表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。

冬の転校生

作者: ruma

クラスメートたちがあいさつを交わす、何気ない朝の風景。

学校という特殊な空間の中の、ありふれた風景。

少し前まで、私はその風景の一部だった。


それは、ある朝突然崩れた。


「おはよう」

「…………」

すれ違いざまにかけた「おはよう」は無言で返された。

声が小さかったのかな…。

次の友だちにはもう少し大きな声で。

「おはよう!」

「…」

結局その日、私にあいさつを返す人はいなかった。


そしてその日から、私の教室での会話は失われた。


教室の中からは楽しそうな談笑。

私がそこに加わることが出来ないということはもう、嫌というほど知っている。

だから、私は無言で教室の扉を開ける。

「……」

一瞬、談笑が止んで、でも、またすぐに私以外のみんなが喋り始める…うるさい。


(私、空気みたいだ)


居ても居なくても気にされない存在。何か働きかけてもだれもそれに反応しない。

ならば空気として生きていこう、と、私は勉強だけに埋没した。

学校は勉強をしに行くところ。それ以上のものは求めないことにした。


何がきっかけで、会話が失われたのか、私には分からない。

たぶん、何か理由があるんだろうけれど、そんなことは結構どうでもいい。

ただ空気のように、不確かな形で、授業に参加させてもらえるだけで充分だった。


(日が暮れるのが早くなってきたな…)


季節はいつの間にか秋になっていた。あと数ヶ月我慢すれば、クラス替え。

でも、クラス替えをしたところで、私の状態が好転するとは思えなかった。この学年には三クラスしかない。

新しいクラスになっても、三分の一がもとのクラスの人間なんだ。


でも、そこから更に一年我慢すれば。

それが今の私の唯一の希望だった。

更に一年我慢すれば、卒業できる。受験して、新しい学校に行ける。

この学校から、市内トップクラスの高校へ進学するのは数人。

市外の高校に行くことは多分許されないし、私を知っている人が数人しかいない高校に行ければ、多分それだけで充分だと思う。

私はひたすら勉強しつづけた。



ある朝、私はまた、異変に気付く。

(睨まれてる…?)

そう思って、視線を返すと、そこにいたクラスメートたちはぷいと視線をそらせた。

そして何かひそひそと話をしている。


そのころ、私は休み時間に教室にいるのが息苦しくて、意味もなく学校の中をぶらぶらしていた。

保健室に逃げ込むとかいう話をよく聞くけれど、私の学校の保険医はすごく厳しい人で保健室で休まなければならないほど具合が悪いなら早退しろという。つまり、保健室は休む場所ではないのだ。

それに、授業にはしっかり出席したいから、保健室に引きこもるのはいやだった。


休み時間が終わり、教室に戻ると、無反応なはずの教室の空気が違った。

みんな、私を睨んでる?

ちらりと、ぎろりと、私を睨んではそっぽを向くクラスメートたち。


(私、空気じゃなくなった…?)


空気を睨むことなど出来ないのだから。

でも、それは喜ぶべき変化とは言えなかった。


(ああ、私は空気じゃなくて、ゴミだったんだ)


ゴミは長く置いておけば異臭を放つ。

みんな、ゴミがあるけど知らないフリをしていただけだった。

そして、異臭を放つようになって、憎々しげにそれを睨むようになったのだ。


(みんな、かわいそう)

それは、同情にも似た気持ちだった。

本当にゴミならば、捨ててしまえばスッキリするのに、私はゴミのようでも人間だから捨て去ることは出来ない。

私が学校に来なくなれば、ゴミがみずからいなくなるのだからみんな喜ぶだろう。

でも、志望校に合格したいという私のワガママがそれを不可能にしていた。

(みんな、かわいそう)


だんだんと、エスカレートしていった。

最初は無視。

次に睨む。

そして、聞こえる声で陰口が言われるようになって、私はふと気が付いた。


(もう、どれくらい笑ってない…?)


