潮田家の岐路
第十話『潮田家の岐路』
太田氏資の死から一ヶ月後、寿能城に北条家から使者が来た。岩付城主に北条氏政の次男である氏房が入り、氏資の娘の七里を妻に迎えて太田氏の家督を継がせると云うのだ。氏資に息子がいれば話は別であったろうが、いない以上は仕方ないこと。無念なれど資忠は了承した。
資忠は岩付城に出向いた。新しき城主である氏房に会うためである。北条氏政の息子、まだ若い。
「寿能城主、潮田出羽守資忠にございます」
「北条、いや太田氏房である」
氏房の傍らには歴戦の坂東武者を思わせる武将が座っていた。
「手前、氏房様の付け家老である伊達房実と申す」
「潮田出羽守資忠でございます」
「それがしは大和田に城を構えることにいたしましたので今後よしなに」
「大和田?」
見沼を挟んで、寿能とは真向かいの対岸の地である。
「さよう、これで寿能、大和田、岩付と連絡経路が出来まする。三楽斎殿のように我らには軍用犬を使役する技能はござらぬゆえな」
一つ咳払いをして氏房が言った。
「出羽守、すでに聞いたと思うがわしは太田家を継ぐことになった」
「はい」
「三楽斎殿の実子で、大膳大夫殿(氏資)が弟であるそちには含むところもあろうが、今更そちも潮田より太田に戻れる道理もないゆえ、受け入れてほしい」
「承知しました」
伊達房実を筆頭に、氏房には北条家より何人もの家臣が送られてきている。氏資に仕えていた者たちは遠ざけられていた。資忠はれっきとした大名なので氏房や、その家臣どもにも重く見られている。いざ戦となれば岩付の支城である寿能の者にも働いてもらわねばならないのだから。
岩付から引き上げようとした資忠のもとに氏資旧臣たちが来た。それらを代表して三田村河内守と云う武士が資忠に歩み、
「源七郎様、我ら氏房に仕えることなど出来ませぬ」
そう訴えた。氏資は里見ではなく北条に殺された、そう思う彼らが氏康の子に氏資同様に仕えられるはずもない。
「ではどうする?」
資忠は河内に訊ねた。
「今更その方らは父の三楽斎や政景兄上に仕えるわけにもいくまい。むろん、わしもその方らを迎えられぬ。岩付と小田原に謀反を疑われるだけだ」
「心得ております。我らはただ氏資様にようお仕えして下された源七郎様にお別れをと思い挨拶に参った次第で」
「左様か」
「しかし、北条を討ち氏資様の無念を晴らすと云う気持ちを忘れる気はございませぬゆえ、いずれ源七郎様とは敵味方となるやもしれませぬな」
「その時は是非もなし、堂々と戦おう」
「はい、源七郎様もご達者で」
数日のうち、氏資旧臣の主なる者たちは岩付を去っていった。
これから潮田資忠は太田氏房に仕えることになる。胸中は複雑であったろう。氏房の言う通り、資忠は先々代三楽斎の実子で、先代氏資の実弟である。それが、つい最近まで不倶戴天の敵といえた北条家に太田を乗っ取られ、その下に付くことになろうとは。寿能に戻った資忠は家臣たちを集めて話した。
「みな、無念であるが太田は北条家に支配されてしまった。唯一、太田の命脈を守るのは、この寿能潮田家だけになってしまった」
家臣どもも改めて肩を落とす。何がいけなかったのか。氏資が岩付城を乗っ取り、父の三楽斎を追放したことか、それとも三楽斎が十二年付いていた北条を裏切り、上杉についたことなのか。今となっては誰にも確たる理由は分からない。なるようになっただけのこと。
「そして、太田三楽斎の家である寿能潮田家も北条には信頼されてはいまい。上杉に対して矢弾の盾とされるか、とにかく北に上杉、南に北条ある以上、我らはどちらかに付くしかなく、心ならずも北条について家を保つしかない」
「殿…」
「大学、わしは人が良いだけの凡庸な男。そんなわしが大国に挟まれた中で何をすべきか考えた。太田の存続のため、わしは何をすればよいのかと」
「太田の存続のため…」
「父の三楽斎は大国に挑み続けた。それは武将として尊敬している。しかし結果はどうか。心血注いで守ってきた城も領地もみんな失ってしまった。そして兄の氏資は北条に意地を張りとおして自滅してしまった。これで、この潮田まで哀れな末路を辿ってみよ、我らは偉大な祖先道灌に合わす顔がないわ」
