第114話~馬術師範・南雲魁司~
馬に乗った南雲が大薙刀を片手に勢い良く駆け出して行った。
つかさは他の生徒達や自警団達と共に避難区域の外からその姿を見守っていた。
南雲の行く手には、先が鋭く研がれた丸太で組まれた馬防柵と、その後ろに槍を構えた蒼兵がびっしりと並んでいる。
南雲は馬防柵の10メートル程手前で馬を止めた。
「神髪瞬花よ! 其方にこの馬術師範であるこの南雲魁司が一騎打ちを申し込む!」
力強く太い声が静まり返った村中に響き渡った。
「一騎打ちだと? 老いぼれめ。神髪殿が受けると思ったのか? そもそも、一騎打ちなど受ける事はない。誰も相手などせんわ。さっさと引っ込め!」
答えたのは30代位の若い将校のような男だった。そもそも、神髪瞬花がいるという情報はあったが、つかさ達から見える範囲にはその姿はなかった。
「ふん、俺のような老いぼれに腰を抜かし向かって来る者は1人としておらず、ただその馬避けの柵に隠れているだけか。情けない! 実に情けない! この学園を敵に回しておいて老いぼれ1人に怖気ずくとは、青幻の兵は雑兵ばかりか。大した事はないな」
南雲は大薙刀を肩に担いだまま大きな声で笑った。その南雲の態度に蒼兵達の顔付きが変わったのをつかさは見て取った。
「言わせておけば……よし、張天寵。お前の大斧であの老いぼれを返り討ちにして来い。討ち取ればお前は隊長に昇格だ」
「は! 心得ました!」
若い将校の指示でさらに若い大斧を持った男が馬で柵の間を抜け勢い良く駆けて来た。
「張天寵と申す! 俺の大斧の錆にしてくれる!」
「はっはっはっ! 威勢だけはいいな!」
南雲は駆けて来た張天寵を迎え撃つかのように迷う事なく一直線に突っ込んで行った。
お互いの距離が縮む。
蒼兵の歓声。
交差する寸前、お互いの武器が動いた。
だが、つかさの目には一瞬だけ南雲の大薙刀の方が早く動いたのを捉えていた。
そしてお互いが武器を振り抜いた時には既に決着は付いていた。
交差した2人の馬は失速し、また踵を返し向き合った。
南雲が見つめる先の馬の主にはもう首は付いていなかった。
「兵卒では相手にならんぞ! 神髪瞬花を出せ!」
南雲の大喝に学園側の生徒達は勝鬨を上げた。つかさも大声で南雲の勝利を称えた。
****
焔安の宮殿、焔皇宮の玉座の間に公孫麗はいた。
今青幻と直接やり取りする幹部は公孫麗1人だけだ。
「公孫麗。改めて現在の状況を報告してください」
玉座に座る青幻が言った。
水色の艶やかな髪と色白の肌。氷のように冷たい青い瞳。その身に纏う着衣も寒さを感じる程に青い。
玉座の階下には蒼国宰相の魏邈もいる。いつものように車椅子に座って偉そうに公孫麗を睨み付けている。
あとは侍従達が数人いるだけで他には誰もいない。いつも青幻の隣にいる側近の多知花は学園の制圧に出陣しておりここにはいない。
「樂東攻撃中の薄全曹、董韓世、孟秦の軍は蘭顕府を守備する久壽居の軍との睨み合いを続けておりますが目立った動きはありません。青龍山脈の張謙も帝都軍の哭陸沙我と睨み合ったまま動きはありません」
「今はそれでいいです。学園の方は?」
「学園には劉雀の軍が展開中。部下の王華鉄に浪臥村を制圧させた模様。なお、間者の柚木透が上手く味方に引き込んだ学園の生徒、水無瀬蒼衣と協力して澄川カンナと後醍院茉里を確保しています」
「計画通り。素晴らしい。ではすぐに柚木に澄川カンナと後醍院茉里をここ焔安に連れて来るように伝えなさい」
「御意!」
公孫麗は拱手して返事をした。
「さすがは陛下のご采配。全くもって抜かりなしですな。あとは学園を神髪瞬花に潰させれば作戦の第一段階が完了する」
