第127話~復活の光希~
周りの騒がしい声で篁光希は目を覚ました。
見慣れない天井。知らない人達が大勢いる。
起き上がろうとすると全身に痛みを感じた。
「気が付いた? 篁さん。大丈夫?」
声を掛けてきたのは、槍特の十朱太史。十朱は周防水音とは仲が良かったのでよく姿を見ていた。ただ、光希自身はほとんど話した事はなく、水音が死んでからは特に接点はない。それなのに、十朱はやけに親しげに近付いてきて光希の寝ているベッドの横の木製の椅子に腰掛けた。
「ここはどこ?」
「浪臥村の避難所。蒼の軍隊が攻めて来たんだ。今は村人達の半分がここに集まってる。もう半分は学園に避難してるよ」
十朱の話に光希の眠る直前の記憶が瞬時に呼び起こされた。
「カンナは!?」
十朱の方へ身を乗り出そうと身体を動かしたが、また全身の痛みに襲われ胸を抑えて苦悶の表情を浮かべる。
「まだ動かない方がいいよ。君は西の港で何者かにボロボロにされて気を失って倒れてた。鼻の骨折と全身打撲。手当ては済んでるけどしばらくは安静にしていた方がいい」
光希はようやく自分の身体の状況を確認し始めた。両腕に巻かれた包帯。鼻の辺りを触ると確かに大きなガーゼが貼られている。胸元の服を引っ張り中を覗くと、そこにもガーゼが何枚も貼られてきちんと手当てされていた。
「澄川さんは見付かってない。たぶん、後醍院さんと一緒に蒼の連中に捕まった。一緒にいた筈の水無瀬さんも見付かってない」
十朱は何故か申し訳なさそうな表情をして言った。
「柚木師範が……内通者だったんだよね」
「うん。知ってたんだ、篁さん」
「私をボロボロにしたのは柚木師範。カンナを守ろうとしたけど、全然適わなかった」
光希は唇を噛み締めて俯いた。
「篁さん。まだ諦めるのは早いよ。俺達も全員澄川さん達を助けたいと思ってる。だから皆の力を合わせて澄川さん達を取り戻そう。そんで、柚木師範をぶっ飛ばそう」
「うん。ありがとう」
十朱の励ましに光希の不安だった心はいくらか落ち着いた。まさかあまり親しくもない男の言葉でこんなに心が落ち着くとは思わなかった。
周りを見ると一緒に結愛の居酒屋で会話した矢継の姿もある。あとは和流の安否が気になるが近くには見当たらない。その事を十朱に尋ねようとした時、赤い髪を揺らしながら女が近付いて来た。
「気が付いたんですね〜篁さ〜ん」
「あ、天津風さん」
天津風綾星は微笑みながら食事の乗った皿を2つ持って光希のベッドの横の椅子に座った。ちょうど十朱と向かい合うように座ったので、光希は2人に挟まれる形になった。光希は所在なさげに人差し指を唇に当てキョロキョロと目を泳がせる。
「お腹空いてるでしょ? はいどうぞ。お腹空いてたら澄川さんを助ける前にまたやられちゃいますよ〜。ま、私が作った料理じゃないからあんまり美味しくないかもしれないけど」
「あ、ありがとうございます」
光希は差し出された皿を受け取ると膝の上に置いた。
綾星はいつもの赤いカーディガンではなく、胸元のボタンが開いた黒っぽい上着を着ている。その隙間から見える胸には包帯が巻かれていた。どうやら綾星も怪我をしたようだ。
「あ、この怪我ですか〜? 大した事はありませんよ〜。敵のイカれた女の子に斬られたんですけど、十朱さんが手当てしてくれましたので〜。篁さんの手当ても十朱さんがしてくれたんですよ〜」
「そうなんですか、十朱さん、ありがとうございます」
光希は頬を染めて礼を述べた。
「いいって。2人が怪我したらまたいつでも診てあげるよ」
「残念ですが、私はもう二度とごめんです〜。十朱さんが手当てしてくれてた時の下心を必死に抑えてた顔が気持ち悪過ぎて鳥肌が立っちゃいます〜。あぁ〜思い出すだけで今も胸の傷口が痛みます〜」
「いや、傷が痛いのは当たり前ですよ! まだ縫ったばかりなんですから」
言った十朱は少しニヤケていた。
「でもまぁ、天津風さんのおっぱいの色形感触は二度と忘れませんけどね」
「ふふ、そうですか。いいですよ〜。せいぜいその記憶だけを大切に強く生きてくださいね〜。そして二度と私に話し掛けないでください〜。話し掛けたら殺します〜」
「怖い怖い。天津風さんてせっかく可愛いのに、性格がこれだからなぁ〜もったいない」
