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竜神の花嫁

第十一話『竜神の花嫁』

太田氏資が戦死して数年が過ぎた。

新たな岩付城主となった太田氏房、若いと云うこともあるだろうが、やはり先々代の太田三楽斎の統治には及ばなかった。三楽斎を追放した氏資が民心を中々得られなかったように、氏房も相次ぐ反乱に手を焼くことになる。資忠の所領である寿能十万石では反乱は起きていない。氏房はどう統治をしているのか素直に資忠に訊ねた。

「殿の治め方を見ていますに、あまりに法に厳しいと思われます『水清ければ魚棲まず』の例えもありますので、重箱の隅をつつくようなやり方では、やはり今日のような結果となりましょう」

氏房側近の伊達房実は苦虫潰した顔をしている。かく言う資忠もそんな房実の心底を見抜いてか『本来なら付け家老が進言すべきであろう』と思っていた。話を続ける。

「もっと大まかで良いと存じます。簡素簡略を旨として…」

「ふん、それが三楽斎殿と大膳太夫殿(氏資)が統治でござるかな?」

嫌味交じりに房実が言った。これには癪に障った資忠

「父と兄に関わらず、領主の心得を述べているのでござらんか!」

「殿、岩付の民は新しい領主を軽んじているだけにございまする。今の出羽殿のような統治をされれば、ますます軽んじられますぞ!」

結局、氏房は資忠の進言は取り上げず房実の言うとおり厳しい統治をしていく。反乱が起きても、その理由を知ろうとせず、祖父の氏康、父の氏政に統治能力なしと判断されるのを恐れて性急に乱の鎮静に乗り出す。

心ならずも反乱の鎮静に当たらなくてはならない資忠。父の統治のおりには領主を敬愛してくれた民、何とか説得できないかと思いつつも、一度反乱した以上領主は許さないと先代氏資の姿勢を見ているため、説得はかなわなかった。


反乱を起こすのは民だけではない。太田家臣たちも同様である。太田三楽斎の重臣、平柳蔵人の旧領武州元郷(埼玉県川口市)。平柳の旧臣たちが新領主の氏房に反乱した。彼らの旧主蔵人は三楽斎を逃がすためにしんがりを務めて討ち死にした。三楽斎は手厚い恩賞を与えるつもりであったが、その前に氏資に追放されてしまった。

その氏資は平柳に報わなかった。資忠が取り成したが聞く耳を持たなかった。氏資のあとを継いだ氏房も平柳に報わない。反乱を起こすのも無理らしからぬことであった。氏房は家老の伊達房実と潮田資忠に討伐を命じた。資忠は

「大敗のしんがりを務め、先々代の命を救いし平柳の家。今からでも遅くはないゆえ一族を手厚く遇すれば反乱は鎮まり、今後は太田のために働いてくれましょう」

そう進言した。氏房の本当の祖父ならいざしらず、三楽斎は北条にとって敵。氏房が恩を感じるはずもない。資忠の進言は容れられなかった。

平柳遺臣の中には寿能築城に協力してくれた者もいる。そんな縁浅からぬ者たちを討たなければならないのか。寿能から元郷に向かう資忠の顔は暗かった。討伐の大将である伊達房実、資忠を本陣に呼び寄せ

