4.探偵と解決編だと言えそうな推理らしき語り
「本当に全部わかったんだろうな?」
「もちろんです」
自信たっぷりに断言する冬原さんを、不審げに見つめる片小名警部。まぁ、それは仕方ないだろう。さっき散々な目に合わされたのだから。
冬原さんに言われ、警部たちを呼びに行った私は激昂する片小名警部に逮捕されかけ(冬原さんの所為なのに)なんとか刑事さんたちを説得して、ここまで連れてきた。しかし、これからの成り行き次第で、冬原さんはひどい目に遭うだろう。
いっそのこと、ひどい目に遭えばいいのに、という思いがないわけではないが、冬原さんがヘタこくと多分、私にもとばっちりがくるので一応、頑張ってほしい。
私達は事件現場となった玄関ホールにいる。
もちろん、事件関係者も勢ぞろいだ。……私は警察にだけ真相を語ればいいじゃない、と思うのだが、それは冬原さんの強固な反対にあい却下された。……どうしても、謎解きの現場には事件関係者が必要だという。一般人には理解できない探偵の流儀であるらしい。
関係者の内訳としては、私、冬原さん、片小名警部と未市尾、広木の刑事さんたち三人、美世子、厳克郎、黒柿(犯人)、豊吉良、総白髪、加須屋、賛各、道山、奥路(犯人)の十四人である。
事件関係者が揃って半円状で探偵を見つめる。
謎を解くという知らせが回っているため、この場には奇妙な緊張感が満ちている。
コホン、と無意味な咳ばらいをひとつして、冬原さんは一歩前に出た。
……お願いだから、そのニヤケ顔をやめてほしい。嬉しいのかもしれないけれど、真面目な顔をしていてほしい。場面は限りなく真剣なのだから。
探偵も自分の顔が緩んでいる事に気づいたらしく、パンと勢いよく頬を叩き、表情を引き締めた。傍目にもキリリとした真面目な顔になった冬原さんは、厳かに口を開いた。
「しゃて」
……初っ端から緊張のあまり噛んだようだ。冬原さんは一人で赤面している。
本当に大丈夫なのかしら? 心配のしすぎで私の胃に穴が開くかもしれない。
「オッホン! さて、謎解きを始めましょう。ホールに突如あらわれた墜落死体と密室で頭を割られた死体の謎解きを」
「前置きはいいから早くしろ」
「ちょっと警部! 黙っててくださいよ~。今いいとこなんだから」
冬原さんはうだうだ文句をたれる。
いいから早くやれ! みんなの気持ちが伝わったのか、冬原さんは急に真剣な顔になると話を続けた。
「では、まず、ねんちゃ……太刀男氏の遺体があの場で、いかにして墜落死体となったのか? というところから始めましょう」
冬原さんはあたりを見まわす。
「簡単に言いましょう。太刀男氏はあの場で落ちました。だから墜落死体となったのです」
一瞬、空気がおかしくなった。みんな顔を見合わせて、こいつ何言ってんだ? という視線を交わす。みんなの気持ちを代弁するかのように片小名警部が口を開いた。
「あー……それは階段から落ちた、ということか?」
「違います。太刀男氏はあの場から落ちたんです」
「ふむ……あー…どうやって落ちるんだ?」
警部のもっともな疑問に対し、冬原さんはキザッたらしく指を振る。……似合わない。やめた方がいいと思う。
「上にですよ。太刀男氏は上に落ちたんです」
「上に落ちる? そんなことってありますか? あ、魔法ですか?」
私は口をはさんだ。
「そうだ。千郷君、その通り、魔法だ。僕も正確な種類はわからないが、おそらく重力系の魔法だと思う」
「重力……。ということは、重力反転か?」
片小名警部が性急に指摘する。
「ええ、たぶんですが。確か、未市尾刑事がおっしゃってましたよね。あの魔法陣は重力系かもしれないと。それは正しかったのでしょう。あのホールは一時的に、重力が反転していた。だから、被害者は上に落ちた。上に落ちることができた」
「でも、冬原さん。そんなことしたら、ホールがむちゃくちゃになってしまうんじゃ……」
私の言葉に冬原さんはにやり、と笑う。
「大丈夫だよ、千郷君。よく思い出してみたまえ、玄関ホールにはある魔法がかかっていただろう?」
「あっ!」
た、確かに! あそこには粘着ジジイの生来魔法《粘着》がかかっていた。もし、あの場の重力が反転したとしても、置物なんかが落ちることはない。落ちるのは張り付いていない粘着ジジイだけになるだろう。
「しかしですね、冬原探偵。どうやってあのホールを重力反転状態にするんですか? あの場に描かれていた魔法陣は不完全なものでした。例え、重力系の魔法だとしても、とてもではありませんが、まともな効果が発生するとは思えませんが」
未市尾さんが冬原さんに疑問を提示する。
「そうですね。確かに、これだけでは不完全なものです。しかし、引き鉄があれば話は別です」
冬原さんは足元の床を靴の先でつつきながら言う。
「アクションですか……。しかし、そんなものはどこにも見当たりませんでしたが……」
「それは仕方がないと思います。アクションは犯人が持ち去ったんですから」
「持ち去った?」
「はい。そうです」
「ええい! まどろっこしいな! 犯人は一体誰なんだ?!」
片小名警部はイライラと声をあげる。それを受けて、冬原さんは答える。
