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死にたくなくて国外逃亡の資金調達をしていたら、兄のライバルポジのクズ男に執着された話

作者: 都色 天

初投稿です。

評価などいただけるととても励みになります。

よろしくお願いいたします!



「『なにがしたいの』って、クズ男の恩返しってやつですよ」



 どうやら、とんでもなく厄介な男に目を付けられてしまったらしい。





 突然だけど、私の実兄はいわゆる攻略対象というやつだ。

 というのも、兄は前世で流行っていた乙女ゲーム『君と魔法を使いたい~異世界魔法学園で!?~』略して『きみまほ』に出てくる一番人気のキャラクターだった。


「グレン様!」


 グレン・シルヴェスター。

 辺境伯を代々務めるシルヴェスター家の長男。

 冷酷な典型オレ様タイプ。

 物事をはっきり言うから敵が多いと思いきや、同じかそれ以上に支持している人が多い。

 スパルタで、ストイックな人。

 ……かと思いきや少々天然混じりだったりする。

 ヒロインに対しては不器用なところもあって、とにかく乙女心をグッと掴みまくるキャラクターだ。


 そんな攻略対象であるグレンは……まぁありがちかもしれないけれど、()のことが好きではない。

 もっと言えば嫌いらしい。


 ひとたび顔を合わせれば、兄は端正な顔を歪めてチクチクと小言を吐いてくる。

 そうして最後には「呆れた、もう顔も見たくない」と背中を向けて去ってしまうのだ。

 私はその度に兄と自分の世界がピシャんっと閉ざされてしまった気持ちになる。

 昔は仲良しな兄妹だと言われていたはずなのに。いつからか私たちの仲は険悪になっていた。


 でも、兄が私のことを嫌う理由もよくわかる。

 というのも優秀な兄と比べると私は本当にごく普通の平々凡々な子どもだった。

 兄が立派な当主になれるよう日々研鑽けんさんを積んでいるときも。強くなろうと剣を振るっているときも。

 私は兄と比べられるのが嫌で家庭教師から逃げていたし、女だからという理由で武術も教わらなかった。


 向上心のある人間(グレン)が、怠惰な人間(アスター)をどう思うかなんて深く考えずともわかる。


 今だって、屋敷にある大図書館前の廊下で使用人たちがコソコソ話をしている。

 彼女たちは私がここでこっそり勉強してるなんてこと夢にも思わないんだろう。



「グレン様、またミドルスクールの定期考査で学年一位を取られたそうよ」

「毎晩遅くまで勉強なさってるものねぇ」

「昨晩も夜更けまで部屋の灯りがついていたわ」

「剣術も素晴らしいわよね! 先日王都から近衛隊の隊長がいらして、直々に剣技を教えてくださったとか」

「まぁ! 近衛隊隊長からも期待されているのね!」

「さすがグレン様よね。それに比べて__」



 アスター様は



(あーはいはい分かってるよ。兄と比べて向上心もない怠け者で悪かったですね)


