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狐の恩返しで異世界スタート  作者: 滝井大河
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うぬぼれ

 体長五メート。

 全身を黒い体毛で覆われており、その一本一本が魔力を帯びていることからその防御力の高さはミスリル金属並みである。

 さらに腕力も魔物のなかでも上位に位置し、計八本から繰り出される攻撃は一撃受けただけで致命傷となるだろう。

 ジャーボロスという魔物はとりもなおさず攻撃力と防御力を兼ね備えた化け物というわけだ。

 ただ、ジャーボロスの最大の特徴は攻撃力でも防御力でもなく、戦闘という行為に限定して高い学習能力を持つことだ。

 相手の戦闘技術を学習し、敵と戦うたびに強くなる。

 戦闘の悪魔としても知られるその魔物は真夜中の空に向かって咆哮する。

 殺気を纏わせた魔物の咆哮は弱者を萎縮させる。

 ジャーボロスの真紅の瞳に睨まれ、アスルは死の気配がすぐそこまで来ていることを敏感に感じ取った。

 圧倒的威圧感に気圧され、硬直する。

 思考は完全停止し、あるのはただ絶望感だけだった。

 黒い体躯の背中から伸びている計八つの頑丈そうな腕。

 それぞれの手には大きめの剣が握られている。

 一本だけでも相当な威力をもつと推測される凶器が、総出で僕を切り裂こうとしてきた。

 咄嗟に僕は横にある木の陰に逃げる。

 周辺の木々が一度に切り倒されたのがわかった。


「っ!」


 まずいまずいまずいまずいまずいまずい!

 戦闘なんて選択肢は最初から存在しない。

 逃げの一択のみしか残されていない。


「現れよ。〈煙幕(スモーク)〉」


 詠唱の直後、空気中に大量の煙が発生する。

 視界は暗闇に覆われ、魔法を行使したアスル本人でもそれは同じだった。

 探知魔法に全身系を注いでホーンラビットが逃げた方向へ全力疾走する。

 この日ほど自分の才能に感謝することはないだろう。

 アスルほどの短文詠唱でなければ、とっくに命尽きているだろう。

 ジャーボロスは視覚以外の感覚が鈍いので、視覚さえ潰してしまえばジャーボロスの動きは精度を失う。

 アスルはそうとは知らず効果的な手段をとっていたのだった。

 完全にかわしたと思っていたが違ったらしく、アスルは自分の足の切傷に絶叫しそうになる。

 しかしここでそれをすればなんとなく居場所があの魔物にばれてしまいそうな気がして、グッと喉の奥へと押しやると痛みを無視して走り続ける。


「ハァハァ……まさか……いきなりあんな化け物と出くわすなんてっ!」


 ズドンズドンと地が揺れているような足音が聞こえてくる。

 振り返ればもうすぐそこまで来ていた。

 再び死刑台の上に立たされたような絶望感で埋め尽くされる。

 認識すら難しい速度でジャーボロスは剣を振り下ろした。


「う、うわぁぁあああああああああああっ」


 ――刹那、誰かに抱きかかえられ、紙一重で斬撃をかわす。

 直後に発生した爆風により、さらに僕と誰かは遠くへ飛ばされる。

 その誰かは(ふところ)から煙幕を取り出すと、そのまま周囲に投げ散らした。

 再び視界は煙幕で覆われる。


「アスルっ、今から俺の言うことを聞いてくれ」


 その声は聞き覚えのある声だった。

 みっともない恐怖心を意地で隠すと、なるべく冷静を装って声を出す。


「に、兄さんっ。どうしてここに――むぐっ」


 が、途中で口を塞がれてしまう。

 いきなりなにを、と思ったが不思議と怒りはなく、あるのはこの変わらぬ危機的状況と正反対の安堵感であった。


「あいつはおそらくジャーボロスって魔物だ。俺の記憶が正しければジャーボロスは黒い体毛で全身を覆っていて攻撃はいっさい効かない。だがあいつはただひとつだけ、弱点がある。俺があいつの気を引いてなんとか隙を作るから、その一瞬の隙をついてくれ」


