最初で最後の。最後で最初の
初投稿。楽しみます
真っ白で清潔感漂う一室。
南側に位置するベッドには三十代前半の男が仰向けに横たわっていた。
目は虚ろで、呼吸もしているかどうか傍目から見てもわからないほど憔悴している。
不幸中の幸いというべきか、老人には資金力があった。
そのため治療費で困ることはなかったが、それだけだ。
豊かな家庭に生まれたが母は病気で、父は事故で早いうちに亡くなってしまっていた。
これまでの人生、男にはお金以外に頼れるものがなかった。
親もいなければ友人もいない。
男の患った病、その病名は〈腐敗病〉だ。
原因不明といわれるこの病気の症状は、体の神経が壊れていくと同時に強烈な腐敗臭を放つというものだ。
今となっては全身の感覚をなくしており、腐敗臭も鼻が比喩なしに曲がりそうなほどだ。
食事を持ってくるナースも嫌々といった表情でやってくるので、彼女と友人になろうとも思えず、結局最後まで孤独であった。
この世から消えてしまえれば、どんなにいいことだろうと何度おもったことか……。
それでも老人が高額な治療費を払い続けているのは、老人の生への執着心のなせる業だった。
『生きていればきっといいことがある。』
以前、両親が言ってくれた言葉だ。
両親との記憶もそれだけだが、だからこそその言葉は重みを帯びた。
しかし男はここまで来て、ふと悟ったのだ。
自分の人生が今日で幕を下ろしてしまうこと、いいことなんてこれまでになく、もう唯一の希望すら入り込む余地がなくなってしまった。
人生をやり直したい。そう考えるのは至極自然な流れだともいえる。
願ったところで現実が変わるわけでもないのに、人はこうだったら、あーだったらと考えることをやめられない。
男は人生をやり直したい、という願望はこれまで皆無で考えたことすらなかったくらいだが、自分の死期を悟ると一挙に不安が押し寄せてくる。
「やり直したい?」
返事が返ってくるなんて予想しておらず、驚いて声の聞こえた方へ視線を向ける。
そこには一匹の少年が座っていた。
まだ小学生くらいだろうか。
いろはの文字を染め抜いた鮮やかな着物を身に着けている。
どことなく既視感を覚える。
「……まあ、覚えてないのも無理ないよ。なん十年も前の話だしね」
ん?覚えてない?
俺はなにかを忘れているのだろうか。
と、そこで俺は昔助けた少年のことを思い出した。
「あははっ、思い出してくれたんだ!そうだよ。僕はあのときのいじめられていた小学生さ」
しかし、だとしても見た目が変わらなすぎる。
もしあのときの小学生なら、今は二十代なはず。
ところが、どう見ても目の前の少年はあのときと変わらぬ小学生の姿。
まさかどこぞの名探偵じゃあるまいし、薬で縮んだなんてことはないだろう。
「信じてもらえないか……。じゃあ、これでどう?」
少年は着物の裾で顔を隠し、しばらくして出てきたのは一匹の大きな狐だった。
いろはの文字の染められた着物もいつの間にやら縮んで、狐サイズになっている。
『どう?これで信じてもらえるかな?』
先ほどの少年の声が、直接脳内に響いてきた。
……どうやら死期は思った以上に近いらしい。
幻覚まで見えてきたようだ。
ただまぁ……。
念願の話し相手が最後には現れてくれたことだし、しばらくはこいつと話していようと返事をする。
といっても、俺はしゃべれないほど衰弱しきっているので、心の中で強く念じるだけだが。
(ああ、信じるよ。だからその……少年の姿に戻ってくれないかな?)
俺の言葉に妖狐は口角を吊り上げ、ケタケタと笑う。
それから狐は元の少年へと戻った。
(……名前はなんていうんだ?)
「夜光丸だよ。よろしくね、オジサン」
オジサンか……。
確かに俺の顔は老け顔だが、こう見えて三十代前半だぞ?
