第1話 龍太郎とツバサ
鍵が刺さる音。
ツバサは気配でわかった。
ソファーに丸まって映画を見ていたツバサは飲んでいた缶ビールを置いて、すぐに席を立ち、小走りに玄関へと向かった。
ドアが開く。
「おかえり、龍ちゃん」
龍太郎はコートを脱ぎながら、靴を無造作に脱ぎ散らかして上がってきた。
「ただいま。……腹減った」
短い。
でも、ツバサはそれが好きだった。
龍太郎が夜の匂いを連れて帰ってくるのは、当然だ。
クラブのオーナー代理。現場まとめ。揉め事処理。
女の泣き声と笑い声が、毎晩この男にまとわりつく仕事。
ツバサはその全部を知っている。
なぜなら、ほぼ、いつも一緒にいるから。
ツバサは、店の表には出ない。
でも、お店の嬢たちのフォローもするし、龍太郎が呼べば迎えに行くし、帰れと言われれば、すぐに帰る。送迎の手配もするし、裏の連絡も握る。
龍太郎の世界にツバサの指も最初から入り込んでいる。
二人で一人なのは、誰もが知っていた。
ツバサは距離を詰め、龍太郎の首元に鼻を寄せた。
吸い込む。夜。香水。酒。湿った空気の匂い。
「……今日も、お仕事の匂いするね」
「嗅ぐな」
「いいじゃん」
ツバサは笑う。
甘い顔のまま、でも、その手はしっかりと龍太郎の両腕を掴む。
まるで逃がさないといわんばかりに。
龍太郎は嫌そうに眉を寄せるが、払いのけない。
それが二人のいつもの帰巣の合図だった。
「ツバ。飯、ある?」
「あるよ。座ってて」
ツバサがキッチンに向かい、龍太郎は黙ってソファーに腰を落とした。
雑な男も、ツバサの指示だけは聞く。
ツバサはコートを受け取り、ポケットを探る。
いつもの癖。
指先に、なにかが当たった。
名刺——ではない。
名刺だったゴミ。
ぐしゃぐしゃに丸められて、手書きされた文字がもう読めなくなってる。
ツバサが笑顔のまま、名刺を広げる。
「龍ちゃん、なにこれ」
ソファーにもたれかかったまま、頭を逆立ちさせるように、反らせてツバサの方を見る。
「お前に見せてから、捨てるやつ」
報告というより、ゴミ出しみたいに。
「オーナーと行った店で渡された。『今度二人で』だと」
「へえ」
ツバサは名刺を指でつまんで、ピラピラと振る。
ぐしゃぐしゃの紙が、かすかに鳴る。
「……あげた子かわいそ」
「興味ねぇ」
それが龍太郎の答えだった。
他の女への扱いの軽さ。切り捨て方。
その軽さが逆にツバサの胸を熱くする。
「龍ちゃん、かっこい、男らしい」
ツバサが龍太郎の首に纏わりつき、首筋にキスをする。
「どこが」
「そういうところ」
ツバサは名刺をぐしゃっと潰した。
龍太郎がやったのと同じ雑さをツバサもなぞる。
「あたし以外、どうでもいいって顔」
「……言ってねぇよ」
「言ってるのと同じだよ」
ツバサは龍太郎の膝に乗った。遠慮ゼロ。
腕を回し、頬を擦り寄せる。
猫みたいに、でも鎖みたいに。
「……ツバ、テレビ見えねぇ」
「ねぇ。もう一回言って」
「何を」
「興味ない、って」
「……興味ねぇ」
「うん。えらい」
ツバサは褒める口調で言い、龍太郎の顎を指で持ち上げて、軽く唇を重ねる。
優しい触れ方なのに、逃げ道がない。
「じゃあ、これはあたしが捨てる」
「好きにしろ」
龍太郎の返事はそっけない。
でもツバサは、ニコっと笑う。
「ありがと」
「つぅか、捨てずにまたコレクションだろ」
ツバサは名刺をゴミ箱に入れない。
冷蔵庫の上にある小さな缶にしまった。
――証拠として。
『私が愛する男は世界からも愛されている』ことを知るための証拠。
そして、その男の選択の結果を残すため。
龍太郎が大好きなツバサ特製のカレー。
『週七日は食べないと体長を崩す』と言われ、ツバサはカレーライスにしたり、カレーうどんにしたり、カレーパンにしたりして、1日1回は必ず出す。
