第123話~リリアの慧眼~
弓特、櫛橋叶羽の救援要請に、序列3位の茜リリアは、序列20位の祝詩歩、そして、医師の御影臨実と小牧鷹文を連れて山道へと繰り出していた。
叶羽の先導に従い、4人は馬を駆けさせた。
叶羽の話によると、美濃口鏡子率いる弓特が神髪瞬花を足止めしている道とは別の道に、南雲が馬ごと滑落して重症を負っているそうだ。一緒に弓特の浅黄ミモザがついているそうで、応急処置は施したが、出血が酷く、輸血が必要かも知れないと言う話だ。
「櫛橋さん、本当にこの道で合ってる?」
普段通る事のない険しい道を延々と進む叶羽を信じていない訳ではないが、とても怪我人が通れるような道ではない。足下には木の太い根が張り巡らされ、行く手を低い木の枝が遮っている。
「はい、南雲師範は1つ上の道から落ちてしまったので、ミモザとこの道を辿って学園まで向かう筈です。元の道に戻ったら神髪瞬花と鉢合わせになっちゃいますからね。その辺はミモザも分かってますよ」
「そう。それならいいけど」
叶羽の返答を聞いても、リリアの不安は消えなかった。
「御影先生、小牧さん、就いて来てますか?」
リリアの後ろの詩歩が、さらにその後ろの御影と小牧へ気遣いの言葉を掛けていた。
「平気よ。このくらいの道。それより、急ぎましょう。どのくらい出血してるか分からないけど、南雲師範はご高齢だから……あまり時間がないわ」
御影は意外に悪路をものともしていない様子で、軽快に馬を駆けさせている。
「持てるだけ輸血パックは持って来ましたが、足りなければ、輸血しながら浪臥村まで降りなきゃなりません」
クーラーボックスを4つも馬に括り付けて就いて来ている小牧が言った。
「村はほとんど侵攻されて、避難区域しか残ってないって酒匂隊長が言ってたから、血もないかもしれないよ」
村人の半数を引き連れて酒匂率いる自警団が学園に到着したのはつい先程の事だった。馬があれば、比較的安全かつ迅速に学園へは来れる。学園は今、村人達が泊まるテントで埋め尽くされていた。村人の半数と言っても、その数は500人近くに上る。大講堂は100人も入れば満杯だ。村人の大半は野外での生活を余儀なくされる。
「そうね、詩歩ちゃん。だから、今は浪臥村へ行かなくてもいいように、早い段階で南雲師範を救出しましょう」
「はーい」
この悪路はリリアにとって不安材料だったが、後ろから就いて来る3人はとても心強く、リリアの不安を和らげてくれた。
リリアが少しの安心を感じたその時、これまで感じた事のない殺気を感じた。
それは、前方から近付いて来る。
「櫛橋さん、止まって!」
リリアは叶羽に声を掛けて、後続の詩歩達にも停止の合図を送った。
「どうしたんですか? 茜さん、急がなきゃ」
どうやら、叶羽はまだ接近する者の気配に気付いていないようだ。
しかし、リリアの後ろの詩歩はいち早く刀を抜いていた。
「櫛橋さん、下がってて。敵よ」
「え!」
叶羽は馬首を返し、リリアの後ろまで下がって来た。
とうとう近くまで馬蹄の音が聞こえるようになった。
「1騎。詩歩、櫛橋さん、援護して。私がやる。御影先生と小牧さんは下がっててください」
「了解」
リリアの的確な指示に、4人は素直に従った。
1本道。敵はリリア達を抜けないと学園へは辿り着けない。リリアは左右に武器を取り構える詩歩と叶羽より数歩先に出た。
愛馬・霜雪からは恐れを感じない。リリア自身も恐れはなかった。
やがて敵が木々の間から姿を現した。リリア達を見付け、現れた男は一度馬を止めた。
何故か顔は血塗れだ。そして、左手に何か持っている。
「私は茜リリア。この先は学園よ。一体何の用?」
リリアは凛として問い掛けた。
「学園の生徒か? おい、お前達、神髪瞬花を見なかったか? 俺は奴を捜している」
男は腰に刀を挿している。どこか見覚えのある色と装飾。
「あ! 茜さん、あいつ、南雲師範が言ってた神髪瞬花の監視役の男ですよ! きっと」
叶羽が男を指さして言った。
「ねぇ、リリアさん、あの男の刀」
詩歩が近付いて来て、リリアの耳元で囁いた。
「黄龍心機……」
リリアが言うと男は右手で腰の黄龍心機を抜き放った。
刀を鞘から抜き放つ時の独特の摩擦音。それは、刀一つ一つ異なる。
リリアは眉を顰めた。
