第101話~学園島の危機~
柚木が内通者だった。
それは学園全体に衝撃を与えた。
浪臥村へと後醍院茉里を人質にして逃亡した柚木には、しっかりと5人の八門衆に後を追わせている。
海崎は重黒木の召集に従い学園関係者達と共に校舎前の掲示板のある広場にいた。
周りには何ヶ所かで松明の火が揺れている。
剣特、体特、槍特、弓特それぞれの生徒達、そして師範、師範代、医療班までの戦力と言える者達が一堂に会している。
「学園にいるべき者はこれで全員だな。あとは現在村当番の矢継玲我と十朱太史。そして、外出届けの出ていた、澄川カンナ、和流馮景、水無瀬蒼衣、篁光希は浪臥村にいる」
重黒木が状況を説明するように話し始めるとすぐに斑鳩爽と斉宮つかさが手を挙げた。
「総帥!」
「何だ。まだ話の途中だ」
重黒木が顔をしかめて言うと、斑鳩とつかさはお互いの顔を見た。そしてまた重黒木の顔を見た。
「俺と斉宮に村へ行く許可をください。柚木師範は澄川も連れ去ると言っていました。一刻も早く救出に行かなければ」
「慌てるな。分かっている。柚木の好きにはさせん。だから八門衆を向かわせた。奴らの腕なら柚木程度の男なら隙をついて始末してくれる。もちろん、後醍院も澄川も無事に連れ戻してくれるだろう」
重黒木はそう言ったが、斑鳩もつかさも納得していない様子でさらに何か言っていた。
海崎は何かが引っ掛かっていた。何かを見落としているような気がした。
そう考えている時、ふと、弓特の生徒達の間にしゃがみ込んで新居千里に背中を摩ってもらっている桜崎アリアの姿が目に入った。
「そうだ、桜崎! 先程、墓がどうのと言っていたな? あれは何の事だ?」
海崎が言うと、弓特生達は2つに別れるようにアリアと千里がいる場所を開けてくれた。
「あ、そうだ、お墓! あの、私、さっきお姉ちゃんのお墓参りに行ったら、影清さんと外園さんのお墓が掘り返されたような跡を見付けたんです」
「何だと!?」
アリアの衝撃の告白に、全員が声を出して驚いていた。
「昨日までは何ともなかったんですけど、今日行った時にはもうそのような状態で……。それで、昨日の夜、お墓参りしてた時に柚木師範と会った事を思い出したので何か知らないかと思って柚木師範を捜してたんですけど……」
「……なるほど。影清と外園伽灼の墓か……」
重黒木が顎髭を触りながら何か考えるように言った。
海崎にはその2人の生徒とは面識がない。
「不味いかもしれんな。その2人の共通点と言えば」
「まさか……神技!」
重黒木の話に真っ先に斑鳩が声を上げた。
そして、その斑鳩の声にまた場は騒然とした。
「そうか、神技か。しかし、墓を掘り返したところで神技を宿した2人の肉体は朽ちている。墓を暴いたのなら骨を持ち去ったんだろうが、今更骨を拾ってどうするつもりなんだ、青幻は」
馬上から南雲が言った。
「持ち去った……という事は、その遺骨から神技を取り出す事が出来るのかもしれんな」
重黒木が深刻そうな顔付きで唸った。重黒木のこんな顔を見るのは海崎は初めてだった。
噂に聞いていただけだが、神技を持った生徒がこの学園にはかつて数人いた。だが今、この学園で保有している神技は2つ。1つは弓特師範の美濃口鏡子の『神鏡』。これは、相手の心、記憶を読み取る技。そして、もう1つが序列1位の神髪瞬花の持つ神技だ。瞬花の神技の能力に関しては海崎は知らない。
「恐らく、DNAから神技を蘇らせる技術が青幻にはあるのかもしれません」
斑鳩が言った。
「万が一出来たとして、その能力者本人を蘇生さられるのか、或いは能力だけを別の者に付与出来るのか……どちらにせよ、敵に『神斬』と『神灼』の能力が渡ってしまうのは非常に厄介だ。益々柚木をこの島から出すわけにはいかないな」
「いえ、重黒木総帥。『神斬』が敵に渡る可能性は0です。影清さんは、外園の『神灼』によって灼かれ灰すらも残らなかった筈です。故に、影清さんの墓は空。まぁ、『神斬』が渡らないにせよ、『神灼』が渡ってしまうので厄介な事には変わりありませんが」
