第102話~敗走、照らす紅い月~
斑鳩率いる体特生6名と、南雲率いる槍特生6名がそれぞれ1列に並走して浪臥村への山道を駆け下りていた。
鏡子率いる弓特生7名は、途中の木々の間に埋伏し万が一の時の為に備え待機している。
残る剣特生9名は、大甕と奈南と共に重黒木統括の下本陣である学園を守備している。
学園から浪臥村までは馬で2時間。下りなので幾らか早く着くだろう。
つかさは豪天棒を握り締めながら南雲の後を黙って駆けていた。
カンナが連れ去られるのは2度目。1度目は蒼国幹部の程突に。そして今回は、味方である筈の体特師範・柚木が裏切ってカンナを連れて行くと言った。カンナへの心配はもちろんだが、柚木への怒りは既に爆発しており、つかさの中で怒りは憎しみへと変貌していた。
絶対に助け出す。そして、柚木を捕らえる。
つかさは豪天棒をぎゅっと握り締めた。
「いいか、魁、日比谷、水本。お前達はまだ村当番も未経験で実戦経験がない。俺の指示は絶対に守れ。もし、危ないと感じたら迷わず逃げろ」
「はい!」
斑鳩が下位序列の体特生3人に言うと、3人はしっかりとした返事を返した。
「斑鳩師範代。我々槍特は自警団の加勢をする。戦力としては槍騎兵である我らの方が軍隊と戦うのには向いている。お前達は澄川と後醍院の救出を頼む」
「了解しました。南雲師範」
「ちょ、ちょっと待ってください! 私もカンナの救出に向かわせてください」
つかさは思わず南雲と斑鳩の会話に割り込んだ。
「斉宮、気持ちは分かるが、今は気持ちを優先するべき時ではない。勝算のある行動を取るのだ。でなければ勝てるものも勝てん。それに、お前の破軍棒術があれば大勢を一気に片付けられる。そうすれば澄川カンナと後醍院茉里の救出もし易くなる。そうだろ?」
「……はい」
南雲の見解はまったくの正論だった。つかさはただそれを受け入れるしかなかった。
刀や槍を振り回す蒼兵達が左手首を鉄柵に繋がれて身動きの取れない和流のすぐ近くで自警団の連中と刃を交え始めた。
耳元で剣撃の音が響き、いつその刃がこちらを襲うのだろうとヒヤヒヤしながらも、何とか数メートル先の地面に突き刺さった槍を取ろうと手を伸ばし続けた。
しかし、あと数十センチが届かない。
もう蒼衣も王華鉄達と村の中へと姿を消してしまった。
「おい! 誰か! この手錠を壊してくれ! それかあの槍を取ってくれ!」
和流の声も戦場の喊声に掻き消されてしまい誰にも届かない。
と、その時、1人の蒼兵が和流に気付き刀を持ったまま近付いて来た。
「なんだコイツ、誰も助けてやんねーんだ。不憫だな。一思いに殺してやるよ」
蒼兵は刀を振り上げ躊躇うことなく和流に振り下ろした。和流は鉄柵を飛び越え攻撃を躱すと、また鉄柵を飛び越える勢いで蒼兵の顔面に蹴りを見舞った。
普通ならそれで倒せるのだが、鍛え抜かれた蒼兵は多少よろめいただけで倒れもせず、鼻を抑えながらまた刀を振り回した。
「くそっ! 勘弁してくれよ! おい! 誰かマジで槍を取ってくれ! 殺される」
やはり和流の声は味方に届かない。
蒼兵も刀を振り回しながら巧みに蹴りを放ってくる。何度か躱したが、回避範囲が狭過ぎる為いつまでも避け切れない。かと言って、刀を素手で受けられる程和流は体術は出来ない。
そしてついに、和流の腹に蒼兵の後ろ蹴りがめり込んだ。
腹を抑え振らついているところにもう1発蹴り。さらにまた回し蹴り。
「死ね!」
蒼兵はまた刀を振り上げ和流に止めの一撃を放つ。
────死んだか
しかし、斬撃は来なかった。
見ると蒼兵は背後から刀で串刺しにされ口から血を流し白目を剥いて死んでいた。
「これで借りは返したぜ。和流馮景」
不敵な笑みを浮かべるガタイのいい長身の男は昼間浜辺で格闘を繰り広げた酔っ払い自警団井洞だった。
「あんた、謹慎中じゃ」
