第107話~黒仮面の女、参の正体~
黒い仮面の女は紛れもない、かつて学園序列8位だった女、柊舞冬だ。
茶色い髪、声、手にする方天戟はあの頃と形こそ違うが舞冬の得意武器でよく振り回していた。まさにこの女は響音の良く知る柊舞冬だった。
しかし、舞冬とは違うところもあった。
身体のラインを強調する黒い光沢のあるキャットスーツ、手足の漆黒の装甲、漆黒のマント、光のない瞳と口角の下がった感情のない表情、そして、全身から溢れ出る常人のものではない異様な雰囲気。それらが響音の知る舞冬からはあまりにかけ離れていた。
それよりも、もっとも不可解な事がある。
それは、舞冬が今響音の隣で涙を流して戦慄している畦地まりかによって殺されている事だ。
「生きてたのね。舞冬」
「マフユ? 私は参だ」
舞冬の姿をした女は参と名乗ったがその声はやはり舞冬の声である。
「本当にあたしを覚えてないの? 舞冬。あたしと102回も序列仕合をしたでしょ? あんな事、忘れようとしても忘れられないわよ?」
「……序列……仕合」
参は顔を歪めた。
「思い出した?」
「知らない。私は生まれた時から蒼にいた。君なんかに会った事はない! そんな事より、何故隣の女は泣いている」
参はまりかを指さして言った。
「ま、舞冬……あの……私……」
まりかは震える声で参に呼び掛けた。自分が殺した相手が生きていた。そんな状況でまりかは響音以上に動揺しているようだ。
まりかが舞冬を殺したという話は帝都軍の久壽居から聞いた。まりかはかつて割天風が青幻と結託して生徒達を欺いていた頃、割天風の側近として動き、学園の秘密を嗅ぎ回っていた舞冬を殺したのだという。その話を聞いた時、まりかがそんな事をする筈はないと思った。しかし、響音がまりかと合流してから、実は舞冬だけではなく、序列20位の周防水音も殺したのだとまりかは自ら響音に告白した。まりかはとても反省しており、その話をする時は今まで見た事もない程悲しい顔をして消沈していた。殺したのは事実。一時の感情と割天風の命令で学園の仲間を2人も殺めた事、それがどれ程間違った事かを澄川カンナ達に身をもって教えられたらしい。そしてまりかは、学園を去るに至った。周防水音の遺体は学園に埋葬されたが、舞冬の遺体だけは海に落ちてしまいその後発見されなかったという。
故に響音は目の前の女が舞冬であると確信している。誰もがまりかに殺されたと思っていたが、実は死んでおらず蒼に行き着いた。もしかしたら記憶を失っていて青幻に唆され従っているのかもしれない。
「舞冬……私の事も覚えてないの? それとも忘れたフリ?」
まりかは涙を拭って言った。
「どうやら人違いをしているようだな。君たちは」
しかし、参は突如胸の辺りを押さえてふらついた。
「ど、どうした? 参」
響音達の様子を窺っていた趙景栄がすかさず声を掛ける。
「分からない。突然、胸の辺りが痛み出した」
「馬香蘭の攻撃が効いてるのか?」
「違う。馬香蘭の攻撃は摘指で治療が完了している。大丈夫だ。趙景栄、問題ない」
参は呼吸を整えるのとまた響音とまりかを見た。
「いい? 私は参。マフユではない。私は青幻陛下によって生み出された。私に過去などない。だから君たちの事も知らない。ここで全員倒す。それだけだ」
性格は確かに舞冬ではない。まったくの別人。しかし、外見は確かに舞冬なのだ。
「まりか、きっと舞冬はあなたに殺された時に死んでいなかった。海に落ち、記憶を失い流れ着いた先で青幻に拾われてしまった。そう言う事じゃないかしら?」
「そ、そうかもしれないですね。間違いなく、この女は舞冬ですもんね」
「あたしは舞冬を捕まえて記憶を取り戻させる。このまま青幻のもとに置いておくわけにはいかない。協力してくれる? まりか」
