第118話~鴛鴦鉞の流星~
蒼兵達が続々と集まって来てしまった。
カンナと茉里は背中合わせで両手に手錠を掛けられたまま事態は進展していない。
完全に囲まれた。早くここから逃げなければその内柚木がやって来る。柚木が来てしまえば、氣が使えずに茉里と繋がれた状態のカンナには勝ち目がない。
「さあさあ、いい子だから大人しくしてなよ。お前達に逃げられたら不味いんだ。大人しく戻れば逃げようとした事も、俺達の仲間を殺った事も許してやるからよ」
言いながら兵の1人がゆっくりと近付いて来た。
「お断りしますわ。どの道捕まれば地獄なのですからね」
カンナの背後の茉里はさぞ不快そうに言う。
「もういい! 力ずくでも捕らえろ!」
痺れを切らした兵の1人が指示を出すと、棒を持った兵20人程が前へ出て来た。そして先に5人が棒を同じ方向に振りながら突っ込んで来た。
統率の取れた無駄のない動き。足下への薙ぎ払い。
「後醍院さん! 跳んで!」
カンナの指示に茉里も咄嗟に跳び上がる。
それで足下への攻撃は躱したが、すぐに上段の薙ぎ払いが跳び上がったカンナの身体を打った。
鈍い痛み。脇腹に叩き込まれた棒がカンナのバランスを崩させた。
「離れなさい! 下郎!」
すぐに茉里がカンナと入れ替わるように反転し、刀を振った。
兵を斬ったのか、1人の呻き声が聴こえた。
カンナは茉里が攻撃に転じた隙に体勢を立て直し、脇腹の痛みを堪え、回転しながら兵達の脚を蹴りで払っていく。その回転に合わせて茉里の刀も突き出された棒を叩き、兵を斬り裂いた。
「拘束された状態の女2人に何を手こずってやがる!」
兵達は怒声を上げながら倒れた兵を後ろに下げ、また新たな兵を送り込んで来た。
「大丈夫ですか!? 澄川さん」
「うん……でも、これはちょっと、ヤバいね……まさかこんなに敵が強いなんて……」
さすがに蒼の兵である。鍛えられた棒術は、いくらカンナであろうと両手が塞がれた状態では思った以上に動けず捌けなかった。
また、蒼兵が棒を振ってくる。咄嗟に脚を高く上げて棒を蹴りでへし折る。
だが、茉里と繋がっている為か僅かにバランスを崩してしまった。
複数の棒が同時に迫る。
避けられない。
そう思った時、襲い掛かる数本の棒が、1本の棒によって防がれた。
「何の騒ぎですか。これは」
カンナの前には棒を持った柚木がカンナと茉里を庇うように立っていた。
「ゆ、柚木師範! これには深い訳が……」
兵が答えようとすると、柚木は棒を巧みに振り回し、棒を突き出していた兵全員を軽々と突き飛ばしてしまった。
「見張りの任務もこなせないとは、ガッカリですよ。よりにもよって、僕の澄川さんを棒で叩くとは」
柚木は棒を投げ捨てると、カンナの頬に触れて顔を覗き込んで来た。
「怪我はありませんか? 澄川さん」
「……大した怪我はないです」
とりあえず柚木の問に答えたが、この状況は非常に不味い。逃げようとしたところを発見されてしまった。こうなった以上もう逃走の機会は訪れないだろう。このまま船に乗せられてしまうだろう。
カンナが悔しさを噛み締めていると、不意に左腕が引っ張られるのを感じた。
「死ね!」
カンナの身体は背後の茉里と入れ替わるように反転し、茉里の刀が柚木を斬り付けた。
そう思ったが、茉里の右の手首は柚木に捕まれ、刀は柚木の顔の前で止められていた。そして、茉里の手からポロッと刀が地面に落ちカランと虚しい音が響いた。
「軽く腕を折ってしまいたいですが、そんな事したら青幻様に怒られちゃいますよね。でも、ヒビくらいならバレませんかね」
柚木は細い目で茉里を睨み付けながら、茉里の白くて細い腕を力いっぱい握り締めている。口元だけが不気味に笑っている。
「痛っ!」
