岩付激震
第六話『岩付激震』
永禄七年、この年は太田資正には忘れられない年となったであろう。国府台の大敗、そして太田家を揺り動かす大事件がこの年に起きる。北条氏康が岩付城に寄せると云う急報を受けて、太田資正は佐竹氏と宇都宮氏と共同戦線を張るべく、その軍議のため宇都宮に出向いた。資忠も同行した。
軍議の結果は資正を十分満足させるものであった。北関東の武将たちが連合して北条氏康と戦うこととなり、その連合軍の采配を執るのが資正自身となったからである。兵力は五分、これならば勝機もある。太田本陣で上機嫌の資正
「一時はどうなるかと思ったが、運よく佐竹、宇都宮、成田が味方についてくれた。弾正少殿(上杉輝虎)の後詰は望めぬものの、これで何とか五分に戦える。国府台での戦の屈辱を晴らし、勝利した後は追撃して小田原までは無理でも江戸まで寄せて曾祖父道灌の旧領を取り返してくれる」
忍城主、成田氏長も同席していた。資正は上機嫌に
「さあ、婿殿一杯どうか」
氏長の妻は資正の娘である。
「頂戴いたす」
「婿殿には、せがれ源七郎と共に先陣を命じるつもりならば、心しておいて下されよ」
「身に余る光栄に存じます。舅殿も一献」
「いやいや、申し訳ないが北条に勝つまでは酒を禁じることにしましてな」
その時だった。
「も、申し上げます!」
血相を変えた使い番が資正の陣に来た。
「何ごとか」
資忠が訊ねた。
「い、岩付の城が攻め落とされました!」
「な、なに?いま何と申した?」
「岩付の城が落ちましてございます!」
呆然としている資正と資忠。何が起きたと信じられないと云う顔で互いを見合った。ようやく使い番の言葉の意味を理解した資忠は思わず激昂し、
「世迷言を申すと切り捨てるぞ!」
「陣中に戯言はございませぬ!お連れせよ!」
資正次男の政景が兵に支えられてやってきた。
「ち、父上…」
疲れ果て、やっと宇都宮に辿り着いたと云う様相の政景。
「源太兄上!」
「源太!」
倒れかけた政景を支えた資忠。しかし政景は資忠を振り払い、父に平伏した。
「何があった!申せ源太!」
「む、無念にございまする!兄上に…太田氏資に岩付の城を落とされましてございます!」
「な、なんじゃと…」
「氏資は城内と領内にいる親北条一派を率いて、父上が宇都宮に向かってほどなく攻めてまいりました!いかに岩付が堅城と申せ、中から崩れれば戦いになりませなんだ。アッと云う間に落とされましてございます!」
出家して雌伏すること数年、ついに太田氏資は父の資正に叛旗を翻した。岩付を出てから、ずっと時機を伺っていた氏資。親北条である自分に心寄せる太田家臣たちを水面下でまとめ上げ、資正が長期に留守にするのを待っていた。出陣の前
「英、いよいよ時が来た」
氏資は妻に出陣の決意を知らせた。
「旦那様」
「太田でも実家北条家に対しても肩身の狭い思いをさせたな。岩付の城を出てからの貧乏暮らしに耐えて、よくわしについてきてくれた」
「それは旦那様に父の美濃守を追い落とし、岩付を奪うと云う志があればこそ。私はその志についてまいりました」
「岩付を落とした後、北条に組する。わしの父は太田美濃守などではなく、北条氏康じゃ」
「ご武運を」
芳林寺を出た氏資の前に太田家中の親北条の将兵が整然と並んでいた。北条家の兵もいた。父の資正を追放して当主となり北条に組すると云う氏資の意図はすでに北条氏康に伝えられており、氏資に兵を貸していたのであった。
「皆の者!これより岩付城を攻め落とし、太田が家督を我がものとする!」
「おおおおおお!」
芳林寺で挙兵し、岩付城に寄せた。留守を預かっていた太田政景・資武兄弟は驚愕した。
「寄せ手は誰ぞ!」
「げ、源五郎様にございまする!」
使い番の報告を聞き、兄弟はさらに絶句した。
「あ、兄上だと…?」
「ばかな…。そんなばかな話があってたまるか!」
信じられないと云う面持ちで顔を見合う政景と資武。まさか、いかに下剋上の戦国乱世とは云え、こんなことがあっていいのか。子が親を…。資正正室、そして氏資生母である南畑姫も息子氏資が岩付を攻めていると聞き、我が耳を疑った。信じたくない、あの優しい子が…。
氏資軍は城門に殺到、あっさり門は開けられた。事前に氏資派の者が潜んでいたのだ。堅城を誇る岩付城も内応者が続出しては攻撃を防ぎようもない。全身が脱力し、膝から崩れる資武。
「何と言うことじゃ!父上は兄上と復縁せんと決めていたと申すのに!何と言うことじゃ!」
「源六、今さらそれを兄上、いや氏資に言ったところで始まらんわ!信じもせん。このうえは岩付城を守るため戦い抜くしかない!」
政景と資武は必死に戦ったが、すでに勝敗は決していた。
「もはや、これまで!父を裏切りし人面獣心の兄氏資を未来永劫祟り続けてやるわ!」
「なりませぬ、死ぬのはいつでも出来まする!」
腹を切ろうとした政景、弟の資武が止めた。
「宇都宮の父上と源七郎にこのことをお伝えあれ!もはや岩付は落ちたと!」
「源六…!」
「残りし我らで源太兄上が逃げのびる時間を作りまする!」
「ならばお前が参れ! どのツラ下げて父上と源七郎にまみえられる!」
「それがしの柔弱な体では宇都宮までたどり着けませぬ!どうか、一時の恥を受けて下さいませ!」
資正本隊は宇都宮に行っているため、岩付城内に残っていたのは老臣と、そして資武と同じように病気がちの者ばかりであった。氏資も一度挙兵した以上は容赦ない。次々と討ち果たすよう命じた。老臣の一人は
「道灌様、親兄弟が争う事態を防げなかった我らの無能をお許しください!」
そう叫んで氏資軍に突貫していった。
“道灌様、申し訳ございませぬ!”