 グレンに追いつくことは物心ついたときから諦めていた。

 私が血を吐く思いでどれだけ頑張っても、あのストイックの怪物に追いつけないことは明らかだ。


 テストの一位も、魔法や剣を使いこなして戦うことも。どれもが雲の上で起きている出来事だったし、もはや次元の違うものとして兄の噂を聞くようになっていた。

 グレンの背中は星みたいに遠くて小さくて眩しい。

 手を伸ばしても走っても届かない。

 遠い遠い背中。

 本当に、どうしてこんなに出来が違うんだろう。

 同じ血を引いているはずなのにね。


 兄と本当に血が繋がっているのかと何度も考えたことがある。

 本当は私たちは兄妹じゃないのではないか。遺伝子の構造も、実は面白いほど異なっているのではないか。

 ……そうだとしたら、どれだけ素敵なんだろう。と今までの人生で何度夢に見たことだろう。


 けれど鏡を見れば嫌というほど現実を思い知る。

 一族の証である高貴な白銀の髪の毛も。こちらを見つめる青空を閉じ込めたような瞳も。悲しいかな、全て兄とお揃いだった。


 だからこそみんな嗤ったり、顔を歪めたりして言ってくる。「あなたは本当にグレン様の妹なの?」って。

 今でも目を閉じれば数々の幻影が鮮明に私の隣で囁いてくる。


『お兄さんは優秀なのに』

『グレン様とは大違いね』

『ただの普通の小娘じゃないか』

『こんなのがあの方の妹だなんて』

『グレン様が報われないわ』

『恥晒し』


 原作のアスターは、そんな周囲の人たちを見返したかった。

 突如異世界から現れたヒロインがどんどん兄の好感度を獲得していく。

 周囲に認められて、成り上がっていって、兄または他の攻略対象と結ばれる。


 つまり嫉妬なのだ。


 アスターは見栄っ張りで、プライドが高くて、虚勢で生きていた。

 だからヒロインに強く当たる__いわば悪役令嬢として周囲からの信頼を失っていく。悪循環だった。

 グレンルートの最後で、アスターは他でもない兄の手によって命を落とす。

 皮肉なことに、グレンが幼い頃から磨き上げてきた“技”が実妹を殺すのだ。



(まぁ、私は死にたくないから逃げるんだけど!!)



 そう。

 それはフィクションの話。

 今の私が生きてるのは、現実の話。

 ヒロインにはごめんだけど、私は悪役令嬢になんかなってやらない。だって死にたくない!



(それなら、兄様のいる場所(この国)から逃げればいいんじゃない?)



 __と、いうことで色々やってみようと考えた結果がこれ。

 水面下の努力。そして小遣い稼ぎ(資金調達)

 いま大図書館で勉強しているのもその一環だ。


 前世、私は病弱な高校生で何もできずに死んでしまった。

 そんな前世に比べれば今世は恵まれている。死ぬかもしれないけど。権力も富もあるし、兄と並んでも引けを取らない優れた容姿もある。


 手始めに私は外交に手を出してみることにした。

 この国は河川に囲まれている。

 辺境には魔物や他国からの刺客もくるけれど、他の国に比べると少ない方だから貨物が襲われる可能性も低い。

 それに魔法水晶など自然も豊かな国だから交易はもともと盛んだ。


 武術や学術ではどうしても兄に比べられる。

 なら、彼の手の届かない外交だとしたら?


