メイドのアリーナによる授業は最高です
さて、俺が生まれてから一年が過ぎた。
そろそろしゃべり始める時期でもあるのだが、俺はかなりの苦労を強いられていた。
日本語が既に母国語として習得しているからだろうか。
赤ん坊なのだから、あの〈夜光丸〉とかいう狐も少しくらいサービスしてくれてもいいとおもうのだが、そうもいかないらしい。
両親が心配して医者らしき人物のとこまで連れて行かれたこともあるくらいだ。
さすがにこのままではまずいと思い、なるべく会話の数を多くするように意識した。
そのおかげか最近ではなんとか喋れるようにもなってきた。
喋れるようになったとはいっても、まだまだ文章で伝えるという段階まで達していないし、単語を連発するようにして発音しても何度か言い直さなければ相手には伝わらない。
もどかしさのあまりストレスが溜まってしまう。
『ママ』と『おっぱい』だけは完璧な発音ができるようになったが、その他の単語はまだまだ上手く発声できない。完全に日本語や英語とは異なる未知の言語なのでこんなものだろうと何度も自分で言い聞かせてはいるが。
それでも言語習得の壁にぶちあたったときは苛立ちが募るわけだが、これはもう仕方ない。
ついでに言うと、最初に覚えた言葉は、『ママ』ではなく『おっぱい』の方である。
……中学生かと自身にツッコミたくもなるが、童貞のまま生涯を終えてしまったオッサンが中身では仕方ないだろう。
重要度でいえば、愛情よりも性欲なのだ。
母親のゼノは外国人のように整った目鼻立ちをしている。
スタイルも完全に外国人寄りのセクシーであり、なめらかな曲線のボディーラインがすばらしい。
前世の俺なら抱きつきでもしたかもしれないが、この世界では子供であるからか不思議と息子が反応したりはしない。
言語の習得には至っていなくとも身体の成長は早い方らしく、俺は一歳児にして屋敷内を自由に走り回ることができていた。
自由に走り回れるようになると決まって向かうのは、メイドのところである。
この屋敷にはメイドが一人だけいる。
名前は〈アリーナ〉というらしい。
小柄でかわいらしい見た目であり、メイド服越しでもわかるほどにボリューミーな胸の膨らみが中身オッサンの一歳児を興奮させる。
アリーナは俺と違って短い名前だ。
ファミリーネームすらない。
どうしてなのか一歳児という年齢を利用して聞いてみることにした。
聞かぬは一生の恥というし、このくらいは許されるだろう。
なにせ俺には『子供だから』という大義名分がある。
失礼など知ったことではない。
「ねぇねぇ。アリーナ、どうして、アリーナ、なの?」
わずかに瞳を潤ませつつ上目遣いで、魔法〈子供の特権〉を行使した。
本来の魔法とは異なるが、同等以上の攻撃力があると信じている。
アリーナは金髪碧眼に透き通るような緑の瞳を持つ魅惑的な女性なのだが、顔が無表情で言葉数も少ない。
俺の当面の目標はアリーナをデレさせることの一点に尽きるだろう。
そんな美しいメイド、アレーナの表情がわずかに強張ったのを俺は見逃さない。
やはりなにかあるのだろう。
無理に聞くべきではないとも思うが、相手の秘密を知ることは親密になることの近道でもある。
そしてこのとき、俺が赤ちゃんであるこの時期が最大のチャンスであると俺は思っている。
既に元の無表情に戻っているアリーナは小声で俺に教えてくれる。
「貴族や王家以外の者はみな、名前のみでございます坊ちゃま。」
なるほど。名前が長ったらしいのは貴族や王家だけらしい。
ふとそこで、さらにアリーナと仲良くなれる妙案が脳内に浮かび上がる。
アリーナに文字を教えてもらおう。
「アリーナ、文字、教えて」
「文字…ですか。坊ちゃんには少し早いのでは」
アリーナは無表情だが、言外に馬鹿にされている気がした。
喋ることもやっとなガキが文字なんて数百万年早いわ、的な。
もしかしたらこの世界には喋り始めの遅い子供は頭が悪いとか考えられてそうだ。
まったく、個人差だろうにひどい話である。
「いいからっ! おしえて!」
ここでも魔法〈子供の特権〉を行使する。
これを意図的に、効率を最大限にまで引き伸ばして使っている子供は俺くらいだろう。
しかし罪悪感はまったくない。
使える物はなんでも使うべし、と俺は考えている。
アリーナは子供の武器にやられたのか、頬をわずかに緩ませつつ「承知しました」と肯定した。
