第六章 四人の使命
「星を救って―――救うのです―――あなたたちが―――」
またあの声が聞こえる。シルクのように透き通った声が耳を包み込むように聞こえてくる。
「救うのです―――救って――――」
だんだんと語勢が強くなっていく。それと同時に不協和音が響いて―――
「ハァッ…!」
啓はバサッと起き上がって目を覚ました。呼吸は乱れていて意識が朦朧とする。その開いた手の平にさっき見た映像が流れて見える。しかし同時に片頭痛を感じて啓は思わず頭を抱えた。どうやらまた、同じ夢を見ていたようだ。あの女の人に、あの景色。本当にあの場所へ訪れて話しかけられているみたいだった。星を救って、星を救って―――啓は目を閉じてその言葉を頭の中で反芻すると、深く呼吸をおいた。そしてその言葉の真意を考えながらゆっくりと目を開けた。横を見てみるとカーテンの隙間から朝の陽の光が入ってきていてフローリングの床をキラキラと反射させている。カーテンの横には勉強机の上に散乱したコピー紙とノートパソコンが開きっぱなしで置いてある。昨日作業した時に消し忘れたので電源ランプが弱弱しく点滅している。心なしかいつもの朝よりも部屋全体が眩しい気がする。啓はおもむろにベッド横にある棚へ目を移した。目覚まし時計がか細い音を出しながら針を進めている。その針が今示す時間は―――十時半
十時半!?
「ええ…!!」
啓は朝に似つかわしい掠れた声で叫んでしまった。完全に寝坊だ。まずい。啓はそのままガバっとベッドから出ると急いで身支度を始めた。カーテンを開けて散らばった紙を拾っていく。パソコンは叩き起こすようにマウスをカチカチと動かしてスリープ状態から復帰させると、昨日保存し損ねたファイルを保存して電源を切った。電源ケーブルからパソコンを外すとそのまま抱きかかえて啓は部屋を出て行った。
その後の朝の支度は啓の人生史上最もコンパクトで忙しないものであった。もっとも、この陰鬱な気持ちを誤魔化すのに丁度良かったくらいだ。朝ごはんの食パンはバターも塗らずに口に突っ込んだが、時間が足りなかったため半分くらいしか食べられなかった。歯磨きの時間も短縮し寝ぐせも叩くように水を頭につけて直した。コンタクトをつけるときには慌てていたあまり鏡も見ずにやったので、目の中でずれてしまい痛みに悶える始末となった。レンズを直すとそのまま啓は廊下を駆けぬけ靴を履き、マスクを付けながら大きな「行ってきます」を言い家を出た。
啓は家の前の路地を超マッハで走っていった。しかし行先は学校ではなかった。大通りを垂直に通り抜けて向かっている先は馴染みのあの公園だ。いつも学校終わりに駄弁って、買い食いをしていたあの場所。そして魔術を授かったあの場所。久しくあの場所ではみんなで集まっていなかった気がする。そんな日々が何となく昔のようにすら思う。そう考えると啓の心が冬の寒風がより多く侵入してきたかのように寂しく冷えた感覚がした。
公園が目に入ってくると生垣の向こうに良く知っている三つの頭の後ろ姿が輪郭を成して見えた。啓はスピードを上げ公園に滑り込むと、そこにいた三人に向かって言った。
「ごめん! 寝坊したんだ。遅れたよね?」
マスクを付けながらだと余計に苦しく、啓はハアハアと言いながら三人に謝った。しかし元気を張り付けたように幾らか声のトーンを高くするのを意識した。あまり深刻になりすぎないように。しかし帰ってくる返事はどれも風船がしぼんでしまったような元気のない「大丈夫」だけだった。啓は膝をつきながら息を整えると顔を上げた。すると三人の顔が初めて目に入った。柔らかな三人の造形に暗がりが浮かんで見える。マスク越しでも分かった。悲痛で沈鬱な面持ちが伝わって見える眼差しと穏やかさを取り繕うように優しく上がった口角。まるで山の綺麗な川から汲んできた水に灰色のインクを混ぜて濁ってしまったような、そんな表情をしている。しかしそのような三人の出迎えであっても、啓にとってはみんなの顔を見ることができただけで嬉しかった。マスクで隠れていても三人の顔を見れて安心した。一昨日の事件は啓の心をひどくかき乱すものであったからだ。一人になってからその生々しさと心を鷲掴みされるような恐怖をさらに実感した。ふとした時に家で一人、あの轟音や遠くに見えた赤色に染まった服、それらの記憶が鮮明に蘇り苦しんで悶えた。この感情を共有したかった。直接みんなと会って話がしたかった。
そんな啓は三人を見ても何も言葉が出てこず、何も言えなかった。四人の間にわずかな沈黙が流れる。啓は一息ついて言った。
「みんな、大丈夫?」
啓が今言うことのできる最大級の労わりの言葉だった。他に何も言う必要はなかった。ただみんなの精神状態が知りたかった。すると理惠がゆっくりと口を開いて言った。
「大丈夫―――大丈夫よ、私は。まだ気持ちが落ち着いてはいないけど、それでも―――大丈夫よ」
理惠は言葉を詰まらせたが、首を縦に振りながらなんとか言った。すると拓も小さく声を上げた。
「ぼ、僕も。本当にショッキングだったけど、なるべく考えないように…してる…」
言葉とは裏腹にたった今例の出来事の光景を思い出してしまったようで、拓の表情が険しくなった。
横にいる沙織は何も言葉を発さず、ただ真っすぐな眼差しでこちらを見つめた。そして数回小刻みに頷いた。啓はそれが大丈夫を意味しているのだと解釈した。しかし今にも涙が流れそうな瞳だ。言葉も発さない。今は深く聞かない方がいいと思って今度は啓が三人に向かって言った。
「俺も、何とかやってる。というかみんなの顔を見て安心した。
昨日もごめんね。急に集まりたいなんて言い出して…来てくれてありがとう」
啓の言葉を聞くと三人の顔がほんの少しだけほころんだ。
振替休みである今日この月曜の十一時に集まることを言い出したのは啓だった。昨日の夜に三人に携帯でメッセージを送ったのだ。あまりに唐突な提案だったので今日会うのはさすがに無理かと思ったが三人からはすぐにイエスの返答があった。みんなも同じく話せる誰かが欲しかったようだ。お互いに顔を見合わせてわずかな沈黙が過ぎる。
