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三楽斎逆襲

第八話『三楽斎逆襲』

寿能城に戻った資忠は、親城である岩付城主の太田氏資に仕えることを正式に領内に伝えた。本丸から見沼を見つめる資忠。水面に月が揺れる。

「どうしました、宇都宮から帰ってきてから沈んだ顔をして」

「母上…」

寿能城が建つと、資忠の母の紅花は夫の資正のもとを離れて息子の居城に移ってきていた。子離れが出来ぬ女よと、資正は苦笑しつつも笑って許してくれた。

「母上、北条に与したことで岩付も寿能も戦火を免れました。兄上は正しかったのだと思います」

「では、その不安そうな顔は何なのです?」

「父上がこのまま黙っているかどうか不安なのです。父上は成田家に身を寄せたと聞いています」

成田氏長の妻は資正の娘、そして資忠の姉である。

「成田の助勢を得て、殿が岩付に攻めてくると?」

「父上の気性ならば…」

「そうね…。殿ならありうる」

「それに…北条とて娘婿だからと兄上を礼遇するほどめでたくないはず。どうであれ父を追放した兄は北条に信任されることはないと思います」

「太田と潮田も、見沼の水面に浮かぶ月のよう…」

「母上…」

「丸い月でいたいのに、水面に吹く風で小波が立ってゆらゆら揺れる。魚が水面に飛び出せば、もはや丸くもなく散り散りとなっていく。水面の月はどうして静かに放っておいてくれないのか、そう思っているかもしれません」

ちょうど魚が勢いよく水面から飛び出し、月の形が崩れていった。

「でも時が経てば、ああしてまた丸くなる」

水面の月を指して微笑む母。息子の不安を和らげてあげようと思う母の気持ちが嬉しかった資忠。

「母上の気遣い、ありがたく」

「もし殿が、いえ太田資正が寿能に寄せてきたら、母が蹴り飛ばしてあげますから大丈夫!源七郎殿は兄上への忠勤に励みなさい。それが寿能十万石のためですよ」

「はい、母上」


太田資正、改め太田三楽斎と次男政景は忍城の成田氏長を頼り、身を寄せた。城主の氏長は当初渋った。しかしながら氏長の正室は三楽斎の娘である。断り切れなかったと云うのが実情のようだ。もはや流浪の士となった三楽斎親子を庇護しただけでも感謝してほしいほどなのに、三楽斎は

「岩付城の奪回のため助勢をしてほしい」

そう氏長に要望した。氏長は氏資と同じく父の長泰を追放して成田家の家督を相続したので、どちらかと云えば氏資の方に好意的であった。

だが氏長は大変な恐妻家でもあったので、これまた断り切れなかった。ともあれ一度決めたこと。氏長と三楽斎は近隣諸将へ助勢を請う使者を送ることにした。この要請に栗橋城の野田政保、関宿城の簗田晴助が答えた。一介の牢人ともなった三楽斎に成田家を始め、二つもの在地領主が味方についたのだ。三楽斎の武将としての地力が伺える。よく知りたる岩付の地形と城の構造。何よりまだ氏資は太田の新体制を整えてはいない。多勢を味方につけた三楽斎に圧倒的に分があるとも云える。


三楽斎は夜襲を画策した。息子の政景と共に成田、野田、簗田の軍勢を連れて岩付に寄せる。岩付城を見据える三楽斎と政景

「見ておれよ源五、もはや父でもなければ子でもなし。首を取ってくれる」

「父上、私も同じ気持ちにござる。にっくき氏資を討ち取りまする!」

寿能城の資忠のもとに太田三楽斎が岩付に寄せると云う報告が入ったのは、三楽斎が忍城を出た翌日のことであった。岩付の氏資から参陣の命令が届いた。資忠は家臣に下命する。

「急ぎ、岩付に向かい迎撃態勢を整えなければならない」

ついに大殿、太田三楽斎と戦うのか。潮田将兵に動揺が走る。無理もない。資忠自身も内心敵うはずがないと思っているのだから。しかし一度、兄の氏資に付いた以上は避けられない戦いである。

寿能城より大急ぎで岩付に向かった。他の太田諸将も集結していたが士気は低い。太田三楽斎の強さは無論、つい最近まで『大殿』と呼んでいた主君と弓矢を交えるのに抵抗があり、逃亡者は増える一方であった。岩付城内に入った資忠は

「兄上、士気の低さはいかんともしがたく、このままでは戦になりませぬ」

氏資も分かっていたこと。

「北条に援軍を要請した。到着するまで踏ん張るしかあるまい」

三楽斎は周到な手を打っていた。城内の内応者と連絡を取り、綿密な計画に裏付けされた夜襲を敢行する予定であった。岩付城に到着した三楽斎の軍勢、兵数は伝わっていないが堅城である岩付に攻撃を仕掛ける以上、相当な数の軍勢であったろう。氏資と資忠も城を包囲する父の軍勢を見た時、偉大なるか我が父と思った。


