第三章 それぞれの夢、それぞれの花
沙織の言葉に三人は言葉を失ったように立ち尽くした。しかし啓は呆れて立ち尽くした訳では決してなかった。数週間も前なら沙織の言葉に声を上げて笑っていただろう。しかし今啓は同じ考えを持ち始めていたところだったので、沙織の言葉を聞いて安堵と歓喜が沸き上がったのだ。徐々にはっきりと大きく見えてきていたあの飛行物体であったが、最近より形がより立体的に見え始めていた。四人はあれがただの平面的な三角形かと思っていたが、物体の中線あたりから細長く何か突き出しているように見えていた。元の三角形の一辺よりかは短く中点に向かって徐々に長くなっていることから、それはまるで―――
「私も思ってた、あれって紙飛行機みたいよね? 形がそれそっくりなの」
理惠の意見に啓と拓も「俺も」「僕も」と次々に賛同した。
「僕がまた馬鹿みたいに勘違いしてるのかと思ってた。まだよく見えないけど物体の質感も何となく紙みたいに見えなくもないんだよね」
拓が自信なさそうにそういうと、次に啓が言った。
「でももしあれが紙飛行機なら大きすぎるし、一体だれが飛ばしたんだ? というか俺たちを監視してるみたいにずっと飛んで、一体何がしたいんだろうな?」
「ほんとに。あの物体に関しては不思議なことがいっぱいよ。カメラにも映らないし、しかも沙織も言ってたけど見たときのあの奇妙な感覚も何なのかしら」
啓の質問に理惠は答えようにも答えられず頭を抱えていた。
「とにかく、今は何も分からないわね。というか一生わからないまま残りの人生、付きまとわれる可能性もあるわ」
理惠の嫌な憶測に拓は「それはやだよー!」と声を上げた。すると沙織が言葉を付け加えた。「でも、少なくとも『降りて』こない限りは、でしょ?」
理惠は沙織の発言に少し笑った。
「ええ、そうね。降りてきて正体をバラすならね。そうすれば、わたしたちもすっきりするでしょうけど」
「でもそんなことあるのか?」
啓はぼそっと言った。降りてきてほしいような、ほしくないような、どっちつかずの気持ちに啓はなっていた。あれが落ちてくれば確かに自分たちの疑問も解決するが、その次に何が起こるのか啓は予想できなかった。超科学的な存在を目の前にしたときどうすればいいのか全く分からない。あるならガイドブックが欲しいくらいだ。
「まあ、私個人とすればこのまま落ちてこずにそのまま消え去ってくれればありがたいんだけどね」
月日が経ち飛行物体の存在に若干辟易としてきていた理惠がそういうと、拓が激しく反論した。「何を言ってるの! 絶対降りてきてほしいに決まってるでしょ。あれが一体何なのか知りたくないってわけ?」
拓は最高のショーを見てる気分で話しているが、逆に理惠は面倒ごとに巻き込まれたくないただ一心であるようだ。首を横に振り続けている。
「あたしも降りてきてほしいかなあ。もし紙飛行機ならサインとかしたいかも!」
沙織の発言にみんなは笑った。結局一同は今は情報が少ないので詮索しても意味がないという意見にまとまった。理惠は渋々だったが、もし落ちてくる時がくるならその時まで待とうと四人は話した。
「それでは皆さん、先週私が予告したように―――」
六時間目の授業で担任の川口先生は威勢よくクラスに話していた。
「というか、皆さん覚えていますか? 新しい総合的な探求の時間のカリキュラムについてですが」
啓が右斜め前を見ると、拓が先ほど数学の時間で帰ってきた小テストの用紙で紙飛行機を作っているところだった。先生の話などそっちのけだ。
「皆さんはこれからグループに分かれて、調べ学習を超えた活動をしてもらいます。グループはこれから進路として皆さんが将来進みたいと考えている分野ごとに分かれます。全部で十個ほどあり、看護や言語、芸術や政経…」
拓の紙飛行機の製作は中盤に入り、形が整ってきた。それを理惠が後ろの席から咎めるような目つきで見つめている。
「分野ごとのグループに分かれた後は、グループでその分野においての現代の課題を見つけて、さらにその解決策を考えてもらいます。みんなで協力して考えをまとめた後は、最終的にプレゼンを行ってもらうのですが―――」
手慣れたように作業を進めていた拓だったが、その手が止まった。川口先生の声が一段と大きくなったからだ。
「皆さんが将来どの分野に進もうと考えているのかアンケートを取る前に、まずは皆さんが自分の考えを改めて見つめ直す必要があります。ですので、これからこの作文用紙に将来やりたいことや成し遂げたいこと、計画や『夢』を書いてもらいます。特に思いつかない人は自分に影響を与えていることや大まかなビジョンなどでも大丈夫です。皆さんは二年後受験を控えており小論文では書くトレーニングが必要で―――」
先生が話終わり作文用紙が配られ始めるとクラスのみんながガヤガヤと話し始めた。みんな作文に対する不平不満を吐露しているようだ。
「作文なんて小学生みたいじゃん。しかも夢についてだってさ! 誰なんだ、考えたやつは」
拓が後ろを振り向き三人に向かって言った。苛立っているし、少し恥ずかしいのか頬を赤らめているように見える。理惠がその後に続いて喋った。
