勇者の求婚1.求婚失敗
完全に勢いだった。
『結きょんして下ひゃい!』
恥ずかしくなって、逃げた。
「それは言い逃げと言いますのよ」
「返す言葉もございません…」
昨日、あの人の前で盛大に自爆した。あんなことを言うつもりじゃなかったのに。自己嫌悪のあまり、白饅頭よろしく掛け布団にくるまってメソメソしていたら、いつの間にか部屋に居たクリスに、布団を引っ剥がされていた。流石、自称盗賊姫クリス。全く気配が分からなかった。もうニンジャ姫に改名したらいい。
「なんか涙が出てきちゃって」
「あらあら」
「しかも噛んだし」
「まぁ、お間抜けさん」
「泣きながら噛み噛みで求婚って…」
「リリィ…」
クリスにものすごく可哀相なものを見る目を向けられた。そんな目で見ないで。
「それでわたくしの気配も察せないほど落ち込んでるんですのね」
あたしは深くうなだれた。
ここは伯母さん夫婦が営む宿屋「赤毛の乙女」亭、のあたしの部屋。正確には、お嫁にいった従姉妹のエリーとあたしが1ヶ月弱、一緒に使っていた部屋だ。
――コンコン
掛け布団を引っ張り合ってるとノックの音が響いた。ドアを開けるとお盆を持った伯母さんが立っていた。お盆にのっているのはポット入りのお茶とお菓子のティーセットだ。部屋にバターと砂糖の甘い香りが流れ込む。
「はい、失礼しますよ。林檎のパイを焼いたからね。2人とも、冷めない内におあがんなさい。」
「お気遣い有り難うございます。とっても美味しそうですわ」
クリスの眼がキラキラと輝く。伯母さんの作るパイは見た目も味も最高だから当然だ。冒険中、何度夢に出てきたことか。しかも
「林檎のパイ!伯母さん、有り難う!」
「まだたくさんあるからね。お茶のお代わりはここに置いておくから、ゆっくりしていっていただきなさい」
伯母さんはあたしの顔をじっと見て、しみじみと言った。
「だいぶましな顔になったね。甘いものと良い友達は落ち込んだ時の特効薬だから、大事にするんだよ」
「パイを?友達を?」
「まったくこの子は!」
伯母さんが軽く撲つ真似をして、あたしがおどけてそれを避ける。3年前に戻ったみたいなやりとりに、嬉しくなる。そして同じぐらい切なくなる。あたし、3年間もここに居なかったんだなぁって。3年も経てば人も物も街もみんな変わってしまう。あたしもきっと変わった。それにこれからはもっと急激な変化が訪れる。そんな中、変わらぬ態度を保ち続けてくれる伯母さんに安心する。伯母さんはどんな想定外があっても、変わりようがない部分を大事にしてくれるから。
「おっと、パイが冷めちゃうね。それじゃお嬢さん、ごゆっくり」
と言って伯母さんは出て行った。後で心配かけたことを謝らないと。そして約束を覚えててくれて有り難うって伝えよう。
「…絶品ですわね。リリィがパイにこだわる理由がよくわかりますわ。」
表面の照りが魅惑的なパイは外の皮はあくまでさっくりと小気味よく、内はとろりとした林檎の甘露を吸ってしっとりとふくよかだ。シナモンの芳香が鼻をくすぐる。ほんの少し、お酒をきかせるのが伯母さん流だ。
「帰ったら、伯母さんがパイをたくさん作ってくれるって約束してたの」
生きて帰ってこれて本当に良かった。生きてるって素晴らしい。神様有り難う。ついでに魔王も有り難う。あたしに倒されてくれて本当に有り難う。
「林檎のパイが最高だけど、甘くないパイも美味しいんだよ。『赤毛の乙女』亭の名物なんだから。」
「『赤毛の乙女』の由来はやはり伯母様ですの?磨いた銅のような見事な赤毛でいらしたわ」