「出羽守殿」

「はっ」

「三楽斎殿や大膳太夫殿の古い話を出して主君を諌めるのは御身のためにならぬ。いま貴殿は太田氏房様の属将であるぞ」

「これは異なことを。十郎様(氏房)は太田家を継いだのではござらんか。先々代、先代の事跡を知るのも必要なことと存ずるが」

「十郎様が御先代たちの事跡を知る必要であるならば、それは北条早雲公、氏綱公、氏康公の事跡にござる。太田の先代たちの事跡は必要ござらん」

「何故にござるか」

「太田道灌殿は主家に討たれ、三楽斎殿は息子に追放され、大膳太夫殿は意地を張り通して自滅した。かような者に学ぶところなどござらぬ」

「…ならばこそ前車の覆轍として学ばねばならぬと存じます」

「ふん、そういう観点もあるか。出羽守殿もなかなか弁が達者ですな」

房実の嫌味に拳を握る資忠、傍らにいた北沢宮内が手を押さえて短気を起こすのはならぬと首を振った。

「とにかく忠告はしましたぞ。持ち場に戻られよ」

自陣に戻り資忠は

「わしのことならいかようにも謗るがいい。しかし先祖と父兄を侮辱されては我が武士道が立たぬ!」

「それがしとて無念、ですが殿」

「ああ…分かっている。かような仕打ちも承知の上で立てた潮田が方針じゃ。よう止めてくれたな宮内」

「はっ」


伊達房実と潮田資忠は平柳の反乱を鎮静した。捕らえられた者は全員処刑された。処刑直前、蔵人の元重臣であった者たちが資忠を罵った。彼は寿能築城の際、元郷から物資と人員を運んできてくれた者たちであった。

「太田道灌が末として恥ずかしくないのか!北条に尻尾を振り功臣を討つとは見下げ果てたわ!いずれ報いを受けようぞ!!」

資忠は何も言い返さず、黙って罵りを聞いていた。そしてこの年、北条氏康が世を去った。北条家は氏政が継いだ。


月日が流れた。潮田家は北条の戦に駆り出され、上杉、佐竹、里見と戦った。佐竹と戦った時、せめて父の三楽斎と兄の政景と対峙しなかったことだけでも幸いだった。

寿能潮田家の周りはすべて北条の領地、幸いにして寿能に攻め込む敵勢力はない。手伝い戦に駆り出されつつも、資忠の治める寿能は平和であった。北条に与した時に決めた方針通り戦国の世をしぶとく生き残っていた。

嬉しい知らせもある。資忠と沙代の間に次男竹丸が生まれているのだ。後の潮田左馬允資政である。もう一つ、嬉しい知らせがある。資忠の嫡男資勝が佐竹氏との戦いで武功を立て、太田氏房を経て、北条氏政より名刀を賜ったのだ。

資忠と伊達房実との不仲は相変わらずだが、太田氏房を支える両家老として北条家に居場所を得つつもあった。氏房も徐々に領主として経験を積んでいき、領内の一揆も減少していく。


資忠は北条氏政に従軍し、武田家の滅亡も見た。あれほどの威勢を誇った武田家も滅ぶときは何とあっけないものなのか。当主の武田勝頼は家臣たちに次々と見放され、最後は女子供含めて五十人足らずとなり、天目山にて自害したと聞く。明日は我が身、資忠はそう思わずにはいられなかった。

武田が滅亡したその年、中央で大事件が起きた。本能寺の変である。天下に手が差し掛かっていた織田信長が家臣明智光秀の裏切りによって討たれてしまった。その明智光秀も同じく織田の重臣であった羽柴秀吉に討たれた。中央の情勢は目まぐるしく変わり、賤ヶ岳の戦いで柴田勝家を討った羽柴秀吉が織田信長の事実上の後継者となり、天下統一に乗り出していく。


小牧長久手の戦いでは局地戦で徳川家康に敗れるも、家康が大義名分として擁立した織田信雄と秀吉は和議を結び、家康は撤退を余儀なくされる。そして秀吉のなりふり構わない懐柔策により、家康は重い腰をあげて上洛。秀吉の傘下大名となった。

大坂城と云う絢爛豪華な城を建てた秀吉、いまや関白の官位を得て豊臣秀吉と名乗る。秀吉は京の都に聚楽第と云う城を建て、そこに北条の上洛を命じている。

しかし当主氏政は腰を上げず、弟の氏規が名代として上洛している。氏規が上洛したことで、豊臣と北条の和は成ったかのように見えたのだが…。


その間、資忠の娘である能姫もすくすく育ち、近隣では評判の美しさ。資忠自慢の娘である。竜神の花嫁とも呼ばれ、伊達房実の息子房次に嫁ぐことも決まっていた。太田氏房も正室七里との間に子をもうけた。資忠の息子の資勝も妻をめとり寿能は潮田家の統治行き届き、北条氏への手伝い戦や農民間のわずかな小競り合いはあったものの、岩付太田家と寿能潮田家は北条家の情勢を他所に少しの平穏の中にあった。