「こういうのって難しいのよね、意外と。将来について考えると無性に不安になるし、『夢』とかって大層に言われると何だか恥ずかしい気持ちになるわ」
理惠は思わし気にそういったが啓には分からなかった。理惠はよく考えているのかもしれないが啓はただぼんやりとしか将来のことは頭になかった。大学は進もうと考えていたし学部は何となくだがすでに決めていたが、その後手にしたい職は特に思いつかなった。不安になることも特になかった。自分はあまりにも考えられていないのだろうか? 色々と考えを巡らせていると沙織が驚きが混じった声色で言った。
「みんなよく考えてるんだ! あたしもちゃんと考えてるつもりだけど。啓は将来何になりたいとか、あったりするの?」
突然の質問に啓は少し戸惑った。言葉が喉で突っかかる。
「お、おれ? いや、何も考えてないよ。なりたいものとかないし。けど理系には進もうと思ってる。大学は工学に入りたい…かな」
啓は頭をポリポリと搔きながら話し、少しこっぱずかしい気持ちになった。
「あー、そういう沙織は、将来何か就きたい職業とかあるの?」
「あたし? うーん、あたしなら一番この中で興味あるのは、看護かな!」
啓の質問に沙織は元気よく答えた。
「小さいころから憧れがあったし、結構大学とか調べてるんだ」
沙織は恥ずかしさとは無縁に意気込んで話した。
「やっぱり病院でベッドを運んでる姿とか、注射を打ってる姿とかかっこいいなって思う! 人の傷を癒すって本当にすごいことだよ」
物思いにふけるように沙織は言い、次にさっきから黙っている理惠に質問した。
「理惠は何かあったりするの? 将来のビジョンとか」
「え、私? あー…」
理惠は不意を突かれたようだ。考えを巡らせている。
「私は、具体的には何もに考えられてないわね。考えていないわけではないんだけど、興味が出たと思ったら泡のように弾けてそれが次々繰り返してる感じなのよ。今もなりたいものが無いわけではないんだけど、思いが本当に不安定で…」
人差し指で顎をトントンと叩きながら弱弱しく理惠は話した。次に逃げるように理惠は目の前に座っている拓に質問を投げかけた。不自然に元気のよい声だ。
「拓はなにかあったりするの? まだ何も聞いてないのは拓だけよ」
拓も先ほどから黙りこくっていた。何か考えを巡らせているに違いないと啓は思った。すると拓はおもむろに話し始めた。
「僕ね、一つあるんだ。あまりみんなには言ってなかったんだけど…絶対笑わないでね!」
前の「UFOを見たんだ」を超えないと笑うことはないだろうと啓は考えた。しかも拓の答えは到底笑うようなものではないと、少なくとも啓はそう感じた。
「僕、花屋さん…とかすごくやってみたいんだ…変だよね?」
拓がそういうと沙織が「あー!」と声を上げた。
「そういえば拓って花とか植物にすごく詳しいよね。これ何の花?って聞いたら絶対答えられるもん」
「あら、そうなの? なんだか博士みたいね」
理惠は興味深そうに拓に言った。啓も中学の頃から拓を知っているがその時から花に詳しいという記憶がある。理科の生物の範囲、特に植物に関してはとても得意だった。そこがテストに出た時期は異様に拓の理科の成績が良かったのをなんとなく覚えている。しかし花に対する愛が職にしたいほどであるとは思っていなかった。
「けど花屋さんってどうすればなれるんだろう? 自分で店を持つとか…? そんなの絶対できないよ!」
拓は唇を震わせてわなわなと言った。すると理恵が拓に向かって嗜めるように言った「花屋ってことはちゃんと世話しないといけないわよ。広く知識も持ってると尚良しね」
「それなら自信はあるよ。いつもいろんな花を家で育ててるし、勉強もしてる」
拓には似合わないほど威厳を奮わせながら続けて話した。
「実はうちの家には温室があるんだ。小さいんだけど親が家を建てる時につけてね。前にパンツ一丁で飛行物体を見たって話、したでしょ? あれは温室にいるときに見たんだ」
「そうだったんだ。家に温室があるなんて、憧れるな。行ってみたいよ」
啓は何げなく言った。すると拓が突然声を上げた。
「あ! なら来てよ! うちの家に、みんなで。今日の僕の誕生日会は温室パーティーでしよう」
拓は興奮した様子で言った。それに啓は、これはなかなかの名案だと思った。実は今日十二月十二日は拓の誕生日であり、誕生日会をしようとみんなで話していた。四人の間ではそれぞれの誕生日が来るとみんなで集まり誕生日会をすることになっている。最初は一学期の頃、啓の誕生日が来たときに沙織がこれを提案した。みんなが賛同しそれから誰かが来るたびに開催している。今回の拓の誕生日で三回目だ。
左右を見ると沙織は賛成して顔を輝かせているが、反対に理恵は申し訳なさそうな顔をしている。
「いいの? おうちの人に迷惑なんじゃない? 突然みんなで押し掛けるなんて…」
「そんなことないよ! うちの親にはみんなのこといつも話してるし、顔を見ると喜ぶと思うよ」
拓は気楽に話したが理恵はまだ何か言いたそうな顔をしている。すると拓が付け加えた。
「一応前もって連絡を取って聞いておくよ! 絶対良いって言うと思うけどな。そうだ、うちによる前にコンビニでお菓子を買っていくのはどう?」
