この教室にキノコの娘がいる
「この教室内にキノコの娘がいる!」
僕は教卓の表面を両手で叩きつけた。
バン!
空間が張りつめた。「生物育成科 (A科)」のクラスの生徒は、緊迫した面持ちで全員が着席している。
••••••
これは、早朝の職員室でのことだ。
僕はるんるんと、鼻歌を歌いながらデスクに座り…間違えた。チェアに座り、今日の日課をかくにんしていた。
「るんるん♪ るんるんー…ウヴぉオーッ⁉」
僕は奇声を発し、あるものを発見した。失礼。あるものを発見したので、奇声を発した。
それは、置き手紙とキノコだった。
黒灰褐色のキノコは、土まびれで、大事な書類を同色化させていた。いや、たんに、A4判の用紙が湿った土により茶色くなっていただけだ。いや、だけだとか、そんな簡単に済ませてはならない。置き手紙に目を通すんだ。もしかすると、これは新手のテロかもしれない。アラテロかもしれない。気をつけるんだ木野! 僕は勇敢にも、四つぐらいに折りたたまれた手紙を開いた。
『はじめまして。私はキノコの娘です! 今日から勝手に、ハタケシメジから転成…じゃなくて、転入することになりました。可愛がってくださいね。よろしくお願い申し上げました♡←これはキノコマークだよ。畑ですくすく育った私の同胞達を召し上がれ!♡ 担任 木野 孤野里先生へ♡』
片手で、ぐしゃりと、圧縮してあげた。
僕はたやすく、「紙」を「ゴミ」へと変え、ゴミ箱に手紙…ではなく、ゴミを入れた。
「うちのクラスは確か、四十人だったよな」
••••••
昨日まで四十個だったはずなんだが。
教卓から教室の全貌を把握する。
生徒の机が四十一個になっているじゃあないか。
「先生はなあ! 嘘が大嫌いなんだ! 擬人化しているのはわかっているんだぞ! さっさと自白したらどうなんだ⁉」
バン‼
駄目押しで、もう一度、教卓を叩く。強く叩きすぎて、手のひらの表面がヒリヒリする。
ふう、とため息をついた。やれやれだぜ、みたいな素振りで、ため息をついた。
「まさか、朝礼でこんな犯人探しみたいな真似をするとは思いもしなかったよ! まあいいさ。出席を取れば全てが明白になる」
まだ、このクラスの生徒の名前を全て把握しているわけではない(顔も覚えていない)。だが、出席簿を確認して、名簿に載っていない返事をしなかったやつが犯人だということはわかる。さあ、僕の策略の罠にどっぷりとはまるがいい。
「では、出席をとる」
僕は肺にありったけの空気をいれた。
すぅー。
「黄残 赤理」
「はい」
「昨日事 秋」
「はい…」
「希乃古悪 麤火」
「ん」
「鬼ノ虛 飛鳥」
「はいはい!」
「機能 个次郎」
「うーっす!」
「蕈田 ちか」
「…………はい」
「菌鋸野子 のこ」
「はいはい」
「喜乃娘野 無剃」
「へいー」
「樹野心 魔莉」
「はあ」
「忌 ノコラシオン」
「ハイ」
「氣残 氷灬」
「……はぃ」
「あの先生」
席を立ち、右手をピシリと真上に上げる生徒がいた。誰なのかわからない。それには理由がある。自慢だが、僕はこのクラスの生徒の名前と顔を覚えていないからだ。半年ほど担任をしているが、このクラスの生徒は名前に個性があり過ぎて覚えにくい。顔を覚えられないのは僕の脳味噌の海馬に欠陥があるのだと、思ってくれていい。
途中で遮られてしまった。まだ、十一人しか名前を呼んでいないのに…。
「ん。なんだ、どうした?」
「出欠の確認、する意味ないでしょう」
「なんで、そう思う?」
「だって、先生、頭おかしいじゃないですか。キノコおかしいですよ。自覚なさって下さい」
キノコおかしい? 造語だろうか?
