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国府台の戦い

第五話『国府台の戦い』

永禄六年、上杉輝虎(後の謙信)が関東に寄せてきたのに合わせて北条氏配下の太田康資が弟の資行、源四郎と共に北条家に謀反を起こして太田資正の岩付城に合流した。太田康資は資正と同様に太田道灌の曾孫である。

彼ら兄弟は曾祖父道灌以来の居城である江戸城にあったが、その実権は遠山直景が握っており康資兄弟は疎外されていたので、ついに叛旗を翻すに至ったのだ。資正は同族である康資が味方についたことを喜び、上杉輝虎を経て安房の里見義弘と結んで北条氏と対抗することになった。


太田新六郎康資は豪勇と知られる武将で、当年三十三歳。大男で合戦での得物は大鉄棒である。馬に乗って、その大鉄棒を振るっていると、まるで山が樹木と共に揺るぎだしたかのようであったと云う。そんな豪傑新六郎康資が太田資正と同じく上杉方に寝返ると云う予期せぬ事態に氏康は驚き、速やかに対応した。

采配は太田資正が執り、かつ上杉輝虎は上野まで進軍している。長引けば輝虎と太田・里見の連合軍に挟撃される。太田と里見だけの今ならば、兵の数は北条の方が多い。


氏康は短期決戦、しかも三日以内の決着を考えた。兵糧は北条で用意するので各将兵に腰兵糧を持たせ、陣夫は連れず大急ぎで江戸に着陣するように伝えた。かつ氏康は上杉や里見ではなく、裏切り者の太田康資と資正を叩くことに重点を置いた。すぐに市川の里見義弘を攻撃すると云う情報が資正の耳に入った。

しかし、これは太田資正と太田康資をおびき寄せる罠であった。太田勢は岩付城を出陣、房州市川に向かった。


寿能城の潮田家にも当然出陣命令があったので潮田資忠も手勢を連れて出陣した。進軍中、主君資忠に家老の北沢宮内が

「殿、こたびの戦は関東の覇権も左右しかねない大事なものにござる。気を引き締められよ」

「うむ、北条に一泡吹かせてくれようぞ」

「その意気にござる婿殿」

舅の潮田常陸介も資忠の軍勢の中にあった。


そして永禄七年一月八日の早朝、房州国府台の地で北条と太田・里見連合軍が対峙、合戦の火蓋が切って落とされた。世に云う国府台の戦いである。

北条勢の方が軍勢の数は多かったが、午前中の戦いは地形に恵まれ、かつ太陽を背にしていたためか、終始太田・里見連合軍が押しており、北条の猛将たちの多くが戦死、後陣にいた氏康は相次ぐ敗報を聞き、やがて退却を下命。

しかし、これは短期決戦の腹の氏康。小田原まで退くつもりはない。時を置いて、もう一度挑むための退却である。川を渡り国府台の前面に陣列を整えて準備した。


この午前の戦い、北条にはまだ温存されていた軍勢がある。地黄八幡の異名を持つ、北条左衛門太夫綱成である。本来、この午前の合戦も先陣として出るはずであったが、江戸の侍大将数名が、どうしても先陣を譲ってほしいと頼むので、その意気や良しと綱成自らが氏康に取りなして譲っていた。

敵軍の里見義弘、太田資正はやはり強く、こうして綱成にも出番が巡ってきたと云うわけである。改めて参戦となったからには何の土産も持たずにいる将ではない。北条の智嚢である松田左衛門佐(憲秀)の陣に行き、こう述べた。

「調べさせたところ、国府台の西北の方は岸が切り立って険しいが、東南はなだらかと云う。その陰に廻って敵の後ろからふいを襲い、大手と搦め手の双方から攻め立てれば勝利は疑いない。どうであろうか?」

この策に松田憲秀は

「最善の策が出来た。これは良い」

と、綱成に同意して、これを氏康に具申した。氏康は喜び

「立派な武略なり、氏政も差し添えて早く出発させよう」


一方、太田・里見連合軍の陣では戦勝を喜び、酒宴となっていた。

「父上、油断は禁物にございます。北条が完全に戦場を離脱していないのに酒宴とは」

資忠は父を諫めた。仇敵北条に大勝利したことで資正も気を良くしていた。

「ふん、梅千代が、また良い子ぶりおって」

次兄政景が毒づく。勝利の美酒に酔っていたところを邪魔する無粋なやつめ、と云う目だ。

「源太兄上、それは聞き捨てなりませぬ。梅千代は幼名、わしはもう源七郎資忠にございます」

「ええい、二人ともよさんか。せっかくの美酒がまずくなるわ」

「父上、北条にはまだ余力が残っているかと存じます。ここは敵の夜襲に備えて」

「案ずるな、たとえ余力を残していても一日やそこらで再編も出来まい。明日の早朝、攻撃をかけて息の根を止めてやるわ」

資正は翌朝九日の早朝を期して北条軍を撃滅する作戦を決めて全軍に通達していた。

「源太も源七郎も見事な働きぶりであった。明朝も期待している。だが今は休め」

「分かりました」

一抹の不安を覚えるも、資忠にはこれ以上のことは出来ず潮田本陣に戻り、体を休めていた。北条方は斥候を派遣して太田と里見の動静を伺わせ、すでに酒宴を行っていると分かっていた。北条綱成と松田憲秀は