「……今日もうまそうだな」
「うん。あーんして」
「するか」
「するの」
ツバサがスプーンを差し出すと、龍太郎は一瞬だけ睨むような顔をして、結局口を開けた。
「……やっぱ、うまい」
「毎日食べて飽きないんだね」
「うん、飽きないね」
ツバサの質問に龍太郎は即答する。
短い言葉。でも、ツバサには最上級な褒め方。
ツバサは満足そうに目を細めた。
「あたし、龍太郎のためなら何でもできるよ」
「その言い方、重い」
「重くていいじゃん、あたし軽くないよ」
ツバサは笑ったまま、耳元に囁く。
「軽いと、逃げるでしょ。あなたの世界、風が強いから」
龍太郎が、息を吐く。
「……お前が逃がさねぇだろ」
「うん。逃がさない」
ツバサは即答した。
即答しすぎて、龍太郎が少しだけ目を細める。
「揉め事、起こすなよ」
「起こさないよん」
ツバサは頷いて、頬を寄せた。
「あたしはいい子。龍太郎の隣で、ずっといい子にしてる」
――隣で。
ツバサはその言葉を、鎖みたいに甘く言った。
龍太郎は何も言わない。
でも、ツバサの指を振りほどかない。
「そういえば、またマネージャーから連絡きたよ」
「……どうせ、ツバに店で働いてくれってヤツだろ、アイツもしつけぇな」
「『勿体ない』ってさ。この顔と体があれば、夜の街の頂点なんて簡単に獲れるのにって。池袋の売り上げ上げたいんだって」
「ま、たしかにそうかもな」
「 でも、あたし興味ないもん。龍ちゃんのいない場所で、誰かに傅かれたって意味がないし、 あたしは龍ちゃんを包む翼でいたいだけだから」
「だからさ、重いんだよ、ツバサはさ」
「ダメ?」
「ダメじゃない、お前がそうしたいならそれでいいよ」
「ふふ、龍ちゃん大好き。愛してる」
「うん」
「うんはダメ、ちゃんと言って」
「ツバ、愛してるよ、俺も」
余計なものはいらない。
『龍太郎がちゃんと帰ってくる』いつもどおりの毎日がツバサには一番のおみやげだった。
◇◇◇
――就寝前、ベッドの上。
龍太郎の寝息を聞きながら、ツバサは彼を見つめる。
外の世界では、彼は冷徹なオーナー代理で自分はその影。 けれど、この部屋の中にだけは、誰も入り込ませない。
その時、龍太郎の携帯が鳴る。
画面にはクラブオーナーの名が表示された。
『真琴ママ』
「こんばんわ、ママ」
ツバサが出た。
『あら、ツバちゃん。お疲れ様。今日はお店出なかったのね』
「ううん、今日は途中で上がって、龍ちゃんのカレー作ってたの」
『ホント、あの子、毎日なのね』
ママは笑った。
「龍ちゃん、寝てるけど、急ぎの件?起こす?」
『いいわ。ツバちゃんから伝えておいて』
「うん」
『「ミサキ」が最近またプライベートで問題ありみたい。――龍に、そう伝えておいて』
「……ミサキ。あぁ、あの子ね。もしかして、例の彼氏?」
『そう、必要によってはツバサ……、フォローよろしくね』
「それは業務?お願い?」
『どちらかと言えば、「お願い」ね」
「分かった。ママのお願いは、ちゃんと聞く」
『ツバサ?』
「なに?ママ」
『あなた、ちゃんと自分も労わりなさいよ。龍に献身的なのもいいけど』
「ありがと、ママ。ちゃんとするね」
明日になれば、また「二人で一人」の仮面を被って、あの毒と光の混ざった店へ向かう。嫉妬も、羨望も、隠された殺意も。二人一緒なら、それすら最高の娯楽になる。
そして、ツバサは寝息を立てる龍太郎の腕の中にそっと潜り込む。
「おやすみ、龍ちゃん。あたしの宝物……」
明け方の光が遮光カーテンの奥に漏れ出す頃、二人の今日がやっと終わった。
★★あとがき★★
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