それから俺は毎日のようにアリーナに文字を教えてもらうように強請り、いつしかアリーナによる授業のようなものが日課となっていた。
***
それからまた一年たって、俺はあっという間に異世界二年目を迎える。
今となっては言葉も流暢に話せるし、一般的に求められるだけの語彙力も身につけ、簡単な文章ならば書けるようになっていた。
この地域では識字率はそれほど高くないらしく、一時期俺は天才少年として有名になったりもした。
メイドことアリーナとの講義はいまだに続いている。
アリーナは俺が子供であることを考慮してか、あまり屋敷の中にこもって勉強なんてことはさせなかった。
基本は屋敷の外で授業が行われる。
今日もその一環でアリーナが屋敷の庭にある植物の解説を行っていた。
彼女の若干楽しそうに語る様子に俺も嬉しくなる思いで授業を受けている。
アリーナは植物が好きらしく、植物の講義中の彼女は大変かわいらしいのだ。
普段は見られないアリーナの微笑みに俺の気分もよくなるというものだ。
もちろん講義も真面目に受けている。
「坊ちゃま。この植物がなんだかわかりますか?」
よくアリーナは俺に復習テストのようなものを定期的にさせてくる。
復習を重要視しているようだ。
アリーナが手にした植物はチューリップの花の部分をキャベツに変えたかのようなものだ。
花の色もだいたいキャベツと似たようなもので、新鮮でおいしそうだがなんと毒がある。
アリーナは毒のある植物を優先的に俺に教えていた。
改めてアリーナの講義はすばらしいと感心する。
ちなみに、アリーナの講義中は敬語を使うように意識している。
師匠にはやはり敬意を払うべきだと思ったからだ。
ただメイドと主人の息子という関係もあって、講義以外では俺が敬語を使うことはないのだが。
「はい。それは《貯草花》です。周囲の薄い葉っぱは一見おいしそうにも見えますが毒があり、注意が必要です」
アリーナは云々と頷き、しっかりと覚えているなとほめようと口を開く。
しかし俺は言葉を続ける。
「ですが《貯草花》の内側には濃度の高い魔素が充満していて、そこで育つ一輪の花には魔力を高めてくれる効果があります。ですのでよく、魔力回復薬として使われたりもします」
この答えにアリーナは驚いている。
講義で教えたこと以外のことを俺が言ったからだろう。
「すごいです、坊ちゃま。よくご存知で……」
そこでアリーナさんはわずかに瞼を下げる。
残念がっているようだ。もしかして、自分が教えたこと以外のことを独学で学んだからだろうか。
「よ、予習したんです。……すいません、アリーナ先生。余計でしたでしょうか」
アリーナのような美人さんに残念な表情はさせたくない。
俺は即座に謝った。
するとアリーナさんはすぐに表情を和らげ、微笑みながら首を横に振る。
「そんなことはありませんよ、坊ちゃま。勉強意欲が高いのはむしろ褒められるべきところです。予習してくれると講義の質も向上しますし、こちら側としては大変ありがたいのですよ? 他にも教えることは多くあるのですから、予習してくださったほうがいいに決まっているのです」
「……そうですか。では、毎回予習をすることにします」
「はいっ」
アリーナは嬉しそうに笑顔を向けてくる。
綺麗で艶やかな金髪がアリーナの整った顔立ちの魅力を数段にも跳ね上げている。
俺は女神が錯覚したかのような錯覚を覚え、つい凝視してしまう。
か、かわいい……。
年齢は俺より十個ほど上に見えるが、ぜんぜん許容範囲だ。
お嫁にしたい。
「ところで、坊ちゃま。《貯草花》の周りの葉の部分はなぜ毒を含んでいると思いますか?」
《貯草花》には続きがあったらしい。
知識にないので知らないと答えると、考えてみてくださいと言われ考える。
しかしどれだけ考えても、《貯草花》の葉はもともと毒がある植物なのだ。としか言えない。
アリーナは一層うれしさに口角を緩ませると、自分なりの考えだがと言って話し出す。
「《貯草花》には内側に種も多く含まれています。毒は内側の種を守るためではないかと思うのです。これには諸説ありますが、現時点での定説は私の意見と同様の考えです。このようにして単に暗記するのでなく、原因や理由など多くのことを考えてみると、勉強がより楽しくなりますよ。忘れないでくださいね?」
「はいっ!」
俺は元気よく返事をした。