拓の提案に一同は賛成した。そして拓は挑発するようにみんなに言った。「今夜はオールナイトだよ!」
「それはない」理恵がピシャリと言った。
いつものコンビニで啓たちはパーティー用具や食品を買い集めた。クラッカーや簡単な装飾品は沙織の提案だったし、相変わらず食生活の節制していた理惠はナッツや九十%カカオチョコをお菓子として買おうとしたが、今日の主役である拓が「やだ!」と却下したため、おとなしく棚へと戻した。
いつも公園へと進む道を逆の左へと曲がり啓は見知らぬ道を進んだ。大通りを外れるとあたりはすぐさま閑静な住宅街へと様変わりした。今日も秋晴れの日で、歩道に植えられている金木犀の木から秋の香りが漂っている。
大通りから10分ほど歩くと先導を切っていた拓が大きな声でお知らせした。
「そろそろつくよ! ここを曲がったところだ…あ、あれだよ!」
拓が指さした方向を目で辿ると白い大きい一軒家が目に入った。啓たちは拓に導かれるがままに進んだ。この家には二階建ての家で一階には出窓がついており、中にはかわいらしいレースのカーテンが見える。二階にも大きな窓がついており屋根は瓦造りだ。最近ペンキを塗り替えたばかりなのか、綺麗な白色の外装をしており、その右横には白い屋根付きのカーポートがある。そこには大量の植物の植えられた鉢植えや園芸雑貨が所狭しと置かれたり掛けられたりしていて、カーポートの屋根には蔦やその他の植物が絡まったりぶら下がったりしている。しかし、しっかりと手入れがされているのか、それらの蔦もまた一つの装飾かのように見えた。啓は拓がここで育ったのを外観だけで納得できたし、とにかくとても素敵なお家だと思った。
するとカーポートに留まっている車の裏からひょこっと女性が現れた。
「あら、こんにちは! ようこそいらっしゃい」
麦色の帽子をかぶった拓の母親は園芸用具を手に持ったままペコリとお辞儀をした。拓に似た目尻の下がった笑みと若干の皺が顔に浮かんでいて、やさしい雰囲気が感じ取られた。続けて拓の母が言う。
「いつも拓がお世話になっていて…本当にありがとうね。いつも親として心配していて―――」
「お母さん、いいよ! 恥ずかしい! 中を通って温室に行くから!」
大声を張り上げて半ば強制的に母親の話を中断させた。啓、沙織、理惠は今日のお礼を言い、拓の母親は話し足りない様子で二言三言言って笑顔で去っていった。
みんなが門扉をくぐりドアへと向かいながら拓は言った。
「ほんと、相変わらず心配性なんだから、ねえ? 高校生活はみんなのおかげで順調なのに。お母さんはみんなを見るまできっとみんなのこと、僕のイマジナリーフレンドかなにかだと思ってたんだよ」
「拓、あなたは感謝すべきよ! あんなに素敵なお母さまを持てて、素晴らしいわ」
拓はうんざりしていたが理惠は咎めるように拓に言った。啓と沙織はお互い意味ありげに目配せをした。
啓は玄関へと着きそのまま居間へと通ると、ざっと見ただけでとても家の中はきれいに整えられていることが分かった。埃はほとんどないしフローリングはピカピカに保たれている。一日分の汗が染みこんだ清潔とは到底言えない靴下でずかずかと踏み込むのが余りにも忍びない。啓含む三人はバレエの様に自然とつま先歩きをしていた。シックな色彩のカーテンや木目のテーブルの瀟洒な雰囲気に目を吸いつけられながら啓は、そのままキッチンを横切り別の部屋へと進んだ。その部屋の先に、温室へと続くであると思われる扉が光芒を通しながらあった。啓は一目見て、心が弾んだのを感じた。車で隠れて見えなかったが、間取り的にはカーポートの奥の方にあるようだ。
「ここが温室なんだけど…あまり期待しないでね」
扉まで近づいて遠慮がちにこちらを向くと拓がぼそっと呟いた。すると沙織が答える。
「あー…じゃあ、カウントダウンする?」
それにすかさず啓が「いいね!」と反応した。不服そうな顔の拓も構わず沙織がドアノブに手をかけると三人は拳を振り上げて叫んだ。
「さん、にー、いち!」
勢いよくパっと扉が開く―――するとそこには四畳ほどの全面ガラス張りの部屋にびっしりといる植物の大群が目に飛び込んできた。
「わあ、すごい! たくさんの花!」
沙織は扉を開けて一目見ただけで歓声を上げた。少し照れたように続けて拓が言った。
「足元にスリッパがあるから、みんな履いて。多分人数分あると思う」
一同は中へ入り、初めて温室を体験する三人は各々部屋を見回った。
部屋を取り囲むように横長の机が置いてありその上には大小様々、彩り豊かな植物の植えられた鉢が置かれている。部屋の角にはなにやらロータス模様が彫られた石製の台座も花瓶の土台として床に置かれている。部屋の真ん中には作業場のように見えるテーブルが苗や園芸用具とともに置かれていて、拓はいつもここで植物の世話をしているようだ。作業した時に出たであろうごみやスコップなどが散乱しており、家のここだけは清潔に保つことが難しいらしい。温室は非常に色彩豊かで、テーブルの上に置かれてあるいくつかの鉢には白と黄色の小さなかわいらしい花が咲いていたり、台座の横の鉢には背丈が七十センチほどある大きな赤色の花が堂々と佇んでいたりしている。ほかにも赤青黄色、様々な植物があったが、部屋の奥に啓の知っている花が咲いているのをひとつ見つけた。