能姫と伊達房次の婚姻を決めたのは太田氏房であり、資忠は内心、あの男の息子に掌中の珠と云うべき娘をくれてやらねばならんのかと不満に思うも、逆らうことが許されない。主君と父の命令は絶対、能姫に選択肢はない。言いつけどおり嫁ぐつもりだ。

輿入れの日が迫りつつある頃、資忠生母の紅花が世を去った。孫娘の花嫁姿が見られないのは残念と言い残し、資忠と能姫の手を握りながら逝った。その葬儀の夜のこと、能姫は庭で笛を吹いていた。笛は祖母紅花より習ったものだ。紅花は大変な笛の名手で、三楽斎との馴れ初めも、潮田屋敷に訪れた三楽斎が紅花の笛の音に魅せられたからだ。

能は、祖母紅花にも劣らない笛の名手となっていた。資忠は音色に気づき縁側から庭に降りた。

「ああ、そのまま続けなさい」

父に気づいた能姫は笛から唇を離そうとしたが、資忠は続きを促した。しばらく愛娘の奏でる音色に聞き惚れる資忠。

「母上を送るために奏でてくれているのだな…。お前は本当に優しい子だ」

「お婆さまに何の孝行も出来ませんでしたから…せめて」

笛を離した能姫。

「何を言う。元気に、そして美しく成長してくれたことが何よりの孝行だぞ。さあ、続きを聴かせてくれ」

「はい」

能姫の奏でる笛の音、それは幼き日から能姫がよく歌っていた、見沼のほたるの歌。資忠は笛の音を聞きながら月を眺め、ほたるの歌を口ずさむ。

「ほたるが出る季節ではないが…その音色を聞くと何か目の前を舞っていそうな気がするのう…」

庭の池の前に歩む資忠と能姫。蓮華が水面に咲かせていた。見沼に咲かせることは出来ないが、城の池にはたくさんの蓮華が美しく映えている。能姫の子供のころのお願いを資忠は今だ律儀に守っているのだ。

「能よ」

「はい」

「そなたも存じているとは思うが、わしと与兵衛殿(伊達房実)は仲が良くない」

「知っております」

「だが、父親同士の不仲など若いそなたらには関係のないこと。新兵衛殿(房次)と末永く仲良くするのだぞ」

「はい、父上と母上のように仲睦まじき夫婦となります」

吉日を選び、能姫は伊達家に輿入れすることになった。しかし


「殿、殿―ッ!!」

能姫の侍女の静が血相を変えて、城主の間に駆けてきた。家老の北沢宮内と加藤大学と用談していた資忠。

「殿、大変にございます!!」

「どうした静、落ち着け」

「ひ、姫様がお倒れに!!」

「なに?」

大急ぎで奥に駆ける資忠。妻の沙代が能姫を抱きかかえていた。

「能!しっかりしなさい!」

「はぁ…はぁ…」

兄の資勝、弟の竹丸も駆け付けた。

「能!!」

「姉上様!!」

顔は紅潮し、息も荒い。資忠も能姫の額に触れたが大変な熱であった。

「すっ、すぐに医者を!医者を!!」

城下から、すぐに医者が呼ばれた。そして診断結果は資忠と沙代を愕然とさせるものであった。

「姫様は疱瘡にございます…」

「疱瘡―ッ!?」

沙代は泣き崩れ、資忠と資勝は驚きのあまり声が出なかった。

疱瘡、天然痘とも呼ばれる大病である。高い高熱と激しい頭痛、死に至っても不思議ではない。嫁ぎ先である伊達家も能姫の発症を知り、居城に病退散の廟まで建立した。夫となる房次も、竜神の花嫁と称される美女との婚儀を失うのは惜しく、懸命に治癒を願った。

