夜幻
夜 眠りについた後 わたしは窓から出て空を歩く
町の明かりの上を 大きな月の下を
そうして神の木に辿り着いたら
わたしは枝の上に腰掛け
星々の間に夜汽車が旅立っていくのを いつまでも眺めるのだ
「何書いてるの?」
「日記。詩かもしれないけど」
「ふーん。何かあったの?」
「さあ……。別に特別なことはなかったけど」
「じゃあ、普通のことは?」
「それってどういう質問? ないことはないでしょう」
「どんな?」
「ええと、失敗したかもね。お昼、上手く気を使えなかったし、人に嫌な顔をしたりして。気をつけてるのに」
「相変わらず気にしすぎだなあ。お前は」
「そんなことはないでしょう。ちゃんとしたいと思ってるだけよ」
「いいや、重度の完璧主義者だ」
「そんなことないでしょう。ちゃんとしたいと思ってるだけよ」
「同じ意味じゃないか。だから疲れるんだよ。毎回一字一句同じ詩を日記帳に書いたりして」
「訳が分からないこと言わないの。わたしはそんなことしてません」
「いいや、何回も書いてる」
「どこに? ほら、見てみなさい。今日初めて書いたんじゃない」
「当たり前だろ。そりゃ、俺が毎回消してやってるから、前の文はもうないさ」
「あのね。もう少しまともな事を言いなさい。消すなんて、わかりっこないでしょうに」
「嘘じゃない。お前が何回か書いて泣いたから、消そうと思ったんだ」
「はいはい。私は明日も早いから、もう寝るね。テレビ、イヤホンで聞いてね」
「はいはい。俺は明日も遅刻しそうになるから、まだ見ます」
「懲りない人、おやすみなさい」
「完璧な人。おやすみなさい」
六畳のアパートの、私の部屋。
狭いベランダに出る窓が開いていて、そこから夜の空気が入ってくる。レースカーテンが風で膨らんで、私はシーツを換えたばかりのベッドからそっと降りる。フローリングに敷いた白のカーペットを踏み、カーテンを潜って窓から外へ出た。
冷たい感触の柵を越え夜の中に踏み出す。
絡み付くことのない、冷えた空気が心地いい。
私は空中を歩いていく。
眼下では、カーテン越しのぼやけた電灯が家々から漏れている。二十四時間営業のスーパー、グラウンド、ガソリンスタンドなんかの光は鮮明で、綺麗だった。
私の頭上には赤みがかった黄色い満月が浮かんでいて、明るい夜をつくりだしている。月から離れたところでは、赤色巨星、白色わい星、様々な輝きがいくつも見えた。
私は真っ直ぐ歩いていく。そして大きな広葉樹の八分目辺りに辿り着く。
太い枝が丁度伸ばした腕のように突き出していて、お尻が痛くなりそうだけれど、そこに腰掛けた。黒い山並みは遥か遠く、平地がよく見渡せた。
私はそこで懐かしい明かりを目にする。
動いている電車。少し錆びた白い車体に青い線が入っていた。電車は古い踏み切りを通って、青い田んぼの間を走り、静かな建物の杜を行き過ぎる。二人掛けの灰色の座席にぽつりぽつりと人影が確認できた。
長い陸橋を通り過ぎたところで、電車はふわりと空中へ向かう。
満月とは反対方向、遠くの山並みを越え、あの星座の端へ向かって。
私はずっとそれを眺めている。
昔読んだ絵本の中で、電車の通る丘に女の子は座っていた。彼女は、私は電車に乗ってしまいたくて、でも決してそれは出来ないことを知っていたのだ。