「ほんとにすごいわ。これ、拓が全部ひとりで世話をしているの?」
理惠が感心したように言った。拓がなお頬を赤らめながら質問に答えた。
「うん…まあね。学校が休みの日とか帰ってきた時はいつもここで過ごして世話をしてるんだ」
拓は続けて話した。もじもじとして言葉があまり聞き取れないほど小さい声になっている。「ほんとにここが好きで…なんだか愛しいわが子をじろじろと見られてる気分だ。緊張する」
「拓、本当にすごいわよ。全ての植物が綺麗に育っている様に見えるわ。これなら店を持つのも余裕ね」
理惠は一通り見回ると、鷹の様な鋭い視線を拓に送った。「世界一の花屋を目指すのよ」
「世界は、まあ…目指して無いけど」拓は困惑気味に頭を掻く。
「俺も、ここ好きだなあ」啓が何気に言った言葉だが、とどめを刺されたかのように拓の顔が真っピンクになった。
拓ののぼせも落ち着いたところで四人はパーティーの開始に取り掛かった。各々が次々とコンビニの購入品や拓の母親が持ってきてくれたお菓子を並べて、簡単な装飾も温室に施した。「拓、誕生日おめでとう!」という声とともにクラッカーを鳴らしたが、沙織の照準がまずかったために爆音とともにクラッカーは拓へ直撃した。その後はゆっくりとお菓子を食べながら啓、沙織、理惠は拓へプレゼントを渡した。啓は拓が以前から欲しがっていた書き心地の良い高価なシャーペンを一本贈り、理惠は紺色のブランドハンカチを贈った。沙織はとても申し訳なさそうな顔とともに駄菓子の買い集めをレジ袋で渡したが、拓が笑いながら「これ全部、好きなやつだ!」と言ったので沙織は心底ほっとしたようだった。すると、元から奇想天外だった拓が、さらにクラッカーが頭に直撃しておかしくなってしまったのか、なんとプレゼントのお礼にプレゼントを送り返すという、『逆誕プレ』をしたいと言い始めたのだ。「ここにある花、どれかをあげるってのは、どうかな?」
「逆誕プレって何! そんなの悪いよ。拓が真心こめて育てたものなのに」沙織が気兼ねして言うと、拓は首と手を横に振りながら気軽に言葉を返した。
「遠慮しなくていいんだよ! 同じ種類のものがたくさんあるし、みんななら安心して渡せる。あ、本当の誕プレはまた別であげるから」
啓の申し訳なさそうな顔を不安と受け取ったのか、拓はそう言葉を付け加えた。しかしそうではない。啓は訂正しようとしたが理惠が遮った。
「でも私、花なんて贈られたことない! 拓、ほんとにいいの?」
理惠がその目を輝かせて、少し興奮した様子で言った。しかしそれを聞いた啓は少し驚いた。彼女は家に招待してもらいお菓子も御馳走させてもらった上に、花まで貰おうとしている。悪く言えば抜け目がない。もっと悪く言えば無遠慮だ。
「いいよ! 『贈る』って言われるとちょっと恥ずかしいけど…」
拓は首に手を当てながら、続けて言った。「だけど難しいなあ、友達に花を選ぶって。理惠はどの花が似合うのかな」
すると理惠はその場に屈み、部屋の中央にある長机に置かれた一つの花を手に取って話し始めた。「私、この花とても素敵だと思うの。この部屋に来た時に最初に目に入ったんだけど…」
可愛らしい白リボンのついたバスケットの鉢には小さな花がいくつか咲いている。彼女は拓を見上げて遠慮がちに聞いた。「この花は…?」
何とも自分のビジュアルの良さを自覚した様な上目遣いだ。その瞳で一体今までに幾つもの危機的状況を乗り越え、これから幾つもの修羅場をくぐり抜けるのだろうか―――しかしそんな彼女の策略を気にも留めない拓は、ただ驚いたように声を上げた。
「そんなちっちゃいのでいいの? もちろん良いよ! その花はカモミールって言うんだ」
拓は理惠のそばまで行くと、目を閉じて指をピンと立てた。誰も質問なんてしていないのに、拓の口からカモミールの説明がすらすらと出てきた。うんちくを垂らす度に鼻の下が伸びるそのスピードは、どんな花の成長よりも早い。
「カモミールはキク科のシカギク属の花で、リンゴに似た甘い香りを持っているんだ。いくつか種類があって、それはジャーマンカモミールだね。ハーブとして使われていて、リラックス効果もあるんだ。花言葉は―――」
カシャ―――カシャ―――
しかし不意にシャッター音が理惠の方から聞こえてきた。見ると、今度は理惠の方が拓の説明を気にも留めない様子で花と自撮りをしている。酔いから引き戻された拓が憤慨した。
「ちょっと! ちゃんと人の話を聞いてよ!」
しかし理惠は今撮った写真を写した画面を拓へ自慢げに見せる。
「こんなに可愛い『顔』が持ち主になってしまって、この花たちの方はリラックスなんてできないでしょうね」
「なにいってんの?」
拓は我が子をこの持ち主へ引き渡すことに若干の不安を覚えているようだ。「目ないから、この子たち」
「沙織は何の花が良いか考えてるの?」聞こえないふりの理惠は、沙織の花探しに話題を切り替えた。「とても似合いそうな花がたくさんあるわよ」