十朱と綾星は光希を挟んでくだらない話で盛り上がり始めた。
どこかで聞いたようなやり取り。男という生き物はまったく皆こうなのだろうか。そんな事を考えながら、膝の上に置いた皿からミニトマトを摘み口に近付ける。
「あ、そうだ。和流さんは」
十朱と綾星の会話で光希は訊こうとしていた事を思い出した。
「ああ、和流さんはここにいるよ。敵との戦闘で矢が肺に刺さってたけど、村の医者が手術をしてくれて今は向こうのベッドで寝てるよ。命に別状はないってさ」
十朱は光希のベッドの右奥にある仕切りに使われているカーテンを指さして言った。
「そう……良かった」
「和流さんはいいですよ〜。あの人不死身だから絶対死なないです。それより、つかささんが戻らないんですよ〜。斑鳩さんと2人で村の方へ行ったっきり、何の連絡もなくて」
綾星は急に悲しそうな顔をして俯いた。つかさの事になると綾星はいつも情緒不安定になる。
「水本も消えた」
急に話に入って来たのは体特の七龍陽平だった。顔や腕に包帯が巻かれている。どうやら七龍も怪我をしたらしい。
厳つい顔で光希を見てきたのでつい目を逸らした。
「み、水本君て、あのちっちゃい男の子ですよね? あの子も戦いに参加してたんですか」
光希が小さな声で言うと七龍は頷いた。
「最初はそのつもりで連れて来たんだが、戦闘が始まる前にはいなかった。死体はなかったし死んだわけじゃなさそうだ。腰を抜かしてどっかに逃げたか、ないとは思うが斑鳩さん達についてっちまったか」
「え、えっと、そもそも、斑鳩さんとつかささんはどうして2人で村へ?」
「澄川さんと後醍院さんを助ける為ですよ〜。南雲師範と話し合ってそう決めたんです〜」
綾星は言いながら膝の上に置いた自分の分の食事を食べている。
見回して南雲を探したが見当たらない。この避難所の建物の中はかなり広いので視界の範囲内に南雲がいなくても不思議ではない。だが、学園の生徒達は光希の視界の範囲内にいる。その中に南雲がいないの事に少し違和感を覚えた。
両隣に十朱と綾星。ベッドの上で伸ばした光希の足の先に七龍。その後ろの方には長椅子に疲労の色を見せて座っている体特の魁清彦と日比谷瞑。十朱の後ろの方に、槍特の瀬木泪周、仲村渠龍、摂津優有、靨梨果。そして綾星の後ろのカーテンで仕切られている患者スペースに和流馮景がいる。
そこまで確認して光希は南雲以外にもいない者がいる事に気が付いた。この場にいるのなら必ず見付かる筈の蔦浜祥悟と抱キナの姿がない。体特の面々がいるなら2人もいる筈なのにその声すら聞こえてこない。多分カンナの次に体特で良く話すのは蔦浜だ。いる筈の男がいないのは妙な胸騒ぎがしてならない。
「七龍さん、蔦浜さんと抱さんは? 南雲師範もいないようですが」
光希が訊くと七龍は腕を組みうーむと唸りながら俯いた。
「実はな」
七龍が語った内容は光希に衝撃を与えた。
光希が気を失ってから目を覚ますまでの間に起きた出来事とは思えない濃密な出来事が起こっていたのだ。
「神髪さんが、敵に……それを南雲師範が山道に誘い込んだ。そして、その後を追った敵の男を追って今度は抱さんと蔦浜さんが山道へ……」
光希が頭の中を整理しながら言うと、七龍と十朱、綾星はそうだと頷いた。
「それって、南雲師範も抱さんも蔦浜さんも……無事……なんですよね?」
その質問がどれだけ意味のないものなのか、光希自身もよく分かっていた。無事なのであれば先に無事だと言っているだろうし、無事じゃないのであればそれはそれでもっと悲しそうな顔をしている筈だ。
「分からない」
七龍は首を振って静かに答えた。
光希の予想は当たった。そうだ、分からないのだ。安否不明。だから皆不安そうな顔をしているのではないか。
「無事だと、信じるしかないよ、篁さん。山の中には美濃口師範率いる弓特が隠れてるんだ。何とかなってるって」
無責任な事を言う男だ。と、思いながら十朱の顔をチラリと見たが、そこにあったのは明らかな作り笑顔。それが光希を不安から救う為のものなのか、自分にそう言い聞かせているだけなのかは分からない。ただ、どちらにせよ、十朱の優しさだけは光希に伝わった。