「学園の生徒は皆この刀を知っているのだな。それもそうか、この刀がお前達学園の生徒達の命運を分けたと言っても過言ではないのだからな。まさに、因縁の刀というわけだ」
「ゴチャゴチャ言ってないで、さっさとその刀を渡しなさい。渡さないならあんたの首が胴体から離れる事になるわよ」
詩歩が言った。
すると、男はクスリと笑った。
「首が、胴体から離れるか。そうだ、俺よりも先に胴体から首が離れた奴がいるぞ。知り合いだろ? 返しておく」
男は突然左手に持っていたモノをリリア達へと放り投げた。
ぼとっと鈍い音と共に、それは目の前の地面に転がった。
「いやぁ!!!」
詩歩と叶羽の悲鳴が同時に山中に響き渡った。
目の前に転がったのは人の首だ。それは、これからリリア達が救出に向かう筈だった南雲の首だった。目を見開いたその首は、口と首から血を流し、こちらを見ているようだった。
「南雲……師範……そんな……」
その光景を目の当たりにした詩歩と叶羽は一瞬にして戦意を喪失してしまい、口を抑えて嗚咽を漏らしている。
「ははははは! 威勢の良かった餓鬼が、首を見た途端にそのザマか! 戦わずして私の勝利だな。さあ、お前達も同じ目に遭いたくなかったら、さっさと道を開けろ。お前達には用はないんだ」
男は笑っている。
恩師を殺されて泣く仲間達を笑っている。
リリアは腰の刀の柄を握った。
「詩歩、櫛橋さん、下がりなさい。小牧さん、南雲師範の首を」
リリアは静かに指示を出した。
詩歩と叶羽は馬を後ろに下げ、小牧は馬から降りて南雲の首を風呂敷のような大きな布に包んで御影と共に後ろに下がった。
「何だ、小娘。1人でやるつもりか? お前の師が勝てなかったこの私に挑むのか?」
「小娘じゃない。私は茜リリア。それと、南雲師範は負傷していなければ、あなた如きには負けなかった。負傷した人を倒しておいて勝ったつもりでいるなんてあまりにも滑稽だわ」
「ほう……生意気だな茜リリア。いいだろう。ならばこの多知花拳勝が、この名刀『黄龍心機』でお前の首を跳ねてやる」
「ふっ、黄龍心機ね。……その前に1つだけ聞かせてくれないかしら?」
「何だ?」
「南雲師範と一緒に黄色い髪の女の子が居たはずなんだけど?」
「ああ、いたな。安心しろ。弱そうだったんで殺してはいない」
「無事なら良かったわ」
リリアはミモザの安否を確認すると、腰の刀を抜き、霜雪の腹を蹴った。
多知花は黄龍心機を右手で構え、左手で器用に手綱を操り、リリアへと突っ込んで来た。黄龍心機がリリアの首を狙う。
それをリリアは右手の刀で軽々と弾き擦れ違う。一瞬見えた刀身に刻まれた黄龍の紋様。それは黄龍心機の特徴の一つだ。
「何だ……その刀は」
馬首を返してリリアを見ている多知花が信じられない物でも見たかのような顔で訊いた。
リリアも霜雪を反転させた。
「あら? 流石に気付いたかしら。この刀の名は『玄武皇風』。元学園総帥・割天風先生が自ら鍛え愛用した刀。無敗の刀よ」
真っ黒な柄と、真っ黒な刀身に、薄らと波紋が見える。
「割天風の……刀だと? そんな物がまだあったとはな。いい事を聞いた。ならば、陛下への手土産にその刀を頂いていくとするか」
「そんな事が出来るかしら?」
「なに、簡単な事よ。私にはこの黄龍心機がある。この刀を持っていれば、お前の攻撃は全て察知して無力化出来る。要するに、お前が割天風の刀を使ったところで、それは何の意味も成さないと言う事だ」
「あは、あははははは」
リリアは笑いを堪えられずに声を出して笑った。普段なら絶対に有り得ないリリアの様子に、詩歩達は口をポカンと開けてリリアを見ている。
「何が可笑しい!」
「あら、ごめんなさい。黄龍心機って、もしかしてその刀の事を言ってるの?」
「他に何がある? この美しい黄龍の紋様と装飾、どこからどう見ても黄龍心機。お前達学園の生徒が喉から手が出る程欲しい色付きの名刀。そう……多綺響音が追い続けている榊樹家の宝刀。私は陛下よりこの刀を持って行くように仰せつかった、選ばれし者なのだ」
「選ばれし者? あははははは」
「貴様……それ以上笑ってみろ? 女とて容赦はせんぞ」
リリアは充分笑うと、深呼吸して心を落ち着かせた。
「ごめんなさい。あのですね、青幻は学園の人達とあなたを上手く騙してたみたいですけど、私は騙されませんよ」