「え、あたし? ええと…あたしは全然考えれてないかな。全然花とかに詳しくないから…」
「でも、直感的に気になったものとかでもいいのよね、拓?」
理惠が質問すると頬を膨らませていた拓だったが、理惠の言葉に対してチャンネルを変えた様に熱心に後押しした。「あ、うん、そうだね! 確かに目について好きだと思うものがあれば、それが運命の花だよ!」
二人の助言を聞いてもなお、沙織は試験の難問を解く時の悩ましい表情で見回している。しかし一つの花が目に入った時、その難問はあっさりと解けた。
「あたし、この花好きかも」
そう呟いた目線の先には、凛と咲いた一輪の花がある。茶色の素焼鉢に入っていて、燃える炎の様な赤色の花弁は、その温室で随一の彩度を持っている。
「この花は一体何? 教えて、博士!」
沙織はあからさまな態度で拓を持ち上げたが、拓はまんまとそれに乗った。なんとも粘着力のあるナードな笑いが漏れて、その頭を掻く。「そ、そんな博士だなんて―――」そしてにんまりとした笑顔で目を閉じ、指をピンと立てると拓はアマリリスの説明をすらすらと始めた。知識を誇らかす程に上がる口角は、どんな花よりも天高く伸びている。
「その花はアマリリスって言うんだ。ヒガンバナ科の植物で数百種も種類があるんだ。きれいな赤色でしょ? ほかには白とかピンクとかあるんだけど… 花言葉はおしゃべりとか―――」
カシャ―――カシャ―――
しかし不意にシャッター音が沙織の方から聞こえてきた。今度は元々興味を示していなかった理惠はおろか、質問した沙織も拓に背を向けて花と自撮りのツーショットを撮っている。またしても酔いから引き戻された拓が憤慨した。
「ちょ、ちょっと! 人の話を聞いてよ!」
餅の様に膨らんだ頬をさらに赤らませる。「沙織が聞いたんじゃん!」
「あ、ごめんごめん、聞いてるよ」叱責を受けた沙織が慌てて振り向く。
「とてもきれいな花だね、アママリス」
「アマリリス!」
「そう、それ」
皆の関心の低さに幻滅であろうこの博士は、もうこりごりだという様に深くため息を吐いた。隣に立っている啓に首を伸ばして訊く。
「啓はもう決めたの? 決めてないのは啓だけだよ」
花を次々に手に入れている皆だったが、啓はというとまだ貰うかどうかということすら決め兼ねていた。
「いやでも、俺、やっぱ申し訳ないよ。家に呼んでもらった上に花なんて」
「でも、啓だけ貰わないなんて不思議な話よ」理惠は前髪を梳りながら気軽に言った。しかし啓にとっては理惠が何故そんなにも毅然とした態度で居られるのか、それこそが不思議な話だった。それでも拓の鷹揚とした表情から察するに、ここは甘えても良いところなのかもしれない。人品卑しからぬ様子で見回すと、できるだけ遠慮がちに聞こえる様に柔らかく言った。
「俺、この中でひとつ知ってる花があるんだ―――これなんだけど」
指さしたのは、部屋の一番寒いであろう隅に置かれた、セメント製でライトグレーの鉢にこぢんまりと入った紫色の花だった。
「ああ、ラベンダーだね。僕も好きな花だよ」
「これがラベンダーなのか…一体どういう花なの?」
啓は花に足を進めながらなんとなしに聞いた。しかし拓は啓に狐疑の目線を向ける。「そうやって質問して、またどうせ聞かないんでしょ」
「そんなことないよ。聞きたいな?」しかし啓が少しつついただけで、またしても拓は長広舌を振るい始めた。
「それじゃあ―――ラベンダーはシソ科ラベンダー属の花なんだ。知ってるかもだけどラベンダーもハーブとして使われてて香りが―――」
啓は腰を折ってじっくりと花弁の一枚一枚を見ていた。この部屋に入った時、この花の存在にすぐ気が付いた。それは啓の祖父母の家にこの花の絵が飾ってあるからだ。こうやってしっかりと観察して近くで見ると、とても華奢で可憐なことが分かる。花弁の一枚一枚に刻まれたきめ細やかな皺から、生命の息吹を感じる。
「―――そして、花言葉は沈黙、疑惑とかがあるんだ」
拓が一通り話し終えて沈黙が流れると、啓はハッと夢から醒めたように上体を起こした。
「ああ、ありがとう。とてもいい説明だったよ」
「啓、ほんとに聞いてた?」沙織がキョトンとして訊いた。
「え? うん」
「なら、啓が今持っているラベンダーの種類は『何』ラベンダーでしょう?」理惠は無情にも、啓に抜き打ちチェックをした。啓は狼狽えて出任せを言う。
「あー…ジャーマンラベンダーだ、うん。ジャーマンラベンダー、でしょ?」
「いや…ジャーマンラベンダーなんて種類ないし…」
拓は怒りで握った拳を震わせ、重低音を静かに響かせた。「そもそも僕、ラベンダーの種類なんて説明してないんだけど…」
「あー! ところでさ、拓のお気に入りの花は何なの?」
啓は危険をすぐさま察知して、話を切り替えた。強行突破だったが、ありがたいことに沙織もその質問には興味を示した。「確かに気になる! この中で一つ花を選ぶとしたら、どれになるの?」
「え、この中で一つ? うーん」
どこか話の展開に納得しない様な、わだかまりが顔に描かれた拓だったが、それでもその質問に対してじっくりと考えだした。
「でも、ひとつ思い浮かぶのはあるよ。色んな意味で大切な花が」