「では殿、お聞かせ下さい。太田道灌の家を守るため、潮田の家名を守るため、殿の出された決断を」
家老の北沢宮内が聞いた。
「わしは十万石の大名、もうこれで十分。寿能潮田家は今後、領土拡大の野心は一切持たない。父でさえ大国を噛み破れなかったと云うに、わしに出来るはずもない。北条に寿能を攻める理由を与えるだけだ。だから潮田は北条に仕えつつ、太田と潮田の家風、そして関東管領の扇谷上杉家に仕え、成り上がりの北条家に武州で唯一対抗し続けたと云う誇りを守る。北条のためでない。太田と潮田の矜持のため戦う。それがわしの出した結論だ」
家臣たちは沈黙した。中には
『坂東武者の誇りを忘れたか』
『それでも太田道灌の血を引く者か』
そう思う家臣もいるだろう。資忠の決意は北条に逆らわず、ただ家の存続を図ると云うものである。しかし資忠とて家臣すべての同意が得られるなんて最初から思っていない。
『矢尽き、刀折れるまで北条と戦う!』
そう言えたら、どんなに良いか。だが資忠にとって父の三楽斎より与えられた寿能十万石は何物にも換えられないもの。寿能の民こそ守らなければならないものだった。
「わしの方針についていけぬと思う者は去れ。止めはせぬ」
城主の間を出て行った資忠。どれだけ残るか、そう思った。だが、どんな重臣が『そんな方針を打ち出すなら潮田を出ていく』と言っても変えられない方針だ。そうしなければ潮田は滅ぶのだから。潮田に違う方針は残されているとは資忠は思えなかった。心労を重ね、奥に歩いていくと
「父上」
愛娘の能姫が走ってきた。何よりの癒しである。微笑を浮かべて能姫の背丈に合わせて腰を下ろす資忠。
「おう、能や」
「今日、母上に字を習いました」
「おお、父に見せてくれるか」
「はい」
稚拙な字で『みぬま』『じゅのう』『うしおだ』と書かれた紙を父に見せる能姫。
「元気一杯で、とても美しい字だ。能は字が上手だのう」
「ほんと?」
「こらこら、父が能にウソを言ったことあるか?」
愛娘を抱き上げた資忠。
(この能の笑顔を…わしは守りたい!そのためなら北条に何度でも頭を下げよう!)
翌日、資忠が評定の間に行くと家臣の数は目に見えて減っていた。半分とまではいかないが、三分の一ほどは去っていったろうか。だからこそ残った家臣たちは信頼できる。特に
「宮内、大学、そなたらは残ってくれたのか」
資忠の両腕、北沢宮内と加藤大学は家老の席に座っていた。腰を下ろした資忠に頭を垂れた二人。
「良かった…。わしはそなたらがおらずば何も出来ない」
「それを知っていますゆえ、わしと大学は殿をお見捨て出来ないのです」
「宮内の申すとおり。殿、先の方針はよう申されましたな」
「大学…」
「潮田はそうせざるを得ませんゆえな」
潮田家を去った者は、おおむね槍働きを自負する武辺者が中心であった。領土拡大をあきらめてしまった将についていても見込みがないと思ったのだろう。今後の戦は北条の手伝い戦が中心となる。手柄を立てても得られる恩賞はたかが知れている。
「ここで判断を誤れば、わしは家族、家臣、領民も救えぬ暗君となろう。わしとて本音を言えば、潮田と太田の旗を小田原に立てたい気持ちはある。しかし悔しいがそれは叶わぬこと。それならば生き残るために最善を尽くさなければならない。野心を捨てた凡庸な将と思われるくらい何ほどのものか」
「戦は戦場だけで行うものだけではあらず。殿の決意、それもまた北条との戦にござるぞ」
「宮内、北条の腹は太田に繋がる我らを使い捨てにする魂胆であろうが、そうはいかない。兄の死が無駄になる。北条のためなどに死んでたまるか。我らが死す時は寿能のためである。そして」
「そして?」
「潮田と太田の誇りを示すときだ。一同、左様心得よ」
「はっ」
他の残る家臣たちも資忠に改めて忠誠を示した。潮田家に領地を与えられ、中には資忠の方針を是としなくても従うしかない者もいるだろう。しかし先代氏資を死に追いやり、太田家を乗っ取った北条に対し、怒りのまま抗戦を主張しても滅ぶだけであり、資忠を不甲斐ない主君と思いつつも方針は誤りでないことは理解できる。小国なりに知恵を絞って生きていくしかないのだから。
