第110話~届かぬ想い~
「殺して」と、そう言ったのだろうか。
響音は目を瞑ったままの舞冬を抱いたまま、その言葉の真意を考えた。
「今、なんて言ったの? 舞冬」
考えたが、舞冬がそんな事を言う筈はない。きっと聞き間違えだと思い、響音は恐る恐る聞き返した。
「殺して、響音さん」
聞き間違えではなかった言葉に響音は目を見開いた。
「殺すわけないでしょ? あたし達に怪我をさせた事を気にしてるの? だとしたら、そんな事気にしなくていい。もうあなたは舞冬に戻ったんだから」
「戻ってない……戻ってないの」
舞冬は苦しそうな声で言った。
「今も私の中の参があなたを殺そうとしている。これ以上参を抑えてられない。参は私の何十倍も強い。だから、私が参を抑えつけてる今しかない、早く……殺して」
「殺さない! ……殺せるわけないでしょ?」
「参を殺すには私を殺すしかない。また参が外に出てしまったらもう私が外に戻って来れるかも分からない。だから私は今、響音さんに殺して欲しいの。柊舞冬として、死にたいの」
舞冬は目を瞑ったまま口だけを動かし、必死に訴えてくる。
きっと目が開いた時が舞冬との別れ。参が舞冬の中から戻って来て響音を殺しに掛かるのだろう。
「出来ない! 出来る筈ないじゃない!! あたしは仲間を自らの手で殺したくない!!」
響音は声を上げて泣いた。
どうしても、月希を最後に抱き締めていたあの時の記憶が蘇ってきてしまう。
「本当は……一度死んでしまった私、舞冬の記憶は戻らなかった筈なの。でも、響音さんを見て、思い出せた。参の記憶に私の記憶が追加されて舞冬は甦れた。でも、さっきの煙玉の匂いで参の命令を実行するという意思が強まって、また私は消されようとしている……響音さん。私を殺さなければ、皆死ぬ」
響音は嗚咽を漏らしながらただ舞冬を抱き締めている事しか出来なかった。
「響音ちゃん」
不意に背後から馬香蘭の声が聴こえた。
響音が振り向くと、馬香蘭はまりかの刀を持ったまま血塗れで立っていた。
「蘭……」
「白衣の男は始末したよ。あとはその女だけ。響音ちゃんが殺せないなら、私が殺してあげる」
馬香蘭は響音の隣に来て舞冬の首に刀を突き付けた。
「やめろ!!」
響音は馬香蘭の刀の前に自分の身体を割り込ませた。
「響音ちゃん……参ちゃんを殺さなくちゃ、皆殺されちゃうんだよ?? どうして」
馬香蘭は一度刀を引き困惑して言った。
「この子は舞冬なの!! 殺さなくても助かる方法がある筈!! そうだ! 仙人なら何か知ってるかも」
「響音ちゃん……」
名案だと思ったが馬香蘭は複雑な表情をしていた。それが何故なのか、響音には分からなかった。
その時、抱いていた舞冬の身体が一度大きく震えたような気がした。
見ると瞼が開き、真っ赤な眼で舞冬は響音を見ていた。
「時間切れだ。多綺響音。君たちは全員死ぬ」
その言葉と同時に響音は舞冬に首を掴まれ、そのまま近くの大木の幹に叩き付けられた。
突然の事に受身を取る余裕もなく、頭と背中を強打し地面に響音は倒れた。
舞冬は再び参へと戻ってしまった。
「響音ちゃん!?」
馬香蘭の声が聴こえた。何とか頭を上げて馬香蘭の方を見ると、参がまた方天戟を手に取り、馬香蘭を襲っていた。今度は木々の間でも方天戟を槍のように突くように使っている為動きが遮られる事はなく、圧倒的な槍捌きで馬香蘭を押した。馬香蘭の持つ刀も周りの木々に阻まれ上手く扱えていなかったが、すぐにその木々を利用して方天戟を避けるように動いた。だが、参の方天戟は馬香蘭が盾にした木の幹さえも、まるで障子でも破るかのようにあっさりと貫いてしまう。
響音は何とか助けに向かおうと立ち上がったが頭と背中の激痛で思わず膝を突いた。
「舞冬、やめて、お願い」
響音の声は参の中の舞冬にはもう届かなかった。一心不乱に馬香蘭を仕留めようと方天戟を突き出し続けている。
ふと、馬香蘭の姿が消えた。鼻も利かない響音には馬香蘭がどこに行ったのか把握出来ない。
しかし、参は頭上を見上げた。
「獣滅玉龍拳・透過・獣弦脚!」
見えない馬香蘭の口上と共に参は頭を僅かに右に逸らし後ろに跳んだ。だが、左肩の肩当は何かに叩かれたように砕け散った。
参は方天戟を持つ右手で負傷した肩を抑え、まだ姿の見えない馬香蘭のいるであろう空間を睨み付けた。
その視線の先にはすーっと馬香蘭が姿を現した。
