僕だけが知っているコト
帰り道、家路を歩く僕の頭に浮かぶのは異常と思えるほど怯える彼女の姿だった。心臓の音はバクバクとうるさい位聞こえるというのに、僕の心はあまりにも冷え切っていた。
こういう思考回路を持つ人って犯罪者に多いんだって聞いたことがあるけど、今の僕にはどうでもいいことなのでその話は置いておこう。無理矢理落ち着かせるようにしないと走って叫び出したい衝動に駆られる。冷え切った心なのになんでだろう。
ああ、面倒くさい。考えるって面倒くさい。
なんで僕はこんなに悩んでいるのだろう、なんでこんなに泣きたくなるのだろう。
なんだっていうんだ。なんだってそうなんだ。
知る気もないのに。知ったこっちゃないのに。
どうでもいいことのはずなのに。どうすることもできなかったはずなのに。
どうしてこんなにも僕の胸を締め付けるのだろう。
頭をふる。ふりすぎて頭痛がしてくる。失敗。
腕を振り回す。通りかがった人に奇異の目で見られた。失敗。
片足とびで歩く。ゼェゼェと息切れをおこす。失敗。
……何をやっているんだ、僕は。こんなことしていたってこの気持ち悪さが無くなることはないんだ。
少なくとも今日は……罪悪感を感じてないといけないんだ。
罪悪感? なぜ僕が罪悪感を感じなければならないんだ?
ああ、分からない。何も分からない。
人の気持ちなんて。人の心なんて。人が何を考えているかなんて。
知りたくもないのに。知って後悔したというのに。なんて愚かしいんだろう。
……ダメだダメだ。もう何も考えないようにしよう。
そうしないと倒れてしまいそうだ。
僕はそれまで考えていたことを振り切るように結局家まで全速力で走った。
道中、車に轢かれそうになったのはここだけの話だ。
帰宅し、機械的に母親に帰った旨を告げて部屋に入ろうとした時に隣の部屋のドアからカチャリ、と音がした。
「あ、お兄ちゃん。今帰ってきたの?」
なんということだ。こんなよろしくない精神状態で優羽に会ってしまうとは。
なんとかしてごまかさないと……
「うん、色々歩き回ってたら疲れちゃってさ。少し寝ようかなと思って」
「あ、そうなんだ。夕食になったら起こすよ」
「ありがとう、おやすみ」
「おやすみ〜」
バタッ、とドアを閉める。
「ふぅ……」
そのまま崩れるように座った。バクバクと、心臓の音がうるさい。
あれだけの会話でこんなに疲れるなんて。
走って緊張して追い詰めて……何がしたいのだろう、僕は。
ねぇ、柳さん。救われたいのは僕の方なんだよ。決して救う方なんかじゃない。
なのにどうして君は、そんな残酷なことを言ったんだい?
僕はそのまま、泥のように眠りに落ちた。
週明けの学校で、僕はいつも通りイナジュン達とだべりながら課題を進める。
この数日で色々なものが見えてきたと思う。それがいいことなのかよくなかったのかは僕の判断ではイマイチ測りかねるが。
小森さんは来ていないみたいだ、まあ当然だろうな。あれだけ自分のことを追い詰めた人間のいるところに、ノコノコ来るわけがないよな。
亡くなったとか聞いていないだけまだマシだと思ったほうがいい。事情を知らないセツは、小森さんの休みに疑問を抱いているようだ。
「あの子が休むなんて……いよいよだめなのかなぁ」
セツは心配そうにしている。小森さんとは、会話こそ拒絶されてほとんどなかったものの基本的に面倒見のいい人なので、こうして彼女のことを気にかけてくれる。
「あー、無理じゃね。あんな感じじゃ、一度休んだら二度と来れないでしょ」
イナジュンが突き放すように言う。というか、鼻くそほじるなこっちに飛ばすな。
「ちょっとそんな言い方……」
「すまない、セツ。申し訳ないが、僕も順太と同じ考えだ」
カケルは申し訳なさそうにして話す。
「学校というものは、一度休んでしまうとそれだけで行きづらくなるものだ。 それが何日、何週間、何ヶ月とどんどん経てば経つほど行きづらくなる。そして、学校に行くことがとても恐怖なことのように感じてしまって……いずれ辞めてしまうんだ」
カケルの言葉には、まるで体験してきたかのような重みを感じられた。カケル自身もそうだったのだろうか。それを聞くのはまた別の機会になるだろうが。
「そうだよね。今はまだ一日だけど、この先も来なかったら二度と来なくなっちゃうよね」
セツは落ち込んでいる。彼女が休んでいる事情を知っている僕は、みんなの会話がなんだか遠くに感じられた。
僕が悪いのに何もしないでいる。僕が原因なのに知らんぷりをしている。
みんなと同じ傍観者でいようとしてる。同じ立場でいようとしている。
そんな自分に気づいて吐き気がしてきた。気持ち悪い……
「恭也、大丈夫か?」
カケルが心配そうな顔をしている。顔色も悪くなっているのだろうか。
「ごめん、大丈夫。 ちょっと、トイレ行っているよ」
「ああ、無理するなよ」
「……」
セツが何か僕に言いたそうな顔をしていたが、気づかないフリをした。きっと事情を知れば間違いなく僕のことを責めるだろうから。
僕はその場から逃げるようにトイレへと向かった。