「そうだよ。赤毛は当宿の象徴です。三つ編みだとなお良し」
「三つ編み?」
「伯父さんの趣味。宿の従業員で、髪が長い人はみんな三つ編みだよ。男女見境無く半強制」
「半強制?」
「お給料が上がるの」
「徹底してますわね…」
経営者の身内であるあたしとエリーも勿論三つ編みだった。あたしは旅に出る前に短くしちゃったけど。
「リリィも赤毛ですわね。伯母様に比べてちょっと落ち着いた色だけど、お母様譲りかしら?」
「そうみたい。あんまり覚えてないんだけど。あ、眼の色はお父さん譲りだよ。」
「赤毛のお母様と鳶色の瞳のお父様、両方に似ているのね。2人の愛の証のようで素敵…っ」
いきなりクリスの顔が赤くなった。お酒には強いから、パイの風味付け程度のお酒に酔うわけがない。どうしたのだろう。目も泳いでるし。
「わ、わたくしとクレイグ様の子もそのようであれば嬉しいでしょうね」
「!陛下に認めてもらえたんだ!」
よく考えたら、こんな風にのんびりできてる時点で、作戦成功ってことだ。駄目だったら駆け落ちするって言ってたし。
「おめでとう!クリスとクレイグさんの子供なら…ええっと、とにかくキラキラしてそう!」
「もう、リリィったら!」
顔に手を当てて身をよじるクリス。耳まで真っ赤だ。こんなに照れるクリスを見るのは初めてかもしれない。ちょっと可愛い。そういえばクリスって、本物のお姫様だった。あたしにとってクリスは『盗賊姫』だから、いつも忘れそうになる。いい機会なので、『お姫様』クリスティーネをじっと観察する。
――太陽のように輝く金髪に、春に芽吹く柔らかな若草色の瞳、すっと通った鼻筋。すらりとした手足に、めりはりのある体。身長はちょっと高めで、クレイグさんの隣に立つのにちょうどいい。2人が並ぶとまるで特別に誂えた一対のお人形のよう。
でもこのお姫様の一番すごいところは容姿でもスタイルでもないことを|旅の仲間(あたし達)は知っている。
手だ。一見ごく普通、いや白魚のような手だけれど、多分この国で一番解錠に優れた手だ。あの細くて長い指で道具を器用に操って、今まで誰にも開けられなかった古代遺跡の開かずの書庫だの迷宮の扉だのの鍵という鍵をがんがん開けまくるのだ。あまりに見事な手腕だったので、『遙か南国を治める盗賊王の娘の影武者』という法螺話を長い間、本気で信じていた。だから自国の姫だと知った時には、とても驚いた。あたし以外の旅の仲間達がそれに気づいていたことも驚きだったけど。
元々、錠前作りが趣味で、鍵開けは嗜み程度だったそうだ。恋仲のクレイグさんが疎まれて、西方守備隊に飛ばされてしまって以降は、魔王の迷宮の鍵を開けることを目標にしつつ、修練に努め、西方に向かう機会を窺っていたらしい。で、そんな時に勇者が魔王討伐に旅立ったと聞いて、王宮を抜け出し、1番目の旅の仲間になったのだ。勇者が現れなかったら、クレイグさんに魔王を倒させて英雄にする予定だったという。クレイグさん強いしね。むしろなぜ勇者に選ばれなかったのか謎な人だ。
苦し紛れに、お姫様の趣味が錠前作りってどうなの、と言ったらきょとんとされた。なんでも、錠前作りは王族にとって割とポピュラーな趣味なのだそうだ。ちなみに、陛下は木工細工が趣味で、姉姫様達は旋盤が得意だとのこと。馬蹄作りなら右に出るものは居ない宮廷夫人までいると聞いて、色々崩壊した。主に思い込みと夢と先入観とかが。
「わたくし達のことはさておき」
ミニチュアの家を作る陛下の想像をしていると、クリスの声に引き戻された。すごく真面目な顔をしてる。