拓は一つの長机にそっと近づきその上の壁を指さした。入ってきたときには気づかなかったが、そこにはソフトベニアが壁につけられていた。掲示物として幼いころからの拓の写真がたくさん張り付けられており、幼稚園児くらいの拓がこの温室で遊んでいる姿や、近くの公園まで行って植物を楽しそうに観察している様子などが写ってあった。そして拓が指さした先はそれらの写真のどれでもなく、画鋲で留められている一つの小さい透明な袋を指さしていた。啓たちが近づいて見てみると、中には花弁が青く中心が黄色い花が茎なしで二つ、そして防カビ剤の様な小袋が一つ入っていた。啓はそれを見て一瞬ドキリとした。その花に見覚えがある。
「これって、ドライフラワー?」
沙織が知識を振り絞った様子で聞いた。すると拓が少し驚きながら答えた。
「そう、ドライフラワー! わかるんだ!」
「どうしてこれが一番大切なの? 色あせてるように見えるけど」
理恵が不思議そうに聞くと、拓が落ち着いた声で答えた。
「そう、これ結構前に摘まれたものなんだ。なんで大切かっていうと―――」
拓は言葉を切り、啓に向かって言った。「啓、覚えてるかな? これ、啓からもらった花なんだ」
拓は穏やかな声で言った。しかし拓の質問に啓の心に緊張が走った。啓はなんとなくとぼけながら答える。
「あー、そうだっけ? 俺が? あー、まあ、なんとなく覚えてるかもな」
「ちゃんとは覚えてないみたいだね。ちょっと残念。でももらった時すごく嬉しかったんだ」
拓は目じりの垂れ下がった笑みで言った。啓の心が一瞬チクリとした。
この花を拓にあげた時のことは、確かによく覚えている。中学生の頃、屋上でその時風に吹かれてやってきたこの花を拓に渡した。その頃の拓は孤立しとてもしんどそうで、よく屋上に一人で行って過ごしていた。浮かない表情が続いていた拓の顔が、この花をあげた時パッと明るくなったのを今でも覚えている。大切にするとその時言っていたが、まさか今の今までずっと大切に持っていて、しかも袋に保管していたとは思ってもいなかった。
「中学の時、しんどかった時にもらったんだけど、それ以来ずっとお守りみたいに飾ってあるんだ。大げさに聞こえるかもしれないけどこの花に救われたから…」
「ああ、そうだったのね。色あせてるなんて言ってごめんなさい…とても綺麗ね」
心配の混じった声で理恵が謝ると、拓は慌てて言った。
「ううん! 色あせてるのは事実だし! 僕はもう大丈夫だし!」
拓は理恵に向かって元気よくほほ笑んだ。屋根から降り注ぐ陽の光も相まって二人の間にあたたかな雰囲気が流れていた。沙織が訝るような目線でこちらを見ていたのはただの勘違いだろう。
その後は持ってきたお菓子を、これまた拓のお母さんが出してくれたお茶と一緒に平らげながらみんなで様々な話をした。学校の課題の作文の話になったときは、拓と沙織が再び自分たちの夢についてより熱量をもって話し始めた。拓は自分の店を持つことにあんなに不安を装っていたのにも関わらず、思ったよりも明確なビジョンを隠し持っていたし、沙織は聞いてもいないのに具体的な看護大学の特色をべらべらと喋った。理恵が以前に言及していた新しいウイルス感染症が最近流行り始めたという話では、沙織が自身の見解を看護師の卵として延々と話し始めたので、拓がとうとう痺れを切らして花のお手入れをし始めてしまった。
それでも皆と居る時間は夏の氷のように早く溶けていってしまい、あっというまに夕方になった。外を見ると夕焼けの雲が淡く照らされていて、遠くの方はすでにオレンジに染まりつつあり空全体がグラデーションを作っていた。そろそろ帰ろうとみんながパーティーの後片付けをしていた時、沙織が一つ提案をした。
「そうだ! 今日の記念に写真を撮っておこうよ。いつもみたいにさ」
すると沙織のアイデアに啓がぱっと閃いた。「いいね。それなら今日拓にもらった花を持って取るのはどうかな?」
これに三人は「ナイスアイデア!」と声を上げた。拓の方を見ると嬉しそうに顔に満面の笑みが広がっていた。
「じゃあ僕がスマホをセットするよ。あ、でもこの部屋、作業台しか立てかけられるところなさそうだな…」
拓はしおれた様子で言った。他の長机は鉢やら小道具やらで埋まっていたし、作業台は腰の高さほどしかないので、スマホを置くと画角がどうしても上の方を向いてしまうのであった。
「でもこの角度もなんか、エモいっちゃエモいよね? 後ろは全部ガラス張りで、空も見えるし」拓はそう自分に言い聞かせるとタイマーをセットした。
拓は今しがたソフトべニアから取ってきた勿忘草を持ち、三人は花の咲いた鉢植えを持って各々がポーズをとった。理恵がボタンを押しカウントダウンが始まる。
三、二、一―――
するとカシャっというシャッター音とほぼ同時に四人は、はっと息を飲んだ。そして全員が不意にぱっと振り返り、窓の外にある空を見上げた。
いる。空に浮かぶあの飛行物体が。今までよりも一番大きくはっきりした姿で飛んでいる。壮大な夕暮れ時の空に包まれて、その白い胴体はオレンジ色に光っていた。それを見た瞬間、啓はこれまでより比べ物にならないくらいの脳の揺れをはっきりと感じた。眩暈とも言えるこの感覚によって、目の焦点が戻るまで数秒ほどかかったほどだ。他の三人もそれほど強いエネルギーを感じただろう。