三楽斎の岩付攻めが開始された。岩付城兵の士気は乏しく、氏資の耳に入ってくる知らせは敗報ばかりである。

「兄上、先の源太兄上と立場が真逆になりましたな。いかに堅城の岩付でも内側から崩れたら終わりにございます」

「ふん、降伏でもせよと?」

三弟資武は病躯を押して氏資を諌める。

「父上は、もはや兄上を許しますまい。しかし兄上に御自害の時間を賜るよう、この源六が願ってまいりまする。父上とて、このまま太田同士で潰しあうのを是と…」

「黙れ」

「兄上!ぐっ、ぐほっ!」

胸を押さえて咳き込む資武。

「士気が下がる。源六(資武)を下がらせよ」

小姓が資武に肩を貸そうとするが、資武はそれを強引に振り解く。

「もうよい、体を厭え源六」

「兄上、まだ間に合いまする!太田のため、太田のために…!」

資武の意識はそこで消えた。極度に興奮したためか病が悪化したようだ。

「言わぬことではない。源六を連れて行け」


潮田勢が守るのは渋江口と云い城の要地で、ここを突破されたら大手門である。そこに寄せて来たのは次兄政景であった。

「源七郎、宇都宮で申した通り、お前とはもはや兄と弟ではない!覚悟は出来ていような!」

「その言葉、そっくり返しますぞ源太兄上。この源七郎、戦働き不得手なるも、この後に及んで敵に背は向けませぬ!」

岩付城で太田の次男と四男が戦う。太田家誇りの祖、道灌が見たら何と言うだろうか。

「ここを突破されたら本丸まで一直線ぞ!潮田の武門をここで示せ!」

潮田勢を鼓舞する資忠。渋江口で潮田出羽守資忠と太田源太政景が激突。

「鉄砲は十分に引き付けて撃て!!」

「竹把を盾に一気に押し寄せよ。渋江を突破すれば本丸まで間近ぞ!!」

資忠、政景の声が響く激戦の渋江口。地形的には防ぎ手に若干有利と云える。空堀を張り巡らせ、大軍が一度に寄せられないように作ってある。皮肉にも三楽斎の城改修による産物である。

その地形を活用し、潮田勢は政景の攻撃をしのいだ。城壁からは潮田の鉄砲隊、弓矢隊、投石隊が攻撃し、渋江口より討って出た潮田勢の侍大将である北沢宮内が槍をふるう。一進一退を繰り返していた資忠と政景であるが、突如三楽斎の本陣より退き貝が鳴り響いた。


「くそっ、もう少しで渋江を突破出来たのに!」

政景は歯ぎしりしながら馬を返して退却した。そして本陣に到着するや

「父上! なぜ退き貝を!」

父の三楽斎に抗議する政景。

「野田と簗田が源五(氏資)につきよった!」

「な、なんですと!」

北条氏康の動きは早く、三楽斎に付いた二人の在地領主に調略を仕掛けて寝返らせた。領地もない三楽斎に付くより、南関東の覇者である氏康に従う方が得策と思うのも無理はない。岩付奪回のあかつきには手厚く恩賞を贈りたいと三楽斎は言っていたが太田の領地は三楽斎のものでなく太田氏資のもの。氏康は『領地も城もないのに、何が恩賞か』と野田と簗田を揺さぶり、調略したのである。

「まごついている間に岩付と野田らの挟撃を受けて壊滅する! 急ぎ忍に戻るのだ!」

「しかし父上、忍に戻っても成田家がいつ野田と簗田らと同じく我らを裏切らんとも!」

「その時は常陸の婿殿を頼る!わしは絶対に岩付奪回をあきらめぬ!」

常陸の婿殿とは佐竹義重のことで、坂東太郎の異名を持つ豪勇の若武者である。岩付城を見つめ三楽斎

「源五、わしが生きて入る限り岩付奪回はあきらめぬ。あきらめぬぞ!」

三楽斎の乾坤一擲と云える岩付奪回作戦はこうして失敗に終わってしまった。武運は三楽斎に味方をしなかった。包囲を解いて退却していった。


太田氏資は父の三楽斎に内応しようとしていた者を残らず処刑することに決めた。妻子に至るまでと云う苛烈なものだった。わしを裏切る者はこうなるぞ、と云う見せしめと云う意味であったのだろう。資忠は猛反対した。