「そうだな、斑鳩。『神灼』は強力な炎を操る神技だ。青幻のような危険な男に渡すわけにはいかん。追撃の人数を増やすか」
重黒木が思案しているその時、広場の端の物見櫓の上から双眼鏡で浪臥村の様子を見ていた美濃口鏡子が大声を上げた。
「総帥! 浪臥村に敵襲! 東、南、西の3箇所が無数の小舟に襲撃されている模様!」
「何だと!?」
「現在、各港とも、自警団が交戦中……うちの生徒がいるのかは確認出来ません」
鏡子は双眼鏡を覗き込みながら状況を伝えた。
「青幻め、柚木を使い情報や生徒達を奪い去った時を狙い、この島を侵略するつもりか……」
「総帥、ご命令を」
海崎は怒りに満ちた表情の重黒木に指示を仰いだ。
「全員戦闘配備! 南雲師範、斑鳩師範代は槍特、体特を引き連れて浪臥村を脅かす賊どもの排除! 美濃口師範は弓特を率い、万が一の為に山道に埋伏。学園に攻めて来る敵を射殺せ! 大甕師範と四百苅師範代は剣特を指揮して学園の守備に当たれ!」
「はっ!」
全員がすぐに返事をして準備に取り掛かった。
「海崎。お前は柚木を追った八門衆と合流しろ。何としてでもこの島から出すな。いざとなったら殺すもやむなし」
重黒木は海崎の隣に来て小さな声で言った。
「承知致しました。総帥は?」
「俺はここで状況を見つつ指示を出す。青幻の最終目的は不要になった学園の排除だろう」
海崎は重黒木の目を見詰めると深く頭を下げ馬に飛び乗り学園を出た。
その後を槍特、体特、弓特の生徒達を連れた師範達も出動した。
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暗闇の中、急に海面のあちこちに明かりが灯り、その明かりはこちらに向かって近付いて来た。
水軍。にしては規模がかなり小さい。こちらに向かって来るのは小舟ばかりで、具足を付け武器を携えた男達が幾人も松明を掲げてやって来ている。
目を凝らすと沖に中型船が4艘停泊しているのが見えた。
カンナがその様子を窺っていると、南の港の方で鐘の音が聴こえた。
「え? 南にも? 光希、とりあえずこっちも鐘を鳴らして自警団に報せよう」
光希は頷くと港に備え付けられている見張り台に軽やかに上り、小さな鐘を打ち鳴らした。
カンナは目を閉じ、辺りに感知用の氣を放った。カンナは自らの氣を周囲に放つ事で、その氣に触れた者の氣を感知する事が出来る。索敵範囲は半径2キロメートルと広大だ。しかし、それでも浪臥村の一部しかカバー出来ない。今いる西の港からだと南の港ですらカンナの氣は届かない。今カンナが氣を放った目的は海上の敵の捕捉の為である。暗くて見えなくとも、氣の力ならば相手の数や強さまでがほぼ正確に分かる。
「100人か……。1人ずつがかなりの手練。見るからにお客さんじゃないし……自警団じゃ無理かも」
カンナが呟いていると、いつの間にか見張り台から下りてきていた光希が隣にいた。
「100人……雑魚ならカンナと私で十分ですけどね……」
「南にも敵襲みたいだし、多分向こうに見える明かり、こっちと同じ水軍が来てるんじゃない?」
カンナは南の海上に小さく見える明かりを指さして言った。
「じゃあ、どっちみち自警団は全員はこっちに来れないですね。東は大丈夫かな?」
「海賊……にしては静かで統率の取れた動きだし、多分青幻の軍なんだと思うけど、まさか帝都軍を突破してこの島に来たのかな?」
カンナが光希と共に徐々にこちらに近づいて来る小舟を注視ししていると、ようやく20騎程の自警団が集まって来た。
「澄川さんと篁さんだね? 俺は自警団副隊長の日照と申す。今、他の自警団とも連絡を取っているんだが、東も南も青幻の水軍が100人ずつ位攻めて来ているらしい。特に東に蒼国幹部の劉雀の本隊が上陸して劣勢のようだ。お陰でこちらには20しか避けなかった」
日照は槍を片手に馬上で馬を操りながら言った。
「やっぱり青幻の軍か。自警団は総勢100人。どうしたって人手が足りないですね。それに敵はかなり鍛え抜かれた精鋭だと思いますよ。学園に救援を要請しましょう」