「柚木師範! お願いします、やめてください!」
カンナが懇願しても柚木は構わず茉里の腕を握り締め続けた。
すると、突然、柚木は茉里の腕を離し後ろに跳んだ。
柚木の手からは血が流れている。
「あなたを追えば澄川と後醍院を見付けられると思ってましたが、正解だったようですね」
その声の主を探してカンナは当たりを見回した。
「斑鳩さん!」
その愛しい男は近くの民家の屋根の上で、綺麗な茶色い髪の毛と、黒いロングコートを風に靡かせて立っていた。
やはり助けに来てくれた。最愛の人。斑鳩がいればこの場から何とか逃げ出せるだろう。カンナは勝手にもう助かった気持ちになっていた。
「ネズミが紛れ込みましたか。まったく、王華鉄は何をやっているのか」
柚木は不快そうな顔で血の滴る右手を抑えながら言った。柚木の顔を見ると一気に現実に引き戻された。まだ戦闘中。状況は良くはない。
「澄川と後醍院は返してもらいますよ、柚木師範」
「そんなに欲しいなら奪ってみたらいいですよ。ほら、あなた達、さっさとあの男を捕まえなさい」
柚木の指示で一斉に棒を持った兵達が斑鳩のいる民家の方へと走り出した。
「邪魔よ!」
突然、民家に近付いた兵10人程が何かに弾かれ吹き飛んで来た。
カンナが兵達が見詰める先に視線をやると、そこには真っ赤な棒を持った黒髪の女が立っていた。
「つかさ!!」
「カンナ! 茉里! 良かった、無事みたいね」
つかさは民家の陰から出て来て豪天棒を振り回した。
「この女ぁぁ!!」
兵達は棒や槍を持ってつかさに突っ込んで行く。
「つかさ!?」
だが、カンナの心配を他所に、20人以上が突っ込んで行ったにも関わらず、つかさはその全員を豪天棒だけでものの数十秒で軽々と吹き飛ばしてしまった。
「破軍棒術は棒術界にて最強! 雑魚がいくら群がっても無駄!」
つかさは倒れた兵の腹に豪天棒を突き立て一喝した。
友のその勇壮な姿からカンナはしばらく目が離せなかった。
浪臥村自警団と学園生徒達を合わせても、戦力は蒼軍に及ばない。
突撃して来た一部の兵達にさえこちらが苦戦を強いられている。
綾星は口金に黄色いリボンを結んだ槍を振り回し襲って来た蒼兵4人を突き殺した。
蒼兵の戦闘力は想像以上に高く、1人を倒すのも容易ではない。
「女の子にしてはやるわね、あなた」
鹿毛の馬に乗った女が先程から攻撃する事なく綾星の戦う様子を見ながらポツリと呟いた。
長い黒髪を後ろで三つ編みにしている割と小柄な女の子だ。それだけ聞けば学園にもいそうな普通の女の子だが、綾星がその女に異様さを感じたのはその格好と目付きだった。
戦場では場違いな程の明るいオレンジ色のマントを着け、それでいて極めて肌の露出が多い具足を身に纏っている。胸も腹もほとんど剥き出しだ。足下は膝まである長い茶色の革製のブーツを履き、露出している太ももや胸元、頬には赤い星のような刺青もある。
そして、その女の瞳には光がなく、まるで気力を感じられない。
あまりにも異様なその女に、綾星は鳥肌が立つのを感じていた。
「流星? でしたっけ? あなたの名前。何でさっきから見てるだけで攻撃して来ないんですかー?」
「私が攻撃するタイミングは私が決めるの。ろくに戦の経験もないような子供が口出ししないで」
「子供!? どう見てもあなたの方が若く見えますけどねー? 言っておきますが、私は一度だけ戦を経験しましたよー」
「ふっ……一度だけ」
流星は鼻で笑い手で口元を隠した。
その時、流星の背後から自警団の男2人が刀を振りかざし斬り掛かった。
その瞬間に流星は両手に持っていた鴛鴦鉞で2本の刀を互いに受けるとすぐに弾き返し、よろけた2人を容赦なく三日月状の刃で斬り殺した。