父の資忠、兄の資勝は水垢離をし、母の沙代と弟の竹丸はお百度参りをして能姫の快癒を願った。美しき姫は領民たちの誇り、寿能の民たち何人もが氷川神社で能姫の快癒を願った。

願いは届いたのか、能姫は十日ほどで快癒に向かいだした。しかし


「いやあああああああ!!」

意識を取り戻した能姫は城中に轟く叫びをあげた。顔に触れて違和感を覚えた能姫は鏡を見た瞬間、絶望の叫びをあげた。竜神の花嫁と称された美貌が疱瘡の毒による痘痕により大きく崩れてしまったのだ。

娘の悲壮な叫び声を聞いた資忠は奥に走った。見た光景に我が目を疑った。能姫が小刀で自害しようとしているではないか。必死に侍女の静が止めている。

「馬鹿者!!」

資忠は初めて愛娘を叩いた。叩かれても起き上がる気力もなかったか能姫はそのまま泣き崩れた。

「わあああああッ!!」

沙代と静はかける言葉もない。年頃の娘にとっては耐えがたい苦しみである。顔中に痘痕が出来、右目は何かひきつるように吊り上ってしまった。竜神の花嫁と呼ばれた美貌は消え失せてしまったのである。


能姫の顔が崩れたことを伝え聞いた伊達家は潮田家との婚儀を解消、これにより伊達家と潮田家は再び険悪な関係となっていく。

自室に閉じこもり、笛を吹くこともやめてしまった能姫。自害せぬよう侍女が付きっきりである。そんな、ある日の夜であった。父の資忠が能の部屋に訪れた。

「能、最近ほとんど食事を取っていないそうではないか。侍女たちをそう困らせるものではないぞ」

「……」

沈黙で答える娘の横に座る資忠。

「能よ…。わしはむしろこれで良かったと思う。顔に痘痕が出来たごときで婚儀をとりやめる男に嫁がせずに済んだことがな…」

「…父上」

「小田原で聞いた、ある上方の武将の話なのだが…」

「え?」

「婚約のあと、今回の能と同じく疱瘡を患い、顔に痘痕が生じた娘がいた。娘の父は顔がそっくりの妹を替え玉にして嫁がせた。しかし夫となる者は、それをあっさり見破り、約束を違えずに妻として迎えた。娘は妻となって夫に尽くし、貧しさのあまり会合の資金に困った夫を見て、恥をかかせてはと女の命と云うべき髪を売った。そんな健気な妻に対し、夫は生涯側室も持たず、その妻を愛し続けたという…」

「……」

「この夫は、本能寺にて織田信長を討った明智光秀殿のこと。最後は報われなかった明智殿であるが、妻を大事に思う気持ち、同じ男として感服せずにおれぬ。伊達の若も愚かなことよ。明智が妻ほどの娘を花嫁に出来る千載一遇の好機を逃しよった…」

「そんな奥方に…私もなれますか…」

「なれるとも、男は伊達の若のような馬鹿ばかりではないぞ。必ず能にとって明智殿のような婿殿が現れる。能のような心美しき娘が幸せになれぬはずがないのだ」

優しく笑い、愛娘の肩を抱く資忠だった。

「…父上、ありがとうございまする」

不器用ながらも自分を元気付けようとする父の気持ちが嬉しかった。

「その日が来るまで、父の側にいよ」

「はい…」

「今日はよい月だ。たまに庭で笛を聴かせてくれないか」

父の言葉に少しの元気を取り戻した能姫は、久しぶりに笛を吹いた。黙ってそれを聴く資忠。姫の大病と云う事態が発したが寿能は平穏な日々に戻っていく。


だが、戦国の世は寿能を放っておかない。潮田家、いや北条家をゆるがす大事件が起きる。資忠は岩付の太田氏房に召された。そして伊達房実から知らされた。

「い、猪俣殿が真田の名胡桃城を落とした!?」

沼田城代となっていた猪俣邦憲が真田家の名胡桃城を攻め落としてしまったのだ。呆然とする資忠。真田家は畿内で権勢を誇る関白豊臣秀吉に臣従している。だから名胡桃城を落とすと云うことは公然と秀吉に戦を挑むと同じこと。