響音の要請にまりかはすぐに返事をしなかった。
「まりか……」
「ご、ごめんなさい。あの子は確かに記憶をなくしてるみたいだけど、もし記憶が戻ったら……私の事……」
まりかは響音と目を合わせず俯いたまま言った。
すると、趙景栄が笑い始めた。
「なるほど、なるほどな! 理解したぞ。これは面白い。お前達は参のかつての仲間。そして参になる前のこの女を殺したんだな? そうかそうか、なら久しぶりの再開でさぞ驚いた事だろう。だが、安心しろ。参は過去の記憶を取り戻す事はない。我が師、周承先生によりまったく新しく生まれ変わったのだ。お前達の知る柊舞冬とかいう女はもういない」
「生まれ変わった? どういう事よ」
響音は趙景栄を睨んだ。
「ふん、そこまで教えてやる義理はない。それよりも、かつての仲間だった参をお前達は攻撃出来るのか? あん??」
不敵な笑みを浮かべながら趙景栄は言った。どうやら響音が情に流されて攻撃出来ないと思っているようだ。
「残念だけどね、あたしのいた学園は仲間だろうが全力で闘わせられた場所よ。それに、あたしと舞冬は102回も序列仕合をしてきた仲なのよ。さあ舞冬。あ、今は参なんだっけ? あたしと勝負しましょ? あたしと闘えば、きっと記憶も戻るわよ」
響音は馬香蘭をまりかに預けると、左手で腰の柳葉刀を引き抜きながら得意気に言った。
「ま、まりかちゃん、響音ちゃん1人で大丈夫かな? 参ちゃんかなり強いよ?」
「大丈夫よ。あれが舞冬なら、響音さんは絶対負けない。だって響音さんは舞冬と102回の序列仕合をして来たけど、一度も負けた事がないんだもん」
まりかの言う通り、響音の舞冬との序列仕合の戦績は102戦102勝。もちろん、舞冬が得意武器、方天戟を使っての仕合での話だ。響音はいつも神速を最大限に使い、全力で闘っていた為舞冬の攻撃を受ける事なく完勝してきた。
「102戦……102勝……?」
まりかの説明を聞いていた趙景栄の顔が青ざめるのが見えた。
「ふん、所詮は昔の話。今の参は蒼国で陛下を除いて3本の指に入る武人。負ける事はない! やれ! 参!!」
趙景栄が参に命令すると参は方天戟を振り回し始めた。
「103戦目の始まりね。まりか、闘わないならあの趙景栄とかいう男をとっ捕まえといて。後で色々聞きたい事があるから」
「は、はい」
まりかは馬香蘭を後方に避難させると、両腰の刀を抜き趙景栄のもとへ迫った。
「ま、待ってくれよ。俺は非戦闘員だ。丸腰の俺にそんな物騒な物を」
「うるさいわねごちゃごちゃと。殺しはしないわよ。大人しく捕まれば、怪我もしなくて済むけど?」
まりかはゆっくりと1歩ずつ趙景栄に迫って行った。
その時だった。
突然、響音の目の前の参が趙景栄のもとへ走り出した。
響音はすかさず参の目の前に立ち塞がる。
「あんたの相手はあたしでしょ。舞冬」
「私の名は参だ!!」
参は叫びならが方天戟を振った。
響音が逆手で握った柳葉刀でその1振りを受ける。だが、想像以上の力に片手の響音はいとも簡単に後方に吹き飛ばされた。
「何て力!? 当時の比じゃないわね」
響音は地面を転がりながらも受身を取り体勢を立て直した。
しかし、参は既に趙景栄の前に立ちまりかに方天戟を向けていた。
「趙景栄。邪魔だ。お前は少し離れていろ」
参の指示に趙景栄は素直に従い、馬で木々の間へと逃げて行った。
「……舞冬」
まりかは参を前にして1歩下がった。
「マフユマフユと鬱陶しい。私はマフユではない!」
叫んだ参だったが、その直後また胸を押さえて苦しみ出した。
響音はまりかのもとに駆け寄り、参の様子を窺った。
「き、君を見ていると……古傷が疼く……」
