魔法の魅惑
あれから三年の年月がたち、俺ことティムル・アノーヴァル・ドクセヌは三歳となった。
アリーナとの講義は終了し、俺は一般常識や礼儀作法など将来必要そうなものは大体覚えた。
講義もなくなり、暇になったので代わりにあることをするようになった。
「もうっ、ティムルはまた本ばっかり読んで。少しはお外で遊んでらっしゃい」
「い・や・で・すっ」
俺は朝早起きしては父親の書斎にこもると、役立ちそうな知識を得るためにも本を片っ端から漁っていた。
魔物の生態系、四大元素、魔法道具、魔方陣、世界の剣術、地理、歴史と見境なく読みまくった。
子供の体で物覚えがいいのと知識欲が十全なこともあってか、読んだものはほとんど完璧に脳に記憶している。
本日も晴天でそよ風の心地よいすばらしい天気の下で本を読んでいると、母親ゼノが入室しては口を尖らせてそんなことを言ってくる。
適当に返事をしつつ、また別の本を一冊手に取ると、そこから一枚の紙切れが落ちてくる。
見てみれば……それは家族全員の集合写真であった。
父ダルノスに母ゼノ、そしてこれは……。
兄、だと思う。たぶん。
曖昧な表現をしてしまうのは、この屋敷には俺を除くと父と母、それとアリーナ含むメイドたちくらいであり、兄らしき人物はいまだに会ったことがないからだ。
しかし写真には俺と同じ髪色だが顔立ちは俺以上に整った男が映りこんでいた。
こいつが俺の兄ではないかという疑いを持ってた。
この写真に俺がいないことやこの男の顔立ちからして、兄である可能性は十分にある。
俺はアノーヴァル家の次男であり、つまり兄貴がいるわけだが、ここ三年で一度も会ったことがない。
そのこともあり、今まですっかり存在を忘れていた。
「あの……僕には兄がいますよね」
「はい、いますよ。それがどうかし……あっ、そういえば言い忘れていましたね」
どうやら兄のことについて伝えておくことを忘れていたらしい。
つっこみたいところだが、三年間この家にいて気づかなかった俺にも非があるように思うのであえてやめておく。
思い返せば不自然な点はいくらでもあった。
子供サイズの、しかし俺には若干大きい服や靴が埃をかぶって保管されていたり、使われていない部屋のはずなのに家具が置いてあって妙に生活感があったこととか。
……うん、気づけよ俺。
俺の兄「ウィズ・エンリル・アノーヴァル・ディティ」は現在13歳で、俺とは年が十年離れている。
俺が生まれる一年前くらいに、魔法大学に特待生として入学したらしい。
当時、兄ウィズは9歳という若さで魔法大学に入学したので大変話題になったそうだ。
それも、特待生となっては前代未聞のことで、兄ウィズは大人気だったそうだ。
そんな話を聞いて俺が持った兄への印象とは、
「いけすかねぇ野郎だろうだな」
「まぁ、なんて言葉を使うんですか!」
当然こうなるわけで、俺は会ったこともない兄のことに対して、メラメラと敵対心を燃やすのだった。
***
兄ウィズの話を聞いてから俺は、あるひとつの目標を立てた。
魔法大学への特待生入学だ。
それも、ウィズよりも若い年で。
しかしそれを実現するには、特待生に選ばれるだけの実力が必要だ。
そうと決まれば、試験まで練習あるのみである。
まずは十分特待生になれるだけの可能性があると証明する必要がある。
素質もないのに努力しても無駄なのは前世で嫌というほど実感している。
しかし前世ではそうするしかなかった。
なにせ素質を図ることなんてできなかったからだ。
地球では出来なかったこと、それがこの異世界では出来る可能性が高い。
なにせ魔法が存在するくらいなのだから。
アリーナは魔法が少し使えるので教えてもらったところ、魔力測定器というのがあるらしい。
魔力の保有量を図ると同時に、魔法の適正属性を調べることもできる。アリーナから魔力測定器を借りて、さっそく測定を試みる。
「まずはこの水晶に手を触れて、んーと、次は…。魔力を込めるか……あれ?」
魔力の込め方がわからない。
くっ!さっそく詰みかっ!
いや、アリーナなら上手く教えてくれるはず!