「―――あの後、警察から連絡がきたんだ。当時の状況を聞くために電話が来た」
啓がだしぬけに言うと、三人は一瞬驚いたような、しかし考えてみれば当然だと妙に納得したような表情をした。拓が啓に聞く。
「何を聞かれたの? …僕たちは何か疑われたりした?」
「いいや、俺は一からちゃんと説明した。どうやって見つけたかとか、どうやって飛び降りたかとか。そうしたらちゃんと分かってくれたみたいだったよ。疑われるようなことはないはず」
啓はそう答えてはみたものの、警察に話す内容は少し濁さなければならない箇所があった。例えば山奥で何をしていたのかと聞かれて、「僕たち、紙飛行機から魔術をもらってそれを使って練習してたんです」なんて答えたりすると頭のおかしい奴らだと思われただろう。その可笑しな発言から事件への関与も疑われかねない。啓はその時はおとなしく山で遊んでたとか探索していたのだとかと答えた。
「警察から連絡が来たときは真っ先に俺も不安がよぎったけど、相手側もただ情報を求めただけだったから。本当に大丈夫だよ」
啓は拓の不安げな表情を見て最後に念押しで付け加えた。啓の言葉を聞いた三人は胸をなでおろしほっと息を吐いた。そこにまた沈黙が流れる。
公園には耳や指先をジンジンと刺激するような強く冷たい風が吹いている。地面には焦げたような茶色の葉っぱたちが、帰り道を忘れてしまった子どものように寂しく落ちている。啓が目に入る冬の景色を眺めていると、隣で理惠が話し始めた。
「この公園で集まるのも久しぶりね。最近の活動拠点はここではなかったから」
理惠はスイッチを切り替えたようにハツラツと微笑みながら言った。すると拓も続けて話した。
「魔術をもらったのもここだったよね! ああ、それがすごく遠い過去のように思えるよ」
拓は以前の調子が少しだけ戻ってきたようで、懐かしんで言った。
「学校終わりで、みんなでコンビニで買い食いして。―――僕たちこれから学校に行けるのかな」
少し元気を出して話していたのに拓のたった今吹いている風よりもヒヤリとした空気が流れた。昨日今日と啓も同じことを憂わし気に思っていた。近頃はネットでもウイルス蔓延による休校は時間の問題だと騒がれていたのだ。皆が黙っていると理惠が沈黙を破った。
「それで…今日はどうして集合をかけたの、啓? 何か見せたいものがあるって言ってたわよね?」
理惠の質問に啓はドキッとした。まだ本題に入る準備ができていなかったからだ。しかし拓と沙織も好奇心を顔に浮かばせてこちらを見ている。啓は仕方なく話し始めた。
「ああ―――うん。そうなんだ。ちょっとみんなに話したいことがあって…」
啓は言葉を詰まらせて、軽く咳ばらいをした。
「その―――俺たちは一昨日、すごく衝撃的なことがあったよね。身の毛もよだつほどのことだった。今でも思い出すと怖くなる。それに、最近は新種ウイルスの感染者が国内外でさらに増えてきたみたいだ。俺たちが一昨日見たあの男の人も確実に感染者だった。どんどん生活が脅かされている。学校もこれから行けるか分からない。世界が危機に瀕してるんだ。それで今日集まってもらったのは―――」
啓はそこで一度言葉を切って、続けて言った。
「―――俺たちがこの魔術を手にした本当の理由を、考えるときが来たと思うんだ。それを考えるために今日みんなに集まってもらった」
鷹のように真剣な眼差しを送りながら啓は語勢を強くして言葉を言い切った。練習してきたセリフを言いながら啓は緊張で手汗が出てきた。すると拓が不思議そうな顔つきで聞いた。
「本当の理由? それって、どういうこと?」
すると啓はまるで演説を始めるかのように拳を揺らしがら説明し始めた。
「俺はこの魔術を手にしてからずっと、なぜ自分たちがこの魔術をもらったのか考えてきたんだ。この超科学的な能力を俺たちに授けて、あの紙飛行機は一体俺たちに何を求めていたんだろうって。―――でもその答えは思ったよりずっと明白だったし、紙飛行機はずっと俺たちに指し示していたんだ」
ぽかんとした三人にもお構いなしに啓は説明を続けた。
「まず、俺たちが魔術を手にしてから見るようになった夢だ。一昨日も話したよね。女の人が出てきて、同じセリフを繰り返すんだ。そう、「星を救って」って。その星って、きっと地球のことだ。今救うべき星があるのならそれはまさに地球だ。大袈裟に聞こえるかもしれないけど、現にみんな実感してるでしょ? 毎日増える感染者数と事故の案件。感染するかもしれないっていう恐怖の中で過ごして、それに全員がマスクをしていて、頭がおかしくなりそうだ。」
啓がそこで言葉を切った時、理惠が何か言いたそうに口を開きかけた。しかしすぐに啓が遮って話を続けた。
「それに―――みんなは見たか知らないけど、魔術をもらった日に俺は見たんだ。紙飛行機が飛び立つ直前に機体に記された一文を。そこでも「星を救いたまえ」って言ってたんだ。あの大きな体にはっきりと書いていた。あの紙飛行機が直々に俺たちへ伝えたんだよ? そう、俺たちに使命を与えたんだ。この魔術を使って今の状況にあるこの星を救うんだって」
啓は自分で言いながら夢を見ているような発言であることは自覚していた。普段の自分なら絶対に言わなさそうなセリフの連続だ。しかし啓は同時に自分の考えに一点の曇りもないことも確信していた。すると先ほどから何か言いたげだった理惠が声を上げて反論した。
「で、でも! このウイルスが流行り始めたのは魔術をもらってから後のことよ。啓の理論だと、この星を救うために魔術をもらって、その後にこの星が危機に陥ったの。順番的に考えておかしいわ」
理惠は肩をすくませて言うと、啓は準備してきたかのようにすぐに言い返した。
「でもウイルス自体が出始めたのは、魔術をもらった前のことだ。確か、3カ月くらい前だった。理惠もその頃ウイルスの情報をニュースで見たって話してたでしょ? ほら…二組の斎藤さんが救急車で運ばれた時のことだよ、覚えてるでしょ?」
