第103話~浪臥村の損害~
西の港へ向かう途中、300人程の蒼兵が村の南側に幕舎を建設し始めているのを発見した。
海崎は建物の陰に隠れながら矢継、そして十朱と共に蒼兵の様子を窺った。
「既にここにこれだけの人数が集まっているという事は、港の戦闘は終わっているのかもしれないな」
「どうします? 海崎さん」
「念の為に港を見てこよう。まだ誰かいるかもしれん。こいつらが幕舎を設営しているという事は、すぐには動かんという事だ。港を捜索したらすぐにここに戻って来よう」
海崎は矢継と十朱を連れてまた静かに西の港へ馬を駆けさせた。
港に着くと、そこには凄惨な光景が広がっていた。
自警団が30人は倒れているだろうか。この港で戦った自警団は全滅したようだ。
矢継と十朱は地面に倒れている死体の間を馬で歩きながらまだ息がある者はいないか捜している。
海崎も辺りを調べた。柚木がここに来た形跡はない。一体どうなったと言うのだ。澄川カンナは。篁光希は。何故いない。やはり先程蒼兵が群がっていた場所に連れて行かれたのだろうか。
沖には4艘の中型船が見える。きっとあれにもまだ兵が乗っているに違いない。カンナや光希はあの中型船に連れて行かれた可能性もある。
「あ! 海崎さん! 矢継さん! 篁さんが!!」
十朱の声のする方へ海崎と矢継は駆け付けた。
見るとそこには壊れた長椅子に突っ込んだ形で篁光希が倒れていた。
十朱が馬から下りて光希の口元に耳を向けていた。
「大丈夫です! 呼吸はあります。気を失ってるだけかと」
海崎と矢継はお互い顔を見合わせて頷いた。
すると十朱は手際良く光希の身体のあちこちを触ったり、瞼を指で開いてサイドバックから取り出した小さなペンライトの光で瞳孔の状態などを確認し始めた。
「十朱、お前診察出来るのか?」
海崎が聞くと十朱は頷いた。
「小牧さん仕込みの簡単なものですがね」
「そうか。で、様態は?」
「身体の骨は折れてません。全身の打撲と長椅子に激突した際の皮膚の裂傷。顔への打撃が酷いですね。残念ながら鼻は折れてます。首も捻っちゃってるかなぁ……。今は脳震盪を起こして気を失ってるようです。一刻も早く手当が必要です」
十朱の的確な診察に海崎は感心したが、矢継は黙って頷いているだけだった。
「分かった。十朱。お前は篁を連れて村の医者を捜して診せろ。俺達は澄川を捜す」
「了解しました!」
十朱は光希のベルトと自分のベルトを向かい合うようにカラビナで固定すると抱き抱え、馬を伏せさせ難なく騎乗した。
「大丈夫か? 落とすなよ?」
「大丈夫ですよ! こうやって俺が抱き締めてますんで!」
十朱は光希が気を失ってるのをいい事にこれでもかと言わんばかりに抱き締めて見せた。
「お前、篁が目を覚ましたらぶち殺されるぞ」
矢継の怒りの篭った忠告にも動じず、不謹慎にも嬉しそうに光希を抱えたまま馬で駆け去った。
「あいつに任せて大丈夫か? 矢継」
「ま、まあ、分別はつく男だと思いますので……気持ち悪いですが大丈夫かと」
矢継は自信なさそうに答えた。
────もし十朱が2人目の内通者だったとしたら────
そう考えたが、十朱ではなく、矢継に任せたところでこの不安は拭えない。海崎自身が光希を連れて学園まで戻る事が一番安心なのだが、それをしている時間はない。
今は十朱に託すしかないのだ。
海崎と矢継は念入りに生き残りを捜したが自警団副隊長の日照を含めて転がっていたのは死体だけだった。
沖に停泊中の中型船に今のところ動きはない。
海崎と矢継は西の港を後にし、浪臥村南部の敵の本営に向かった。
夜明けが近付いている。
そんな頃、ようやく学園からの部隊は浪臥村に到着した。
山道からの浪臥村に入ったところに、大規模な村人達の避難区域がある。
浪臥村の人口はおよそ千人。それだけの人々が集まっているのだろう、区域内の簡易営舎などはどこも満杯で身動きを取るのも一苦労といった様子だ。
丁度その時、避難区域の木製の門から自警団隊長の酒匂が自警団の隊員十数名と大勢の村人を連れて出て来た。
つかさの前にいた南雲が酒匂のもとに近付いて行った。
「酒匂隊長。村人達を学園へ避難させるのか?」
「ええ、先程海崎さんに会ってそう言われました。もとより、この区域に千人は多過ぎる。それにしても、あなた達が来てくれてほっとしました」