「匂いで位置が分かっても、どこを攻撃してくるのかまでは分からないな。面倒くさい奴だ」
参が溜息をついて言った。
「ねー参ちゃん、お願いだからもうやめよう。私達、仲良く出来るよ。参ちゃんが私達を殺す理由はないでしょ?」
「交渉は無駄だ。私は命令された事をするだけ。安心しなよ。お前と多綺響音は殺さない。気を失わせて蒼に連れ帰るだけだ」
「私と響音ちゃんは……って」
「畦地まりかは殺すよ。絶対殺す。陛下が殺すなと言っても殺す。舞冬もそれを望んでいる」
舞冬の言葉とは思えない非常な言葉に、響音が声を上げようとしたその時。
「この馬鹿チンがーー!!!」
馬香蘭が先に大声を上げるとその場でまた姿を消した。
「また消えたか。だけど、もう死角は作らない」
参は方天戟を薙ぎ払いの体勢に構えた。しかし、周りには細い木々が生い茂り満足に振り回せない筈。
「獣滅玉龍拳・透過・烈風獣弦脚!!」
「界魔・無空斬」
参の方天戟はまるでその周囲の木々を無視するかのように通り抜け、楕円の軌道を凄まじい速さで何重にも描いた。
「ぐあっ!!」
突然、悲鳴と共に空中で真っ赤な血が飛散した。その血が馬香蘭のものだと言う事は嫌でもすぐに分かった。血が吹き出した箇所から馬香蘭の身体に色が戻りその姿を現しながら地面に落ちたのだ。周りの木々は何事もなかったかのようにそのまま自生している。
「蘭!!!」
響音はまた立ち上がろうとしたがすぐに前にツンのめって倒れた。
「手応えあり。さて、もう君たちは動けないだろうから、これでゆっくりと畦地まりかを殺せる」
言いながら参は方天戟の石突を地面に打ち付けた。
すると、参の周りの木々が、斜めに切込みが入り、そのまま綺麗に滑り落ち大きな音を立てて倒れていった。
「待て、舞冬……!!」
響音の呼び掛けに見向きもせずに参はまりかが倒れている方へと歩いて行ってしまった。
「蘭! 生きてる?」
響音は馬香蘭の倒れたところへ地面を這うように近寄った。
「わ、私は大丈夫だよ。響音ちゃん」
先程切り倒された木々の隙間に上手く収まる形で馬香蘭は倒れていた。見ると返事とは裏腹に胸の辺りに酷い傷がありそこから大量に出血しているではないか。
響音は自分の右袖を噛み、左手で柳葉刀を引き抜くとその袖を切り裂き、馬香蘭の傷口へと当てがった。
「それじゃあ動けないわね。自分で傷口抑えてられる? あたしはまりかを助けに行かなきゃ」
「響音ちゃん、ごめんね。私が1人で仙人のお家から飛び出さなければこんな事には」
「何言ってるのよ。あんたのせいじゃないわよ。どっち道、舞冬はすぐそこまで来てたんだから。むしろ仙人を巻き込まなくて良かったわよ」
「響音ちゃん」
「何よ」
「さっきはあんな事言ったけど……私、響音ちゃんもまりかちゃんも大好きだからね。2人に出会えて本当に良かったよ」
馬香蘭は笑顔でこそあるが、弱々しく今にも消え入りそうな声で言った。
「馬鹿。あんたらしくもない。そんな死にそうな言い方やめなさい。これからも3人ずっと一緒よ」
響音が馬香蘭の右手を掴み傷口に当てがった袖の切れ端を抑えさせると馬香蘭はニコリと微笑み小さく頷いた。
響音はそれを見ると動かない身体を這わせながら舞冬の後を追った。
傷は深いが致命傷ではない。
馬香蘭がすぐに応急処置をしてくれたので何とか助かった。だが、もう右手で刀は振れない。それどころか動いたらまた傷口から血が溢れてしまう。
まりかは木の幹に寄り掛かり呼吸を整えた。こんな負傷した状態で神眼を使ったらどうなってしまうのだろうか。やはり死が早まってしまうのだろうか。
どっち道、神眼を使えたところでこの怪我では舞冬に勝つ事は出来ない。
そんな事を考えていると、前方から誰かが歩いて来るのが見えた。
1人。それは、響音でも馬香蘭でもない。
参だ。
「舞冬……」
「ご機嫌如何? 畦地まりかさん」
参は血の付いた方天戟を持ってどんどん近付いて来る。
「響音さんと蘭は?」
「安心して。殺してはいないから」
まりかは真っ赤に充血した目を見開き無表情で近付いて来る参に恐怖を覚え、木に掴まりながらよろよろと立ち上がった。その動作だけで肩に痛みが走る。
すると、一瞬まりかの頭の上を風が通り過ぎた。それと同時にまりかが掴まっていた木が切断され、まりかはまたその場に崩れ落ちた。木がドシンと大きな音を立てて倒れた。
「私を……殺しに来たんでしょ?」