2人の男の身体は血を吹き上げながら地面に倒れた。
「私は幼き頃より20以上の戦に参加して100人以上の人をこの鴛鴦鉞で斬り殺してきた。あなたとは経験が違う」
流星は表情を変えず、死んだ魚のような目つきのまま綾星を見て言った。
この女の心は既に壊れている。人を殺す事が日常だったこの女は自分達とは違う世界にいるのだ。
そんな事をこれまでのやり取りの中で感じ取った。
「人を殺した数で威張るのはやめましょ〜。何も褒められる事ではないですよ〜」
「褒められるのよ。私の生きてきた世界では。敵を倒した数だけが、私への評価になる。敵を倒さなければ存在していないのと同じ。私は、私の存在を認めて貰う為に戦う。全ては、私を拾って育てて下さった陛下の為に」
綾星は返す言葉を見付けられなくなっていた。あまりに凄絶な世界の話を平然と口にする歳下の少女に恐怖を感じずにはいられなかったのだ。
「怖い子ですねー、ちょっと私、あなたに興味が湧いてきちゃいましたー」
綾星はいつの間にか自分が笑っている事に気が付いた。恐怖を抱いている筈なのに、心がゾクゾクとするのを感じる。
綾星が槍を構えると、流星も鴛鴦鉞を構えた。
「あなた……気持ち悪い」
綾星を侮辱する言葉と同時に流星は馬で突っ込んで来た。
綾星は流星を槍で叩き落とす為に大きく振りかぶった。
しかし、その間にも蒼兵が周りに群がって来て囲まれていた。味方の戦力は敵に比べると圧倒的に劣るので無理もない。
綾星は槍を構え直し、群がる蒼兵を1人ずつ打ち倒していった。
流星はもう目の前に迫っている。
ところが、綾星が5人目の蒼兵を打ち倒している時、何故か流星は攻撃せずに通り過ぎ、常歩でゆっくりと戻って来た。
「お前達、その子は私の獲物。手を出さないで」
流星の命令で、周りに群がっていた蒼兵達はすぐに他の生徒や自警団の下へ駆けて行った。
「あらあら〜あなたも私を気に入ってくれたのですか〜?」
「やっぱり気持ち悪い、その笑顔。あなたみたいな人……男はよくそんな顔で私を見るけど。女では初めて見た」
「気持ち悪いとは失礼な子ですねー! だいたい、そんなほぼ裸みたいな格好してたら、そりゃあ男共にエロい目で見られますよ〜」
「ムカつく。私は全身を使って敵の気配を察知しているの。防具も服も邪魔なだけ。何より身軽」
流星の片方の眉がピクリと吊り上がった。
その瞬間、流星は馬腹を蹴り、綾星へ再度突撃を開始した。
綾星は咄嗟に槍を大きく構え、馬上から叩き落とす体勢を取る。
射程圏内に流星が踏み込んだその時、綾星は躊躇わず槍を振った。だが、物凄い反応速度で流星は身体を反らし、その攻撃を躱す。そして、擦れ違いざまに綾星の長い髪を掴み、そのまま馬で引き摺り回した。
「ちょっと! 痛い! 痛いってば!」
「戦場で敵に捕まれば痛みを伴うのは必然。やはり武術だけを鍛えし者はそんな当たり前の事も知らないのか」
流星は馬上から見下すように言った。
地面に擦られ服もスカートもボロボロになっていく。皮膚も擦り切れ血が滲む。
綾星は槍で流星の馬の後ろ脚を思いっ切り叩いた。すると、馬は嘶き、バランスを崩して転倒。乗っていた流星は綾星の髪から手を離し、上手く飛び降り着地した。
解放された綾星は身体中の痛みに耐えながらよろよろと槍を杖にして立ち上がる。
「さっきのおじいさんの師範みたいに生徒も強いって訳じゃないのね。一体何の為にあなたは武術をやっているの?」
「偉そうに……」
流星は馬から落とされたというのにまるで動じていない。それはまさに、幾度もの戦を乗り越えてきたからこそ身に付いた風格のようだ。
そして、また流星は口を開く。
「私は龍武を破壊する」
流星の瞳は深い闇の色がより一層深まるのを綾星は感じた。