「もう勝ったも同じ、時は今」

と述べた。氏康も異論はない。

「ふん、曾祖父道灌に匹敵する名将と聞いて呆れるわ美濃(資正)。よくよく考えれば太田道灌とて主君に騙し討ちで殺されるなどと云う哀れな末路だ。最後の詰めが甘いのは先祖ゆずりか」

床几を立ち、采配を太田・里見連合軍に向けた氏康。

「かかれ! 太田と里見の本陣を突き崩すのだ!」


氏康の決断は早く、八日午後に太田と里見の油断に乗じて連合軍の陣を襲撃した。午前とは逆に、今度は北条方が太陽を背にしていた。午前の戦の雪辱戦と言わんばかりに北条勢は激しく突撃。

こうなれば元々連合軍より多勢で会った北条勢の方が優勢となる。太田と里見の連合軍は陣を右往左往するばかりであった。同盟軍である里見は大混乱に陥った。そして河越夜戦でも戦場に轟いた、あの大声

「勝った、勝った、勝った!!」

北条綱成が戦場を駆け巡り、そう繰り返す。多少太田と里見が勢いを盛り返そうとしても、綱成の確信に満ちた『勝った』と云う大声で北条は士気をぐんぐん上げていく。なんと恐ろしい男か、そう里見義弘と太田資正が感じても、もはや後の祭り。知勇兼備の名将であった里見義弘と太田資正が、どうしてここまであっけない敗北を喫したか。運の巡り合わせか、油断大敵とも言えるだろうか。


太田勢は勝利の勢いに乗る北条を押さえきれずに退却するしかなかった。北条の狙いは太田資正と康資であった。里見への追撃は早々に切り上げて太田勢をしつように追う。

「裏切り者の太田美濃を逃すな」

氏康は追撃の手を緩めず、資正に追撃を続ける。潮田家家老の北沢宮内は咄嗟に機転を利かせて、太田資正本隊と別の道で退却することにした。潮田勢にはほとんど北条の追撃はない。

「やはり、北条の狙いは大殿と新六郎殿(康資)と云うことか」

裏切り者は許しおかぬ。氏康の怒りと執念が具現化したようなすさまじい追撃であった。この時、太田軍でしんがりを務めたのが太田家侍大将の平柳蔵人である。

「大殿! ここは私が防ぎますゆえ、急ぎ岩付へ!」

「蔵人! すまぬ!」

資正は悔恨の涙を流していた。先の勝利に浮かれて酒宴を開くことに蔵人は『油断大敵』と反対していた。しかし資正は聞かず、勝利の美酒に酔ってしまった。

「もはや申しますまい。だが大殿、この蔵人の最後のお願いを聞いて下され」

「何なりと申せ」

「若殿、源五郎様(氏資)と仲直りし、そして末永く親子仲良う」

「蔵人…」

「しかと、お頼み申す。ではさらば!」

平柳蔵人は手勢と共に北条勢に突貫した。

「我こそは武州元郷が住人にて太田家侍大将、平柳蔵人忠教!しんがりの誉れを受けたからには、ここを死に場所と決めた!さあ北条武士よ、いざ尋常に勝負、勝負!」

退却する資正の耳に『平柳蔵人殿、討ち取ったり!』と聞こえたのは、それから間もなくのことだった。

「すまぬ、すまぬ、蔵人!」


別の道を使って退却していた資忠は

「宮内!父上が危ない、お助けしなければ!」

軍勢を返そうとする主君を止める北沢宮内。

「なりませぬ。この戦の勝敗はすでに決しましてございます! いま大殿の救出のために軍勢を返せば潮田勢も壊滅にございますぞ!」

「婿殿、わしも宮内殿と同意見じゃ!ここは一兵でも無事に寿能に戻るが務めですぞ!」

重臣の北沢宮内と舅の潮田常陸介に諌められれば、資忠もどうしようもない。

「わしに父を見捨てろと申すのか!」

「どうしても行くのならば、この宮内を斬り捨てて行かれよ!」

「くっ…!」

「婿殿は寿能十万石の当主ですぞ!自重されよ!」

「父上、申し訳ございませぬ!」

資忠は断腸の思いで寿能城に退却した。


無事に寿能城に引き揚げたころ、父の資正が無事に岩付城に帰還した知らせが届き、上杉輝虎も敗報を聞いて越後へと引き揚げたと報告が入った。疲労困憊で城に入った資正。

「殿、ようご無事で」

正室の南畑姫が資正を迎えた。

「ゆ、湯づけを持て」

湯づけを夢中で腹に入れると資正は泥のように眠った。眠りから覚めた資正は悔しさに顔を歪めた。太田家にとっては痛恨の大敗であった。太田・里見連合軍の戦死者は五千を越えている。まさに大惨敗と云える。この大惨敗の落首が伝わっている。