「何?」
多知花が眉間に皺を寄せた。
詩歩達も首を傾げている。
「その刀は黄龍心機ではありません」
リリアの発言に詩歩達の驚く声が聞こえた。
「デタラメ言いやがって小娘が。これは普段から陛下がお使いになっている正真正銘の黄龍心機だ。毎日のように私がお預かりして帯刀しているものだ。それが偽物なわけがない。それに、私に陛下が偽物の刀を渡すわけがない!」
多知花は黄龍心機を握り締めて鬼の形相でリリアを睨んだ。
「信じないのは勝手ですが、私、こう見えて刀の目利きには自信があるんですよね。さっき、鞘から刀を抜き放つ音、刀と刀がぶつかった音、刀身の波紋。それだけの情報があれば、その刀が黄龍心機に良く似た偽物である事は分かります」
「嘘だ! この私に陛下が偽物を渡すなど……」
「なら証明してあげましょうか。その刀を斬って見せましょう」
「舐めやがって、小娘が。切り刻んでやる」
多知花は怒りに顔を歪めながら、また突っ込んで来た。
黄龍心機の紛い物がリリアと交差する瞬間に玄武皇風とぶつかる。
すぐに多知花は反転し、リリアの背後から刀を振った。
リリアは振り返りざまにそれを受け、霜雪を後退させながら多知花との距離を詰めた。
そのまま馬上で刀の打ち合いになった。
かつては、馬上での剣術は苦手としていたリリアだったが、今となっては寧ろ得意と言えるまでに実力を付けていた。
それも、全ては「自信を持て」と言ってくれた南雲のお陰だ。あの日からリリアは南雲に個人的に馬術の稽古を付けてもらった。
南雲から教わった事はたくさんある。今の剣特師範は大甕だが、南雲とは毎日のように顔を合わせていた。世間話もした。霜雪の話ももちろんした。
そんな楽しかった日々の事が頭を過る度に、抑え切れない感情が涙となって目から止めどなく溢れて来る。
「怖いのか? この私に殺されるのが怖いのか!?」
「この涙は恐怖ではありません。それより、その黄龍心機は、あなたに危機を教えてくれましたか?」
「危機など……」
多知花が言いかけた時には黄龍心機の刀身は真ん中から切っ先まで無くなっていた。
「怖いですか?」
リリアは玄武皇風を斜め下から振り上げた。
咄嗟に防ごうとした多知花の右腕ごと、その身体を斬った。
叫び声を上げながら、多知花は馬から落ち、沈黙し、動かなくなった。
「南雲師範。仇は取りました」
リリアはそう呟くと、玄武皇風の血を払い、スっと鞘に戻した。
「やったね! リリアさん!」
詩歩が笑顔で抜いていた刀を戻して言った。
「茜さん、お怪我は?」
叶羽も構えていた弓を下ろし、リリアの下に馬を寄せた。
「大丈夫。ありがとう」
「あの刀が、黄龍心機じゃないって見抜いたのはいつからだったの? リリアちゃん」
御影が尋ねた。
「最初に多知花が刀を抜いた時です。抜刀時の音が黄龍心機の音じゃありませんでした。いくら外見を似せて作っても、黄龍心機程の名刀を能力まで同じように再現する事は出来ませんよ。きっと、本物の黄龍心機は、まだ青幻が持っているんでしょう」
リリアの説明に皆黙って頷いた。
「それより、南雲師範が討たれてしまった今、残念ながら救助の必要はなくなってしまいました。ですので、私は南雲師範のお身体を捜します。皆さんは一度学園にお戻りください」
小牧の提案に、リリアが手を挙げた。
「それなら私もお付き合い致します、小牧さん。詩歩は御影先生を一旦学園へ。櫛橋さんは南雲師範と一緒にいた筈の浅黄さんを捜して合流。その後弓特と合流して」
皆が頷き、馬首を各々の目的地へと向けたその時。リリアの進行方向から1人、誰かが近付いて来た。
「おーい! おーい! みなさーん! 待ってください!」
現れたのは、黄色のボブヘアーの女の子、浅黄ミモザだった。栗毛の馬でこちらへ駆けて来た。
「あ! ミモザ! 良かった、無事だったんだね」
叶羽がいち早くミモザの下へ駆け寄った。
「はい、あ、あの、南雲師範は? 多知花って男を1人で追い掛けてこっちの方に来たと思ったんですけど……」
「あ……実はね」
リリアは南雲が多知花に殺された事をミモザに説明した。
「私の……せいだ……」
ミモザは嗚咽を漏らしながら泣き始めた。
リリアは優しくミモザを抱き締めた。