いや、でも世間一般的にはオジサンなのか?わからぬ……。
「ねぇおじさん。僕と契約しない?」
俺がそんなことを考えていると、夜光丸は唐突にそう言った。
面白くもない冗談だと思ったが、不思議と嫌な感じはしなかった。
会話を引き伸ばすためにも、先を促す。
「契約したあかつきには、なんでもひとつ、願いを叶えてあげるよ」
少年は言った。
なんでもひとつ願いを叶えてあげる、か……。
これが俺にだけ見えてる幻覚だとしても、話がうますぎるな……。
胸中では自嘲気味な笑いがでた。
「契約と言っても、だれでもできるわけじゃないんだよ?それにこれは、いじめられてた僕を助けてくれた恩返しなんだからさ……ね?」
そういわれると、その通りだと頷きたくなる。
幻覚というのはどこまでも都合よくできているのだなと思った。
(……契約しよう)
どうせ幻なら、とことん夢を見させてもらおうか。
少年は嬉しそうに顔をほころばせると、てくてくと近づいてきては両手で包むようにして俺の手を握ってきた。
「……よし、これで契約完了だね。さ、おじさんの願いを叶えてあげるよ」
あっさり契約は終わった。
そしてついに俺の願いを告げるときになった。
そこで少し迷ってしまう。
ここで願いを口にしてしまえば、もう生をあきらめきれないのではないか。
たとえ幻が相手とはいえ、せっかく自身の境遇を受け入れてきていたのに……。
そこでふと少年を見る。
少年はにこにこと無邪気な笑顔を向けていた。
――――そのとき、俺のなかで生への執着が一層強くなる。
俺の人生、今までろくなことがなかった。
このままで終わっていいはずがない。
この少年のように、無邪気な笑顔を浮かべられるくらい、幸せな人生を歩みたい。
「それがオジサンの願いなんだね……。いいよ、叶えてあげる」
少年は俺の心のうちを読んだらしい。
すると、ぐちゃりと耳障りな音が部屋に突如として響いた。
お腹のあたりが熱い。
自身の神経はすべて破壊され腐敗しているので痛みなどあるはずもないのだが、それは確かな破壊力を持っていた。
視線をゆっくり自分のへそのあたりへと向けると、狐の尻尾が何本も刺さっている。
意識が暗闇へと引きずり込まれていく。
いやだ――――いやだいやだいやだ!
まだ死にたくない!
しかし死神はゆっくりと近づいてくる。
そんな幻覚が見えた。
死神の口がなにかを語っている。
声は聞こえなかったが、俺は確かにその口の動きから読み取った。
『またね』
***
そうして、俺は気がづくとベッドの上にいた。
妙な体の違和感に気づく。
思うように動かせないのだ。
よくみると、手は丸みを帯びているし、若返っているように見える。
これは夜光丸が俺の願いを叶えた結果なのだろうか。
そこで俺は自分が夜光丸に殺されたことを思い出す。
しかしだからといって腹を立てることもなかった。
どんな形にしろ、あの狐が一生を植物状態で過ごした俺にやり直しの機会を与えてくれたことにかわりはないのだから。
感謝こそすれ、恨む道理などないと俺は思っていた。
人生、諦めなければなにがおこるかわからない。
そのことが証明できたようでなによりだ。
「おーよしよしかわいいでちゅなー」
父親らしい男にそんな赤ちゃん言葉をかけられつつ、俺は抱きかかえられる。
先ほどの台詞からやさしそうな父親を想像するだろうが、顔は完全にヤクザである。
研ぎ澄まされた刃物と似た鋭さを秘めた瞳で見つめられる。
気を抜けばちびりそうである。
しかし全体的に見れば、なかなかのイケメンである。
ただ顔中は傷だらけで、やはり近距離ではヤクザにしか見えない。
そのままヤクザから睨まれ続け、一歳にも満たない俺は大泣きしてしまった。
前世ではいい年下おっさんであったことを思うと、少し恥ずかしい。
父親の名は「ダルノス・グラム・アノーヴァル・ヴァランス・セグネ」、母親は「ゼノ・メティフィ・アノーヴァル・ジョセフ・スコット」だ。
二人ともかなり若いようで、特に母親は二十代といわれてもおかしくないほど若く見える。
そして俺の名前だが、「ティムル・アノーヴァル・ドクセム」というらしい。
なぜこんなに名前が長いのか、日本人の俺にはさっぱりわからないのだが、アノーヴァルが共通して名前にあることから、これが家名なのだろうということはなんとなくわかった。
両親(この世界の)は仲睦まじい新婚夫婦のお手本のような雰囲気をかもし出していた。
メイドの姿を時々見かけるので、俺の生まれた一家はわりと裕福なほうだろうとは思う。
貧乏すぎると困るし、かといって金持ち過ぎても自由がなくなりそうで、そう考えると都合のいい環境に生まれてきたといえる。
俺はすんなりと自分が転生したことを受け入れていた。