴える。
「ほんとかなぁ」
しかし、蒼衣は尚も疑って水本に近付いて顔を覗き込んでくる。
「うわっ!?」
突然、蒼衣は水本の頬をペチンと平手で叩いた。
「君、もしかして私の事舐めてる? 私の方が序列は上なの。解るよね? 私より君が頑張らなくちゃいけないの。さあ、君があると言った武器がありませんでした。次に君が取るべき行動は?」
蒼衣は水本の目を見つめてくる。目を逸らすとまた叩かれるという恐怖心から震えながらも蒼衣の紺碧の瞳を見続けた。そして、震える声を絞り出す。
「……僕が、水無瀬さんの武器を捜して持ってきます」
「はい、よく出来ました。私の弓と矢はまださっきの倉庫にあると思うから戻って取ってきて。あ、ついでに服もね」
「はい」
蒼衣は水本の返事を聞くと壁に寄りかかって髪を弄り始めた。
蒼衣はどうするつもりなのだろうかと、蒼衣の様子を見ていると、またも蒼衣は水本を睨み付ける。
「何見てんの? 私はここで大人しく隠れてるから早く捜しに行きなさいよ。ったく、使えないわね、この餓鬼」
水本はあまりの悔しさに涙を流しながら、悪魔のような女の言いなりになり、また来た暗い通路へ1人戻った。
だが、その時。
「きゃあ!?」
蒼衣の悲鳴が水本の背後で聞こえた。
驚いて振り向くと、さっきまで座っていた蒼衣が、甲板下の通路から空っぽの武器収納スペースの方へと引き摺り出されていった。
「こんなところに隠れていたのか。おい! 捕虜を捕らえたぞ! 手を貸してくれ!」
蒼衣を捕まえた蒼兵が大きな声で仲間を呼んだ。
水本はどうしたらいいのか分からず、甲板の下の通路の奥に身を隠した。たまたま武器収納スペースから離れていたので水本は蒼兵に見付からずに済んだらしい。
「私は捕虜じゃない! 王華鉄さんに訊いてみて? 私はあなた達の仲間だから」
蒼衣の言動に水本は耳を疑った。
確かに内通者かもしれないという疑いは掛かっていたが、まさか自らそれを認めて助けを乞うとは思わなかった。敵の仲間ならば蒼衣を見捨てて逃げるしかない。
「我々の仲間? もしかして内通者の女か? だとしたら何故そんな所に裸で隠れていた? おかしいだろ」
「それは……蔡禁とかいう男が私を玩具にしてたからよ。それで……その……」
「何だか知らんが、武器を隠し持ってるかも知れん。その布をひっぺがせ」
水本からは蒼衣の様子は見えない。声だけでどういう状況かを想像する。
すぐに蒼衣の悲鳴が響いた。
それで蒼衣が蒼兵達に裸にされた事が想像出来た。
悪魔のような女など見捨てて斑鳩やカンナ達を助けに行けばいい。しかし、そう思っても、それが正しい選択なのか、水本の心は揺れ動いていた。悪魔のような女でも学園の仲間。たった今、蒼衣自身が蒼の仲間だと言っていたが、この状況で助かる為に適当に言っただけの可能性もある。斑鳩は蒼衣を信じて助け出した。きっと斑鳩がこの場にいたら迷わず蒼衣を助け出すだろう。
水本は拳を握り歯を食いしばった。
「僕だって……」
覚悟を決めて甲板の下から飛び出そうと腰を上げた時だった。
「何だ貴様!?」
急に甲板の上が騒がしくなった。何事かと思い、武器収納への横板の隙間を覗いてみると、そこには真っ赤な長い棒を勇ましく振り回す斉宮つかさの姿があった。