「それで、これから私達はどうするの?」
光希は誰に言うでもなく呟いた。
「今は南雲師範も斑鳩もいない」
海崎が話に入って来た。その後ろには矢継もいる。
「敵に動きもない。指揮官がいない以上待機するしかない。2時間程前に八門衆の震を学園にやった。震が総帥に今の状況を報告し、今後の行動の指示をくださる。それまでは全員身体を休めておけ」
海崎が言うと、皆頷き各々好きな場所に散って行った。
残ったのは綾星だけだ。無表情で料理を食べている。
光希もとりあえず、綾星に渡された料理を口に運ぶ事にした。
その料理は冷え切っていたが、空腹の光希には十分過ぎるご馳走だった。
♢
八門衆の男・震が避難所に顔を出したのは、すっかり日が沈んでからだった。
震の周りには生徒達がひとりでに集まっていた。光希もゆっくり立ち上がり震のもとへ行った。
その男の仮面は片方の目の辺りが欠けている。凛々しいキリッとした眉と意志の強そうな瞳が光希をチラリと見てきた。
「良い報せと悪い報せがあります」
落ち着いた口調で話し始めた震の視線は海崎へと向いていた。
「良い報せから聞こう」
海崎が言うと震は無言で頷く。
「美濃口鏡子が神髪瞬花を倒し捕縛しました」
あまりに衝撃的な報告に、海崎を含むその場の皆が絶句した。
「本当ですか、震さん! おっしゃあキタぞこれ! 俺達に勝利が見えてきたってわけだ! ははは!」
その衝撃的な報告を一番に喜びに変えられた十朱は嬉しそうに拳を握り天を仰いだ。そして何故か光希の両手を握りその喜びを強要してきた。
「良かったな、篁さん! これで俺達勝ち確じゃん! あの最強の女、神髪瞬花が仲間に戻って来たならもう怖いものなし! 澄川さん達もあっという間に取り戻せるよ!」
「あ、う、うん……そう……なのかな」
手を握られたまま、チラリと震の方を見たが彼から喜びをを微塵も感じない。それどころか他の生徒達も複雑な表情をしている。
「落ち着け、十朱。神髪瞬花を捕らえたからと言えど、奴が我々に力を貸してくれるとは限らん。それに、大人しく捕らえておけるかも分からん」
海崎が言うと震も頷いた。
「仰る通りです。現在神髪瞬花は意識がありません。美濃口鏡子曰く、戦闘時に使用した『神技・神鏡』の影響なのか、神髪瞬花の体内に仕込まれた機械の影響なのか、理由は分かりませんがこちらの戦力として使える状況ではないようです」
「機械? 何だそれ?」
七龍が首を傾げて訊く。
「美濃口鏡子の話では、神髪瞬花は体内に心臓を制御する小さな機械を埋め込まれていて、それを利用して青幻に操られていたそうです。逆らえば心臓へ痛みを与え死の恐怖と戦わせていた。流石の神髪瞬花も死の恐怖には逆らえなかったのだと」
「何て卑劣な奴なんだ、青幻てやつは」
七龍は拳をパキパキと鳴らせて言った。
「ま、まあ、神髪さんの脅威はひとまず去ったって事で」
十朱は状況を理解したのか少し気まずそうに言った。それでいて何故か光希の両手はしっかりと握られたままだ。光希は振り解いてやろうかと思ったが、命の恩人という事もありそのまま気の済むまで放っておく事にした。
「それで、悪い報せとは?」
海崎が訊く。
「南雲師範がお亡くなりになりました」
その報せには流石に全員声を出して驚愕した。
「殺されたのか? あの人が? 神髪瞬花にか?」
「いえ、海崎さん。神髪瞬花を監視していた多知花という男に討ち取られたようです」
「その多知花という男は?」
「体特の蔦浜祥悟にも重症を負わせましたが、最期は剣特の茜リリアが討ち取りました」
「え!? 蔦浜さんもやられた??」
光希はつい声に出して確認する。
「ああ。一緒にいた抱キナもボロボロだったが軽傷。蔦浜は意識が戻らない」
「そんな……」
光希は愕然とした。南雲を討ち取るほどの力を持った男にやられて意識不明の重体。もしかしたら助からないかもしれない。
「大丈夫だ、篁。蔦浜は死なねえよ。根性だけはある奴だからな。学園には御影先生もいるだろ。なら安心だ。そばに抱もいるなら尚更な」
七龍は色を失った光希に、そのいかつい顔に似合わない優しい言葉を掛けた。それだけ言うと七龍は恥ずかしそうに顔を逸らした。