思い出せないほどの長い期間、私は笑っていなかった。

無理に笑おうとすると顔がこわばった。

そういえば、泣いたり怒ったりもずいぶんしていない。

……………………。


家に帰ると、いつもはまず勉強をしていたのだが、その日はマンガを手に取った。

笑えるもの、泣けるもの、何でもいいから読んだ。

でも、クスリとも笑えなかったし、泣けなかった。


心が、壊れてしまった。


真剣にそう思った。

でも、心が壊れているから、そのことを哀しいとも思えなかった。

単に、飽きたおもちゃが壊れたのを見て、「あーあ」と思うだけ。


季節は、いつの間にか冬まっただ中になっていた。



そして、転校生がやってきた。



「おはよう!」

数ヶ月ぶりにかけられたあいさつだった。

クラスメートの顔なんて覚えていなかったけれど、この子の顔は覚えてる。昨日来た、転校生だ。

「……おはよぅ」

かろうじて、返した声が震えているのが分かった。

瞬間、涙がこぼれそうになって、私は自分の席について、机に突っ伏した。


(寂しかったんだ、私は寂しかったんだ。あいさつしただけで泣くほど嬉しいくらい、私は寂しかったんだ)


自分が寂しがっていたという事実に、私はものすごく久しぶりに涙をこぼした。

(私は、まだ壊れていなかったんだ…!)


でも、転校生はクラスになじもうとするものだ。

クラスのみんなが無視している子がいれば、それに追従するだろう。

あのあいさつも、明日にはもう、もらえないかもしれない。

希望なんて持たない方がいい。


私はすっかり卑屈になっていた。


ところが、次の日も、彼女はあいさつをしてきた。次の日も、次の日も。

クラスメートたちが、彼女があいさつをするたびに私たちを睨むのが分かった。

私に関わらない方がいい、と言うのが親切というものだろう。

でも、私は、あいさつしてもらえる嬉しさと、それを失う恐怖とから、何も言わず、あいさつを受け入れつづけた。


授業中は席が離れているので会話なんてない。

休み時間は私が教室から逃げているのでやっぱり会話はない。

彼女と交わすのはあいさつだけ。


でも、ある体育の時間、彼女が話しかけてきた。


何を話したのかよく覚えていない。

たわいない話だったと思う。

ただ、最後に彼女の視線が私の腕に移り、

「その傷、どうしたの?」

と聞いた。


リストカットなんて大げさなものじゃない。

カッターナイフでうっすらと傷を付けるだけ。

ほんの少し血がにじむだけで、傷らしい傷じゃない。

だから大丈夫、親も教師も気付いていないんだから。


そう思っていたのに、ほんの数日あいさつを交わしただけの彼女に気付かれてしまった。

「んー。ちょっとね」

とか、適当に返事をしたけれど、私は、家に帰ってから、カッターナイフを捨てた。

もう、切らなくていい。

気付いてくれた人がいたから。

気付いて、何かしてくれるワケじゃないけれど、ただ気付いてもらえたのが嬉しいから、もう切らない。


彼女もいつか、私の敵に回るだろう。

かつて友だちで、親友とまで思った人たちも、今や私を無視し、嫌い、睨んでは陰口をたたいている。

だから、まだ友だちですらない彼女も、いつかきっとそうなる。


ほとんど被害妄想だったけれど、私は確信のようなものを持っていた。



―――――――それから。

十年という月日が流れ、私は彼女の結婚式に出席した。

私の確信は、杞憂に終わった。

純白のドレスを着て、涙を流す彼女を見て、なんて涙の似合わない人だろうと思った。

高校は、彼女とは別々だった。大学進学のためだけにいったような高校だった。

私の隣で、ワイングラスを傾けている夫とは、大学時代に知り合った。

膝の上でうとうとしている息子はもうすぐ一歳半になる。


ああ、なんて幸せなんだろう。


友人の少ない人生を送ってきた。

その数少ない友人の結婚式で、家族と共に、笑い、泣き、拍手を送る。



真っ直ぐな道じゃなかった。私の心に大きな傷が残ったのは確かで、その傷は時々口を開いて私を苦しめた。リストカットも何度か再発したし、今でも夜中にあの頃の夢を見る。

支えてくれたのは、冬の転校生がくれた、言葉。


ここまで読んでくださってありがとうございました。

つたない文章だと思いますが、感想などいただけたら僥倖です。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
[良い点] いじめという見えないものが伝わってきたのが、恐怖を認識できたところです。 [気になる点] 最後に「冬の転校生のくれた、言葉」・・・とありますが、どんな言葉をどこで送っているのかがわからなか…
[一言]  なんとなく自分と重ねて読んでしまいました。  念のため言っておきますが、いじめられているわけではありません。  ただ、クラスにうまく馴染めないだけです。  すみません、こんな話しをしてしま…
2012/10/08 00:21 退会済み
管理
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