「いるね」少し空いた間の後に沙織が額に手を当てながらぽつりと言った。
「いるわね」理恵はいつもより多めに息を吐いて言った。「みんながあれを見ているのならきっと大騒ぎでしょうけど。誰も見えてないのかしら?」
「さあね、きっと見えてないんだろ。ここらじゃ誰もあれについて話してないんだから」啓がそういうと、拓が声を張り上げた。
「でも見えないはずないじゃん! あんなに大きくはっきりと見えるんだよ。最後に見た時はもっとずっと小さかったのに、今日で急に近づいてきたよね?」
拓は恐怖ともとれる顔をしながら小さく言った。「ほんとに訳がわからないよ」
理恵は作業台にそっと近づき立ててあるスマホを取った。そして今しがた撮った写真を見ながらおもむろに言った。
「ええ、本当にあの飛行物体に関しては分からないことだらけだわ」
三人も理恵と同じようにスマホに映ってある写真を覗き込んだ。四人の青年少女が花を持って驚きの表情を浮かべている。背景には透明な温室の外に夕焼けが広がって映っている。その空に飛行物体の姿はなかった。
不可思議な出来事の後、四人はすべての手荷物と拓からもらった花を持って足早に温室から出て行った。家の中を通って帰る際拓の母親に最後に会い、「お土産」としてお菓子の詰め合わせを三人とも貰った。こちらの方が家に招いていただいてお礼をしないといけないのに、拓の母親は啓、沙織、理恵に来てもらってとても感謝しているようだった。
拓の母親にさよならを言って家を出た四人は、そのまま各々の帰路へと続くいつもの公園へ向かった。拓は公園まで見送るといい三人についてきた。道中、四人はひっきりなしに空を見上げていた。
「どう? どこかに見える?」
理恵は神経を研ぎ澄ませながら三人に聞いた。
「いや、またどこかに消えちゃったみたい。どんどん暗くなってきてるし、多分これじゃ見つからないね」沙織が少し落胆した様子で答えた。
「最近はあまり見かけなかったのに、今日で急に近づいてきたんだから。僕、さっき見た時どうにかなっちゃうかと思ったよ」拓はまだ動揺している様子だ。また声が上ずっている。
「そうだな。明日また学校で聞いてみるよ。あれを同じく見てる人がいるなら―――」
「あ!」啓が話していた途中で突然拓は止まり大声で叫んだ。
「なに!?」「見つかった?」「どこどこ!」三人は次々と声を上げて空をくまなく探した。しかしどこにも物体は見当たらない。
「最悪! 園芸ばさみをポケットに入れたまま来ちゃった! さっき花をお手入れしたときに使ってそのままにしたから」
「は? 園芸ばさみ?」三人は期待を裏切られて、拓の発言に笑った。
「戻って置いてきたほうがいいかな? 銃刀法違反だよね?」そう言って拓だけは怯えたまま歩いていた。
そこから公園につき早々に解散するつもりだったが、気づけば例のごとく四人はまた話し込んでいた。
「冬休みまでに正体を現してくれないかな? こんなに焦らされてもうどうすればいいの!」
沙織が少しイライラした様子で話した。「あの飛行物体、なかなかのエンターテイナーだよね?」
「だけど今日のあの大きさを見ると、降りてくるのが中々現実的に思えてくるわね。もう時間の問題って気がしてきたわ」理恵が顔中に皺を寄せながら話した。
「それならみんなも嫌でも飛行物体の存在を検知できるな。そうだ、ネットでは今日なんか言われてはないかな?」
啓の疑問に拓と沙織が「調べてみる!」と元気よく言ったが、その次に沙織が唸り声を上げるだけだった。
「だめ、何週間も前からUFOを見たって投稿はないよ。勝算なし」
しかし、今日は確実に何かが変だった。見つけた時いつもより動悸が激しかったしその感覚が今もなお続いている。この公園に来るまでずっと何かに見られている感覚がするのだ。ただじっと黙っていると落ち着かないので、啓は先ほど言ったことを再度言った。
「とにかく、明日みんなにも聞いてみよう。もう避けられても構わないよ。だから―――」
しかし啓はそこで言葉を切った。一瞬の間の後啓は言った。
「待って、なんかおかしくない?」
何か異変を感じ取り、啓はあたりを見回した。
「え、どうしたの?」沙織はそう言い、拓と理恵もつられて周りを見た。
すると三人も異変に気付き言葉を失った。
誰もいない。先ほどまで公園を走り回っていた小さい子どもとその保護者も、そこのベンチで今しがた座って喋っていた老人もいない。それどころか公園から見える大通りにも車や歩行者が一つも通っていない。いつもはこの時間帯でも交通量が非常に多く公園にいても騒がしく感じるくらいなのに、今は一台も車が走っていない。耳に入ってくるのは子どもの歓声やエンジンの音ではなく、ただヒューヒューと吹く風の音のみだった。しかもその風はどんどん強くなっている。
「え、どういうこと? なぜ誰もいないの?」
理恵が自分の両腕を掴んで怯えた様子で言った。
「大通りにも誰もいないよ! え、なんで。こわい。こわいよ」