「ふむ。僕が生徒の顔と名前が全く覚えられない、頭のおかしい人間だと、きみはそう言うのかね?」
「はい。その通りです。こんなんじゃあ、擬人化キノコを見つけられませんよ。木野先生が生徒の顔を覚えていないのだから、もし、だれかが欠席していたら、その欠席の子に成りすまして返事をすればいいのですからね」
「なるほど。わかりやすい説明ありがとう。ちやほやしてあげようか?」
「ちやほやしなくていいです」
「ところで、君の名前は?」
「畑 千野です。好きな生き物は人間です」
「はじめて聞く名前だな。君、もしかして、キノコの娘じゃないのか?」
当てずっぽうだった。
「嫌いなモノは 木野 孤野里先生です」
ぼ、僕の質問をスルーした…だとっ‼
「僕を、モノ扱いとは…。いや、もう一度、試みるぞ。君はキノコの娘だろ?」
「キノコの娘の定義が理解できません。簡略化して私にわかるように説明して下さい」
「キノコの娘を定義するとは、なかなか難しい難題をだすね…」
「難しい難題って、変な言い回しをしないで下さい。どんだけ難しがっているんですか? この程度のことができずに教師を名乗るとは、キノコ失格ですね」
「キノコ失格…。別に僕はキノコになりたくはないのだけど…」
「間違えました。人間失格の間違いです」
「教師失格より酷いことを言わないでくれるか? まるで僕が人間ではいけないみたいじゃないか」
「そのまんまの意味で受け取って下さい。別に気を落とさないでいいんですよ。だって。木野孤野里先生は人間失格ですが…」
間を置いた彼女。何か僕を励ますようなことを言ってくれるのだろうか?
ですが…」の後が気になる。
「ですが、木野 弧野里先生は、キノコ合格なんですからね♡‼」
その言葉と共に教室内がどよめいた。「おお⁉ 木野がビビってるぞ⁉」「千野ちゃんかわいい!」「木野先生はキノコ合格や!」「畑さん最高!」「木野朝からウザイ」「あはははは」「ついに、やつを言い負かすやつが現れたか」「はたっち最高‼」「まさかのドヤ顔で決め台詞カッケェ」「肌露出しすぎ、あれ大丈夫なん?」
黄色い声援が聞こえた。たぶん、担任の僕に対するものだろう。この科のクラスは女子が八割ほどいるから、声援が黄色くなるのだろうなと、推測した。
「キノコ合格だなんて、嬉しいことを言ってくれるじゃないか」
灰色っぽい褐色の髪の毛。部分的に散らばる白髪と褐色の日焼けした肌。この対比ともとれる配色が、彼女の存在を際立たせていた。早朝から物怖じせずに、発言する性格も際立っていたが。
それにしても、この子は…。
「なんで農作業用のツナギを着ているんだ…?」
上下が繋がっている作業着。教室で着るようなことはない筈なんだが…。しかも、チャックを開けて、胸元が露出していた。細身の身体にしては、大きすぎる。
「この格好が好きだからですよ。着替えた方がよければ、そうしますが?」
「そんな泥だらけのツナギを着て、机の上で勉強し辛いだろう。着替えた方がいいと思うぞ?」
「はい。では、そうしますね♡」
彼女は自分の席から立ち上がり、その場で、ツナギを脱ぎだした。
‼‼‼
愕然するしかなかった。誰でもそういう反応になるだろう。だって。
ツナギの下は裸だったのだから。
上半身を覆う褐色のツナギが脱ぎ降ろされ、次に下半部の着脱に移行した。
「なに、先生鼻血だしてるんですか? ああ、ちょっと身体の作りを女性らしくし過ぎたから、フェロモンが先生を誘惑したんですね」
僕は鼻を抑えながらも、目の前に広がる光景を視界にとらえようと、頑張った。血液不足により、意識が朦朧としながらも、
「なぜ、この場所で着替えた? そして、なんで、ツナギの下に何も着ていないんだ…?」
なんとか、言葉を投げかけることに成功する。その豊満な胸部を照れもせずに、隠さないところが、異常だろう。この子の将来が心配だ。
「さて、セーラー服に着替え終わりましたよ。早着替え、どうでした?」
僕は二つしかない鼻の穴に、血だらけのティッシュを詰め込みながら、親指を立てて「GOOD」のポーズを示した。
「えへへ。これが最速スーパーキノコの力だ!」
彼女は誇らしげに胸を張っている。とりあえず、良いものを見せてもらったと、感謝しておこう。
「ありがとう。他の男子生徒も彼女に感謝するようにな」
こんなことを言ったら、八割の女子生徒にブーイングの嵐なのだが。ま、言ってしまったものはしかたがあるまい。
予想通り、男子生徒は顔を赤らめていたり、彼女から目をそらして気まずそうにしていたりした。
「先生って、教師失格ですね」
「なぬ。僕のこれまでの教師人生を否定する輩はどいつだ?」
顔を目視した。だがわからない。誰だ? こんな生徒がうちのクラスにいたか?