今まで名前しか知らなかった時の天下人の豊臣秀吉がいよいよ己に降りかかってくることに思わず唾を呑んだ資忠。頭を抱える伊達房実に資忠は訊ねた。

「十郎様は、殿はどうされるつもりなのでございますか」

「…殿は常々秀吉の北条に対する横暴に腹を据えかねていた」

「…聞いております」

「ご本家には今からでも名胡桃城を返し、猪俣殿の首を関白に差し出して和を講じようと云う穏健派と関白何するものぞと息巻いている強硬派とおる。殿は後者だ」

「左京様(北条氏直)と相模守様(北条氏政)は…」

「左京様は何とか戦を止めようとしているが、相模守様は戦うつもりらしい」

今だ北条家の実権は氏政が握っていた。氏直では父氏政の考えを改めることは出来まい。これは戦になると資忠は思った。房実と資忠がいる部屋に氏房が来た。

「名胡桃城のことは聞いたか、出羽守」

「はっ」

「小田原に参陣せねばならん」

「殿、やはり関白と戦に…」

「当然だ。この関八州をあんな成り上がり者に好きにさせようか」

鼻息の荒い氏房。秀吉は今や四国や九州まで勢力を伸ばしている。盟約を結んでいるとはいえ徳川家が北条に味方をするとは思えない。勝てると思うのか…。資忠の脳裏にそんな言葉が浮かぶ。

「房実には岩付の留守を頼む。出羽守はわしと一緒に小田原に参れ」

「…ははっ」

「軍兵はいかほど連れて行けるか」

「我が潮田家の全軍は千でございますれば、半数の五百を連れて…」

「しばらく、軍兵は百で結構にございまする」

と、伊達房実

「なっ…。百で何が出来まするか!殿のみならず小田原の大殿やご重臣方にも面目が立ちませぬ!」

「待て出羽守、与兵衛、理由を申せ」

「はい、寿能は岩付が支城、少しでも多く兵を残しておいてもらわねば岩付が危のうございます。小田原の方は北条に与するすべての大小名が参じるゆえ、出羽殿の兵が五百であろうと百であろうと、そう変わりますまい。殿より、その旨のお口添えあれば大殿やご重臣の心象も害しますまい」