 ……なんて、色々理由を並べているけど。

 外交に手を出そうと考えた一番の理由はある存在(・・・・)が大きい。



 コツコツと革靴の音が近付いてくる。ゆったりとした足音だ。

 先ほどまで私の悪口を言っていた使用人たちが、慌てて挨拶をする声が扉越しに聞こえる。

 続けてぎぃぃと重い扉が開く音。

 そこから顔を覗かせたのはアッシュグレーの髪の男性だ。年齢は二十代後半といったところ。

 翠の瞳と目が合うと、彼はやさしく微笑みながらこちらへ歩いてきた。私は読んでいた資源についての本を閉じて、椅子から飛び降りる。



「アスターちゃん、やっぱりここにいた」

「叔父上!」



 ルイス・シルヴェスター。

 お父さんの弟で私たちの叔父上。主に外交を担当している。


 彼はこの屋敷で唯一の私の味方と言っても良い大人だ。

 私がゆくゆくは実家から逃亡する計画を立てているのも知っていて、こっそり手を貸してくれている。

 原作にもグレンルートをはじめいくつかのルートにちょこっと出てくる人。

 異世界からやってきたヒロインに対しても優しい人で、プレイヤーからは『精神安定剤』と揶揄やゆされていた。


「ルイスおじさま、どうしてここに?」

「うん? アスターちゃんがちゃんと勉強出来てるかなぁって心配になったんだよ」


 駆け寄った私を抱き上げながら、叔父は揶揄からかい混じりに答えた。

 近付いた叔父の顔を見つめながら、私はほっぺたをぷくぅっと膨らませる。


「もうっ。ちゃんと出来てるよ! 今もね、西部の鉱山で取れる魔法水晶の加工方法を調べてて……」


 叔父はキョトンと呆気に取られた顔をすると、すぐにほわっと微笑んだ。


「あはは、目の付け所がさすがだね。あそこは最近、隣国の商人たちも注目してるんだ」

「そうなの! せっかくだしもうちょっと魔法水晶の希少価値を高められないかなぁって本で調べてたんだ」

「ちゃっかりしてるなぁ」

「ルイスおじさま仕込みよ!」

「僕はそんな大層なこと教えてないよ。きみの頑張りの結果さ」


 叔父はそう言って私の頭を優しく撫でた。くすぐったさに私は思わず目を細める。

 世間の人の大半が私とグレンを比べてくる中で、ルイスおじさまは違う。

 二人で過ごすこの時間が私は好きだ。


 外交を学んでいて一番良かったと思うのはルイスおじさまと仲良くなれたことだ。

 いつか国を出て行くつもりではあるけれど、それは、この人に恩返しをしてからにしたい。





 今日は屋敷の森のちょっと奥にあるあずまやで勉強することにした。

 屋敷の周囲は結界が貼ってあるから、盗賊はもちろん魔物や野良犬の心配もない。

 鳥のさえずりを聞きながら森を歩く。

 ……ふと、人の気配を感じた。


「誰?」


 この森に侵入者はありえない。

 ありえない、はずだ。


 でももし例外があったら?

 いざとなったら打ち上げ花火でも魔法で上げよう。そしたら使用人たちは異変に気付くはずだ。

 そう心に決めて、私はばくばくと鳴る心臓を抑えながら、気配のする方へ向かうことにした。



ガサガサ



 茂みを掻き分けると、すぐに目当ては見つかった。

 夜を垂らしたようなサラサラの黒い髪。それと同じ色の、気だるそうな瞳が今は閉ざされている。

 光を浴びたことのないような白い肌。人形のように整った精巧せいこうな顔立ち。

 それら全てが誰のものか認識したとき、私の頭の中に彼に関する情報が一気になだれ込んでくる。



「トッ……!?」



 トーラス・アシュリー!?


 トーラスとは、例の『きみまほ』に登場する攻略キャラクターの一人だ。

 グレンの幼馴染みかつライバル。

 白銀の貴公子であるグレンと、漆黒の宮廷騎士であるトーラスはことごとく対照的に描かれていた。


 当然、トーラスも作中で屈指の人気キャラだった。

 素直になれないおもしれー男枠のグレンと、飄々(ひょうひょう)として掴みどころのないクズ男のトーラス。

 『きみまほ』のプレイヤーは大体一度はこの二人に惚れている。


 そんなトーラスが、うちの屋敷の森で倒れている。しかも血塗れで。

 これやいかに。


(たしかにアスターはグレンの妹だし、トーラスと面識があってもおかしくない……)


 けれど悲しいかな。

 ことごとく対照的に描かれていたグレンとトーラスだけど、二人とも『アスターを好いていない』という点だけは共通していた。


「うーん。フクザツな気持ち」


 ……ともあれ、だからといって目の前にいる瀕死の人間を助けないわけにはいかない。

 それがたとえ私を嫌いな人だとしても、だ。


「《風よ》」


 小さく呟くと、ぶわりとあたたかい風が巻き上がる。シルヴェスター家に代々伝わる、由緒正しい風魔法だ。

 屋敷の敷地に住んでいる風の精霊たちがほのかに光りながら集まってくると、蛍のように周囲を点々と照らした。

 風がぱたぱたと私とトーラスの服や髪を巻き上げる。


 てのひらから溢れた光がトーラスの傷口に集まって、徐々に塞いでいく。しばらくすると穏やかな寝息が聞こえてきた。


 心なしか穏やかになったトーラスの寝顔を見つめながら、ふぅ〜と長く息を吐く。じっとりと額に滲んだ汗を腕で拭った。


(応急手当てはしたけど、傷はひどいし一回きちんとした処置が必要だよね)