啓は自分でそう言いながら脳裏にその頃の記憶がフィルム映画のように早送りで再生された。放課後ロータリーに集まった人だかりとその場から感じ取られるの異様な空気。拓の説明と理恵の言葉。「さっき廊下で突然暴れだしたんだって。意味不明なことを喚きながら狂暴化したらしくて―――」「実は、私ひとつ思い当たることが―――最近新たな感染症が確認されたの―――」
その時に理惠が話してくれて、初めてそのウイルスの存在を啓は知った。もっともそのウイルスがこんなにも流行るなど当時は思ってもみなかったが。理惠含む三人もあーと声を上げて思い出したような表情をするのを見ると、啓は言葉を続けた。
「きっと紙飛行機はこれからこのウイルスが蔓延して世界を脅かすことを予期してたんだ。なにせ魔術を扱えて俺たちに授けることすらできるんだから、予期なんてできても何も不思議じゃないでしょ?」
理惠は啓の説明を最後まで聞くと腕が肩から千切れてしまいそうなほど強く組んで言い放った。
「啓、こじつけも良いところよ。紙飛行機はウイルスの「ウ」の字も言っていないわ。それにどうやってその地球を救うわけ? 手段が思いつかないのだけど」
「そうだよ、一体どうやってこの魔術を使って世界を救うわけ? いくら魔法があっても使う手段がないよ。明らかな悪役とか黒幕がいるわけでもないのに―――」
「悪役は分からないけど―――」
拓が理惠に乗じて唱えた異議に、啓は覆い被せて言った。
「悪役ではなくて、ウイルスの根源なら分かる。この世界を恐怖に曝している存在の発生源を。ここから来たのかもって怪しんでる場所があるんだ」
啓の言葉に四人の空気はシンと静かになった。眉間に皺をよせまるで品定めしているような疑った目つきを放っている。
「どういうこと? 分かるの? でもこのウイルスは確か出所が不明だったよね。感染経路が分からないのに、それなのにわかるの?」
拓はぽかんとした表情で聞いた。啓は一拍置いた後ゆっくりと言った。
「―――みんな『アドクニウム』って覚えてる?」
啓の言葉で今度は拓の間に二、三拍の休符ほどの沈黙が流れた。しかし隣にいる理惠は顔色をぱっと変えた。
「啓、それってずいぶん前に話した新しい元素のことよね。発電のために開発されてとても話題になった。―――そしてまた最近話題になってる、そうよね?」
蒼白な顔で理惠は言った。啓が何を言おうとしているのか理惠は薄々勘づいているようだ。
「そう…いつかのコンビニの日に話した元素のことだ。二人は覚えてる? このアドクニウムなんだけど、最近ネットでこの元素が今まさに蔓延しているウイルスと関係があるんじゃないかって囁かれているんだ。ごく小規模だけど」
「実はそれを開発したのは国立研究所の『アドバンストクリエーション』っていうチームなんだ。運用開始当時にそこの研究員の人たちが会見を開いてた。そのこともみんなで話したでしょ? そのチームは新たな発電システムのために多くの時間を費やしてこの元素『アドクニウム』を開発したんだ。そしてこのシステムが運用され始めたのが約三カ月前の10月。そう、ちょうどウイルスが出始めたころと同じくらいなんだ。そして―――俺がこの研究所を疑っている理由の一つ、その十月あたりからこのチームの研究員たちに不可解な事件がいくつか起こっているんだ」
そういうと啓はカバンから先ほど家から持ってきた小さいタブレットパソコンを取り出して、操作し始めた。昨日からみんなに見せるために練りに練って調べ上げた資料たちをフォルダの中から探す。
「これみんな知ってる? 当時はニュースでもやってたみたいなんだけど―――」
啓はかすかに震える指で一つのファイルを開くと、画面をみんなの方に見せた。そこには太字で大きく見出しが書かれている。三人がその書かれた文字を小さく読み上げるとその衝撃的な一文にハッと息をのんだ。
菊宝区一家心中事件―――父親がナイフを使った痕跡―――
「こ、これって…?」先ほどから黙りこくっていた沙織が消え入るような声で啓に聞いた。すると啓が説明を始めた。
「当時の新聞記事だ。ネットで調べてたら出てきたんだけど…関係ないように見えるけど、重要だからちゃんと聞いて」そう言いながら新聞を読み上げる。
十一月十三日の早朝、菊宝区の二階建て一軒家で子ども二人含む計四人が床に倒れて死亡しているのが見つかった。午前5時半ごろに自宅を訪れた新聞配達員がカーテンの隙間から人が血を流して倒れているのを見つけたためすぐさま救急を呼んだが、隊員が到着してすぐに死亡が確認された。遺体はそこに住む会社員の瀬古伸高さん(40)とその一家であるとみられ、死因はいずれも出血性ショックとのことである。事件発見当時父親である瀬古さんの手には血の付いたナイフが握りしめられており、また家はカギがかかっていて侵入の痕跡がなかったため警察は父親による無理心中であるとみている。
「去年の十一月半ばに起こった痛ましい事件についてだ。当時ニュースを見てたけど近所の人がインタビューで非常に仲の良かった一家だったって話してた。亡くなる前日には家族で一緒にバーベキューをやってる姿も見たって。急に心中を図ったなんて信じられないとか、何かの間違いに決まってるとかって近所の人たちは言ってたんだけど…おかしいよね?」
啓は痛みが口から漏れたようにため息をついて言った。すると沙織が思わし気に聞いた。「でもこれって一体なんの関係が?」
すると啓は再びタブレットパソコンを弄り始めながら言った。
「実はこの父親である瀬古伸高さんって人―――アドバンストクリエーションの研究員だったんだ」
聞いていた三人の方をちらっと見ると顔色がぱっと変わったのを啓は感じた。啓は説明を続ける。
「この名前で検索をかけるとチームの一員としてインタビューを受けてる記事がいくつかあって…ほら、この記事のこの顔写真はニュースに出てた顔と同一人物だ。記事も最新では8月に受けてるものもあって、亡くなる直前かその当時までチームで働いてたことがわかる。この人、チームの主任研究員だったんだ。そんな重要な役職の人が急に自殺だなんてなにか勘ぐってしまうと思わない?