「こんな状況で謹慎なんてしてられるかよ。それより、ほら」
井洞は和流の槍を渡すと、左手を繋いでいる手錠の鎖を刀で叩き切った。
「満身創痍なところ悪いが、加勢してくれよ」
ニコリと微笑んだ井洞には昼間の粗暴なところは1つもなかった。
和流は辺りを見回した。同じく昼間浜辺で和流が倒した面々が果敢に蒼兵へと立ち向かっている。
「もちろん、一緒に戦いましょう!」
和流はすぐに周りの蒼兵へと槍を振った。
すると、和流の今までの苦労が嘘のようにあっという間に蒼兵数人が同時に倒れた。
この人数なら……
そう思った時、突然無数の矢が降ってきた。
小舟の辺りにまだ控えていた10人程の蒼兵が一斉に矢を放ったようだ。
その攻撃で一気に自警団の連中は倒れた。加勢に来てくれた井洞の仲間達はもう1人も立っていない。 井洞だけが刀で矢を払い落としながら必死に抵抗していた。
「くそっ!」
そして、また矢が和流達を襲う。
その度に自警団は徐々に減っていった。
「ダメだ、ここは退く! 退却!」
後方で戦っていた酒匂はそう叫ぶと角笛を吹き退却の合図をした。
「え!? 退却!?」
和流は蒼兵を1人突き殺しながら退却を開始した酒匂と自警団を見た。
しかし、井洞は仲間達の仇を取らんと刀を振りながら10人の弓兵に突っ込んで行った。良く見ると既に数本井洞の身体には矢が突き立っていた。
「井洞さん!」
和流が叫んだ時には時既に遅し。井洞の顔面に矢が突き立ち、そして次々と膝を突いた井洞の身体に無慈悲にも矢が射られた。
確認しなくても分かる。井洞は死んだ。
和流は歯を食いしばりながら槍を振り上げた。だが、視界に入ったのはまだ100人近くいる蒼兵。退却していく10騎程に減った自警団。
和流は振り上げた槍を下ろし、退却していく自警団を追った。
その後を執拗に蒼兵100人が刀や槍を持って追い掛けて来る。
自警団は馬だが和流は自らの脚で逃げなければならない。乗ってきた馬がどこにいるのかこの状況では分からない。
蒼兵は皆歩兵。しかし、逃げ切れるか。
すぐ後ろに槍兵が迫っている。
「邪魔だ!!」
雄叫びと共に和流の槍が蒼兵を3人打ち払った。
倒れた兵に躓き他の蒼兵がもたつく。
いつの間にか追ってくる兵は5人程に減っていた。
和流はまた前を向き走る。
しかし、突然背中に激痛が走った。
振り向いたが追って来ていた兵はもういない。遠くで弓を持ってこちらを見ているだけだ。
弓。和流は恐る恐る背中を触った。細い棒状のものが手に触れた。
そうか、矢を射られたのか。
口から血が流れていた。
追手。もうほとんど見えない程遠くにいる。矢も届かないだろう。どうやら巻いたようだ。
呼吸が荒い。息が苦しい。肺をやられたようだ。このまま走って一体どこへ行けばいいのか。
次第に和流の脚は思うように動かなくなってきた。
いつの間にか浪臥村の民家の近くまで逃げて来ていた。
和流はほとんど歩くような速さで建物の壁に手を掛けながら無意識に学園の方へと進んだ。
おもむろに、腰のサイドバックに手を伸ばし、小さな木の実を取り出し口に放り込んだ。
『生長刻の実』応急薬として使われる木の実である。
苦くて吐きそうだったが死ぬよりはマシだ。
和流は意識が朦朧とする中、建物の影に身を隠しつつ学園へ向かった。
村には人っ子一人いない。
カンナや光希、矢継や十朱も無事に退却しているだろうか。
そもそもどこへ退却したのだろうか。先に退却した自警団の姿も見当たらない。
和流は口と背中から血を流しながらゆっくりと学園への山道を目指した。
柚木を追っていた八門衆からの連絡がない。
これでは柚木の居場所が分からない。
浪臥村には3方向から青幻の水軍が襲撃して来ている。そこに合流されたら分が悪い。
海崎は真っ暗闇の山道を馬で駆け下りながら最悪の事態も視野にいれていた。