多くの老臣たちは若き日に仕えた名将太田道灌に血の涙を流して詫び、そして討たれていった。それを伝え聞いた氏資は
「老臣たちが詫びることではない。我が父が愚かなだけだ」
冷徹に言い放った。そして城内に入った氏資に斬りかかった資武。しかし武人の氏資に叶うはずもなく、殴り飛ばされた。
「おっ、おのれっ…」
「お前に怨みはない。しばらく牢の中で頭を冷やせ」
氏資の兵に牢へ連行されていく資武。その背を見つめる氏資に使い番が来て報告
「ご母堂の難波田御前(南畑姫)、ご自害しようとされていましたが、取り押さえること間に合いましてございます」
「よし、奥に軟禁せよ。母上には使い道がある」
「ははっ」
「勝鬨をあげい!」
えい・えい・おうーッ!
えい・えい・おうーッ!
落城までの顛末を聞き、太田資正・潮田資忠親子は呆然とした。
「息子に…裏切られた…」
がくりと膝を落とした資正。
「国府台で死んだ蔵人に合わす顔がないわ…!」
重臣の命を賭した願いを聞き遂げ、氏資と復縁を決めた資正であったが、そんなことは当の氏資は知らず父の居城を落とし、太田資正の帰城ならぬ、そう明言したと云う。資正は息子に城を奪われたあげく追放されてしまったのだ。
「父上! まだ源七郎の寿能城がございまする! 憎き氏資を討ちましょう!」
「落ち着かれよ兄上!このまま親兄弟骨肉の争いを続けていれば上杉にも見放され、関東の笑い者になったあげく北条に討たれるのは必定ですぞ!」
「源七郎! そなたまで父上を裏切るのか!」
「源太兄上、わしはそんなことを言っているのではありませぬ!恥の上塗りは避けて、何とか源五兄上と話し合って」
「もうよい!」
「父上…」
「もう寿能にも源五郎の手は及んでいよう。味方に付くなら迎える。さもなくば討つとな…」
「まさか兄上がかようなことを…」
「源七郎、もはやお前にとっても源五郎は優しい兄ではない。このうえは寿能に戻り源五郎につくがよい」
「父上はこれから…」
「…わからん、今は一人にしてくれ」
「はっ…」
政景と資忠は陣を出ていった。父の慟哭が聞こえてきたのは、それからすぐだった。
「源七郎」
「はっ」
「氏資につくのならば、いやそうせざるを得ないのだろうが、今をもってそなたとわしはもはや兄と弟でもない」
「では源太兄上はこれからどうされるのですか?本拠地を失い、いまや牢人となってしまったのですぞ」
「…父と共に恥をしのんで頭を丸めて氏資に許しを請えとでも言うのか?」
「それは…」
「兄の氏資に伝えよ、必ずわしがお前の首を取りに行くと」
岩付城主となった太田氏資は北条氏康に従属を表明したと知らせが入った。関東管領の上杉氏とは事実上盟約破棄となった。北条氏康も関東制覇の最大の難所であった岩付城が労せず手中に入るとは望外の極みであったろう。以後、岩付城は北条家の大事な支城としての役割を担うことになる。
太田資正は軍議に出席し、すべての作戦がご破算になったことを北関東の諸将に伝えた。
「曾祖父道灌に匹敵する名将か、誰がそんなことを言ったのだ。美濃守、そなたが得意の伝書犬でも使って広めたのか?」
「息子一人しつけられない者に、あやうく我らの命運を委ねるところであった」
北関東の武将たちはただの牢人となってしまった資正をあざ笑った。拳を握り、悔し涙を流す資正だった。資正は恥辱の岩付城帰還不能となった永禄七年に入道三楽斎道誉と号した。この時、四十三歳であった。
現在の岩槻(岩月)城はこんな親兄弟骨肉の争いがあったとは信じられないほどに静かな城址公園となっています。つわものどもが夢のあと…