カンナが提案しているその時、小舟が1艘岸に到着しバタンと音を立てて渡し板を下ろした。
その場の全員が身構える。
「こんばんは。上陸作戦は成功だな。俺は蒼国幹部劉雀様の配下、曹畢。まず聞いてやろう、降伏するかここで死ぬか」
曹畢と名乗った髭面の男は続々と接岸する小舟の兵達に手で合図を送ると、兵達は弓に矢を番え一斉に引き絞った。
「曹畢様、お待ちください。あそこにいる女、あれは澄川カンナです。間違いありません」
曹畢の隣にいた兵がカンナを指さして言った。
「馬鹿な。そんな筈はない。澄川カンナは既に学園の内通者が捕らえている筈だ」
「しかし、間違いありませんよ、あの黒髪に青いリボン」
「どういう事だ」
曹畢は顎髭を撫でながら兵達に弓を下ろすよう合図を出した。
カンナには曹畢が話している内容が理解出来ない。内通者が自分を捕らえている筈? 全く身に覚えのない話にカンナは首を傾げた。
「聞いていた話と違う。澄川カンナをこちらで捕らえていいのか? なあ、どう思うよ」
曹畢は隣の兵に意見を求めた。
カンナも自警団も様子がおかしい敵に困惑した。
────と、その時だった。不意に背後に気配を感じた。氣は感じなかったがこちらに急激に接近して来る 気配。カンナは咄嗟に振り返った。
「え!? 柚木師範!?」
背後にいたのは体特師範の柚木だった。
カンナの右手は柚木の左手を手刀で受け、カンナの左手は柚木の右手を掴んでいた。反射的に防御してしまっていた。
「澄川さん、助けに来ましたよ。いきなり攻撃なんて酷いじゃないですか」
柚木は相変わらずの細い目でニコニコと微笑んでいる。
しかし、カンナは柚木に言い知れぬ不信感を抱いていた。
光希は柚木の到着にほっと胸をなで下ろしている。
「師範……って事は、学園の援軍か! 早かったな、これで一安心だな。他に援軍は?」
日照も安心したように柚木に言った。
しかし、柚木はニコニコとしたままカンナを見詰めているだけで日照の方を見もしない。
カンナは柚木の右手を掴んだまま柚木の目を見詰めた。
「柚木師範、どうしてここに来るまで氣を消してたんですか?」
カンナの問いを聞いた柚木の顔からは、いつもの笑顔が徐々に消えていった。
今までに見たことのない柚木のまったくの無表情。カンナはこの瞬間に柚木が内通者だと悟った。
しかし、気付いた時にはもう遅かった。
柚木はカンナが掴んでいた右手を払い、左手の手刀も払われ、一瞬にして距離を取られた。
カンナが僅かにフラついた瞬間、柚木の2本の指がカンナの首の付け根を突いた。
「うっ……」
カンナが怯むと立て続けに身体中を指で突き続けてくる。防御が追い付かない。
その攻撃の最中、体術使いであるカンナは気付いていた。突かれているのは全てが何かの秘孔。9箇所。ただ、篝氣功掌に伝わる秘孔ではない。そう、これは────
「神髪正統流槍術・九階層氣流封殺」
力が抜けて倒れ込むカンナを支えながら耳元で囁いた。
「え!? ちょっと、柚木師範、何やってるんですか!? 何でカンナを!?」
事態が呑み込めない光希が真っ先に声を上げた。
日照率いる自警団はもちろん、曹畢率いる蒼国の兵達も、突然の柚木の凶行にお互い顔を見合わせて眉をひそめている。
「ああ、もしかして、お前が学園の内通者か?」
曹畢は閃いたように手を打って言った。
「そうです。ほら、ちゃんと澄川カンナを捕まえてますよ?」
柚木はまったくの別人のような凶悪な顔でカンナの右手を掴み、まるで自分の物かのように曹畢に見せ付けた。
「……そんな……柚木師範が」
光希の震える声が聴こえる。
「貴様が内通者かぁぁあ!!」
日照の叫び声が聴こえる。
「あーうるさいうるさい。喚かないでください。ほら、蒼国の方達も仕事してくださいよ。僕の仕事は終わったんですから」
柚木の傲慢で卑劣な声が聴こえる。
カンナは柚木に優しく抱かれながらその裏切り者の声に耐え難い怒りを覚えた。
