人里
気が付くと私は和風の部屋にいた。
だが私が昨日泊まった宿ではないらしく、結構な広さの中に私ともう一人少女がいた。
少女は長い白髪にいくつものリボンを付けて、変な模様の赤いズボンをサスペンダーで止めていた。
この土地の美人に共通する服装のセンスを持ったこの少女は私が起きた事に気付くと
「おっ起きたか、慧音ー! 起きたよー!」
と大きな声で慧音に呼びかけた。
間もなくして慧音が襖を開けて現れた。
彼女は私を見て一瞬安堵したような表情を浮かべるとすぐにこういった。
「ああ、すまなかった、まさか妖精にあそこまで驚くとは思わなかったんだ。
こんな事になるのなら先にここのことを伝えておけばよかったな」
「妖精?」
まさかあの恐るべき生物の事なのか?いや、そもそも妖精にしろ、そうでないにしろあんな生き物が存在するとは思えない。
「うーん、どこから説明すればいいのやら・・・まずはこの世界の説明をしようか」
彼女は一呼吸おいてから話し始めた。
「まず、この世界は幻想郷と呼ばれていて、外の世界――つまりは君がこれまで居た世界――とは大きな結界で隔離されている」
「結界?」
良く分からない単語が出てきたので質問してみる。
「まあ、見えない壁みたいなものだと思ってくれ・・・話を続けるぞ。
今から五百年以上昔の事だ、人口の増加で妖怪の力が弱まってきたことによって、それまでただの山奥でしかなかった幻想郷に幻と現の境界を創ることになった。
境界の内側を幻、外側を現という風にな。
これによって力の弱まった妖怪を自動的に幻想郷に引き込むことができるようになり、妖怪の力が強まっていったんだ。
今でも外で忘れ去られた妖怪や道具なんかが幻想郷に入ってくるぞ」
「・・・? ちょっと待ってください、境界を創るとはどういう事です? そもそも妖怪とは何なんですか?」
堪らずに質問を投げかける。理解できないことが多すぎる、これではまるでファンタジーの世界だ。
「妖怪は詳細な定義はされていないが、とりあえず人間ではない何かを指す。
境界は・・・まあ、そういう事が出来るやつがいるんだ。
で、百年以上昔に人間の科学が発達してきて妖怪が迷信だと言われるようになってきた。
存在を否定された妖怪は急激に弱まっていって滅亡の危機に瀕していたんだ。
そこで今度は幻想郷に常識と非常識とを分ける結界――博麗大結界――を張ったんだ。
それで外の世界で人間に否定されても幻想郷を保つことが出来たというわけだ。
まあ尤も、外の世界とは自由に行き来できなくなったがな」
「はあ、なるほど。しかしそれだと・・・」
言われたことを深く考えずに飲み込むことにしたが、気になる事ができたので質問してみた。
「それだと私は外の世界で忘れ去られた事になるんですか?」
幻想郷に 普通に立ち寄ることができない以上、そういう事になってしまうが。
「ああ、多分それはない。最近外の世界の人間が迷い込むことが多くなっているんだ。
そういう者を私達は外来人と呼んでいる。
そして外来人が外の世界に帰るには二つの方法がある。
一つ目は結界の管理人たる博麗の巫女に頼む事、もう一つは結界を創った妖怪に頼む事だ・・・が、うーん」
慧音はそこまで言うと何やら困ったような表情を浮かべた。
「どうかしましたか?」
「いや、君は記憶喪失だったろう、そうしたら今外の世界に帰ってもいく宛がないんじゃないかなと思ってな」
どうにも心配してくれていたらしい、有難いことだ。
「一応名刺に住所が載ってましたが・・・まあ、十中八九嘘っぱちでしょうね、この体格で作家と言い張るくらいですし」
すると今まで黙りこくっていた少女が口を開いた。
「へー、名刺ねぇ・・・ちょっと見せてもらっても良い?」
特に断る理由もないので名刺を取り出して少女に渡した。
少女は名刺を受けとるとそれに目を落としていたがすぐにこう言った。
「これどう読めば良いの?」
一瞬困惑したがすぐに彼女が英語を読めないだけだと分かり、読み上げてあげた。
「名前はコーディ・ヴァレンタイン、職業は作家、住所はアメリカ合衆国マサチューセッツ州アーカム市マーシュストリート420番地って書かれてますね、絶対嘘でしょうが」
「おお、ありがとう。
そういえば自己紹介をしてなかったわ、私は藤原妹紅よろしくね。後、敬語はいいわ」
