第7話 共犯
――龍太郎、ツバサ宅
分厚い遮光カーテンで陽の光が遮られたベッドルーム。
裸の男女が寄り添うように静かに眠っていた。
ふと目を覚ました龍太郎が、目線をツバサに落とす。
静かに眠るその姿に肩までシーツを掛けた。
ツバサの寝顔をそっと撫でると、龍太郎は立ち上がり、水を取りにキッチンへと向かった。
ツバサは夢を見ていた。
遠い昔のことを思い出す夢。
――それは心を抉る悪夢。
◇◇◇
中学一年生、12歳。
夏くらいだったと思う。
姿見鏡の前。
あたしはニコリと笑った。
その表情には似合わない痣。
足、腕、顔、体のあちこち。
そして、表情は真顔に戻る。
小さく息を吐いた。
「今日こそ、お母さんに言う……」
お母さんは、スナック勤めのシングルマザー。
お父さんは知らない。一度も会ったことはない。
お母さんと話せるには出勤前の少しだけ。
夜はお酒を飲んでて話にならなかった。
お酒を飲んでるだけならまだしも、叩き起こされ、よく分からない理由で殴られる事もあった。
それだけならまだマシな方。
知らない男を連れて帰ることもあった。
そんな日は地獄。
ただただ地獄。
耳を塞いで。部屋からも出ない。
わずかなお金だけ渡されて追い出されることもあった。
居場所なんてなかった。
違う。昔も今も居場所は一カ所だけあった。
ある日、仕事帰りを待った。
帰宅したお母さんに時間を作ってもらった。
すごいイヤな顔されたけど。
ずっと心にあった想いを伝えた。
深夜のリビング。
灯りの消えたテレビ。
部屋はしんと静まり返っていた。
そして、ただ一言。
嘲笑を混ぜた一言だけ、お母さんから返ってきた。
『……あっそ。あたしにはどうでもいいわよ』
お母さんはタバコに火をつけて、興味なさそうにこちらを見ていた。
『じゃ、あたしもこの際だから言うけどさ。あんたみたいな誰の子だかも分からない子なんて産まなきゃ良かった。あーめんどくさっ。ねぇ、あんた。いっそ、どっか行ってくんない?もう中学なんだし、変態相手に金稼いで生きていけるっしょ。あ、今想像しちゃったじゃん。キモッ。あははは』
吐いた言葉に混じるお酒の匂いは今でも忘れない。
そのあと、何がどうなったのか、今も思い出せない。
でも、気付いた時には、お母さんは倒れてた。
血の海。
あたしの手には血だらけの包丁。
なんで。
なんで、なんで、
なんで、なんで、なんで、
なんで、なんで。
なんで、そんなこと言うの。
落とした包丁で足を少し切った。
血。
赤い血が流れた。
あ、そっか。
あたしみたいな子は生きてちゃダメなんだ。
出来損ない。
出来損ないの人間。
いや、人間でもないのかも。
誰からも望まれなかった子。
きっと死んでも誰も何も思わない。
死のう。
お母さん殺した罪も償わなきゃ。
生きててはダメなんだ。
脈が早くなる。
息が浅くなる。
苦しい。
龍ちゃん。
こんなときに思い出すのは、龍ちゃんの顔
龍ちゃん。
龍太郎。
助けて……助けて、龍太郎。苦しいよ……
どうしよう。どうしたらいいの。
寂しい、辛い、吐きそう
……
……
◇◇◇
「あぁぁぁぁッ!!りゅ、龍ちゃん!!龍ちゃん助けてッ!!」
ツバサはそこで目が覚めて、泣き叫んだ。
その声に気付いた龍太郎が血相を変えてベッドルームに飛び込んできて、ツバサを抱きしめた。
「あぁぁぁぁッ、龍ちゃん怖いッ!助けてッ、怖い、怖いよッ」
「大丈夫、大丈夫だ、ツバサ!」
ツバサを龍太郎は強く抱きしめる。
「ツバサ、俺はここだ。大丈夫、ここにいるぞ」
フッフッフッフ……ツバサの息が浅くなる。
――過呼吸。
ツバサの指先が痺れ、鉛のように重くなる。