―――それに不可解な事件に巻き込まれた研究員の人はこの人だけじゃないんだ」
そう言って啓は再びパソコンを操作し始めた。みんなの興味関心を失わないうちにと啓は忙しなく別の画面を見せつけた。
「ほぼ一カ月後の十二月十二日には、同じ日にチームの関係者が亡くなってる。その詳細がこの記事で説明されてるんだ―――名前は安達守さんで、事故現場は雑居ビルの立体駐車場。安達さんがいた車の中で火災が発生してそのまま亡くなったんだけど、その原因がいまだに良くわかっていないんだ。なんと事故現場ではたばこや大量の可燃物の塵とライター一本が見つかっただけ。他に原因とみられるものが見つからなかったんだ。死因は熱傷で遺体にはやけどの他に傷づけられた形跡もなかったから警察はこれも自殺とみたんだけど、ライター一本で自殺だなんて聞いたことないよね?」啓はパソコンから目を外し三人の方を向いて聞いた。拓は不可解な事件の数々に気味の悪そうな様子でいる。
「そしてこの安達守さんもチームの研究員の一人だった。報道では取り上げられてなかったけど、同姓同名のアカウントがネットにあるんだ。本人だって証拠にそのアカウントの呟きを遡っていくと友人と共に写っている昔の安達さんの写真が出てくる。仕事に関しての呟きも何件かあった。だけど最期の辺りは二週間ほど投稿していなかった。その二週間の後最後にした呟きはこれだ―――『仕事を辞めてきた』」
啓はパソコンに向いていた顔を再び上げて三人に目を合わせた。
「そう、安達さんは最後には研究室を辞めたらしい。この投稿から理由は知らされてない。何も詳しいことは書いていない。だけど久しく投稿されたこの呟きを最後にして、この三日後に安達さんは亡くなった」
すると先ほどから黙って聞いていた理惠が質問を投げかけた。
「二人も自殺するなんておかしいわ。過労死とかあり得るんじゃないの?」
至極当然の予想だと啓は思った。同じ職場の人間が短期間で二人もなくなったのだ。しかしその推測を上回る理由付けを啓は持っていた。
「亡くなった二人なんだけど、実はある共通点があるんだ。実は―――二人とも亡くなる直前に研究所の内部情報を外部に漏らそうと試みたみたいなんだ」
啓の言葉を聞いて理惠は興味深そうに片眉をくいと上げた。
手札にあるとっておきのカードを出すかのような感覚で啓はゆっくりと話を進めた。
「瀬古さんは生前に情報漏洩の疑いで起訴されたいた。十一月十一日のことだ。地方紙の一つに実名で報道されている」
啓は再びパソコンの画面を開いて一つの新聞記事を三人に見せた。
「何かの情報を外部に伝えようと働いたんだ。でも失敗した。どんな情報か、その内容を明かされることはなかった。新聞では研究の情報を他社に売っただとかと書いてるけど、きっとそんなことじゃない―――とにかくその罪で起訴された二日後に瀬古さんは不可解な亡くなり方をした。
そして安達さんの方は友人の方が証言しているんだけど、最後の呟きをした日の前日に幾つかの呟きを投稿していたらしいんだ。今は全て削除されたみたい。友人は急に支離滅裂なことを言い出したから何事かと思ってたらしいんだけど、今となってはスクショを取っておけばよかったと話してる。その内容は確かに目を見張るものだ」
啓は友人の証言の呟きを読み上げた。
「『守は生前、ウイルスとアドクニウムの関係を訴える投稿をいくつかしていた。このウイルスの発生はアドクニウムが関係していると。それに研究所からウイルスは流出したと示唆する投稿もいくつかしていた。自分は守の連絡先を知っていたからそれらの投稿の後に連絡を取ったが、向こうからメッセージが返ってくることはなかった。何か危険に瀕しているのではないかと疑った頃、守はもうすでに亡くなっていた』」
謎めいた話で目がひくついている理惠がだしぬけに口を開いた。
「明らかにおかしいわ。その投稿ってどのくらい拡散されてるの?」
理惠の質問に啓は無念な様子で答えた。
「共有数は雀の涙ほどの量だ。なにせ友人の、スクショも証拠もない発言だから」
「それに今思い出したんだけど―――」
拓が今の理惠と啓のやり取りすら聞いてなかったであろう虚ろな様子で、地面に目線を置いたままおもむろに言った。
「二カ月か三カ月前くらいに、どこかの研究員の人が行方不明になってたよね? 僕ネットニュースで見たのを今急に思い出したよ。それってもしかして―――?」
「ああ、そのまさかだよ。拓の言う行方不明になったその人はアドバンストクリエーションの研究員だった」
啓は準備していたのに拓が先に言ってしまい、少し歯がゆい気持ちになった。当の本人は啓の答えを聞きこちらを見ながら唇をわなわなと震わせている。
「彼女の名前は松脇千奈美さん。去年の十月末に行方不明となったんだ。俺も当時の報道を覚えてる。家族によると仕事へ行った後、いつまでも帰ってこなくて連絡も取れなかったから警察に通報したそうだ。その後警察によって捜索が始まったけど未だに彼女の姿は見つかっていない。目撃情報すらないらしいんだ」
啓の説明を聞くと理惠は怒りとも感じられる強張った表情で声を上げた。
「おかしい! 絶対研究所に何かあるじゃない! 三人もよ。警察は何か突き止めたりしなかったの?」