「何だ、自覚あるんだ。自分が犯した罪。何の罪もない人間を殺すという無慈悲で残酷な非人道的行い。罪は犯したら償わないといけない。舞冬は君を許さない。でもアイツは死んだから、代わりに私が君に罪を償わせる」
参は口元だけ笑いながら着々とまりかに近付いて来る。
「舞冬……」
参は座り込んでいるまりかの前で見下すように立ち止まった。
「本当に……ごめんなさい」
まりかの謝罪の言葉が言い終わるか言い終わらないかの時、参の方天戟がまりかの股の間の地面を突き刺した。
まりかは絶句した。死んだかと思った。方天戟の半月状の刃はまりかの股の間に綺麗に収まり、あと数ミリこちら側に入っていたら股が裂けていた。
ふと、股に温かい感覚を感じた。それは普段から知ってるようで知らない不快な感覚。
「あれ? もしかして、ビックリしてお漏らししちゃった? はは、無様だね。神眼という神の力を持つ女が、死の恐怖に耐え切れずお漏らしかぁ」
参は突然楽しそうな顔をしてまりかの股の間から方天戟を引き抜いた。そしてその方天戟の切っ先を眺めた。
「あーあ、私の方天戟が、君のおしっこで汚れちゃったよ、どうしてくれるの? このメス犬が!!」
「痛っ!!」
参はまりかの股間を踵で蹴り付けた。
「舞冬……やめて、ごめん、ごめんなさい」
目の前にいるのは参なのかもしれない。しかし、まりかにはあの日あの時の舞冬が自分に復讐しているようにしか見えなかった。
「やめるわけないでしょ? 舞冬は命乞いなんてしなかったのに、君と来たら……。ほら、舐めて綺麗にしなさい。君が汚したんだからね」
参は方天戟の先をまりかの口の前に差し出した。方天戟の刃に付着しているものは尿よりも真っ赤な血の方が目立った。まりか自身の血。それよりもさらに大量の血も付いている気がする。響音や馬香蘭の血だろうか。
まりかがふるふると首を振って拒絶すると参は方天戟を唇に触れさせてきた。少し触れただけなのに、まりかの唇はプツンと切れ血が流れた。
「舐めないなら私が強制的に舐めさせるけど? その場合、口や喉は裂けて血塗れになっちゃうんだけどね」
参の真っ赤に充血した悪魔のような目がまりかを威圧した。何も思考出来ないまま、いつの間にか、まりかは方天戟の先をぺろぺろと舐めていた。涙が止まらない。嗚咽が止まらない。参の口元は微かに笑っている。
もう完全に腰が抜けて動けない。
なんて無様なんだろう。こんなの自分じゃない。だが、こんな気持ちになるような事をまりかはかつて多くの人間にしてきた。今自分が地獄のような苦痛を感じていると、同じ目に遭わせて来た人間の憎しみの顔がまりかの目に蘇ってきた。
「ごめんなさい……ごめんなさい……ごめんなさい」
まりかは方天戟を舐めるのをやめて謝罪の言葉を呟きながら手で顔を覆って俯いた。
すると参は方天戟を引いた。
「気持ち悪い女。こんな女に舞冬は殺されたのか。情けない。もういいや。そろそろ殺すかな。いつまでもこんな気持ちの悪い女見てても不快だし」
参は方天戟を振り上げた。
「舞冬……やめなさい、もう十分でしょ」
響音は方天戟を振り上げた参の背中に言った。
参はチラリとこちらを見たがまたすぐに前を向いた。
「まだ動けたのか。多綺響音。君は殺さないであげるんだから大人しくしててよ。邪魔するなら馬香蘭の方も殺すよ?」
「させない。舞冬の身体でそれ以上好き勝手させない」
響音は柳葉刀を構え立ち上がった。しかし、足元は覚束無い。
「そんな身体で」
参が言いかけた瞬間、響音は地面を思い切り蹴った。
神歩。
しかし、参の背後へと斬り掛かった響音の腹には参の蹴りが突き刺さりそのまま吹き飛ばされた。
自分のスピードと参のカウンターの蹴りが合わさりその威力は絶大だった。
息が出来ない……。
やれる時にやらなかった自分の甘さが招いた結果だ。舞冬を呼び戻す事はもう出来ないのだ。
息が出来ない響音は、舞冬の名を呟いたが声にならなかった。
参はまりかの胸ぐらを掴み無理やり立ち上がらせた。
「そう言えば近くで激流に注ぐ大きな滝壺を見たな。せっかくだから君には舞冬が味わった水に沈んで死ぬ恐怖を味わわせてやろう」
連れて行かれるまりかはまるで抵抗せずにただ嗚咽を漏らしているだけだ。
まりかが本気を出せば逃げられない相手ではない。それなのに、ただ参に身を任せているように見える。
響音はまた、地面を這いながら参とまりかを追った。