自分の意思に反して指が内側へ巻き込み、龍太郎の背中に深く爪が食い込んだ。
離そうと思っても、筋肉が岩のように硬直して動かない。
(マズい。過呼吸が始まった)
龍太郎は背中の痛みには、意も介さず、ツバサの背中に手を当てて、優しくさすった。
「ツバサ、俺に合わせて、ゆっくり息を吐け!」
ツバサと龍太郎の目が合う。
「1,2,3で吐いて……そう、上手だ。大丈夫。すぐに収まる……もう一回だ」
何度も何度も、一緒に呼吸を合わせる。
手のぬくもりと、言葉で、ツバサを落ち着かせる。
次第にゆっくりと龍太郎の背中の手がほぐれていく。
龍太郎はツバサの顔に頬を寄せる。
「ツバサ、大丈夫。俺がいる。もう大丈夫」
その言葉に、わぁっとツバサは泣き出した。
「ご、ごめん、龍ちゃん。本当にごめんなさい」
「大丈夫だよ、ツバサ。大丈夫、気にすんな」
どれくらい時間が経っただろうか。
落着きを取り戻したツバサに龍太郎は声を掛けた。
「また、あの夢か?」
シーツに包まり、肩を落とすツバサがうつむいたまま頷いた。
「……久々に見ちゃった。……最悪」
「そうか」
龍太郎はツバサの背中側に回り、包むように抱きしめた。
「ごめん、龍ちゃん。痛いでしょ……背中。めっちゃ爪立てちゃった」
「……お前の心の痛みの何十分の一にもなんねぇよ、こんなん」
龍太郎の背中にはハッキリとツバサの爪痕と血が滲んでいた。
「何年経とうと逃げられないんだね」
「だったら、守るだけだ。何回でも」
ツバサは龍太郎の腕に顔をうずめた。
「あの時もそう。今もずっと龍ちゃんは、あたしのこと守ってくれてる……」
龍太郎は何も言わなかった。
「ありがとう……いつになったら、あたしが龍ちゃん守ってあげられるんだろ」
その言葉に龍太郎はツバサを強く抱きしめた。
「俺だってお前に守ってもらえてるよ、本当だ」
中学1年生、ツバサ12歳。
幼少期から虐待、ネグレクトを受けていた翼は口論の末、自分を見失って母親を刺した。
刺し傷は数か所。
心臓に達する傷が致命傷となった。
翼が血の海で、血まみれの手で連絡をしたのは、唯一の友、龍太郎だった。
数軒離れたアパートに住んでいた龍太郎はすぐに駆け付けた。
今の様に過呼吸となった翼を落ち着かせ、冷静に状況を聞き取った。
動揺する翼を落ち着かせ、龍太郎は考えた。
――母親が殺そうとしてきた。
すぐに凶器を奪い取る事は出来たが、混乱の末に刺してしまった。
翼には殺意は無かった。
龍太郎は、母親との話し合いは不安だから一緒にいてほしいと翼に頼まれ、その場にいたが、あまりに突然の出来事だったから、手の出しようがなかった。
だけど、全て見ていた。
翼は自分を守っただけ。
龍太郎が作った嘘の筋書きは事実となった。
――真実はどうであれ。
共犯。
二人が作った自分たちを守る秘密だった。
翼は裁判の結果、12歳だったこと、虐待、ネグレクトの実体などから情状酌量され、児童養護施設へと送られ、学校も転校することになった。
それでも龍太郎は毎週週末になると、施設まで自転車で向かい、翼に会いに行っていた。
なぜ、翼の為にそこまで龍太郎がやったのか。
それは龍太郎もまた同じ境遇だったから。
彼もまた親に愛されずに育った。
翼はまさに自分の写し鏡のように見えた。
翼が犯した罪は、自分が犯していた可能性がある罪だった。
それでも踏みとどまれたのは、いつも翼が、翼だけが、龍太郎の荒んだ心をケアしてくれていたからで、自分もその罪を背負ったのは、翼に対する感謝の表れだったのかもしれない。
翼にとっての龍太郎もまた、龍太郎にとっての翼であった。
同じ痛みを知る者にしか、癒せない痛みが確かにそこにはあった。