一方、太田三楽斎、佐竹義重より片野城を預かり、小田氏や蘆名氏との戦いを続けていた。その三楽斎に資忠から書が届く。書面は
『出来ることならば、再び父上に岩付に入っていただきたかった。しかしチカラ及ばず北条より太田の世継ぎを迎えなくてはなかなかったことをお詫びいたします。この後に及べば是非もなく、寿能の統治に務め、新たな当主に対して忠勤を励みまする』
そんな内容であった。三楽斎は
「末っ子のお前に頼らずとも、わしは自力で岩付を取り戻す。その際は氏房の先鋒としてわしに向かってくるがよい」
三楽斎は静かに微笑み、資忠の書を畳んだ。
しばらくして、潮田資忠は小田原城に出向いた。今では大殿と呼ぶ存在となった北条氏康に目通りするためである。小田原城を見て、その壮大さに息を飲んだ資忠。
「こ、これが小田原城…。なんて巨大な城か」
「まこと…」
供をしてきた北沢宮内と加藤大学も小田原城の壮大さは聞いていたが、想像以上の規模であり、ただ驚いた。小田原には資忠の舅である潮田常陸介が先に出向していて小田原城下に潮田屋敷を建設していた。常陸介が資忠を出迎えた。
「婿殿、よう無事に到着された」
「舅殿もお疲れにござる。で、これが」
「御意、潮田屋敷にございます」
割り当てられた土地がそれほど広くはなかったため大きな屋敷ではない。
「まさか小田原に潮田屋敷を建てることになるとはな」
苦笑する資忠。宮内と大学も同じ気持ちだ。
やがて資忠は宮内と大学を連れて小田原城に入った。城の中は外観と比べて、そう優美ではなかった。高価な調度品も見当たらず、それが何とも坂東武者の気概を示しているかのようだった。氏康の小姓が資忠に歩んできた。
「左京大夫(氏康)が臣、清水源之助と申します。潮田出羽守様の一行にございますか」
「その通りにござる」
「こちらへ、主君左京大夫のもとにお連れいたします」
小姓の源之助に連れられ、城主の間に着いた資忠一行。
「ご本城様(氏康)、潮田出羽守様、お目通りを願っております」
「通せ」
氏康の前に歩む三人、今まで何度も弓矢を交えた北条であるが氏康をその目で見るのは初めてのこと。これからは敵としてではなく主君として見なければならない。氏康に平伏する資忠。
「御意を得られ恐悦至極に存じます。それがし武州寿能城主、潮田出羽守資忠にござる」
「北条左京大夫氏康である。顔を上げられよ」
「はっ」
資忠は完全に顔を上げず、そのまま氏康に礼を述べる。
「先代氏資が生母、南畑を丁重に弔って下されたこと。父の三楽斎に変わり、お礼を申し上げます」
「ふむ…今さら言っても始まらんが婿の大膳大夫殿のこと、すまなく思う」
「詫びるには及びません父上、北条は兵を貸すと大膳大夫に申したのに、つまらん意地を張り援兵を断りましたのはあやつ自身。意地を張った挙げ句に勝手に死んだ者に我らがなぜ気に病まなければならぬのか」
「その言葉、聞き捨てならぬ!」
資忠は畳を手のひらで叩き怒鳴った。いかに忍従を決めたとはいえ許せる言葉と許せぬ言葉がある。
「よさんか新九郎(氏政)、いやすまぬ出羽守」
「……」
氏政を睨み続ける資忠であったが
「殿、落ち着かれよ」
加藤大学が静かに諫める。氏政は冷笑を浮かべている。あえて挑発して見せたのか。自分の言葉に下を向いているならば腰抜け。毅然と言い返せば兄の氏資と同じく挑発に乗りやすい単純な男と見定めると云うのか。
しかし、どんな恥辱を受けようとも耐えるしかないのだ。資忠の後ろにいる北沢宮内と加藤大学も憤懣やる方ない。だが氏政と云う男、発した言葉にどんな意図があろうとも、北条に意地を示して討ち死にした氏資の最期を嘲笑するなど坂東武者のすべきことかと資忠を始め、宮内と大学も唾棄した。
「出羽守」
「はっ…」
「氏房は若い、よう補佐して下されよ」
資忠の気持ちを落ち着かせる意味もあったか、氏康が穏やかに言った。
「承知しました」