学園の侵略。これは戦争である。
敵の正確な兵力は分からないが、柚木が裏切ると同時に進行を開始したという事は、前々から計画されていた事なのだろう。兵力は浪臥村の自警団はもちろん、学園の兵力をも想定に入れた数を導入して来ている可能性が高い。
だとしても、八門衆は4人いる。その内の1人が戻って来て柚木の動向や敵兵力の状況を報せに来てもおかしくはない。
それが来ない。
もう海崎が学園を出て1時間半くらいにはなるだろう。浪臥村はもう目と鼻の先である。
と、その時、微かに自警団の退却を報せる角笛の音が聴こえた。
自警団が蒼兵に敗退したのだ。
退却の指示を出したという事は、押されてはいるが自警団はまだ生き残っているという事だ。学園の生徒達も無事だろうか。
海崎は山道をようやく抜け、そのまま村の中央へと駆けた。
すると、八門衆の男が1人肩を押さえながら小走りで走って来るのが見えた。
「震か!」
海崎は馬を下り、震に駆け寄り肩を貸した。
白い仮面が左目部分だけ欠けており、そこから露わになっている目で海崎を見詰めてきた。
「海崎さん……申し訳ございません……」
震は膝から崩れ落ちながら息も絶え絶えに言った。
「大丈夫か? 何があった? 柚木にやられたのか?」
震は首を振った。
「柚木には逃げられました。我々が後醍院茉里を連れた柚木を尾行していると、柚木は敵の指揮官・劉雀の副官・王華鉄という男と合流。村の中で馬を下り、後醍院茉里を王華鉄に引渡すと西の港へと向かいました。我々は1人になった柚木を追跡する班と、王華鉄を始末し後醍院茉里を救出する班に分かれました。……ですが、その時、1人の女が突然……我々を襲撃して来たのです。我々は手も足も出ず……」
「女が? 1人で? 八門衆のお前達をか? それは」
海崎は一瞬でその女が誰なのか検討がついてしまった。
八門衆4人を倒す程の女など1人しかいない。
「神髪瞬花です……」
海崎の予想は的中した。神髪瞬花。蒼国に亡命したとは聞いていたが、まさかこんなに早く学園の攻略に投入してくるとは思わなかった。
「他の八門衆はどうした? 死んだのか?」
「分かりません。何せ全てが一瞬でしたので、私も情報を持ち帰る為にそこから逃げるのに必死でした。王華鉄も神髪瞬花も、ここから南に1キロ程のところにいます」
「分かった。敵の指揮官は劉雀。副官に王華鉄。そして、戦闘に神髪瞬花も投入してきている。所在はここから南1km。後醍院茉里は王華鉄のもとにおり、柚木は1人で西の港へ向かった。震、お前の持ち帰った情報は役に立った」
海崎が言うと、震は僅かに頷いた。
すると、また前方から自警団が馬で駆けて来た。
「ん? あ! 学園の海崎さん!」
「酒匂隊長か、退却の角笛が聴こえたが戦況は?」
自警団を十数人程引き連れて来た隊長の酒匂が海崎を見て馬を止めた。顔や身体は血塗れである。
「劉雀の水軍が各港に約100ずつ、計300が上陸。全て歩兵。村の南側は各港を突破した歩兵が集結して奪われました。指揮官は王華鉄という男です。沖にはまだ大型船と中型船が停泊中で残存戦力ありと思われます。劉雀もまだ船の中です」
「なるほど、生徒達は無事ですか?」
海崎が聞くと、ゾロゾロと退却して来た自警団の中に矢継と十朱の姿があるのに気付いた。
「海崎さん! 俺と十朱は無事です。すみません、あいつら強過ぎて抑えられませんでした」
矢継は頭を下げて言った。
「いや、お前達無事で良かった」
「俺のいた東の港には和流と水無瀬がいたが……」
酒匂は後方を見て和流と蒼衣の姿を探し始めた。しかし、少し待っても2人は現れず、酒匂は引き攣った顔で海崎を見た。
「和流の方は自警団の井洞達が助けに行ったのは見たんだ。だが……井洞達も就いて来ていないということは……」
