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龍の翼 ー夜職の愛は何よりも輝くー  作者: のら


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第4話 その恐怖の理由

 閉店作業の時間になると、店は急に現実に戻る。

 氷の鳴る音が減って、笑い声が薄まって、香水の匂いが床に落ちる。


 さっきまで「嬢」だった子たちが「女の子」に戻る。

 髪をまとめて、上着を羽織って、財布とスマホを握る。


 夜職の終わりは、朝の始まりとすれ違うだけだ。


 龍太郎はカウンターの奥で、伝票を束ねていた。

 その横、ツバサは微笑みながら黒服たちに指示を出していた。


 龍太郎はペットボトルの水を一口飲み、フロアの隅に視線を投げた。


 ミサキが立っている。


 いつもより動きが遅い。

 メイクを落とす前の顔のまま、スマホを見て固まっていた。

 画面の光が、頬を青くする。


 龍太郎は伝票を置き、ミサキの方へ歩いた。


「……ミサキ」


 ミサキがびくっと肩を跳ねさせる。


「……龍さん、お疲れ様」

「帰れるか」

「う、うん、帰れるよ」


 笑顔が薄い。

 薄い笑いは、すぐ剥がれる。


 ツバサが半歩後ろに立つ。

 ミサキはそれを見ると、一瞬だけ目を逸らした。


「迎え、来てる?」

 龍太郎が聞く。


「……あ、えーと」


 龍太郎は短く息を吐いた。


「嘘つこうとすんな」

「……ごめん」

「どこ」


 ミサキは答えられない。代わりに、裏口の方を指差す。

 龍太郎はそれだけで分かった。


「ツバサ」

「うん」


 スマホのアプリを開き、裏口の監視モニターを見る。

 映っているのは、路地の影。

 男が立っている。

 タクシー待ちの影じゃない。


「ミサキちゃん、コイツだよね?」

 ツバサが淡々と言った。


「うん……」

 ミサキの喉が鳴る。


 意を決しきれない顔をしながらも、言葉を紡いだ。

「……私、ちゃんと言う」


「大丈夫か?」

 龍太郎の顔は無表情に近いが、声だけは優しかった。


「大丈夫だって、ほんと。少し話して、ちゃんと終わりにする。」

「少しの話で、傷つけるやつもいる」

 龍太郎の声は低い。

「……店の外だろ?って言うなよ。俺の女が困るのは、外でも中でも同じだ」


 ミサキが顔を上げる。

「……龍さん。私、俺の女じゃ——」


「店の女は、俺の女だと思って仕事してる。大事に守る対象」

 龍太郎は短く言い切った。

 それはまるで線引きのように聞こえた。優しさの形をした刃であったが。


 ツバサはミサキを見て、ふわっと笑う。


「行こ。ちゃんと終わらせよう」


 その言い方は完全な『処理』の言い方だった。


 裏口を開けると、夜風が冷たかった。

 店の熱が一気に奪われて、肌が現実を思い出す。


 路地の端に男がいた。


 黒いジャケット、くしゃっとした髪、スマホを握る手。

 顔は笑っている。外面の笑い。


「あ、ミサキ。遅かったね、お疲れ様!」


 彼氏——名前は知らない。

 でも声の色だけで分かる。

 この男は、『優しくなるスイッチ』と『壊すスイッチ』を持っている。


 ミサキが一歩前に出た。

「……ごめん。今日は——」

「今日は何」

「帰る。普通に家に帰る」

「俺、迎えに来たんだけど?」

「迎えいらないって言ったじゃん」

「聞いてねぇよ」


 男の笑いが薄くなる。

 薄くなると、もう戻らない。

 男が距離を詰める。


 ミサキの手首を掴む。


 掴み方が、恋人のそれじゃない。


 ミサキが体をすくめる。眉間にも皺が寄った。


「痛ッ……」

「あ、そんな強くやってねぇよ」


 男は笑う。笑いながら握る力を上げる。

 それが『いつもの合図』なんだろう。


 龍太郎が一歩前に出た。


「おい、離せ」


 声は低く短い。

 男が龍太郎を見る。


「誰だよ」

「店の人間」

「関係ねぇだろ。俺、彼氏」

「いいや、関係あるんだよ」


 龍太郎は淡々と言った。


「その手、店の女に触ってる。俺の仕事の範疇に入った」


 男が鼻で笑う。


「仕事? 何それ。もう終わっただろ。偉そうに」


「店の女を困らせる事は、俺の女を困らせてるのと同じだと思ってる」


「あぁ?意味わかんねぇよ」


「とにかく、一旦手を離せ。これだけでもお前訴えること出来るぞ」


 龍太郎は男の手首に手を伸ばし、掴まれているミサキの腕を外した。

 ただ、関節の角度を変えて、力を抜かせる現場の手つき。


「……っ!」

 男が驚いて一歩下がる。

 ミサキの手首が解放される。


 その瞬間、男の顔が変わった。

 外面が剥がれて、怒りに満ちた目だけが残る。


「てめぇ……何しやがる」

 男が龍太郎の胸ぐらを掴もうとする。


 その瞬間、ツバサが一歩、前に出た。

 笑顔。丁寧なお辞儀。

 でも目は笑っていない。


「こんばんは、彼氏さん」


 男がツバサを見る。

「……は? な、なんだよ?」


 ツバサは笑ったまま言った。


「ミサキちゃんのこと、迎えに来たんですね」

「そうだよ。お前ら邪魔すんな」

「邪魔はしません」


 ツバサは首を傾げる。


「ただ、確認です。あなたが今、掴んだのは恋人の手首じゃなくて、逃げる人の手首でした」


 男の眉が跳ねる。


「何言ってんだよ」


「客観的に見た事実を言ってます」


 ツバサは柔らかい声で続けた。


「この路地、店の裏口のカメラ映ってます。音も入ります。さっきの握り方、十分に暴行に見えますね」

 ツバサが指差す先に、無機質にこちらを見る目がたくさんあった。

 それを理解した男の目が揺れる。


「脅してんのか」

「まさか。脅してないですよ」

 ツバサは笑う。


「事実を並べてるだけ。通報。系列店共有。出禁。顔写真。——全部、現実になる」


 男が舌打ちする。


「ふざけんなよ……俺は彼氏だぞ」


 龍太郎が低く言った。

「彼氏は殴らない。ケガもさせない」

 龍太郎がミサキのケガを指差すと、男が一瞬だけ詰まる。


「な、殴ってねぇし」


「殴る前から同じだ。怖がらせてる時点で。言葉も人を殴ることは出来る」


 龍太郎の言葉は雑だが、真っ直ぐだ。

 男がミサキを見る。


「ミサキ、黙ってないで何か言えよ、こいつらに。俺らのこと」


 ミサキの唇が震える。言葉が出ない。


 ツバサが優しくミサキの肩に手を置いた。

 だが、それは逃げ道を塞ぐ触れ方でもあったかもしれない。


「……ミサキちゃん。言っていいよ。大丈夫、あたしがいる」


 ミサキは震える体を抑え込むように、両手をぎゅっと握り、小さく息を吸った。

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