参はまたまりかを見たが、今度は頭を抱えてより苦しみ出した。そして、参は自ら着ていた黒い光沢のあるキャットスーツのファスナーを胸の辺りから下ろし、その下着を着けていない身体を露にした。そこには胸から下腹部までの大きな2本の刀傷が消える事なくくっきりと残っていた。
その傷を見たまりかはまた1歩後退りをした。
「私はね、畦地まりか。君に会うのは初めてな筈だが、この傷は君に反応しているようだ。私が生まれた時からあった忌まわしき傷。この傷が、君を殺せと私に命じている……教えてくれない? どうして君の存在がこの傷を疼かせているのか」
参の目はまりかを射殺すように鋭く睨み付けていた。それに気圧されながら、まりかは僅かに後退している。
「ご、ごめんなさい、舞冬。あの頃の私は頭がおかしかったの。自分の力に溺れ、気に入らないものは殺してもいいと思っていた。だから……あなたを」
「殺したとでも言うのか? 笑わせるなよ。私は死んでいない。今こうして生きている。だが、この傷を付けたのは君で間違いないようだな、畦地まりか。いつどこで君が私にこんな傷を付けたのか知らないが、君を殺せばこの痛みも消えるだろうか」
参は言い終わらぬうちに刀を下ろしていたまりかに方天戟を振り上げて突っ込んだ。
咄嗟にまりかと参の間に響音が割り込み柳葉刀で方天戟を防ぐ。しかし、また方天戟の柄で押し返され、その隙に参はまりかへと前蹴りを食らわせた。
まりかは何故か防御も取らずに参の前蹴りを胸に受け、地面を数メートルも転がって行った。
「まりかちゃん!」
倒れたまりかに馬香蘭が駆け寄り介抱する。
「手応えのない女」
参は吐き捨てるように呟きながら蹴り飛ばしたまりかのもとへ近づいて行く。
響音は息を吐いた。そして、両脚に意識を向けると、一瞬にして参の懐へと潜り込み柳葉刀を持つ左手を地面に付き、それを軸に右脚で参の鳩尾へと蹴りを入れた。
柔らかい感触。確かな手応え。
参の身体は響音の蹴りの直撃を受け、滝壺から流れていく小さな川に突っ込んだ。
「まりか、あんた何で避けないのよ! あんな攻撃、その気になれば神眼を使わなくても避けられた筈よ」
響音の言葉に、馬香蘭に支えられながら起き上がったまりかは答えた。
「私はあの子に殺されなきゃいけない。あの子が私を殺したいと思っているって知って、そうしなければならないって思ったの」
「馬鹿じゃないの!?」
まりかの弱々しい理屈に響音は喝を入れた。
まりかも馬香蘭も響音の一喝に身体をビクッと震わせた。
「確かにあんたのした事は許されない事よ。でもね、今の舞冬は記憶をなくしてる。身体は舞冬でも中身は別人よ。そんな奴にあんたに復讐させて何になるの? 本当の舞冬ならあんたに復讐なんかしない。嘘だと思うなら参を倒して舞冬を呼び戻しなさいよ! 舞冬がああなってしまったのは少なからずあんたのせいなんだからね、まりか。舞冬を元に戻すのもあんたの仕事よ!」
響音の言葉を聞いたまりかは前髪を払って前へ出た。
「ごめんなさい、響音さん。目が覚めたわ。私はここで死ぬわけにはいかない。私は響音さんと共に黄龍心機を青幻から取り戻す為にここにいる。そして、私のせいで記憶を失い青幻に操られている舞冬を助け出す!」
まりかは2本の刀を前へ出した。『榊樹二刀流』の構えだ。
まりかの顔付きは今まで見た事のないくらいに真剣で、もう迷いはなさそうだった。
参は既に川から上がり、両手で鳩尾に指を押し当てる仕草をすると、長い茶色の髪に染み込んだ水を絞っていた。
「まりか、神眼は使わなくていいわよ。あたしが舞冬の動きを止める。そしたら」
響音が言い終わらないうちに、まりかは響音の隣に走り何も無いところで刀を振った。
響音の目にも、僅かにまりかが刀で斬った物が見えた。針のような細いもの。一瞬朝日に反射してまりかの足下に落ちた。
まりかの瞳は蒼い輝きを放っていた。