「酒匂隊長。これはもう戦です。全員が助かるものではない。あなたは自警団を壊滅させずに撤退された。それだけで十分です。この後も自警団の戦力は必ず必要になります。それで、水無瀬の方は?」
酒匂はまた首を振った。そしてすぐに近くの2人の自警団の男に和流と蒼衣の捜索を命じた。
「ひとまず和流と水無瀬は今の2人に任せます。村人達は避難区域ですか?」
「ええ。村長含め、村人は皆そこへ避難させてあります。我々は一度そこへ撤退しようとしたところです」
避難区域は浪臥村北部の学園への山道の近くにある。敵の位置からもっとも離れた場所だ。
「なるほど。ですが、そこも危険です。敵には学園序列1位の神髪瞬花が就いているそうです。早めに村人達を学園まで避難させた方が良いかもしれません」
「何だって!? あの、神髪瞬花が敵方に? それは一体どういうことですか!?」
酒匂は瞬花の名を聞くと大声を出した。その様子に周りの自警団もざわつき始めた。
「今は説明している暇がありません。酒匂隊長。この震を手当してやってください。きっと役に立ちます」
海崎は震を酒匂に託した。
「わ、分かりました。とりあえず俺達は避難区域に向かい村人を学園まで避難させます」
「頼みます」
海崎が頷くと酒匂はさらに付け加えた。
「それと、西の港へ行った副隊長の日照達も戻って来ていないようです。もしかしたら西の方が東より不味い状況かもしれません」
酒匂は震を自分の馬の背に乗せながら難しい顔をして言った。
「分かりました。そちらも確認に行きます」
海崎がまた頷くと、酒匂は自警団を引き連れて北の避難区域に駆けて行った。
海崎の目の前には矢継と十朱が残っていた。
「どうした。お前達も自警団と共に村人達の避難を手伝え」
海崎が言うと2人は首を振った。
「俺達には学園の仲間の捜索を手伝わせてください。水無瀬は弓特の仲間です。もちろん、和流さんも澄川さんも篁も大切な仲間です」
「そうですよ! もしかしたら皆まだ戦い続けてて俺達の助けを待ってるかも」
矢継と十朱の目は真剣だった。何を言っても引き返さないだろう。
「分かった。だが神髪瞬花が敵にいる以上単独で行動するのは危険だ。俺と共に来い。和流と水無瀬は自警団が捜しに行っている。俺達はまず柚木が向かったという東の港へ行く」
海崎が言うと矢継と十朱はお互い顔を見合わせて眉をひそめた。
「柚木師範? あの、西に柚木師範が加勢に行ってくれたなら俺達は別の場所を捜した方が」
矢継が東を指さしながら言った。
「そうか、お前達は知らないのだな。内通者は柚木だ」
「え!?」
海崎の言葉に矢継も十朱も口を開けたまま固まってしまった。
「じゃ、じゃあヤバいんじゃ……西の港には澄川さんと篁がいます」
矢継の話を聞き海崎は馬に飛び乗った。
「急ぐぞ! 澄川が危ない!」
海崎は馬を疾駆させた。
それを見て矢継と十朱も慌てて就いて来る。
「柚木の狙いは後醍院茉里と澄川カンナを蒼へ連れて行くこと。後醍院はすでに捕まり、残るは澄川だけだ」
「え!? 後醍院さんが!?」
「で、でも、海崎さん、柚木師範は何故澄川さんが東の港にいると分かったんでしょう? 配置は矢継さんが決めたので、自警団と俺達だけしか知らない筈なのに」
十朱の疑問に海崎はすぐに恐ろしい仮説を思い付いてしまった。
────2人目の内通者────
それが自警団か浪臥村にいた生徒の中にいる。
「分からん。とにかく急ぐぞ。後醍院の救出は後から来る師範率いる学園の者達に任せる。我々はまだ連れ去られていない可能性のある澄川を柚木より先に見つけ出し救出する」
「はい!」
今は憶測でものを言う時ではない。
もしかしたら矢継と十朱のどちらかが2人目の内通者の可能性もある。
海崎の不安を助長するかのように、空の月は先程よりも濃い真紅に染まっていた。