理惠のごもっともな意見に啓は冷静に答えた。
「家族に捜索願が出されたときに勤務地である研究所の家宅捜索も行われたんだ。捜査対象が成人の上に事件性がなかったから捜査の開始が遅れたみたいなんだけど。だけど彼女の姿も怪しい箇所も見つからなかった。何もなかったらしい。それに警察は研究所の防犯カメラの録画を求めたんだけど行方不明になった当日はほぼ全館のカメラが故障してて何も記録は取れてなかったらしい。だから彼女の動向は何も分からないんだ」
すると理惠はどんどんと大きく燃え盛る炎のように語勢が強くなりがら言う。
「怪しい! 怪しすぎるわ! 雨後の筍みたいに事件が起こってるし、何か隠してるに決まってるわ」
これを聞いた拓も普段の様子とは似つかわしくないほど真剣な面持ちで頷いた。
「そして最後の決め手に…」
「まだあるの!?」
啓の言葉に理惠は声を裏返して憤怒した。啓はこっくりと頷いて続ける。
「残念だけどまだある。最後の決め手と言えるのは―――そう、一昨日のあの男性だ」
啓は声を沈ませて、しかしはっきりと言い切った。それを聞いた三人の間に再びシンとした空気が流れる。
「…どういうこと? あの人に一体なんの関係が?」理惠は抹消したい記憶を再び思い出してしまったようで慄然な表情とともに聞いた。
「あの人は俺たちに会った直後に車に乗って唐突に飛び降りてしまった。だけど、その前に彼が着ていた服装で気になるところはなかった?」
啓は答えを確信している質問を三人に投げかけると、一呼吸置いた。ちょうどあたりに吹く風が静まった瞬間、啓はぱっと言い放った。
「社員証を着けていたんだ、アドバンストクリエーションのロゴが付いた。みんな気づいてた?」
あの時胸倉を掴まれて揺れ動いていた視界の中見えたあのマーク。目の前の怒号を浴びせる男の存在と同じくらいその社員証は啓にとって衝撃的で目を掴むものだった。そのことを聞いた目の前の三人は雷に打たれたような表情を揃えてした。期待通りの反応に満足した啓は言葉を続ける。
「胸元に提げてた。俺が胸倉を掴まれてた時に見えたんだ。作業着のような服装にぶらりと名前と一緒に提げられてたよ。あんな昼日中に会ったけど、その服装からきっと直前まで研究所に勤務してたんだろう。それなのにどうしてあんな山奥に一人でいたんだろう?」
理惠は怯えた表情で片方の肘を摩り始めた。次第に大きくなる声で啓は続ける。
「それに彼の発言の数々だ。俺は感染してないって何度も訴えてたし、すごく怯えてた。どうしてあんなに感染者だと思われたくなかったんだろう? 『俺は見た! 全てが手遅れになる前に』なんてことも叫んでた。何を見たんだ? 手遅れになる前にってなんだ? 俺はあの男の人に会って確信した。あの研究所は確実に何かを隠しているんだよ。それをあの男の人は俺たちに訴えてた。何かをあの研究所で見てしまって抱えきれなくなってしまったんだ。他のみんなもきっとそうなんだ。自らや家族の命を絶ってしまうほど何か恐ろしい事実を抱えさせられたんだ。一昨日の彼も幻覚なんて見ていなかった。その秘密を知ってしまって自殺以外に道がなくなってしまった。そして最後に俺たちにメッセージを残したまま、崖から飛び降りて―――」
「やめて…!」
啓が話している中、理惠は小さく叫んだ。啓はその時にハッと我に変えった。あまりに話すのに白熱していたあまり、聞き手側の三人をあまり見ていなかった。理惠は両肘を掴んで怯え切った表情を顔に浮かべている。きっとその時の映像を思い出してしまったのだろう。それを見て啓は急に申し訳なくなった。
「ご、ごめん。」啓は小さくコホンと咳をしながら言った。まだ二日しかたっていないのに、あのトラウマの傷がもうすでに癒えているわけがない。啓はあまりに無神経になりすぎていた。言葉をもっと慎重に選ぶべきだった―――しかしまだ説明は終わってはいない。ここまで決心を固めておいて、ここで食い下がらないわけにもいかなかった。啓は極限まで申し訳なさそうな様子で、且つ謙虚に再び言葉を始めた。
「その…もう一つ研究所とウイルスの関係性を示すものがあるんだ。話してもいいかな?」
啓は三人の顔色を伺いながら静かに言った。特に理惠から反対の声が来ることはなかったので、啓は大丈夫のサインだと思い説明を続けた。
「最後に…二組の斎藤さんの話をしておきたいんだ」
理惠に「さっきのが最後の決め手だって言ってたのに」と小さく嫌味を言われたが、啓は構わず続ける。
「ずいぶん前に救急車で運ばれた例の彼女のことだけど、実は彼女は、新種ウイルスの感染者だった。本校はじめてのね」
「そうだったの? 一体どうやって知ったの?」拓の質問に啓は依然落ち着いたトーンで答える。
「冬休みが明けてからクラスメートの子からたまたま聞いたんだ。その子、その時はなんだか口を滑らしたような感じだったけど。冬休みが明けてからも学校に来ていないらしくて、心配してるんだってその子は話してたよ」
一度箍が外れると止まらなかったようで色々な情報をその友達は話した。あの事件以降はウイルスの感染が確認されて学校には一度も来ておらず、連絡も取れないらしい。それを聞いて啓はより多く疑念が沸いた。