よし(義)弘が頼む弓矢の威は尽きて

からきうき目に太田(会うた)身のはて


息つく間もなく、太田家には危機が迫っていた。北条氏康が岩付城に進攻するため準備をしていると云うのだ。資正は急ぎ盟約を結ぶ北関東の諸将に援軍を呼びかけた。佐竹氏、成田氏、宇都宮氏、そして息子の潮田出羽守資忠にも出陣命令を出した。資忠は急ぎ重臣の北沢宮内と加藤大学、舅の潮田常陸介を召した。

「国府台より戻り間もないが、ここが正念場だ」

「御意」

「父上は援軍諸将と軍議をするため宇都宮に行くらしい。我らは岩付で父上と合流する」

「先の大敗が堪えますな。今までは使者を出して加勢を要請したと云うに、こたびは大殿自身が諸将のもとに出向かねばならぬとは」

「それを申すな宮内、殿の申すとおり、ここが太田の正念場ぞ。なりふりかまっていられようか。佐竹、成田、宇都宮とて、いま岩付を北条がものとなれば、次は我が身と分かっていよう」

大学が添えた。続けて言う。

「殿、留守はこの大学にお任せを。殿はとにかく大殿と共にこの窮地を脱することに集中なされませ」

「分かった。苦労をかけるな、大学、宮内」

「それと婿殿、聞きましたか蔵人殿が最後の言葉」

と、常陸介

「…?いや舅殿、私は存じませんが」

「源五郎殿と仲直りし、末長く親子仲良う、と云うお言葉であったそうな」

「なんと…。重臣蔵人の最後の願いとあれば父上も聞き遂げよう!」

しかし、宮内、大学、常陸介の顔は晴れない。続けて常陸介

「…どうでしょうかな。かの足利尊氏と直義は実母が今わの際に『兄弟仲良く』と懇願しても結局は戦うしかございませなんだ」

「源五郎様の母方である難波田家は、その戦いのおり直義方についておりまする。歴史は繰り返すのではないかと不安を覚えるばかり…」

加藤大学が添える。資忠は

「過去の事例をさかのぼり気に病んでも仕方ない。大事なのは蔵人が死を賭した願いが親子仲良くと云うもの。それを叶えねば父の家臣の束ねに亀裂が生じるのは分かっているはず。蔵人の願いを叶えるため、子として弟として、そして太田家家臣として、父と兄の仲を修復しなければならん」


この数日後、資忠は潮田勢を率いて岩付城に訪れた。

「父上、源七郎まいりました」

「ようまいった」

大敗による心労か、資正は少しやつれていた。父の傍らには次兄政景、三兄資武がいた。

「宇都宮に出発する前に源七郎に言っておく」

「わしも父上に申すことが」

「そうか、わしから先で良いか?」

「はい」

「源五郎を呼び戻し、太田の世継ぎといたす」

「ほ、本当にございますか!」

「先の戦で、しんがりを務めてくれた蔵人の最後の願い…。主君として、いや人として叶えてやらねばならぬ」

「それは御英断!わしが申したき儀もそれでございました。きっと蔵人もあの世で喜んでいましょう!」

資正の横にいた次男政景は不快な顔をしていた。太田家を継げると思っていた政景。実際資正は上杉輝虎に政景を世継ぎにすると伝えていた。

しかし重臣平柳の命を賭しての願いならば、文句も言えない。

「源太にもしばらくしたら城と領地を預けよう。母方の大石家から養子にと望まれておったしな。そなたは大石家を継ぐとよい」

「はっ、源七郎と共に兄の両翼となる所存」

「源六(資武)、病弱なその方では城主は無理じゃ。この岩付にあり源五郎をよう補佐するようにな」

「はっ、源六しかと肝に銘じます」

次男、三男、四男のたのもしき返事と顔に満足する資正、かの毛利元就の三人の息子には及ばないかもしれないが、まだ三人とも若い。これからだ。

「源五郎を生かすも殺すも、そなたら弟たち次第。とくと心得よ」

「ははっ」

三人が揃って返す。何とも源五郎は弟たちに恵まれていることか。これなら心配あるまいと思う資正だが、まずは目の前の火事を何とかしなければならない。

「しかし今は北条の猛攻を食い止めることが先決だ。宇都宮に行き、北関東諸将と手を結ぶ。源五郎との仲の修復も、まずは北条をどうにかしてからだ。源太は先の戦の負傷もあるゆえ留守居をせよ。源六は毎度同じ役目ですまんが兵站を頼む。宇都宮は源七郎を連れて行ってまいる」

「首尾よく諸将が味方に付くことを願っておりまする。源七郎、父上を頼むぞ」

「分かりました源太兄上」

「兵站は任せておけ。わしがその役を担う限り、太田も潮田も戦場で飢えさせぬ」

「頼りにしています源六兄上」

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