車椅子の魏邈がニヤリと笑いながら呟いた。
「そうですね。神髪さんがいれば学園の制圧は容易いと思いますが……公孫麗、一応こちらの戦力を報告してください」
「はい。学園制圧隊の戦力は下位幹部劉雀の配下に大隊長の王華鉄。副官の曹畢。さらに小隊長に丁典虎、蛾眉蘆良、費吉、流星の4名。そして、神髪瞬花と多知花拳勝がおります」
公孫麗が答えると青幻は顎を触るような仕草をして口を開いた。
「学園側の戦力を考えても十分ですね、公孫麗」
「ええ、学園側で注意すべきは総帥の重黒木とその他師範の南雲、大甕、美濃口、あとは海崎と八門衆くらいでしょう。割天風がいた頃は上位の生徒達もかなりの脅威でしたが、今となっては恐るるに足りません」
「そうですね。澄川カンナと後醍院茉里は今の学園生徒達の中でも中々の逸材ですが、それももはや我が手中。多知花が学園島にいれば心配ないでしょう」
「その澄川カンナと後醍院茉里ですが、柚木の報告によれば信遂の碧英港には7日後の到着。焔安への到着は早くても10日後。柚木が王華鉄と共に直々に連れ帰るとの事です」
「それも手筈通りですね。学園島の制圧は劉雀がきっちりとやってくれるでしょう。公孫麗、戴明関で待機中の参に澄川カンナと後醍院茉里を引取りに行かせなさい」
「……え? 参を……ですか?」
計画にはない話に公孫麗は目を見開いた。
「そうです。私は澄川カンナを手に入れた柚木に少しばかり不安を抱いています。あの男は澄川カンナへの愛が異常です。故に澄川カンナを手に入れたままどこかへ逃亡してしまう可能性も無きにしも非ず。一応王華鉄も就いてはいますが念には念を入れたいのです。万が一柚木が裏切った場合、王華鉄では柚木は止められません」
青幻が途中から計画の変更を指示する事は初めてだった。いつもは磐石な計画で最後まで実行してきた。失敗があったとすれば2年前の解寧の復活作戦の時だけだ。
「しかし、参は鳳天山の多綺響音と畦地まりかの対応をさせるのでは……?」
「報告によればその2人は参が大分痛め付けたのでしょう? あの深い山を重症の者がそう簡単に下山してこちらの邪魔をしてくるとは思えません。それよりも、今は澄川カンナと後醍院茉里の受け取りの方が重要です。何か不都合でも?」
「いえ。仰せのままに」
「ああ、それと、応接間に雲類鷲博士を待たせています。参と一緒に行動させてください。死んだ趙景栄よりも役に立ちます」
公孫麗が質問しようとしたが、青幻は手で追い払う仕草をしたので仕方なく拱手して玉座の間を後にした。
応接間の長椅子には青幻の言った通り人が座っていた。白衣を着た女だ。
「雲類鷲博士?」
公孫麗が声を掛けると白衣の女はシャキッと立ち上がった。
白いのは白衣だけではなく、髪も肌も真雪のように真っ白だった。それでいて瞳は血の塊のように真っ赤でとても不気味だ。アルビノというやつなのだろうか。
「はい! 雲類鷲刹奈です! 主に生物学を研究していまして、中でも専門は分子生物学で……あ、分子生物学って言うのは」
「私は中位幹部の公孫麗。学者と長話と空気の読めない女が嫌い。宜しく」
喜色満面元気ハツラツとして話し出した雲類鷲刹奈に公孫麗は無遠慮に拒絶を示しながら挨拶をした。
「あ、あははは、存じております公孫麗様。どうぞ宜しく御願い致します」
ヘラヘラとしているこの女は公孫麗から見ると大分若い。趙景栄の方がまだ学者としては優秀にすら見えた。何故青幻はこんな女を趙景栄の後任に選んだのか。そもそも、公孫麗は参に学者を就ける理由を知らない。
ふと、雲類鷲の腰に刀が挿されている事に気が付いた。
「雲類鷲博士。刀が使えるの?」