「今も回復はしていないみたいだ。様態も悪化しているのかも。それに感染時期がとても早かったよね? まだ誰も感染していない中、学校で唯一感染なんて、ある意味変だ。どこからもらったんだろうね?」
ちょうどあたりに枯葉も揺らす冷たい風がさっと吹いた。啓は答えを確信している質問を三人に投げかけると、一呼吸置いた。そして風が静まった時に啓は言い放った。
「―――実は彼女の父親はアドバンストクリエーションがある研究所に勤務してるんだ」
聞いた三人は今日何度目かの目を丸くした驚愕の表情を啓に見せた。
「中学の頃席が隣になった時に話してくれた。その…たまたまそういう話題になって。確かその時は研究職の主任補佐だったと話してた。もしかしたらアドクニウムのチームにも所属してるかもしれない。とにかくその研究所はウイルスと深く関係があるんだ。父親がそこに勤めている彼女は早くにそのウイルスに感染してしまった。そして早くから学校にこれなくなってしまった。これはただの予想にすぎないけど、筋が通ってるでしょ?」
啓は喋り終わった時、ずっとここまで話しっぱなしだったため寒さで唇が切れてしまった。傷が冷気に触れてジンと痛みが広がる。一方啓の話を聞いていた三人は再び黙りこくった。理惠は腕を組んで目を下に逸らしているし、拓は神妙な顔つきで頷いているのか横に振っているのかよく分からない方向に首を動かしていた。沙織の方は―――今はよく見ることができない。啓はなぜか分からないが沙織の悲し気な表情を見ることに怖さすら感じ始めていた。あの涙を見たくない。そう思いながら啓は理惠と拓の方をちらちらと見ていると、静寂の中で理惠がゆっくりと口を開いた。
「―――それで? そうやって言葉をつらつらと並べてるけど、結局何が言いたいの? 啓の理論を聞いて私たちは一体何をすればいいわけ?」
理惠に結論を急がされ啓の心拍数はぐんと上がった。それでも気持ちを奮い立たせる。啓は威厳ある口調で言った。
「―――俺に力を貸してほしいんだ。ウイルスの根源を一緒に突き止めるんだ、この劇の黒幕を」
啓が最も伝えたかった、伝えなければいけない台詞だった。心拍数は上昇はとどまる所を知らず、緊張で頭がぐらぐらと揺れる感覚がする。しかし啓は三人に穴が開いてしまいそうなほど強い眼差しで訴える。
「あの研究所には絶対何かを隠している。一昨日の男性の発言と安達さんの消えた投稿で俺は確信してるんだ。俺は研究所に潜入してそれを突き止める。スマホを持ってカメラに収める、証拠を掴んで事実を暴く。見たものをネットにばらまいて世間に真実を伝えるんだ。だけど一人ではできない。みんなの助けが必要だ」
啓はここまで言うと、息を整えるために一度止まって深呼吸をした。一言一言心に刻むように言葉を言い放つ。
「俺に力を貸して。一緒に研究所に潜入するんだ。頼む」
啓は情に訴えるような言い方で、しかし目を光らせて厳粛な顔つきともに言った。絶対にイエスと言ってもらえるように。しかし、
「いやよ!」
理惠から当然であるかのように痛烈なノーが返ってきてしまった。それを聞いた啓は心を打ち砕かれながら必死に言い返した。
「な、なんで! どうして! 頼むよ。俺の説明は納得できたでしょ?」
ここまで完璧と思われるプレゼンをして、よい返事に期待を膨らませていただけに啓の精神は壊れかけた。すると今度は理惠が大きな声で反論した。
「研究所に潜入なんて正気の沙汰じゃないわ。普通に犯罪、侵入罪よ! ばれたらどうするの? 高校はきっと退学になるわよ」
理惠は目を白黒させて言った。剛速球の球を打ち返すように啓は言い返す。
「それで紙飛行機は俺たちに魔術を与えたんだよ。決してばれずにことをうまく運べるように。この魔術さえあればいくらでも作戦は立てることができるよ! 絶対俺たちの身元はばれないって俺が保証する。それに魔術があれがば警察が暴けていない真実だって暴くことができる」
啓は訴えながら今も四肢に、魂に存在する魔力を生き生きと感じていた。この血管中に流れわたって脳を揺さぶり皮膚を介して飛び出すこの稲妻は自分に強力な力を授けてくれている。その意識が日々啓に使命感を与えていた。何か行動を起こすべきではないのか、この終わりゆく世界に何か自分たちは役割を与えられているのではないか。このタイミングで啓は魔術をもらい、じっとしてられずにはいられなかった。そのような思いを啓が抱きながらも、一方の理惠は全く納得いっていない様子だ。
「何よ、保証って。私はいやよ! それで本当に潜入して何もなかったらどうするの? 骨折り損も良いところよ。ねえ、沙織も何か言って―――」
理惠は大声を出しながら沙織の方を向いた。しかし言葉はそこで途切れた。ハッと息をのみ、沙織に近寄る。
「沙織!? 大丈夫? また思い出しちゃったの? 大丈夫だから―――」
啓はぱっと沙織の方を見て完全に心が握りつぶされたような感覚になった。
沙織がまた泣いている。まただ。あの襲われた日と同じようにその瞳から雫が滴りマスクを濡らしている。啓の心は自責の念に苛まれた。完全に自分のせいだ。あんな恐ろしい事件の説明をたらたらとしたからだ。こんな野暮なお願いをしたからだ。まだ傷は全く消えてはいないのに。啓の心が黒い煙で覆われ始めていた時、沙織は小さく声を上げた。