 それに兄(しか)り、トーラスしかり。攻略キャラとの接点はなるべく持ちたくない。

 うーん。どうしよう。と頭を捻っていると、背後からガサガサと誰かが近付いてくる音がした。


「だっ、誰!?」


 もしかして使用人だろうか。だとしたら運んでもらえば万事解決__



「……アスター?」

「に、兄さま」



 どうしてグレンがここに!?


 ばくばくと心臓がうるさい。私は手をぎゅうっと握りしめながら、兄を見上げた。

 グレンは僅かに目を見開いていた。いつも仏頂面の彼にしたら珍しい表情の変化だ。小さく口が開かれる。


「お前、使用人たちが探し回ってたぞ。なにしてんだ……って」


 そこでようやく兄の澄んだ青い瞳が私の背後で横たわるトーラスを捉えた。

 まずい。

 私の背中を冷や汗が伝う。


 たしかに私はトーラスを助けた。

 助けたのだけど、ことの顛末てんまつを見ていた証人はいない。この状況じゃ私が彼に危害を加えようとしていたと思われてもおかしくない。

 それほどまでにアスターとグレンの間に横たわる信頼関係は希薄だ。

 こうなった場合の最善手は、


(逃げの一択!!)


 私は兄とお揃いの白銀の髪を揺らして、ぐいっと詰め寄った。

 今年で八歳になるグレンは最近また背が伸びた。

 だからしっかり首を上げないと、目が合わないくらいの身長差が私とグレンの間にある。


「兄さま、あの、この方、傷が酷いんです。おそらく重症なので早くお医者さまに診せたほうが良いんじゃないかなぁとか思ったり!!」

「あ?」

「だからね、うん。あとはお願いします!!」


 そしてくるっと背を向けて、屋敷の方へ駆け出す。


「は!? おい、アスター!」


 背後からグレンの焦った声が聞こえる。

 あんな声ゲームでヒロインに振り回されてた時くらいしか聞いたことない。絶対見たことない顔してる!! 見たい!!


 けど私が今すべきなのは、グレンとトーラスの前から姿を消すことだ。

 兄さまの間抜けヅラを拝めないのは残念だけど、今回ばかりはしょうがない。


 じゃあね!!

 兄さま、トーラス!!

 トーラスに関しては、もう一生会わないことを祈っています!!




 ……と、思っていた時期が私にもありました。


「あのときは本当に助かったんですよぉ。あんたの忠臣になりたいと思ってらしくもなく努力するくらいにはね」


 なんて十年後に美青年に詰め寄られることになろうとは、誰も思わないじゃないか。





 王立魔法学園。

 『きみまほ』の舞台になる場所であり、今日から私が通う学園でもある。


 四年制で、プレイヤーはここで二年間を過ごす。

 一年目が共通ルートで二年目が個別ルートというけっこうボリューミーなシナリオだった。

 主に魔法やそれに付随する武術、また戦術や一般教養を学ぶ場所。全寮制で、貴族から平民まで様々な身分のものが国中から通う。


 今は私たち一学年の入学式の真っ最中。

 物語の主人公であるヒロインが異世界からやってくるプロローグの場でもある。

 入学生代表の私のスピーチが終わると、すぐさま生徒会長である兄グレンの在校生代表スピーチが始まった。

 席に戻る際に一瞬だけすれ違った兄は、相変わらず冷たい表情をしている。


「グレン様ってやっぱりかっこいい〜」

「うんうんっ。さすがは次期辺境伯よね」

「そういえばさっきの新入生スピーチも辺境伯家の……」


 なんて周囲の女子生徒の小さな呟きを聞き流しながら、私は凪いだ気持ちで壇上に立つ兄を見上げた。

 今年で十八歳になるグレンは原作通りの誰もが認める美青年へと成長した。

 おまけに先日なんて、王家で行われた新人騎士大会で史上最年少の優勝を果たしたくらいなんだから。


 シャンと背筋を伸ばしながらスピーチを行うグレンを見上げて、目を細める。


(遠いなぁ)