「あー、はい。自分の身を守るくらいには! でも蒼国の兵士さんに比べたら雑魚ですけどね」
「あっそ。なら自分の身は自分で守ってね。さ、とっとと行くわよ」
「あのー、何でそんなに機嫌が悪いのでしょうか?」
「悪くないわよ! 黙ってついて来なさい!」
どうしていつもこんな役目ばかりなのだろう。何故自分だけ戦えないのだろう。
公孫麗は苛立ちながら若い学者を連れ、部下の弓騎兵10騎と共に焔安を出発した。
****
「さあ! 早く神髪瞬花を出さんか腰抜け共!」
南雲は嘲笑うように馬を操りながら敵陣に叫んだ。
馬術師範、南雲魁司。馬上での武術は学園では右に出る者はいない。特に槍術を得意としており、その巨大な刀身の薙刀を使った攻撃はあまりにも華麗で学園でもその技を会得しようと師事を求める生徒は多い。
つかさも南雲には破軍棒術の稽古を付けてもらった事がある。一騎打ちもしたが、勿論まるで歯が立たなかった。馬上での槍術はかつての槍特師範、東鬼以上だ。
南雲に馬術で勝てるのは恐らく同じ馬術師範の大甕だけだろう。
故に、蒼兵がいくら出て来ても南雲が負けるとは思えなかった。
このまま蒼の武将達をことごとく討ち取ってしまえればいいのだが、流石に神髪瞬花が出て来たらそういうわけにもいかないだろう。
そもそも、今回の作戦は敵将を全員討ち取るのが目的ではない。
神髪瞬花を炙り出すのが目的だ。
そしてその隙につかさや斑鳩が秘密裏にカンナと茉里を捜し救出する。
それが狙いだ。
「なるほど、兵卒では相手にならんか。ならば望み通り腕の立つ者を出してやる! 行け! 丁典虎! 将校の実力を見せ付け、我らの士気を上げて見せよ!」
「おう!!」
今度は低く馬鹿でかい返事と共に一際身体の大きな熊や虎のような身体付きの大男が、これまた大きな黒い馬に乗って躍り出た。
「劉雀軍一番隊隊長、双戟の丁典虎! 推して参る!」
丁典虎の口上と共に蒼兵の歓声が上がった。
両手には戟の柄を短くした武器である手戟が握られており、それを振り回し雄叫びを上げている。
「威勢の良い奴だな! だが貴様などお呼びではない! さっさと神髪瞬花を出さんか!!」
「そう固いこと言うなよジジイ! 俺はさっきの兵卒とは違うぜ?」
南雲の挑発には乗らずに丁典虎は姿勢を低くし、手戟を構えて真っ直ぐに南雲に突っ込んで行った。
南雲と丁典虎の武器は同時、いや、リーチの短い丁典虎の方が先に動いた。
南雲と丁典虎の馬は真っ直ぐに突っ込む。
丁典虎の右の手戟は南雲の首を狙った右払い。左の手戟は胸を狙った突き。その攻撃を出す速さは目で追えない程速い。
「もらった!!」
丁典虎が声を上げたその時、丁典虎の巨大な上半身が軽々と宙を舞った。そして、それが地面にドボッと落ちると同時に、下半身だけになった身体も馬から落ちた。
「やれやれ、手戟を使う者とは初めてやり合ったが、その力を見る前に終わってしまったわい」
南雲はそう言いながら乗り手のいなくなった2頭の馬を引き連れて避難区域の方に駆けさせた。それを自警団の者達が確保していた。
「さすが南雲師範! カッコイイ!」
仲村渠や十朱など槍特男子が称賛の声を送った。
「だから言っておろう。雑魚はお呼びでない。俺とまともに戦えるのは神髪瞬花だけだ」
南雲は血の滴る大薙刀を敵陣に向けて言った。
南雲は返り血すらほとんど浴びていない。
「分かった。南雲師範。望み通りこの私が相手をしてやろう。丁度退屈していたところだ」
敵陣の奥から懐かしい声が聴こえた。
その声の主をつかさは目を見開いて凝視した。
「神髪……瞬花……!!」
つかさは思わずその名を口にしていた。