だけどもしかり
「おぇぇ、うぇぇ」
トイレの個室に入ってすぐに、僕はせり上がってきたものを戻す。今日は、朝食をほとんど食べていないので胃はほぼ空っぽだったが、中にあるものを全て出そうとする嘔吐感が止まらない。神経の至るところが嘔吐行為に集中するように働きかけてくる。頭も、胃の中身を出せば出すほどクラクラしてくる。一通り出しきるまで全身の筋肉がひどい緊張状態に陥り、次の日筋肉痛になってしまうんじゃ無いかってくらいに酷使したように感じられた。
「はぁ、はぁ……」
ようやく落ち着いてきたが、気持ち悪さがなくなることは無かった。トイレの空気も良くないのだろう。息を吸うたびに尿くさい匂いが混じる。出すものも出したし早く出よう。
「やあ、少年。随分やつれた顔をしているね」
そう僕に声をかけたのは、自称勇者こと柳さんだった。
「今来たの? 今日は休みだと思ったんだけど」
「いつ来ようと僕の勝手だよ。それに遅刻・早退に関してはこの学校は緩いんだ。それを指摘すると、来なくなっちゃう人が増えちゃうからって」
「なんで学校だ……いや、今さらなんだけど」
「ここじゃなんだし、あの場所に行かないかい? 少なくとも、ここよりは空気はいいと思うよ」
あの場所とは屋上のことだろう、気分転換をするにはいいかもしれない。
「分かった、行くよ。そこじゃないとキャラを被らないといけないものね」
「ん、何の話かな?」
柳さんはとぼけた声で応える。コノヤロウ。
屋上に出ると心地よい暖かさに包まれる。今日は天気もいいしここで過ごすにはちょうど良い環境だ。
「今日もいい風が吹いているね。ここなら気分も少しは良くなるんじゃないかな?」
「そうだね、誘ってくれてありがとう」
「なんのなんの、従者を助けるのは勇者として当然のことだよ」
「はいはい」
「なんか、最初の頃より対応が雑になってないかな?」
「単に慣れただけだよ」
そう、こんななんてことのない会話に慣れてきただけだ。今はそれ以上に気がかりなことがあるから。
「さて、魔女小森がきていないことだけど」
柳さんはいきなり本題を出してきた。まだ心の準備が欲しかったところだけど、回りくどい言い回しをされるよりはいいか。
「君は何か知っているのかな? それとも彼女が来ないのは、君が関係しているのかな?」
僕は隠すこともなく素直に答える。
「……当たり、僕が大きく関係してる」
それから僕はこの前のことをこと細かに話した。誰かに自分の過ちを知ってもらうために。
「そうか……」
柳さんから最初に出てきた言葉はそれだった。怒っているようには見えない。 だが、悲しんでいるようにも見えない。 この学校に来て何人か見てきたけれど、この柳さんに関しては特によく分からない部分が多い。普段から「演じている」せいもあってか、彼女の「素」の部分が見えてこないのだ。
「君は魔女小森と友達になりたくて迫ったけど、結果としてただ追い詰めてしまっただけになってしまった。そんな解釈でいいかい?」
「うん、問題無いよ」
「うーむ」
柳さんはなんて言えばいいのか悩んでいる。はっきり言えば僕が悪いのは明白なのだが、彼女は僕を責めるようなことはしなかった。
僕は彼女を追い詰める気はなく、友好を結ぼうとしていたのだから一方的に責めるのは違うと考えているのだろうか。
「まあ、魔女小森も人を拒絶してしまう性質だから普通に言うだけじゃダメだっていうのは分かるけど、今回における君の行動は焦りすぎたね」
「焦ってた? ……そうか、そうなのかもしれない」
「そうだと思うよ。だから彼女を必要以上に迫ってしまい、結果的に君の元から逃げ出した。いずれにしろ、もう一度君は彼女と話す必要があるね」
「僕もそう思ってるけど、果たして会ってくれるかな?」
「普通に考えて、まず会おうとはしないだろうね」
柳さんも結構バッサリ切ってくる。これに関しては事実だし、仕方ないか。
「どうやって彼女と会うかまで僕に聞こうとしないでね。これは君が片付けるべき問題なんだから」
聞こうとしたことを先回りされてしまった。それもそうだな、それくらいは自分で解決しないといけない。
「こんなこと言っておいて酷かもしれないけど、絶対に学校に来させるようにして欲しいんだ。僕自身、魔女小森のことは結構気に入っているし」
「……様子見た感じ、完全に無視されてたけど」
「あれは彼女なりの愛情表現なんだからいいの!」
いや、なにも良くは無いだろう。でも、柳さんに話してスッキリ出来たとは思う。とはいえ、現段階では心構えが出来たってだけだ。どうやって彼女に会うか考えて、なるべく早く話す機会を得ないと。あまりズルズルと先延ばしにしていたら手遅れになってしまう。
「とりあえず話を聞いてくれてありがとう柳さん。すごく助かったよ」
「なんの、僕は勇者だからね。勇者は人を助けることが生きがいなんだよ」
初めて聞いたぞ、そんなの。
その後、屋上の空気も良いこともあって気分も良くなってきた僕は教室に戻ることにした。このまま終わらせないようにと決意して。