 ……さて。

 このニ年間私はどうやって過ごそう。

 ニ年後の今、私は無事にこの場に立つことができているのだろうか。


(いっそ今のうちに荷物をまとめて出て行くのも手……)


 なんて考えがよぎって首を左右に振る。


 私がここに通おうと思ったのも、ルイスおじさまに恩返しをするためだった。

 辺境よりも王都の方が人の動きが活発だから、外交の情報や人材が集まるかもしれない。

 いくら叔父から「さすが、賢いね」「頼りにしてるよ」と言わているとはいえ、十五歳の私にできることは少ない。


 だからこの三年間はしっかり学園に通って、少しでも叔父上の役に立とう。



「君たち一年生も今日からこの学園の一員だ。日々の進歩を怠らず研鑽けんさんを積み__」


「すみませんっ!! ここって、どこなんでしょうか!!」



 突然、バンっと大きな音がして会場のドアが開かれた。

 鈴を転がしたような声が響き渡る。

 ざわっと辺りが騒然として、みんな一様に開いたドアを振り返る。


 外からの光を背負って立っているのは、画面越しに何度も見たあの顔だ。



「……始まった」



 さぁ。

 私はどうやって動こう。





 ヒロインの乱入で一時騒然としたものの、グレンの一言で周囲は面白いくらい元の調子を取り戻した。

 目の前で進む出来事が全て私の知っているもので、思わず笑いそうになってしまうくらいには。私の知っている『原作』通りに世界は回り始めた。


 新しいクラスの教室で、担任の先生を待ちながら考え込む。周囲は友人をつくろうと勤しんでいるけれど、私は別に誰とも仲良くなる気はなかった。

 辺境伯家の長女なんて肩書とお近付きになりたくて擦り寄ってくる相手はことごとく無視をする。



「あ、いたいたー。おーい」


「えっ! 誰あのイケメン!?」

「誰か呼んでない?」

「ローブの色からして三年生だよね!?」



 さて。これからどうしようかな。


 まずはグレンを中心とした攻略対象には近付かないようにすることだろうか。

 ルイスおじさんの力になりたくて、少しでも外交の手助けになれればとここに入学した。

 でもしばらくは動かない方がいいかなぁ。


「あ、あのっアスター様」

「……え? 私?」


 思考の海から浮上して視線を上げる。こくこくと勢いよく首を上下させる女子生徒三人組が目に入った。

 グループが出来るのが早い。もしかしてミドルスクール時代からの知人とかだろうか。


「どうしたの?」

「あちらの先輩が、アスター様を呼んでくれって……」

「はぁ?」


 訝しげな声が出る。

 そういえば先ほどよりも教室内が騒がしい。もしかしなくとも、その『先輩』とやらが原因だろう。


 三年生はローブの色が違うので、遠目から見てもすぐ目に入った。

 夜空を垂らしたような黒い髪に__


(あれ?)