酒匂は少し笑顔になったが、またすぐ神妙な顔で今の浪臥村の状況を南雲以下学園の部隊に説明してくれた。
「神髪瞬花が……? 敵に?」
南雲の驚きは当然。学園の全員がそれを聞いてどよめいた。
「とにかく、俺は村人を半分ずつ連れて学園へ避難させます。残りの村人達の護衛に30名残しますので、あなた達もここの守備に手を貸してください」
「分かった。気を付けろよ」
「はい、村人達を学園へ届けたらまたすぐに戻って来ます。あ、それと、救護班のテントに学園の震という仮面の男がいますので詳しい話は彼から聞いてください」
酒匂が馬を出そうとしたのでつかさは呼び止めた。
「あ、あの村に来ていた生徒達はこの中にはいないんですか?」
「中にはいない。澄川と篁、そして和流と水無瀬がまだ見つかっていない。海崎さんと村当番の2人は柚木が向かったという西の港へ行方不明の生徒達の捜索に行っている」
「そんな……行方不明!?」
つかさが頭を抱えると南雲が馬を寄せて来た。
「斉宮、取り乱すなよ。焦っても結果は良い方向には向かわん。まずは我々も捜索に協力しよう」
南雲はつかさを冷静に諭すと、酒匂を学園へ出発させ、斑鳩に指示を出し始めた。
カンナ、光希、和流、蒼衣。村に出掛けた4人全員が行方不明。カンナは柚木に捕まってしまったのか。他の皆は蒼兵との戦闘でやられてしまったのか。
つかさは唇を噛み締め豪天棒を握り締めた。
ふと村の方を見ると、何かが動いたのが見えた。
目を凝らして暗闇を見ると、動く何かが人だということが分かった。
それはゆっくりとこちらへ近付いて来ているように見える。
「馮景?」
つかさは駆け出していた。こちらに向かって歩いて来るのは和流馮景。槍を杖にしてフラフラとしながら歩いていた。
つかさは和流の近くまで駆け寄ると翡翠から飛び降り和流の前に降り立った。
「馮景!」
「つか……さ……良かった……ゴール……かな」
和流はつかさを見て微笑みを浮かべたかと思うと、一気に脱力してつかさの豊満な胸に顔から倒れた。
「え!? ちょっと!? や……え……っと」
突然、胸に和流の顔が触れた事に恐怖を感じた。過去の男達から受けた凄惨な凌辱。それが一瞬にして頭に甦り背筋が凍り付いた。つかさの腕は和流を押しのけようとしてしたが、和流が完全に意識を失ってもたれ掛かっているだけだと理解すると震える手でそっと抱き締めてやった。
「馮景……! しっかりして! ねえ! 返事をしなさいよ!!」
つかさは和流を支えたまま声を掛けたが反応はない。背中に矢が1本刺さっている。つかさの胸の谷間には和流の口から滴る血がトロトロと流れ落ちていった。
つかさはゆっくりと和流を座らせるとそのまま涙を流し和流を抱き締めた。和流の顔はつかさの顔の横にあるが何も喋らない。こうして男を自分から抱き締めたのは兄以外だと初めての経験だ。
「そんな……馮景……」
「つかさ……」
「え!?」
死んでしまったと思った和流から小さな声が聴こえた。
「苦しいって……お前……力……強過ぎ……」
「もう! 馬鹿!」
つかさは息を吹き返した和流を抱き締めていた腕から少しだけ力を抜いた。
意識があると分かっても、何故かつかさは和流を放さなかった。
そして後ろから担架を持った仲村渠と摂津が声を掛けてきた。
2人に担架で運ばれる横をつかさはずっと付き添った。
担架の上の和流は薄らと瞼を明け、弱々しい視線でずっとつかさを見ていた。
空が明るみ始めた頃、避難区域に十朱が光希を抱えて飛び込んで来た。
十朱は救護班のいる幕舎の前で馬を止め槍を地面に突き刺すと、光希を抱えたまま馬から下りテントの中に入って来た。生徒達は口々に気遣いの言葉を投げ掛けていたが、どうやら十朱は無傷なようで、いつも通りのヘラヘラとした態度で答えていた。
「いやー良かった! 皆来てたんですね! あーその前に、ここに医者はいますか? 篁さんの手当をお願いしたいんですけど」
十朱は光希を空いていた布団の上に下ろすと、ベルトのカラビナを外した。
すぐに医者が来て光希の様態を診始めると、十朱が何やら光希の様態について医者に説明していた。
十朱は医学の心得がある。だが、実際つかさは十朱が医者と専門的な話をしているところを見るのは初めてだった。