「そうか、私はさっき言った通りだ、よろしく」
「あー、二人共もういいか?」
妹紅と軽い自己紹介を終えると慧音が再び話し始めた。
「とにかく、行く宛がないのなら記憶が戻るまでここに滞在してみてはどうだ?住所も分からないのに外に出れば野垂れ死んでしまうかもしれないしな。
家はここを使うといい」
「いいんですか?」
私にとってはこの上なく魅力的な提案だがそう簡単に他人を寝泊まりさせても良いのだろうか。
「ああ、私は別にかまわないよ。
そろそろ授業だから私は一旦出かけるぞ、昼までには帰るから、それまで妹紅にはコーディに人間の里の案内を頼まれてくれるか?」
「わかったよ」
妹紅の返事を聞くと慧音は部屋から出ていった。
「私達も行こうか」
妹紅がそう言って立ち上がった。
二人とも特に準備するものがなかったためすぐに出発した。
外に出て少し経つと私は気になっていたことを質問した。
「そういえば妹紅もあそこに住んでいるのかい?」
「いや、私は普段は竹林に住んでるよ」
竹林に家があるのか?色々と不便そうだが。
そうこうした後、私達は人間の里で様々なものを見た。
例えば、天気予報付きのおぞましい龍の像や、人間とは思えない何か――おそらくはあれが妖怪なのだろう――が集う寺、千年以上前から転生を繰り返し幻想郷の妖怪についての資料を編纂し続ける家系――稗田家というらしく、現在は九代目で名前を阿求というらしい――の屋敷など、私の興味をそそるものが数多くあった。
人里を一周してきたのか気付けばまた慧音の家の前に着いていた。
「一通り回ったかな、他にどこか行きたいところはある?」
「ふむ、じゃあ本屋とかはこの近くにあるかい?阿求さんが書いた本が読みたくなったんだ」
人里を巡っている内に妖怪について興味が湧き、阿求が書いているという妖怪について纏められた本が欲しくなったのだ。
「本屋ねぇ・・・一番近いのはあそこかな、着いてきて」
暫く歩くと鈴奈庵と書かれた看板が掲げられた小さめの家に着いた。
「着いたよ、貸本屋だけど。
阿求の本はここで製本されたみたいだし多分置いてあると思うよ」
言われるがままに暖簾をくぐると中にはぎっしりと本の詰まった本棚が所狭しと並んでおり、その奥にはカウンターがあり、そこで二人の少女が談笑していたが私達が入ってきたことに気付くとそのうちの一人が声をかけてきた。
「いらっしゃいませ! 何かご入用ですか?」
どうやらこの少女はこの店の店番か何からしい。
チェスボードの様な柄の着物の上にクリーム色のエプロンを着ているこの少女は愛想良くにこにこ笑ってこちらを窺っている。
「えーと、阿求さんって人が書いた本はありますか?」
店内を見渡してもそれらしい本が見当たらなかったので聞いてみることにした。
「阿求の本ですか?なら確かこっちの方に・・・」
そう言いながら少女は奥の方にある本棚を漁り始めた。
「あれ?私の本を読んでくださるんですか?」
私が店番の少女を待っているともう一人の少女が話しかけてきた。
「ええ、まあ・・・私の、ということはひょっとして君が稗田阿求さん?」
思っていたよりもずっと若かったので少し驚いた。
阿求は袖が花柄の着物を着ていて比較的まともなセンスを持っていたが、驚くべき事に大きな花飾りを付けた髪は紫色だった。
「はい、そうです。
あなたは?見たところ外来人のようですが」
「私はコーディ・ヴァレンタイン。
君の言う通り外来人だと思うが、ここに来るまでの記憶がなくなっているんだ」
「それは・・・お気の毒に」
などと雑談をしているうちに小鈴が一冊の本を小脇に抱えて戻ってきた。
「ありましたよー、こちらでよろしいでしょうか?」
私に聞かれても分からない。
「えーと、これで良いのかい?」
「ええ、私の書いた本で間違いありませんよ」
阿求に聞いてみたところこれで良いそうだ。
目的は達成できたので妹紅に声をかけて帰ることにした。
妹紅はなにやら不気味な本を覗き込んでいたがそこまで興味があったわけでなかったらしく、すぐに出て行った。
私も二人に礼を言ってから妹紅の後に続いた。
「もういい時間だし、そろそろ戻ろうか?」
店を出ると妹紅がそんな風に言ってきたので私達は帰路についた。