 こんなことを、前にも思った気がする。

 けれど既視感の正体は分からなかった。

 ひとまず三年生ということは兄からの伝言を受けている可能性もあるし、赴くべきだろう。不届きものだったら無視するだけだ。


(うん)


 一人で頷いて、私は席を立った。


「教えてくれてありがとう」

「はっ、はい!」


 ひらりと手を振って背を向ければ、女子たちは小声できゃあきゃあと騒いでいる。


「お待たせしました。三年生ということはグレンからの__げっ」

「は? いま『げっ』って言いました?」

「言ってないです」

「ふぅん」


 そう言って挑戦的に笑う美青年は、トーラス・アシュリーだった。

 十年前に屋敷の庭で見たときのように幼い姿ではない。画面越しに何度も見た。『きみまほ』のトーラスだ。


「せ、先輩はどうして一年教室ここに?」

「やだなぁ。グレンの妹ちゃんに会いたかったからに決まってるじゃないですか」


 間延びした口調。こちらを敬っているのかすら怪しい敬語。

 間違いない。

 目の前の男は正しく、あのトーラスだ。

 数々のプレイヤーから『クズ男すぎる』だの『こいつに遊ばれる女の一人になって財布を滅ぼしたい』だの言わしめた、あのトーラスだ!!


 原作キャラと接点を持たないよう策を練っていた矢先のこれである。

 私は引き攣りたくなる顔を必死に抑えながら、トーラスに向かって微笑んだ。


「先輩、ここじゃ人目がありますし、少し場所を変えませんか?」

「そうこなくっちゃ」


 声を僅かに弾ませながら、眠そうな目を細めてトーラスも微笑んだ。





 この魔法学園は国内随一の育成機関である。

 だからこそ、貴族や富豪の子息といった上流階級の者が多く在籍している。

 そうなると当然貴族のみしか使えないエリアも存在するわけで。トーラスに案内されてやってきたのは、貴族しか利用できない学内の庭園だった。


「それで、なんの用?」

「おぉこわ。急に猫被りやめるし」


 私はキッとトーラスを睨み上げる。

 けれどトーラスはどこ吹く風で、飄々と笑っていた。彼の夜色の瞳が、じぃっと無言でこちらを見下ろしている。

 まるで捕食者だ。

 瞳の中の闇に捉えられて一生出てこれない錯覚。

 正直怖い。

 身体が震えそうになるのをなんとか堪える。


(……もしかして、もう始まってるの?)


 トーラスは作中でも最後まで謎の多いキャラクターの一人だ。

 いくつかのイベント時にヒロインを手助けするために暗躍するような描写はあった。グレンのアスターを殺すための手筈だって、彼が手を貸して臨んでいたはずだ。

 けれど、その行動の顛末を全て原作で追えていたわけではない。


 ……もしかして、彼は今この時も私を殺す策を張り巡らせているのかもしれない。


 だとすれば、ここで選択を間違えるわけにはいかなかった。

 私は生きたい。

 ルイスおじさんに恩返しもしなきゃならない。

 だから、こんなところで死んでられない。


「なにが目的なの?」

「んー? なにがです?」


 トーラスはきょとんと目を瞬いて首を傾げた。


「とぼけないでよ。こんなところに連れてきて、私に何を求めているの? 先に言っておくけど、グレンの弱みなら私は知らない」


 トーラスがアスターに近付く理由としては、一番グレンが有力だ。

 彼らはどのルートでも幼馴染みでありライバルだ。ライバルの弱点を握っておくならば、妹の私はいい手駒だろう。


 しかしそう思って先手を打っても、イマイチ手応えがない。それどころか、トーラスはなぜか目を見開いたまま黙ってしまった。


「……」

「……なに?」


 不気味な沈黙にじり、と後退りしかけた次の瞬間。


「っぷ、あっはっはっは!」

「……えっ!?」


 なぜかトーラスはお腹を抱えて笑い出した。

 私はギョッとする。だって、トーラスの爆笑とか、原作のどのシーンにもなかった。

 