「寿能に残す九百の兵とその家族を盾とする気か貴様!!」

激怒する資忠。秀吉は小田原にも寄せるだろうが各支城も攻め落とすだろう。それが出来るほどの大勢力なのだから。

「これはしたり、本城の岩付を守るのが寿能の存在意義のはず。三楽斎殿とて、その役目を担わせ息子たる出羽殿に寿能十万石をお与えになったのでござろう?」

「くっ…」

「それとも、父の三楽斎、兄の大膳太夫でなければ守る気はないと申されるのか?」

「与兵衛、そのへんにしておけ。秀吉との戦は厳しいものとなろう。何より我らの団結が大切な今、いたずらに波風立てるでない」

氏房が取りなした。

「はっ、言葉が過ぎました」

「だが房実の意見ももっともだ。出羽守、潮田は百で良い。わしが父と兄に事情を申すゆえ、面目の心配はいらぬ」

「しっ、しかし…」

「君命であるぞ」

「はっ…」

無念なれど下命を受けるしかない。頭を垂れ、資忠は畳を見つめながら悔しさに拳を握った。肩を震わせながら廊下を歩く資忠に

「叔父上様」

「あ…これは御台様」

「およし下さい、二人の時は」

「…そうであったな七里」

亡き長兄、太田氏資の娘で、現当主氏房正室の七里姫(史実の小少将)、資忠には姪となる。

「能が病のこと…。何と申したらよいか」

「いや、人間万事、塞翁が馬と申すゆえな。この災難が逆に良縁となるやもしれん」

女子を美貌で判断するような男に嫁がせなくて、逆に幸いであった。資忠は強がりでなく本心からそう思っている。七里にもそれは伝わり微笑を浮かべ

「能は今…」

「前のような元気はない。しかし徐々に立ち直りつつある」

「良かった…」

「最初は頭巾のようなものをかぶっていたが、寿能の皆の優しさに触れ、今はもうかぶっておらん。この家臣たちと、その家族の温かさ、能も嬉しかったろうが、わしも嬉しい」

そんな心温かき寿能の者を盾としか見ない房実に改めて腹を立てる資忠だった。

「叔父上様、ご武運を」

「かたじけない。この岩付の城でわしの味方は七里だけだのう。はっははは」


寿能城に引き返した資忠。百の兵だけで良いと云う君命に怒りを隠せない北沢宮内と加藤大学。

「くそっ、岩付め!我らを盾として捨て駒にする気か!!」

伊達房実の進言によってと聞くや、ますます激昂する北沢宮内だった。その宮内をなだめるように資忠が

「しかし、親城である岩付を守るのが寿能の役目と言われれば何も言い返せぬ」

「…大殿や若殿を守るならまだしも、何が悲しくて北条を守るため我らが盾にならねばならぬのだ」

大殿とは三楽斎、若殿とは氏資のこと。宮内が無念のあまり思わず口走ったことは資忠と大学にとっても、正直な気持ちだ。言葉に気をつけろとは言えなかった。

「宮内、とにかく家中から百名を選りすぐれ。たとえ百でも太田道灌が末の戦、上方の者に示してくれよう」

「…それしかないですな。お任せあれ、一騎当千の猛者どもを選びまする」

「任せる。大学は軍備の指揮を頼む」

「承知いたしました」


ここは大坂城、豊臣秀吉が家臣の一人を呼んだ。浅野長政、秀吉の妻ねねの養父である浅野長勝の娘婿であり、姻戚関係と云う縁から古くより秀吉に仕えている子飼いの将である。城主の間の廊下で秀吉に頭を垂れる。

「関白殿下、お呼びにございますか」

「ん、弥兵衛(長政)近う」

「ははっ」

小田原北条攻め、浅野長政は岩付城を中心とした地を攻略する総大将である。近隣の道筋を記した地図が秀吉の前にあった。

「ほう、岩付にもずいぶんと支城が多いことですな」

地図を見て支城の数を指で追う長政。

「じゃが、どれもこれも城と云うより砦じゃな。お粗末な備えしかない館のようなものよ。しかし…」

「しかし?」

「この寿能城は見沼を天然の堀とした、中々の城と報告が入っている」

秀吉の扇子が寿能城を指す。

「何でも竜神の花嫁と呼ばれる、たいそう美しい姫がいるらしいが…」

「竜神?」

「ほれ、この大きな沼、ここに龍の神様が棲んでいると近隣の者は信じているらしい」

「ほう、その竜神の花嫁と称されるなら相当な美貌でしょうな。分かりました。降伏させ、殿下に献じるよう申し渡しましょう」

「いや、それにはおよばん」

「は?」

「そちも知ってのとおり、北条方の城にある美貌の姫のことは調べてあり、無論この寿能城の…確か能姫であったか、わしの側に置く予定であったが…」

「なんぞ不都合でも?」

「疱瘡にかかり、その美貌は痘痕でもはや見る影もないということ」

「哀れな」

くくく、と秀吉は笑い

「醜女には用はないでな。総攻めで一気に落としてかまわんぞ」

「はっははは、姫の疱瘡が寿能の運命を決めましたか。美貌の姫あれば降伏して城兵も生き残る可能性も無きにしも非ずでしたが」

「ふむ、親城である岩付は太田三楽斎による改修により、かなりの堅城と聞く。岩付の士気を砕くため、寿能の降伏は受けず、すべて殺せ」

「承知しました」


最終回『寿能落城』に続く

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