「まりか?」
「白衣の男、吹き矢を使うみたいですね。毒針。恐らくこれで私達の動きを鈍らせるつもりだったんでしょう。影からこそこそと攻撃してくるクズ野郎も私の神眼ならお見通し」
まりかは趙景栄の隠れた方角へ刀を向けて言った。
「助かったわ、まりか。でも、神眼を使い過ぎたら」
「いいんですよ。私は舞冬を助ける為に全力を尽くします。大丈夫、仙人に言われた通り、限界を感じたら使うのをやめます」
まりかは響音にウインクした。
「分かったわ」
「趙景栄め、余計な事をして……お話は終わった? 多綺響音、畦地まりか」
参がそう言った時には、既に響音は参の背後に回っており、響音は柳葉刀を振り下ろした。
しかし、その攻撃は参が方天戟を背中側に回しただけで防がれた。参はまだこちらへ振り返ってもいない。
咄嗟に響音は参から距離を取った。
「驚いた。やはり目では追えない」
「目では?」
響音は首を傾げた。
「響音ちゃん! 参ちゃんは匂いで私達を認識してるみたい! 匂いが動けばその方向へ反応するの!」
馬香蘭が言った。
「匂い? そっか、舞冬だもんね。でも、まさか戦闘に使える程嗅覚が発達してるなんて」
「響音さん、確かに舞冬は、響音さんの姿が消えた瞬間に視線が響音さんの動いた方向に動いていたわ。あんまり笑えないかも」
どうやらまりかは、神眼で響音が攻撃をする時の参の挙動を観察していたようで、馬香蘭の匂いでこちらを認識するという事の裏付けを取ってくれた。
だが、参は響音の攻撃を匂いを追って防げたのは今の一度だけである。しかも、その一度さえもギリギリの反応だった。
響音の神速の必殺技である「神歩・百連魁」ならば普通の人間である以上回避は絶対に不可能である。これで参を無力化する。
「まりか、あんたはさっきの白衣の男が邪魔してこないように見張ってて。それと、ちょっと離れてなさい」
「あ、分かりました」
まりかは響音が姿勢を低くして構えたので全てを察して、趙景栄の位置を神眼で確認しながら木々の間に身を潜めた。
参は既に方天戟を構えている。
「行くわよ、舞冬。『神歩・百連魁』」
響音は口上と共に消え、参の右下に現れ柳葉刀を振り上げた。
刀と戟のぶつかる音。
やはり、初撃は先程と同様に反応され方天戟で防がれた。
しかし、百連魁の真骨頂はここからだ。四方八方から30秒間に百回もの斬撃を与える。今までこれで仕留められなかったのは神眼を使ったまりかと澄川カンナの2人だけである。
だが、参の身体を柳葉刀の峰で6回程叩いた時、突然、参は方天戟を自らの周りに球体を描くかのように振り回し始め、響音の柳葉刀を方天戟の半月状の刃で絡め取り、バランスを崩した響音はそのまま地面に叩き付けられた。
「響音さん!!」
まりかと馬香蘭の声が聴こえた。
参は響音の左肩を踏み付けた。柳葉刀を持った左手が動かせない。
「捕まえたぞ。多綺響音。いやー、危なかった。君が峰打ちじゃなく本気で斬り掛かっていたら私は死んでいたかもしれない。でも、手加減するなんて馬鹿にされた気分だ」
そして響音に馬乗りになると右手には方天戟を持ったまま左手で首を締め付け、響音の首筋の匂いを嗅いだ。
すると、参は何かに気付いたような表情をした。
「この……匂い……知ってる……何故……?」
参は初めて動揺した表情を見せた。しかし、響音の首を絞める手は緩まない。
「知ってるに決まってるじゃない。あんたはあたしと102回も仕合した戦友なんだから」
参は直接響音の匂いを嗅いだ事でもしかしたら記憶を取り戻しつつあるのかもしれない。
「違う! 私は君なんか知らない!」
「あんたがあたしの百連魁を破れたのはあたしの技を知っていたからよ。舞冬。目を覚ましなさい!」
「黙れ!!!」
参は感情を顕にして叫んだ。