「あたし―――」
沙織は出てくる大粒の涙を精一杯に拭うと、できる限りの大きな声を上げた。
「あたしのおばあちゃん、ウイルスに感染しちゃったの!」
突然のその大声に沙織の肩を撫でていた理惠はビクッとなり、拓と啓も拍子抜けになった。沙織は目が潰れそうなほど手で涙をぬぐいながら言った。
「先週の金曜に陽性になって、今ステージ2なの。小さい頃からいっぱい面倒見てもらって大好きなおばあちゃんだから、あたしどうすればいいか分からなくて…どうにかなりそうで…」
理惠も拓も急な話に返す言葉も見つからずただ戸惑っている。しかし啓は沙織の言葉を聞き全てを理解していた。一昨日の朝、大通りで見かけた陰鬱な姿。確かにその時の沙織は男が暴れて周りが大騒ぎしていても全く気が付かないほど落ち込んでいた。それに男に襲われた後の涙と下駄箱で言いかけた言葉。きっとおばあさんのことを言おうとしたのだ。ここ最近元気のなかった沙織にはそういう理由があったのだ。啓は顔に哀憫の念を示しながら言った。
「そうだったんだ。それは大変だ。そんな時に呼び出してごめ―――」
「あたし、行く! 行くよ、啓! おばあちゃんを最悪な目に合わせているウイルスの正体を暴けるなら行く。おばあちゃんを助けられるなら!」
啓が話している途中沙織は大きな声で遮った。その大声は涙で震えており、しかしよく通る声であたりの空間に響いた。啓は急な支持者の登場に驚きを隠せず、何かの見間違えかと思ったように目を見開いてパチパチと瞬きを繰り返した。横にいる理惠は先ほどまで沙織の肩を撫でていたその手を振りほどいて非常に焦った様子でいる。
「な、なに言ってるの、沙織…! 別に潜入したっておばあさまを助けられるわけじゃないのよ!」
「はあ、一度吐き出したらすっきりしちゃった!
理惠、あたしは行くから! 啓の言ったことを聞いてもう決心したの。絶対に研究所には何かあるよ」
沙織の真っすぐな眼差しを見ると、理惠はまるで海外のバラエティーショーのように手を振り上げて困惑の表情を示した。理惠にとってのあの沙織が対立意見を持ってしまって何も言葉が出てこないようだ。すると啓の横から低い声が聞こえてきた。
「ぼ、僕も行く! 行って啓の力になりたい」
今度は拓が威厳ある風にいくらかトーンを低くして言った。胸の前に拳を作って続ける。
「こんなにも証拠が出揃ってるんだ。何かあるに決まってるよ。それなのにこの状況を黙ってみてるだけだなんて、いち魔術師として失格だよ。僕、やっと紙飛行機が僕たちに魔術をくれた理由がわかった気がする」
一切口角も上げずに眉も吊り気味にして不自然さが際立っている…それに妙に顔が赤く染まっている。なぜ急に拓は自分に賛同し始めたのだろう? 啓は不信にすら思った。すると沙織が理惠に向かって叫んだ。
「さあ、残りは理惠だけだよ! 理惠も行こう! ここで魔術を使わないでどこで使うの?」
「そうだよ! これは使命なんだ。僕たちが行動を起こさないと。行くの? 行かないの?」
続けて拓も理惠を説得し始めた。言われた理惠は見たこともないほど焦った様子とともに眼球が飛び出しそうなほどの速さで交互に三人を見ている。
「ちょ、なによ…二人して急に―――だって、そんな急に言われても―――」
まるでゾンビのように二人は理惠に歩み寄り、まるで襲われているかのように理惠の方は数歩後退している。しかし理惠はとうとう折れて声を上げた。
「わ、わかったわよ! みんながどうしても行くなら私もいくわ。ただ、最初に言っておきますけど、私を連れて行ったって何も役に立たないわよ。なにせ人を安心させる能力よ。潜入の中で一役買うとは思えないものね」
理惠が保険を掛けるように早口で言い放った。すると、
「そんなことないよ! 人に安らぎを与えるなんて―――いやはや、あんな所やこんな所で役に立つことでしょう」
拓が普段使いもしない上品な口調で理惠をおだて始めた。拓は引き止めるつもりで理惠に言ったが、当の本人は弄られたように感じたようで相当苛立っている様子だ。
「魔術をもらった時は『見掛け倒し』だなんて言ってたくせに…よく言えたもんだわ…!」
それでも拓は構わず両手をすりすりとこすり合わせてながら不自然に目尻の上がった笑顔を浮かべている。啓は突然状況が百八十度も変わったことに戸惑いを隠せず次の言葉も浮かばなかった。すると沙織がぱっとこちらを向いて聞いた。
「じゃあ、行くと決まれば作戦を立てないとだよね! 啓は何か策を考えてるの?」
沙織は本当に吹っ切れてしまったようで完全に以前のような明るい表情が戻っている。目の前に目的という原動力が現れたことで活気を取り戻したようだ。それを見た啓も感化されたように威勢よく言った。
「そうだ、作戦のことだけど、とにかく瀬古さんや安達さんが外部に伝えようとしたものを突き止めないといけない。それはチームのラボの中にある。ウイルスとアドクニウムの両方に関係するものだ。どんな形でもあり得る。何かの機械とか、文書かもしれない。とにかくラボの中を調べて、映像に残すんだ」