「わからないの?」
誰だ? 本気で思い出せないぞ。
「もうー。相変わらずな脳味噌しやがって。菌鋸野子だってー! 半年も経ったんだから、ちゃんと覚えてよね!」
「菌鋸野子くん。きみは、もしかして、キノコの娘ではないかね?」
「はい、もう疑ったー。うちの名前がキノコっぽいって理由だけで、疑ったー。さすがは教師失格なだけありますねー」
「疑って、悪かった。反省してる」
反省はしても、疑うのをやめない。
「菌鋸野子くん。きみが、キノコの娘なんだろ? 白状したら楽になれるぞ⁉」
根拠は無かったが、とりあえず疑ってみる。
「あーもう! なんで木野先は、こんなにもキノコなんだぁー‼」
「なぜ僕がキノコみたいな体になっている⁉」
「だって、木野先は教師失格なんだよ。だから消去法でキノコなんだよー」
大雑把な消去法だ。人間の何割かが、キノコになってしまいかねない。
「へんな言い掛かりはやめたまえ。これは教師命令だ。今すぐ、僕をキノコにするのはやめるんだ」
「キノコー♫ キノコー♫ 木野はー
キノコー♫ キノコー♫ キノコー
お前ってヤツは…。
「今すぐに、即興で作った歌をやめるんだ! これは…」
ゴクリ。
唾を飲み込み、間をおいた。やっぱりここは、空気を読まなければいけない場面なのだろう、と考察した。
「これは、キノコ命令だ‼」
「ふー。やっと気づいたのですねー。『キノコ命令だ‼』とか言っちゃてー。実はキノコの娘の正体はあなただったのですよ!」
「なにを言っているんだ。僕はキノコの娘じゃない!」
本当は『教師命令だ!』と言いたかったんだ。空気を読んでキノコに変えてしまったことを今更ながらに後悔した。
「キノコ先生ー♫ キノコー♫ 木野はキノコー♫
僕はノリの良い教師だ。だから生徒に好かれている。モテるキノコは辛いぜ。
なんだがこのクラスの大半の生徒が、僕をキノコの娘にしようとしているきらいがある。
明らかに、僕は劣勢だ。
僕はキノコの娘じゃないのに。
教卓での朝礼は、あと五分で終わる。
それまでに、擬人化キノコを見つけださなければ。
そんな時。
「ここが頃合いかな」
一番教卓に近い位置から声がした。
「ん?」
「おいおい。まさか忘れたとか言わないよな? 名前は覚えているだろ? 何回も顔を合わせているんだから流石に…」
「すまないな。君に見覚えが無い。名前は何というのだ?」
「うそだろ…。…名前は…希乃古悪 麤火だけどさ…」
逡巡した後、彼は答えてくれた。
「やっぱり、わからない。はじめて聞く名前だ。君は、キノコの娘ではないのか?」
「チッ! サイテーな野郎だな。なんでもかんでも疑いやがって」
「その通りだ。よくわかっているじゃないか。僕は最低な人間なのだよ」
彼女は「人間辞めちまえ!」と吐き捨てるように言ってから、僕を睨んだ。そんな目で見つめられるとゾクゾクする。
「皮肉を言わないのかい?」
「はあ⁈」
「皮肉を言って下さい」
希乃古悪くんは、わけがわからないという表情を浮かべている。
「あと三分で朝礼が終わる。最後は希乃古悪くんが、皮肉でしめてくれると思ったのに、なんだ、残念だなあ。君にはガッカリだよ」
希乃古あくん…じゃなくて、希乃古悪くんは激昂した。
「ふざけんな! 朝礼をまとめるのは木野の役割だろうが! なんで、勝手にボクがガッカリされなくちゃならないんだよ!」
おお。くるね。イイぞその調子だ。
「君が僕の期待はずれだったってだけだから、気にしないで。そして、呼び捨てはやめて下さいね」
「木野‼ てめー生徒のことを何だと思っているんだよ‼ チッ! こうなったのもキノコの娘が木野の机にキノコなんて置くからだ…」
プチ
今、なにかが弾ける音がしなかった?
「今のは聞き捨てならないセリフだった」
畑千野がつぶやいた。
それから、
再び、プチっと音がして、
「私の所為だっていうの⁉」
怒りをあらわにした。このプチっという音は血管が切れる音だったのではないか?と少し心配になった。でも、本当に血管が切れてたら、怒りをあらわにしている暇すらないと思うから、それは違うのだろう。
プチ プチ
また、この音だ。
この畑 千野とかいうヤツは何者なんだ?
もしかして、キノコの娘⁉
「温厚な性格の私でも怒るよ⁉ あれは、善意でやったことなんだから悪く言わないでよ!」
「ま、あんまり怒らないで。怒るとお肌に悪いよ」
「私は先生にも、怒っている」
「はい?」
「なんで、キノコの娘探しなんて始めるんですか? まるで、悪いことをした犯人を見つけてるみたいじゃないですか」
「それは…」
それは、僕の大事な資料をキノコの泥でダメにしてしまったからなのだけど。
「すまなかった、反省してる」
反省はしても、キノコの娘探しはやめない。
「きみは、つまり、あの手紙の差し出し人かね?」
「…違います」
「ああ。言い方が悪かった。きみは、つまり、あの手紙の差し出しキノコかね?」
「はい。そうなんです♡」
彼女はプリティな笑顔で肯定した。