「十朱君、光希ちゃんの具合は?」
つかさは座っていたパイプ椅子から立ち上がると十朱の隣に立ち、医者の手当を受ける光希を見た。
「はい、外傷は酷いですが骨は鼻以外は無事です。内蔵も問題ない。今は気を失ってるだけのようですよ」
「そっか……。なら良かった。……それで、カンナ達は?」
「西の港で見付けたのは篁さんだけでした。今海崎さんと矢継さんが村の南の敵陣を調査に向かっている筈です。澄川さん達がいるとしたらそこではないかと」
「じゃあ……やっぱりカンナも柚木師範に捕まったんだね」
つかさが言うと何も言わず十朱は俯いた。
「まだ沖に停泊中の大型船も中型船も動いていないらしいが、いつ澄川カンナ達を乗せてこの島を出るか分からない。俺の怪我はもう大丈夫だ。すぐに正確な情報を集めてくる」
部屋の隅で武器の手入れをしていた八門衆の震がつかさの隣に来て言った。仮面は左目部分が欠けていて、そこから震の目が見える。震は後ろから右肩を射抜かれていたらしく出血も酷く重症だったと言う。
「いや、駄目ですよ。あなたも怪我人なんですから。敵には神髪瞬花もいるんですよ?」
「確かに、まだ戦闘は厳しいが諜報活動なら出来る。俺の役目は学園を守る事だ。お前達が止めても俺は行く。安心しろ、ちゃんと情報を手に入れたら戻って来る」
もうつかさが何を言っても止められない。南雲や斑鳩はそれを知っているのか最初から止めようともせず、ただつかさと震のやり取りを見ているだけだった。
「あなたも……学園の仲間なんですから必ず生きて帰って来てください」
つかさの言葉に震は返事はせずに背を向けると、幕舎から出て行った。
つかさは肩を落としまたパイプ椅子に座った。
「ところでつかささん。……その、胸のところ、血が付いてますけど、大丈夫ですか?」
つかさは胸を手で隠しキッと十朱を睨み付けた。
「これは……私の血じゃない。馮景の血」
「え!? 和流さんの!? 見つかったんですか??」
「馮景は背中に矢を受けながら1人でここに戻って来たの。矢は肺にまで届く深手で今別の建物の中で手術が行われてる。この血は、馮景が私の目の前で倒れたから受け止めた時に付いたやつだね」
つかさが言うとすぐに綾星が濡れたハンカチを持って来て胸元の血を拭ってくれた。
「そ、そうか、和流さんそんな重症を……」
「大丈夫ですよ〜和流さんは助かります〜! だってつかささんに抱き締めてもらった唯一の男ですよ? あそこまでしてもらって死んだら私が許しません〜」
綾星はつかさの胸の血を拭いながら笑顔で言った。だが、つかさには分かった。綾星のその笑顔が作りものである事が。
「敵に神髪瞬花さえいなければ高々300程度の相手を蹴散らす事など容易いというのにな」
つかさと同じくパイプ椅子に座っている南雲が腕を組んで言った。
いつの間にか学園の生徒達は南雲の周りに集まっていた。皆どうしたらいいのか分からず、南雲の指示を待っているのだ。
「神髪瞬花をこちらに引き込む事は出来ないでしょうか、南雲師範」
斑鳩が言った。
「無理だろうな。奴は強者との戦闘にしか興味を示さぬ。こちらに寝返ったところで、奴から見る強者がこの島に来ている蒼兵の中にはいないだろう。つまりメリットがない」
「そうか、学園を相手にするという事は、師範達や総帥のような強者と闘える。神髪瞬花の目的はそこですね?」
つかさが言うと、南雲は眉間に皺を寄せてうーむと唸った。
「いや、それも腑に落ちない。神髪瞬花にとって我々師範は総帥も含めて格下も格下。奴を満足させられる相手ではない。唯一この学園で奴を満足させられるのは今は亡き割天風先生だけだった。だから先生亡き今、この島に神髪瞬花が出向いて来た理由が分からん」
南雲が語る神髪瞬花の実力に生徒達は絶句した。予想はしていたが、やはり今の学園の誰もが神髪瞬花に勝てないのだ。そんな相手が敵として学園を攻めて来た。
「だが、神髪瞬花は弱者とは戦いもせん。奴の目にすら入らん。それが何故青幻に従っているのか……。それを調べる事が今回の戦いを勝利に導く鍵になるやもしれん」
南雲は何か策を思い付いたようにニヤリと笑い、斑鳩とつかさに目配せした。
龍蒼決戦の章《序》~完~