 ティムルはじっとアスルの瞳を見つめると、早口に言った。

 アスルは言いたいことは山ほどあった。

なぜここにいるのかとか、なぜ煙幕など持っているのかとか、どうやって自分の居場所がわかったのかとか。

だが一番気になったのはジャーボロスの弱点であった。

ジャーボロスに弱点などない。どの学者も口を揃えてそう言っているし、どの書物にもそう記してある。

もしかしたらアリーナがなにか教えてくれたのかとも考えたが、しかしこんな状況では無言でうなずくしかなかった。

 心の準備をする猶予などなく、すぐにティムルは合図を出す。

 それだけ切羽詰った状況だった。

 ティムルは身を潜めていた茂みから飛び出すと、わざとらしく音を立てて走っていった。

 ジャーボロスが剣を扇子のようにして風を生み出したことで、既に煙幕は消えていた。

 魔物は比較的夜目が効く。ジャーボロスは特に視力がよく、すぐにティムルの正確な位置を掴んでいた。

 ジャーボロスは再び咆哮し、八本の凶器は同時にティムルを対象に捉えた。



「おら、くらいやがれぇぇえええええ」


 ジャーボロスの咆哮に負けず劣らずの威圧を込めた叫び声をティムルは精一杯に放った。

 三歳児であるティムルの小さな手には閃光玉と呼ばれるものが握られており、それが地面へと叩きつけられると強烈な光が起爆したかのごとく真夜中の闇を真っ白な世界へと塗りかえる。

 ジャーボロスの弱点は視覚である。視覚以外の感覚は鈍く、さらに効きすぎる夜目のせいで急な閃光には弱いためこれは有効な手段であった。

 これでしばらくはジャーボロスの視覚が正常に働かなくなる。

 眩しい閃光の輝きが終息すると、ティムルはアスルに合図の一声を飛ばす。


「やれ、アスル! 今がチャンスだっ」


 事前に言われたとおり、両目を手で塞いでいたアスルはその合図で隠れるのをやめてジャーボロスの正面へと移動する。

 ジャーボロスの攻撃範囲の外に立つことに最大限の注意を払いつつ、アスルは短文詠唱を始めた。


「現れよ。氷矢(フローズンアロー)


 アスルの周囲にいくつもの矢が生成され、そのどれもが氷で出来ている。

 これはアスルがこの属性を得意としているため、最大威力を発揮するだろうとアスル自身が考えてのことだった。

 狙うのはもちろん弱点である瞳。ジャーボロスの唯一体毛で覆われていない剥き出しの部分だ。

 宙に浮遊するいくつもの氷矢は連続でジャーボロスの両目へと絶え間なく突き刺さっていく。


「やったかっ!」


 ティムルが期待をこめてそう呟く。

 ジャーボロスの両目には氷矢が痛々しく突き刺さっており、血らしきものも流れていた。

 確実にダメージはあるだろう。

 アスルはとたんに腰が抜けてしまう。


(僕……あんな理不尽を前にして生きている……)