啓の行き当たりばったりともいえる作戦を聞いて理惠はより呆れた表情をした。
「…それしか安達さんや瀬古さんの遺志を受け継ぐ方法が思い浮かばないんだ。なんでもいいから証拠を掴んでネットに上げる。情報を嗅ぎ付けようとネットに潜んでいる人はたくさんいるんだ。きっと拡散されるよ」
すると理惠が半分諦めた調子で口を開いた。
「何その作戦…あまりにも骨組みが弱すぎるわ。それに肝心のアドクニウムについてもなんの情報も私たちは知らないじゃない。どうやって開発されたとか、どうやって使用されているのかとか…そんな状態で潜入して、何かいい証拠とか手がかりとか掴めるのかしら?」
理惠の言葉を聞いて啓は痛いところを突かれたと思った。弁明の言葉も浮かばず本当のことを言う。
「確かに公式の情報源と言えば、運用当初の記者会見くらいしかないんだ。それ以外ほとんど情報は…」
すると隣にいる拓がガサゴソとポケットを漁り携帯を取り出した。
「それなら会見だけでも見てみようよ。何かヒントがあるかもしれない。みんなはちゃんと見たことある? 一度しっかり見てみようよ!」
何とか理惠を引き留めようと試みているようだ。拓が画面を弄ると、携帯からシャッター音や男性の声が聞こえてきた。啓が画面を見てみると、二人の男性が長机の上に置かれたマイクの前に座って話している冒頭の場面が映っている。啓はその姿と声にぎくりとした。ある理由から何とかしてこの映像をみんなで見るのは避けたいところなのだ…すると理惠が呆れた様子で拓に言った。
「別に今更見たって何も得られる情報はないわよ。だって何カ月も前の映像よ―――」
しかし言葉は途中で途切れた。今しがた一人の男性の前に出てきた名前にハッと息をのんだ。
中谷吾風 開発研究チーム 室長
「ちょっと! この人の苗字、啓と一緒じゃない! 中谷って…」
「え! ほんとだ、すごい偶然! ちゃんと見たことなかったから全然知らなかった。啓の親戚の人とかじゃないの?」
沙織も一緒に声を上げると冗談を言うように笑って聞いた。啓は最小限に口を開いて答える。
「違うよ。全然知らない人。たまたま一緒の苗字なんだ」
そう言いながら画面に今流れいる映像をよく見てみた。理惠と沙織も顔を出して四人はぎゅっと集まった。一人の同じ苗字の男は、若作りしたようなセンター分けの髪形に気難しそうなキリっとした目を持っている。フェイスラインは綺麗で全体は整っているが顔に皺やクマが目立っていて、美形だったであろう若いころを思わせる。しかし目は虚ろで生気を失っているかのようだ。その冷たい目線は何を考えているのか読み取れない。そしてもう一人同じく横に座っている同じくらいの年の男性は反対に、ぼさっとしたくせ毛の髪の毛に大きな口には不敵の笑みを浮かべている。この開発発表を前にして画面越しでもわかるほどのギラギラとしたオーラを放っている。その隣には二人よりももっと若い男性の研究員が座っている。マイクは用意されておらず会見の補助をしているようだ。とても清潔感がありルックスも良く好青年という印象を受ける。今は台本のような紙に目を通しているようだ。すると沙織が顎に指を当てながら言った。
「この二人がこの元素を開発したんだ…中谷吾風さんと、赤穂重治さん―――多分要注意人物だよね?」
「分からない。多分この二人だけで開発したわけではないはずだ。そもそも研究所内部の体制がどんなものなのか不明瞭すぎるんだ。誰が運用に関わっていて、どのようにしてウイルスと関係を持っているのか見当もつかないよ」
啓は険しい表情で答えた。すると沙織が画面を見ながらアッと声を上げた。
「待って、画面の中の方の中谷さん、この男性だけど―――肌が黒いように思わない? 日焼けとは違うな」
「それ、僕も思った。なんだか黒い斑点のようなものが見える。もしかして―――」
拓も共感の意を示した。啓も確かにその男性は以前よりも肌の色が違うように感じていた。ほとんど喋っておらず動きもないため、生気を失ったようなその姿は体調が悪いようにも見えてきた。理惠が囁くように言った。
「まさか、この時から既にウイルスに感染してたとか? でも、ウイルスが確認されたのは確かもう少し先のことよ―――」
「本当にウイルスに関わってるのかもな。現実味が増してきたよ」
期待をせずに見始めた映像から予想外の手がかりのようなものを掴んで、啓は驚嘆した。すると、
「いつ潜入するの?」真横で理惠が鋭い声で言い放った。啓は不意を突かれて聞き返した。「え?」
「いつ潜入するのって」理惠はもう一度力強く聞いた。この映像を見て何かが理惠を決心させたようだ。その鷹のように標的に一直線であるような瞳に覚悟が映っている。それを見て啓はドキッとした。啓が答えようと口を開けかけたその時―――
ピロン
携帯が通知音と共にバイブレーションで揺れた。画面に飛び出してきた通知バナーには目を見張るべき一文が書いてある。
研究所隣接発電所の敷地内で女性死亡 遺体は本地職員の佐々木佳子さん(29)
三人がハッと息をのむのが聞こえた。しかし啓はもう驚きはしなかった。はっきりした意識の中理惠に言い放った。
「なるべく早い方がいい。これ以上犠牲が出ないうちに。
明日―――いや今夜だ」