拓は恐怖を助長させるかのように大声で言った。
「啓はいつ気づいたの? いつからいなかった?」沙織は啓に聞いた。「あたしと拓はスマホに夢中で回りを見てなかったから…」
「私は出口と反対側のこっちを向いてたから全然気づかなかったわ。こちら側はいつも人が少ないから」
理恵は風で強く靡く髪を片手で覆い、啓が向いていた方向と反対側を指さしながら言った。
「俺もみんなに話している時に気付いたんだ。これ、ほんとにみんないなくなってんのか―――」
啓が話している途中で理恵が叫んだ。
「待って! なにか変な音が聞こえない? 何、この音?」
理恵が注意深く何かを聞いているので啓も耳を澄ました。すると強く吹く風の音の他になにか遠くの方でサイレンのように鳴っているものが聞こえてきた。
「なにこの音。なんだか不安になってくるんだけど…」
拓が嫌悪を示した顔で言った。確かに不協和音のような、音階上の隣り合った音が同時に鳴っているような、そんな音だ。理恵がみんなにはっきり聞こえるように言った。
「気持ち悪い音! しかもどんどん大きくなってない? 何かが迫って来てるみたいだわ。あと、何でこんな風が強いの!」
「急に強くなってきたよな。俺の脈も速くなってきたんだけど、俺だけ?」啓が聞くと沙織がすぐさま答えた。
「あたしもなの。ねえ、この奇妙な感覚、飛行物体を見てる時に近いくない…?」
「もしかして…というか絶対いるよ…この感じは…」
拓は素早く上を見たので他の三人も空を探した。すると啓の目に信じられないものが目に映り、衝撃が心臓を貫いた。
何もなかったはずの空間に突如、見たこともないほど大きな姿の飛行物体がものすごいスピードで現れたのだ。それと同時にサイレン音は耳を劈くほど大きくなり、風は暴風へと変わった。
「え! なに! ありえない!」理恵は衝撃で口を覆った。
「信じられない! 今まで見た中で一番大きい姿だ。雲なんかより全然低い…」
拓が怯えた姿で言った。続けて沙織が叫んだ。
「きゅ、急に現れたよね!? どうやって――― え、待って」
「待って、あれってこっちに向かってない?」
「逃げろ!」
危険を察知し啓は誰の言葉も搔き消すほどに大きな声で叫んだ。理恵と沙織が甲高い悲鳴を上げ四人は全速力で公園の出口に向かって走った。大きな飛行物体はこちらに猛スピードで向かって飛んできていた。不協和音はどんなブザーよりも大きく鳴り響き、風は強く吹き荒れている。それを掻き消すほど大きな声で叫びながら啓たちは走った。啓たちを覆う影がどんどん大きくなり地上は暗くなる。ガンガンと鳴り響いている頭で啓が後ろを振り返った瞬間―――
ドオオオオオオオオン!!!!!!!!
凄まじい轟音や風と共に飛行物体は墜落した。地面は衝撃で揺れ動き、四人は膝から崩れ落ちて頭中を腕で塞いだ。啓の脳も最高潮の揺れを感じ、失神してしまうほど強くがんがんと鳴り響いている。その一瞬の衝撃が一生続くかのように長く感じられた。あたり一面砂埃で覆われ何も周りが見えず、啓は鼻や口に砂が入り咳が止まらなかった。
次第に衝撃は収まりあたりに静寂が訪れた。だんだんと風は落ち着き、不協和音も静まってきた。啓はうつ伏せで顔を覆ったまま、その場でゆっくりと目を開けた。するとその時、目と鼻の先のあり得ない光景に、啓は自身の目を疑った。ただ砂しかなかったはずの地面に、春の訪れを感じさせる様な青々しい香りを放つ何本もの草が目の前に生えていたのだ。ちょうど啓が手を付いていた所からは、タイムラプスの様に今まさに草が生えている所だ。啓は気味の悪さから思わず声を上げて、手を離した。そして顔を上げて前に目線を向けると、なんとさっき温室で見た様な色彩溢れる花々があちこちで顔を出し、野草が芝生の様に広がっていた。啓は開いた口も塞がらず声にならない声を漏らし、唖然とした。足元には茶単色の砂地しか広がっていなかったこの公園―――一体何が起きているのだろうか。
砂埃の先に沙織の姿が見えたので、すかさず立ち上がって野草を踏み鳴らしながら彼女のもとに駆け付けた。「大丈夫? けがはしてない?」
沙織は目に砂が入ってしまった様で、目を擦りながら啓の差し出した腕に寄り添って立ち上がった。しかし目を開いて地面を見た時、その場で飛び跳ねた。
「え、なにこれ…!? 一体何が起こってるの―――」
拓と理恵も足元を注意深く見回しながら、怯え切った表情でこちらに歩いてきた。
すると飛行物体が不時着したあたりの砂埃も次第に消え始めていた。四人は飛行物体に恐る恐る近づき、墜落したものは何だったかを確かめようとした。すると、啓はその正体に目を見開き、他の三人もはっと息を飲むのが聞こえた。
「これって…」拓が一歩一歩慎重に近づきながら言った。その衝撃にお互いが目を合わせる。ほぼ一か月その正体に心を煩わせていたものに今対面したのだ。
ほぼ縦長の三角形をした機体に夕日が綺麗に染まる白。公園の敷地の半分を占めるほどの大きさ。そしてその周りには崇拝する様に、寄りかかる様に囲んで芽吹いている花々たち。今日四人の高校生に迫って落ちてきたのは、大きな大きな、見たこともないほど大きな紙飛行機であった。