 生きている、という単語だけが無感情に脳内で繰り替えされていく。

 ああ、助かったんだ。

 そこでふとティムルがどうして自分の居場所がわかったのか疑問に思った。


「ねぇ、兄さん……。なんで僕の居場所がわかったんですか?」


 まずはティムルの助けへの感謝を伝えるべきだろうが、なんだか照れくさくなって気づけばそんな疑問を口に出していた。

 だがティムルからの返事がない。

 重傷を負ったのではと慌てて視線をティムルへと向けると、五体満足で立っている姿が見えてホッと胸を撫で下ろす。


「もうっ、返事してくださいよ兄さん」


「なっ、なんで……」


 ティムルは空虚な瞳でそんなことを言った。

 なぜそんな表情をするのだろう。

 アスルはとたんにまた不安になってくる。

 ティムルがどこかを見つめているのに気づいて、その視線を辿る。

 視線の先にはジャーボロスが地に腰をつけていた。

 瞳にはいまだに氷矢が突き刺さっている。

 それを見たアスルは今度こそ安心できると思うと同時に、ティムルの反応への怒りが沸いてきた。


「なんですかもう。紛らわしい反応しないでください兄さんっ」


「……あいつは氷属性の耐性がある。ほぼ無効化できるんだよ」


 アスルは事前にティムルに指示された内容には『氷属性を使うな』というものは含まれてなく、ただ両目を攻撃しろとしか言われていなかった。

 ジャーボロスは氷属性魔法による攻撃はあまり効果がない。

 アスルは自分の持てる最大威力の魔法を放ったにすぎないが、まったくの逆効果であった。

 ティムルも相当焦っており冷静さに欠けていたため、すっかりその点についた念を押しておくことを忘れていたのだ。

 アスルなら危なげなく成し遂げるだろうという先入観もあった。

 氷属性無効化は有名な話であり、これはアリーナから聞かずとも本によってティムルは知識を既に得ていた。

 ティムルにとってアスルは天才の塊であり、自分にとって当たり前の常識をアスルが知らないはずがない。

 ここにきてアスルの才能は皮肉にも裏目に出てしまっていた。


「で、でも兄さん。よく見て、ほら。氷矢はまだ刺さったまま――――」


 そこでアスルも気づく。

 ジャーボロスの瞳からは既に氷矢はなく、ぽっかり空いた穴が徐々に回復していっていることに。


「まずい、このままじゃ確実に死ぬ。兄さん、もう一度同じ手口でいきましょう! 僕が魔法で煙幕を使いますので、兄さんはさっきみたいに閃光玉で――」


「無理だ。閃光玉はあれが最後だったし、ジャーボロスに同じ手は効かない。次は間違いなく目を瞑るなり魔法発動前に切りかかってくるなりして対応してくる。勝ち目なんてない……」


「で、でもこのまま死ぬわけにはいかないでしょ! 兄さんっ!」


 といったものの、アスルには既に魔法を使えるだけの魔力は残っていなかった。

 一歳児の子供はどんなに才能があろうとたいした魔力量はない。

 魔力が枯渇すれば眩暈(めまい)がするし、頭痛もする。

 それに気づかないほどアスルは取り乱していた。


「アスル……。逃げろ」


 突然ティムルは静かな、落ち着いた口調でそう呟いた。


「そうだよ、早くしないとっ。ジャーボロスが完全に回復する前に逃げよう兄さんっ」


 アスルはティムルの手を繋ぎ、走り出す。

 しかし繋がれた手は途中でティムルにより振りほどかれる。

 その行動にアスルの頭は急激に怒りで熱くなる。


「こんなときになにやってんだよっ!」


 普段どおりの丁寧な口調などかなぐり捨てて、アスルは怒鳴った。

 しかしティムルは動こうとしない。

 今度は強めに手を握ろうとアスルは手を伸ばすが、ひらりとかわされた。


「にいさんっ!」


「――お前一人で、逃げろ……」


 言っている意味が理解できなかった。

 何馬鹿なこと言ってるんだ、ふざけてる場合かと苛立ちをさらに募らせる。

 だけれど、一方で理解してしまっている自分がいた。

 そのほうが生き残る確立が格段に上がることを、理性でわかってしまっていた。

 ティムルは優しく微笑む。

 視界がぐわっと歪む。

 指先で触れると、アスルは自分が泣いているのだと知った。

 気づいたとたん、胸のうちからぶわっと感情があふれ出していく。

 抑えることができず、そのまま流される。

 徐々に嗚咽まじりになっていく。


「逃げろ」


 もう一度、ティムルは告げた。

 はっきりと、アスルの耳に届いた。

 だが、その声は震えていた。

 弱弱しく、その瞳は訴えているかのようだった。


「ガァァァッァァッァアアアアッ」


 ジャーボロスの咆哮が大地を震わせる。

 瞳は完全に回復していて、そこには怒りだけが色濃く宿っていた。


「早く行けっ!!」


 ティムルが声を張ってそう言った。

 恐怖、悲しみ、罪悪感、後悔といった感情が混ざり合う。

 アスルはどうしようもなくなって、無意識のまま走り出した。

 普段の冷静さなんて微塵もなく、アスルは嗚咽混じりに真夜中の森を抜け出した。

 走っている最中、一瞬だけど兄の声が聞こえたような気がした。

 しかしすぐに魔物の雄叫びがそれを掻き消した。








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