「ふふ、あはは。…………っはぁ〜、おっかし」

「な、なんでそんなに笑うの!?」

「いやぁ『グレンの妹は出来損ない』って小さい頃から聞いてたんでどんなこと言われるかと思ったら……まさかそう来るとは。ウケる」


『グレンの妹は出来損ない』

 事実でしかない言葉がぐさりと胸に突き刺さる。私は痛む胸を隠すように両手をゆっくり握りしめた。

 それに気付いてなのか、トーラスは「あ、ちがうちがう」と首を横に振った。言葉の端っこにまだ笑いが滲んでいる。


「オレはその言葉ちっとも間に受けてませんからね。だってお嬢、あんな歳ですでに高等な治癒魔法使いこなしてたし」


 すぐにピンときた。

 私が他人に治癒魔法を使ったのは、後にも先にもあの一回だけだ。


「意識、あったの……?」

「そりゃもちろん。誰が好き好んで因縁の相手の領地で寝こけますかって話でしょ」


 私が呆気に取られている間も、トーラスは話を続ける。「それにさ」


「お嬢が心配しなくても、オレはグレンの弱みを握る方法なんて幾万通りあるんで大丈夫ですよ」


 いや、それはそれで心配になるけど。


「にしても、お礼を言いに来たのに疑われるとかお嬢の警戒心は脱帽もんですね」

「は、はぁ……?」


 お嬢? お礼? 警戒心?

 トーラスの言うことに全くついていけなくて、私はあんぐりと口を開けるしかなかった。

 そんな私にはお構いなしに、トーラスは食えない笑みを浮かべている。


「十年越しにはなりましたが、お嬢の行動は本当にありがたかったんですよ。あんたの忠臣になりたい。そう思って、らしくもなく努力をするくらいにはね」

「き、急にそんなこと言われて、あなたを信じられるわけ__」

「そうでしょうとも。だってオレ、女遊びで有名ですし、あんたのオニイサマからの印象すこぶる悪いし」


「でもね」とトーラスは微笑みながら言葉を続ける。

 私からの否定なんて彼にはちっとも響いていない。

 ざわざわと風が吹いて、日が陰る。王都特有の湿った風が私とトーラスのローブや髪を揺らした。


「考えてもみてください。オレとあんたのオニイサマは犬猿なわけで、あんたとオニイサマも疎遠」

「……」

「だからオレがあんたとお近づきになることに、誰も疑問は抱かないと思いません?」


 そんなの机上の空論だ。絵空事だ。

 だけど、そう言って笑い飛ばすことができない。

 トーラスのこの言葉だって私を殺すための下準備だ。そう言って懐に潜り込んで、いつかは寝首を掻くに違いない。

 私の疑心すらみ込むように、トーラスは夜空みたいに底知れない瞳でこちらを見つめてくる。


「そうしてオレを頼って、オレしか頼れなくなって、あわよくばオレだけのものになればいい」

「は……?」

「なーんて! 思ってるわけでしてぇ」


 とんでもなく甘ったるくて恐ろしいことを言いながら、トーラスはニンマリ笑った。

 初めて見る。年相応の男子校生がイタズラするときみたいな、茶目っ気に溢れた笑みだ。



「あなた、なにがしたいの……」



 やっとのことで搾り出した声は震えていた。これじゃあ震えを抑えていた意味がない。

 こんなふうに甘言を浴びせて、いつか裏切って殺されるに違いない。そう思って気を引き締めるのに、彼の言葉に揺らいでいる自分がいる。


 でも……。

 でも。

 だめだよ。


 だってトーラス・アシュリーは、グレン・シルヴェスターの妹の討伐に加担したのだ。


 こんなに寄り添ってくれなくて良い。

 優しくしてくれなくて良い。

 私はシルヴェスター兄妹の不出来な方だ。グレンの妹で、出来損ないだ。


 (悪役)に優しさを見せてくれるのは、誰にでも優しいルイスおじさまだけで良い。

 恐怖に滲む私の表情を見ながら、私の恐怖を全く意に介さず、トーラスはカラカラと笑った。「『なにがしたいの』って、」




「クズ男の恩返しってやつですよ」




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[良い点] 面白いです。 続きが大変気になるので、連載版をお願いします!(≧◇≦)
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