夢
「やあ、おかえり・・・」
慧音の家に帰ると慧音がやたら憔悴した様子で迎えてくれた。
「一体どうしたんです?」
「生徒のテストを見ていたんだ、明日返す予定だったから・・・」
それを聞くと私は少し申し訳ない気分になった。私は慧音に相当負担をかけている事だろう。
「少し待っていてくれ、もうすぐ夕食が出来るから」
そういって慧音は台所へと歩いていった。手伝おうと思ったが、よくよく考えると料理に関する知識を持っていなかったのでおとなしく待つ事にした。
「それで、なにかしら分かった事はあったのか?」
食事の途中で慧音がそんな事を聞いてきた。
「そうですね、まず例の像に象られた神の名前が分かりました。ツァトゥグアと言うらしいです」
「ツァトゥグア・・・うーん、やっぱり私には分からないよ、すまない」
慧音はそう言って謝ってくる。
「いえ、謝る事は無いです・・・ああ、そう言えばその名前を聞いたときに頭の中で妙な光景が映し出されたんです」
そう言って図書館で見たものを慧音に説明する。
「それは・・・君が過去に体験した事なのか?」
「ええ、きっとそうなんでしょう、断言はできませんが」
私がそう言うと慧音は焼き魚を頬張りながら何かを考えている様だったが、やがてそれを飲み込んだ後でこう言った。
「ちょっとでも記憶が戻ったのは良かったが・・・それはどう考えても外の世界で起こる事ではないと思うんだ」
言われてみれば確かに外の世界で怪物が何匹も出てくる訳が無い。では夢の中の話だろうか?実際に、少なくともツァトゥグアとは夢の中であった事があるし、可能性としては無くもないだろう。
だが、もしそうだとするならばそれは全くとまでは言わないが、あんまり役に立たない情報だという事になってしまう。
取り敢えず今思いついた事を慧音に話す事にした。
「ひょっとすると夢で見た事かも知れません。実は幻想郷に来てから二回程ツァトゥグアを夢に見ているんです――だからこそあの像が私に関係があると言ったんですが――。慧音さんはどう思います?」
すると慧音は今度はほとんど考える時間もなくこう返した。
「選りに選って夢の中の事を思い出すかなあ?まあ、夢だとすれば印象に残りそうな夢だが」
確かにそうだ。夢なんておかしな光景を見るのが当たり前だし、もっと別なものを思い出しても良いだろう。
暫くはそんな会話が続いたが、これだ、と言う様な結論は結局の所出てこなかった。
私は食事を終えると今後どうするかを考える事にした。
今魔理沙が読んでいるであろう本は私が求めている情報が果たして載っているのだろうか?
私自身の事だから私が行動した方が確実だろう。しかし、だからと言って魔理沙の本を私が読むのは危ないらしい。
そう言えばパチュリーは私の魔力が人よりも多いとか言っていたが、それは私の以前と関係があるのか?もしあるのだとすれば、明日は再び図書館へ行ってパチュリーに魔法を教えてもらうのが良いのかも知れない。
暫くして慧音に風呂に入るように促されても、風呂から上がった後も私は私自身の記憶の事について考えていた。
初めはそれ程執着するつもりは無かったが、一度意識すると自分が何者か分からないというのは本当に気持ちが悪いものだ。ある種の焦燥感にも似た感情まで感じてくる。
慧音が用意してくれたのであろう寝間着に着替えた後も、布団を床に敷いた後も、何かヒントになるものが無いかと幻想郷縁起を読み返してみたり、今までに起こった事を整理してみたりしているうちに、恐らく私の記憶を取り戻すのに最も適した事を思いついた。
簡単な話である。
さっさと寝て夢を見れば良いのだ。きっと夢の中にあの神が現れるだろう、そして何らかのヒントを指し示してくれる筈だ。
私は早速布団の中に潜り込んで目を閉じた。
暫くは落ち着けずに布団の中でもがいていたが、やがて意識が遠のいていくのを感じ取った。
やはり夢を見た。
いつも通り真っ暗な中に蟇蛙に似たツァトゥグアが佇んでおり、側に置かれた様々な生き物を手当り次第に口に放り込んだり、こちらをじっと見たりしていた。
この夢の中ではツァトゥグアがこちらに話しかけたりする事はあったが――尤も、その呼びかけがこちらに届く事は無かったが――、こちらが話しかけた事は無かったと思い、一先ず声が出るかどうかを確認してみた。
不思議な事に本当に夢の中かと思う程に意識や感覚がはっきりしており、私の喉から声が発せられたのも生々しく感じる事が出来た。
声が出せる事が確認出来たので改めてツァトゥグアに呼びかけた。
「ツァトゥグアよ、あなたは度々私の夢に現れますが、何か私の事を知っているのですか?」
不安と期待の入り交じった声だった。
程なくしてツァトゥグアが口を開いた。
「我が・・・・・・にして・・・・・士よ、・・大洋の・・・・大いなる・・・・・・の眷・・・湖・・・気をつけ・」
微かなものではあったが、低く重々しい声が聞き取れた。重要な部分がほとんど聞き取れていないが、その声はどこか懐かしくも思えた。
ツァトゥグアはその後もう一度先程の言葉を繰り返すでも無く、何の返答もしない私に激昂するでも無く、眠たげな眼を完全に閉じてそのまま眠ってしまった。
結局の所私が何者かは分からなかった。だが少なくともツァトゥグアの言葉を聞く事は出来た。
そしてきっとこの神は私の味方だろう。パチュリーはこの神を邪悪なものと言っていたが、それならば私に呪詛の一つや二つを唱えている筈だ。
最後の文は警告か何かだろうか。やはり湖に何か居るのか・・・。
そうこう考えているうちに私はある事に気づいた。この夢は見るたびにはっきりとしたものになっているのだ。
最初は姿形も分からなかったが、次の日はその蟇とも蝙蝠とも付かぬ様な全貌を見る事が出来たし、今日に至っては朧げながらもその声を聞く事が出来たのだ。
あまり急がなくても時間が経てば解決するかもしれない。そう思うとこれまで抱いていた焦燥感が無くなり、幾分か安心する事が出来た。
重荷を下ろすとは正にこう言った気持ちの事を指すのだろう。だがまだ解決する事が確定している訳でもない、この後はどうしようか。
折角だからパチュリーに魔法でも教えてもらおうか。彼女から持ちかけてきた話だし、断られる事も無いだろう。
私は嬉々とした感情のまま意識が薄れていくのを感じた。
エイボンの書ってあんまりツァトゥグアに関する呪文は載ってないのね・・・
やたら長い攻撃の呪文はあったけどね