十朱は握っていた手を離し、光希の頭を撫でた。
「俺も蔦浜さんは大丈夫だと思う。今は信じるしかないよ、篁さん」
「うん。ありがとう」
光希が2人の優しさに礼を述べるのを見届けていたのか、震は懐から折りたたんだ白い紙を取り出しおもむろに広げた。
「これは総帥からの今後の指針だ。良く聞いてくれ」
震が言うと生徒達は皆襟を正して震に注目した。
「『夜明け前に美濃口鏡子率いる弓特と酒匂龍兒率いる自警団が浪臥村へ向かう。弓特と自警団は残りの村人を学園まで先導すること。体特と槍特は村の自警団と連携して学園への敵の侵攻を死守。こちらからは打って出ない事。海崎と震は行方不明の生徒の捜索を続行。村人の避難が完了次第、大甕と剣特を向かわせる』」
命令を聞き終えると海崎が口を開いた。
「了解したが、このまま学園島の人間だけで劉雀の軍勢と戦うのか? 帝都軍の援軍は?」
「来ません。帝都軍は大陸側で薄全曹、董韓世、孟秦の3名の軍勢の対応で手一杯だそうです」
震の答えに全員絶句し肩を落とした。もはや重黒木が出て来たとて圧倒的劣勢は変わらないだろう。
皆意気消沈し、顔を下に向ける。
光希も絶望に打ちひしがれた。
『せっかく救って貰った命を粗末にするつもり?』
聞こえてきたのは愛しい人の声だった。
『水音?』
光希は心の中で周防水音に語り掛ける。
『少しは成長したと思ったんだけどな。やっぱり私がいないとまだまだ駄目ね、光希』
『そんな事言ったって、この島自体が大勢の敵に攻められてるんだよ?』
光希は目の前に水音の姿を見出した。
やれやれと、首を振っている。
『あなた一体何回死線を潜り抜けて来たのよ? いつだって敵は多く、強かったじゃない。何を今更』
『……でも』
『いい? あなたは絶対に諦めちゃいけないの。私とあなたは澄川さんに酷い事をした。青幻の手下の捕虜の男を殺し、その罪を澄川さんに着せて学園から追い出そうっていう最低な事をね』
『はぁ……その話はもう』
『良くないわよ。馬鹿! 澄川さんは私達が犯した罪を許してくれたけど、私達の中であの罪は忘れちゃいけない。償い続けなければならない』
光希は黙って水音の話を聞いた。
『私はもう死んでしまって償う事すら出来ないけど、光希。あなたはまだ生きてるじゃない。だったらあなたの今やるべき事は1つ』
『カンナを……助ける』
『それは当たり前。そうじゃなくて、今。今まさにやるべき事よ』
水音の言葉に光希はハッとした顔をして頷く。
『諦めない』
光希が答えを出すと、水音は笑顔で頷き親指を立てた。そして、光希の目の前から水音はいなくなった。
「例え助けが来なくても、私達皆が力を合わせればきっと蒼なんかには負けない」
突然、光希が話し始めたので皆驚いたような顔をして光希を見た。
「命をかけて戦ってくれた南雲師範、そして傷付いた学園の仲間達の分まで今私達が戦わなくちゃいけないと思う。諦めちゃ駄目だと思う」
刹那、場は静寂に包まれた。しかし、それは本当に刹那の時だった。
「篁さんに言わせちゃったか。それはこの俺が言いたかったセリフなんだけどな」
十朱が言った。
「ならさっさと言えってんだ。篁。澄川さんを必ず助け出そうや」
七龍が言った。
「私は最初から諦めてませんでしたよ〜。つかささんを助けてから〜、敵さんを肉塊にしてやるんですから〜」
綾星が言った。
「後醍院さんは俺達の弓特のボスだ。ボスにはこれからも頑張って貰わなきゃならないからな。助け出してきっちり働いてもらう」
矢継が言うと、他の生徒達も声を出し始めた。それは避難所にいた自警団の団員達にも伝播し、生徒と自警団の士気は勢い良く上がった。
「諦めるという選択肢はなかったな。震」
「そのようですね、海崎さん。神髪瞬花にやられた八門衆は全員回収し先程治療を終えました。皆無事でしたので復帰次第、戦線に加わってもらいます」
「そうか。流石に達人の集まりだ。そう簡単には死なんか。良かった」
海崎と震の会話は光希の耳にも入った。海崎の顔は少し綻んでいた。多分この中で最も強いであろう男に笑顔があるというのはとても心強い事だ。
「水音。私、頑張るよ」
光希は胸に手を当て、囁くような声でそう呟いた。