俺は駆け足でアリーナの下へ向かった。
「アリーナアリーナアリーナーーーーー!!」
「?どうされたんですか、坊っちゃん?そんなに慌てて」
「おしえてほしいことがあるんだけど!!」
「あぁ、そういうことですか。なんでも聞いてくださいっ!メイド長アリーナに知らないことはありませんから!」
それを聞くと、アリーナに頼って正解だったと確信する。
アリーナが知らないことなんて、俺もないと思えるくらいにアリーナの知識はすごい。
仮に意地悪で本の端に載っているような些細な事柄について質問してみても、必ず正解を答えるのだ。
今回もきっと、俺の質問に完璧な解答を返してくれるはずだ。
「魔力を込めるってどうやるのですか?」
だけど……。
「……んー、魔力の込め方ですかぁー…ムズかしいですねぇ」
アリーナが初めて、返答に窮していた。
今までどんな質問も即答し、どんなに子供の無邪気さ全開で下ネタの意味を聞いてみても大人な対応で即答えを濁してくれた、あのアリーナがだ。
「もしかして、しらないのですか?」
「いえいえ、知っておりますよ。坊っちゃんもご存知のとおり、私は魔法に多少の心得がありますので。しかし……」
「?」
アリーナはさらさらと流れる金髪を耳にかけると、ほんとに困った表情になって口を開いた。
「魔力というのはすべての生物にやどっていると言われています。ゆえに生まれたときからなんとなく、魔素を感じ取れるのですよ。そして魔素が感じ取れるのなら、魔力の扱い方は自然と身に付くものなのです。もし坊っちゃんが魔力の扱い方を知らず、魔素を感じ取れないのでしたら……」
「感じ取れないなら……?」
「……おそらく、魔法の才能はゼロです。一生使うことはできないでしょう」
俺はそこから後のことをよく覚えていない。
気づくとベッドの上に寝ていた。
側にはアリーナも一緒に寝息をたてていた。
目元が濡れていた。
きっと泣きつかれて眠ってしまったのだろう。
アリーナには情けないところを見せてしまったようだ。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
まず、俺は家の図書室の魔法書を読み漁った。
知識がないと独学は難しいからな。
そうしたら後は実践。知識を体現するのみである。
俺は庭へと出て、腕を前方へと向ける。
「混沌に眠りし闇よ、今こそ放たれぃ!」
……。何もおきない。
いや、今のは自分でもなんの魔法を使いたかったのかよくわからないし、呪文も思いついて言ってみただけだ。
当たり前だが、ちゃんとした呪文を唱える必要があるな、うん。
「ここに炎よ顕現せよ『炎砲』」
シーン……。
やはり何も起こらない。
どうなってんだこりゃ。
3時間経過――――――――。
だめだこりゃ。
まったく魔法を使えない。
しかし俺はあきらめない。
もう二度とアリーナに情けないところは見せないと、心に決めたのだ。
この時点で鬱気味になっていた俺は、気分転換に剣術の練習にのみ専念することにした。
魔法のほうは、もしかすると時間が解決してくれるかもしれない。
あと一年たてば、あれっ魔法使える!みたいなことになっているかもしれない。
おそらく、ここまでして魔法が使えないのは、現代日本にいた頃の感覚が抜けていないからだろう。
俺がなかなか異世界言語を覚えられなかった現象と同じだ。
だから、もっとこの世界に馴染む必要があるだろう。
そうすることで、魔素が感じ取れるようになるだろうし、いずれは魔法が使えるようになるはずだ。
あるいは相性が悪い魔法だったのかもしれない。
もっと様々な魔法を試してみれば、使える魔法が見つかる可能性もある。
そんな風に考えるくらいには、俺は楽観的に、いや、前向きになることに躍起になった。
一年後――――。
剣術ははっきりいって上達しているかわからない。親父ダルノスに教えてくれと頼んでもまだ時期尚早だと断られて以来、独学でずっとやってきた。
基礎体力はもちろん、素振りも毎日行った。
独学で剣術をするとなると、やることは限られている。
最初こそアリーナに教えてもらった護身術も組み入れた新たな剣術でも生み出そうかと躍起になっていたりもしたが、今となっては剣の鍛錬メインというより読書がメインの生活に逆戻りしていた。
親父の書斎から本を読み漁り、気分転換に素振りをする日々だ。
それでも現代日本から転生してきた身としては、魔法の魅惑についぞあきらめきれずにいた。
選ぶ本も最近では魔法に関するものばかりだ。
しかし、魔法に関する知識を集めている過程で俺はあることに気づいた。
当然だが、魔法には魔力が必要だ。
それはたとえ異世界であっても変わらず、魔力をエネルギーに魔法を行使できる。
だけれども、俺にはそもそもの問題として肝心の魔力が流れる感覚が一切存在しなかった。
そのことに気づいた俺はあらゆる方法を試してみた。
吐くほど運動してみたり、座禅を組んで瞑想したり、深呼吸したり。
だがどれも効果はなく、結局俺は魔法を断念せざるを得なかった。
魔素すら感じられないのだから、よく考えれば当たり前のことだと後になって気づいてしまった。
それでも俺は魔法への想いがなくなることはなかった。
魔法は俺にとって未知の世界だ。
もちろん剣だって現代日本では滅多に出会わない。
しかし魔法は存在すらしていなかった。
だからなのか、俺は魔法に対して執拗に拘泥していた。
俺の日課であるランニングと素振り、読書に加えて唯一可能性のある座禅(なんだか一番それっぽいというのが根拠で)も新たに加わった。
だがおそらく魔法を使える日はこないんだろうなぁ、と思ってもいた。
第二の人生。
別に魔法が使えなくてもいい。
冒険ができなくてもいい。
ファンタジー要素なんてのも別にいらない。
ただ家族とゆっくり過ごせれば。
できることならアリーナとかと結婚して、子供もできて、残りの人生を楽しく過ごして。
ごくごく平凡でもいい。
前世のように、ベッドの上で一生を過ごすようなことがなければ。
生活に温かみがあればそれ以上は望むまい。
二足で歩けることに感謝こそすれ、それ以上を望むのは傲慢だ。
が、俺は人間であった。
ごくごく平凡で、異なる点といえば前世の記憶があるということ。
それだけだ。
そして、だからこそだった。
人間が傲慢なのは歴史も語っている通りの普遍の原理であり。
俺は自身の心に目を逸らし、ひたすら自身の境遇に感謝し、そして野心を燃やしては日々のトレーニングに身を投げていった。