「柚木師範……これで私を捕まえたつもりですか?」
カンナは柚木をキッと睨み付けると同時に柚木の手から抜け出し、果敢に柚木に手刀、掌打、蹴りの乱舞を浴びせた。
「良い攻撃です。さすが序列4位」
柚木はカンナの攻撃を的確に受けながら涼しい顔で言った。
カンナの攻撃を受ける、それは氣の力で筋肉の動きを阻害される事を受け入れた事になるのだが、柚木は平然とカンナの攻撃を捌き続けた。
柚木の動きはまるで変わらず、カンナの連打を楽しみながら捌いているようにさえ見えた。
その理由にカンナは気付いていた。
────氣が練れない。
「さっきの秘孔か」
カンナは柚木から距離を取った。
「気付きましたか。あなたを手に入れるには厄介な氣さえ封じればいい。単純な体術の実力ならば、僕の方が圧倒的に上ですからね。程突のようにヘマはしません。もちろん、手枷を付けて拘束もしません。僕という圧倒的強者の前にあなたは服従するしかないのですよ、澄川さん」
柚木はまたいつもの笑顔を見せながら雄弁に語った。
そうこうしているうちに、曹畢率いる水軍兵達がゾロゾロと上陸を始めた。
「待て! 侵略者共! 我らが領土を犯す者は何人たりとも打ち殺すぞ!」
「ははは、無謀な正義感程滑稽なものはないな。澄川カンナはあの男に任せて、あとは全員殺せ! どうせ従わんだろ」
日照が槍を構えて曹畢の前に立ちはだかるがまるで怯まず、曹畢は刀と槍で武装した兵達50人程をたった20人の自警団に突っ込ませた。そして、残りの50人の兵を村の中へと進ませた。
「あ! 待ちなさい!」
カンナがその様子に気を取られた一瞬に、柚木はカンナの後頭部に手刀を入れ、膝から崩れ落ちるカンナをお姫様抱っこのように抱き抱え、村の中へと進む曹畢の後を追った。
カンナの意識は朦朧としていた。身体が自由に動かせないが無意識に右肘で柚木の胸を何度も殴った。 しかし、そんな無気力の攻撃など何の意味もなさない。
やがて意識は遠のいていった。
隙を突かれたとはいえ、体術で負けたのか……。
カンナを連れて行く柚木を光希は1人で追い掛けた。
「待って! カンナを返して!」
柚木は振り向くとニコリと微笑んだ。
「篁さん。いいんですか? 自警団を加勢しなくて? 負けちゃいますよ?」
「うるさい! いいからカンナを返して! 裏切り者!」
「口が悪いですね。まあ、姉のように慕ってた人を連れて行かれるんですから無理もないですか。そう言えば、桜崎さんもお姉ちゃんを連れて行かないでとか言ってましたね。まったく、本当の姉ではないのだからそこまで執着しなくてもいいと思いますがね」
「桜崎さんが? それ、どういう……」
「後醍院さんも僕が捕まえました。全ては青幻陛下のご命令」
その時、光希の中で何かが切れた。
何故、人の幸せを平気で奪えるのか。私達はただ平和に暮らしたいだけなのに。
光希は構えた。
「あなたは絶対に許さない」
「やれやれ、そんなに澄川さんと一緒にいたいならあなたも一緒に来ますか?」
「そうじゃない! 私は、私達はこの学園で暮らしていたいの! それを脅かすなら、私はあなたを殺してでもカンナを取り戻す」
光希は柚木に向かって走った。
鋭く低い突進。柚木は今カンナで両手が塞がっている。脚を払えば……
光希の脚が下段払いの起動を描いた時、柚木は両足で跳び、何も捉えられず屈んだままの光希の顔面へと強烈な蹴りを打ち込んだ。
「あうっ……」
光希の鼻からは血が吹き出たが、地面を数度転がるとすぐに立ち上がりまた柚木へと突っ込んだ。
「怒りで痛みを感じないんですかね」
しかし、柚木はカンナを下ろすことなく、光希の騎士殺人術仕込みの必殺の蹴りの連打を、右脚だけで軽々と捌いた。
そして、今度は光希の左頬を柚木の右脚が蹴り飛ばした。
今度は地面を転がることもなく、軽く数メートル宙を飛び、近くの木製の長椅子を破壊しながら突っ込み、そこで光希の身体は動かなくなった。
ぼんやりと遠くに柚木が見える。
その姿もすぐに遠ざかり、光希の目の前は真っ暗になった。