「作戦会議ですわ。」
「え、何の?」
「…リリィ、あなた、彼に求婚したことを忘れましたの?」
言われて一気に頭に血が上る。反対に手足がすぅっと冷えた。ぶり返す恥ずかしさと情けなさで身の置き所が無い。もう誰彼構わずごめんなさい、と言って回りたくなる。あの人の前であんな無様を晒したなんて!もう全部無かったことにしたい。お母さんのお腹の中からやり直したい。
「嫌われたかな…」
「変な人とは思われたでしょうね」
「そもそもなんで求婚なんかしちゃったんだろう…」
「愛しているからでしょう。理由も無いのに嫌いな相手に求婚する道理はありませんわ」
「あの人のこと、そんな風に考えたことなかった」
もう一度会いたい、と思っていただけのはずだ。好きとか、あ、愛してるとか、そういうのじゃなかった、はず。だけど
「好き、なのかなぁ」
あの人を目の前にして湧き上がった胸苦しいほどの衝動。何かが満たされる喜びと、埋めることができない寂しさに息が詰まった。
「泣いて噛むほど必死だったのでしょう?」
突き動かされるままに言葉を紡いだ。あの激しい熱は何だったのか。
「初めてだから自信ないけど、これが『恋』?」
言葉にすると意外なほどストンと納得した。内なる未知に正しい名前をつけた手応えがあった。
「あたし、あの人が『好き』?」
滑らかに出てきた言葉に手応えが確信に変わっていく。心の深いところで生まれるのを待っていた感情が産声をあげた気がした。
「ようやく自覚しましたのね」
クリスが満足そうに呟いた。
「さて、自覚が芽生えたところで仕切り直しですわ」
とても楽しそうに告げるクリス。恋愛について完全に素人のあたしには彼女が何を言い出すのかさっぱり分からなくて、どきどきする。
「敵を知り己を知らば百戦危うからず。まずは情報収集、と行きたいところですけど――時間がありませんわ。そこでリリィ」
あ、嫌な予感。というか悪寒。クリスがにっこりと笑う。あたしは思い出す。クリスの手はすごいけど、頭はもっととんでもない方向にとんでもないということを。
「鉄は熱いうちに打て、の方針で行きましょう。今日中に彼に会いなさい。できれば逢い引きの約束も取り付けてくるように。その際、勇者の件は秘密にしておくこと」
「逢い引きって…で、デートぉ!?無理無理無理だよ恥ずかしい!絶対断られる!」
「無理を可能にするのが勇者ですわよ」
「だったらもう一回魔王に突撃する方がましー!」
「既に骸ですわよ」
「知ってるよ!例えだってば」
「肚を括りなさいなリリィ。これはチャンスですのよ。あなたの求婚は、良くも悪くも彼に強い印象を残しましたわ。恋愛における最大の敵は無知と無関心。その意味では、あなたは第一関門を突破しましたのよ。自信を持ちなさいな。それに、いいことリリィ、このまま放置しておくと――」
クリスが思わせぶりに言葉を切った。気の毒そうにあたしを見ている。
「…どうなるの?」
聞きたくない。聞きたくないけど聞くべきだ。
「良くて気味悪がられ、悪くて一生酒の肴としてネタにされ続けますわよ」
「行ってきます!」
バネ仕掛けの玩具みたいに体が動いた。どっちも嫌すぎる。そのまま一足飛びにドアを開けて廊下に飛び出した。後ろから慌てたクリスの声が聞こえる。
「待ってリリィ!その方のお名前とお住まいは!?」
「エルナー!大学で占術学者してる!」
振り返って、春の女神のような友人を見る。
「クリス、来てくれて有り難う!大好き!」
伯母さんの言ったことは正しい。クリスは特効薬だ。起爆剤でもあるけどね!
遅い自覚