「有為な人材を失ううえ、家臣たちの忠にもほころびが生じましょう。太田が弱体すると相成り、百害あって一利なしにございます」

「裏切っても許されると思われた方が弱体化に繋がるわ」

氏資は聞こうとしない。確かに兄の言い分にも一理あるが、つい昨日まで家臣だったものを残酷に処刑して存続、かつ繁栄した武家なんてあるのか。

「しかし」

「源七郎、一歩間違えれば我らが父の三楽斎に討たれていたのだ。何の遠慮があるか」

「兄上、ただでさえ父上を追放して家臣たちの心は無論、民心も離れているのです。父上に付いたのも太田家のためを思ってのことと度量を示す時ではございませぬか!」

氏資家老の柏原太郎左衛門も

「殿、それがしもご舎弟様の意見に賛成にございます。上杉輝虎、武田信玄も一度背いた者でも態度を改めたなら再登用しているとのこと。今後の太田のことを考え、一度は不問にして処刑は避けるべきと存じます」

「ならぬ。わしを裏切ったらどうなるか示す方が今後の太田のためだ!そんな甘い処置を執れば、父上が再び寄せてきた時に敵に回るは必定だ!」

「兄上!」

「ならば、せめて咎人の家族を処刑するのは留まりなさいませ」

「太郎佐、生かしておけばわしを怨み、やがて太田の災いとなる。それも聞けぬ」

懸命に説得するも氏資は聞き遂げず、処刑は執行されることになった。岩付城下は屠殺場となった。見届けに来ていた氏資は顔色一つ変えず処刑の様子を見つめていた。


数日後、寿能城に帰った資忠。本丸より見沼を眺めている。資忠が考えごとをする時はいつもこうだ。これから太田家はどうなるか。潮田家はどうすればよいのか、いつも答えは出ない。

ふう、と溜息を吐きつつ見沼のほとりを見てみれば、妻の沙代と子供たちが歩いていた。季節は夏に入ったころ、涼みに出たのだろう。ほとりには美しい蛍たちが舞っていた。四歳になった愛娘がはしゃいでいる。資忠は妻子のところに走っていった。

「あら、旦那様」

「ひどいな沙代、夕涼みに出るのならわしを誘ってくれても良いではないか」

「ふふっ、ごめんなさい。何か考えごとをしていたみたいなので」

「父上、見て見て! かわいい蛍でいっぱいです!」

「能の方がもっともっとかわいいぞ」

「あら、旦那様ったら、妻の私には言って下さいませんの?」

資忠嫡男の梅千代が母に甘えつつ

「母上には梅千代が言ってあげます。母上の方が蛍より美しいです」

「あらあら、梅千代は大きくなったら女子に調子のよい武士になるかも」

「はっははは」

夜のとばりの中、ゆらゆらと沼のほとりで飛ぶ蛍は資忠親子を警戒することもなく、美しくもはかない光を放っていた。


ホ、ホ、ホタル


星のようなホタル


見沼にきらめく光をすって


大きくなったホタル


明るく光れ


そろって光れ


天まで上がって


一番星になあれ


二番星になあれ


三番星にもなあれ


ホ、ホ、ホタル


見沼のホタル


能姫は透き通るような美声で歌った。何でそんな歌を知っているのか、資忠は思った。

「昔から見沼に伝わる歌のようで、村の童がよく歌っているのを能の侍女の静が聞いて覚え、能に教えたと聞いています」

資忠の疑問に沙代が答えた。

「そうか、きっと見沼の竜神様も聴き惚れていよう。わしも聴き惚れた」

「父上」

「ん?」

「能、ほしいものがあります」

「おう、なんだ?」

「旦那様…。何度も言いますが旦那様は能に甘すぎます。母の私が厳しくしつけても意味がございません」

「まあ良いではないか沙代、能、何が欲しいのか?」

幼い愛娘の背丈に合わせて腰を下ろす資忠。

「お城近くの小さな池に綺麗な蓮華がいっぱい咲いていました。能、寿能の周りの見沼にいっぱい蓮華が欲しい」

「これ能、そんな無理を言っては」

「母上だって、蓮華をきれいと」

「そ、そうだけど」

さして無理な注文ではない。沙代は娘に甘い主人は望みを叶えると思ったが

「すまんなぁ能、それは聞いてあげられない」

意外にも資忠は能の願いを聞かなかった。

「どうして」

「それはな、蓮華の茎が見沼の竜神様のうろこを傷つけてしまうからなんだ」

「そうなの?」

能より先に沙代が意外そうな声を出した。

「そうだ。氷川神社の神官たちから蓮華を見沼に咲かせないよう言われている」

むすっ、と拗ねている能。

「これ能、そんな拗ねた顔していると竜神様に叱られるぞ」

兄の梅千代に注意された能姫

「だって…」

「能、見沼は無理だが城の庭にある池にいっぱい蓮華を咲かせてやる。それでいいか?」

「はい、父上」

「ははは、竜神様も能のお願いに冷や汗をかいたかもしれぬ。もう一度さっきの歌を竜神様にお聴かせしてあげなさい」

「うん」

見沼のほとりに立ち歌いだした能、蛍たちが歌に乗って気持ちよさそうに飛び交っていた

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