「犯人は……黒柿さんです」
ホール全体に驚きの衝撃が走る、ま、もちろん、私に驚きはない。この人が犯人だと見破ったのは、私が一番最初なんだから。
「わ、私が? そんな馬鹿な! 違いますよ!」
黒柿さんはそう叫んでいるが、当然ながら真っ赤な嘘である。
「証拠はあるんですか?」
そのセリフは犯人のモノだ! と叫ぶことはできないが、気分はそんな感じ。
「もちろんですよ。黒柿さん。でも、それは後にしてちょっと説明しましょうか。まず、黒柿さんは被害者に重力反転魔法のアクション――一回限りの効果でしょう――となる魔法を仕掛けます。おそらく、今日、太刀男氏と僕らが会ったあとに仕掛けられたものだと思います。そして、あとは太刀男氏が玄関ホールに入るのを待つだけです」
冬原さんの語りは続く。
「太刀男氏がホールに入れば床の魔法陣とアクションが反応して魔法が発動。重力が反転。太刀男氏は天井に転落、死に至ります」
「待て! ちょっとおかしいぞ。今気づいたが、もし被害者が天井に落ちて頭を割ったなら、天井に血が付着しているはずだ。だが、あのホールにそんな異常は無かった。これはどういうことだ?」
片小名警部は冬原さんの語りを止める。
「ああ、それについては簡単ですよ。黒柿さんの生来魔法は《撥水》すなわち、水分を弾く魔法です。今から証拠をお見せしましょう」
そう言って、冬原さんはどこからともなく、水がなみなみと入った二つのコップを取りだした。
「僕の生来魔法は《浮遊》です。今からこの水を天井にぶつけます。よくご覧になっておいてください」
あ、冬原さんカッコつけた……。《コップ浮かし》は恥ずかしいから《浮遊》って言いやがった……。
「行きます」
冬原さんの掛け声と共に、一つのコップが天井に向かって飛んでいく。コップは天井の一歩手前で急ブレーキ、水は慣性の法則に従って、勢いよく天井にぶつかった。
「ほう……」
誰からともなくそんな言葉がもれた。
ここからでは少しだけ見えにくいが、確かに天井に水のシミはない。天井は濡れることなく、確実に水を全て弾いたようだ。
弾かれた水は今度は重力に従って落ちてくる。そして、
冬原さんをびしょ濡れにした。
もちろん、たかだかコップ一杯の水だ。全身がびしょびしょになるはずもないが、冬原さんは異常にカッコつけていたので、もう雰囲気はぐしょぬれと言ってもいい、ヒドイありさまだった。
濡れた探偵の横に空になったコップが落ちてきて、パリンと割れる。
……無常感の漂う光景だった。
悲しき探偵に誰も何も言わない。みんないい人だな……。いや、ただ単にあきれてるだけかもしれないが。
冬原さんは一瞬だけうつむいて、さっと顔を拭い、すぐに顔を上げ説明を再開する。
……拭ったのは水だろうか? それとも涙? どうにもいまいち締まらない人だ。
「……この魔法がホールの壁や天井にかけられていたんです。だから天井に血は付着せず、弾かれたまま、重力反転の効果が切れれば、床に落ちる。というわけです。もちろん、この魔法は生来魔法。なのでスキルでは検知されにくい」
「成程……。そうだったか」
片小名警部は頷く。
「えーと、どこまで話しましたっけ? あ、死に至る、というところでしたね。続けます。太刀男氏は効果が切れるまで天井に張り付いたままいて――ま、しばらくの間でしょうけど――そのあと、落ちてきますよね。普通の重力に従って、今度は床に。頭部の傷が二ヶ所だったのはこういうことだと思います。そしてこの落ちてくる瞬間を目撃したのが豊吉良さんです」
「そうか、そうだったのか……」
豊吉良有乃が呟いた。
「そして、黒柿さんは豊吉良さんの悲鳴を聞きつけ、いち早く現場に駆けつけて後始末を始めました。まず、太刀男氏に魔法痕跡消去の魔法をかけること。しかし、ここで問題が発生しました。太刀男氏の靴が脱げていたことです」
「靴?」
「おそらく、太刀男氏に魔法をかけたあとで、靴が脱げていることに気づいたのでしょう。あなたは焦ったのではありませんか?」
冬原さんの問いに黒柿さんは無言を貫く。
「あなたがどうしても痕跡を消したかったのは靴なんでしょう? 靴にアクションを仕掛けていたんでしょう。そうではありませんか? ……ふむ。だんまりですか。まぁ、いいでしょう。とにかく最も消したかった魔法を消せなかったあなたは、それでも何とかしようとした。でもそこにタイミング悪く悲鳴を聞きつけた僕と千郷君がやってきた。あなたは仕方なく自分の靴と太刀男氏の靴を履き換えた。それから警察に話を聞かれ、その次は僕らに捕まり、靴を処分する暇がなかったんでしょう?」
冬原さんは黒柿さんの足元に、その高そうな茶色い革靴に指を突き付ける。初めての聴取のとき、私に催眠をかけそうになった茶色い靴だ。
そうだ……。そういえば、今日一番最初に黒柿さんに会ったとき、彼は全身真っ黒のコーディネイトに身を包んでいた。それに対して、粘着ジジイの靴は茶色だった。冬原さんの靴と比べたから憶えている。黒柿さんに用意させた靴も確か茶色にしろって言ってたはず。あれが魔法陣の完成させるための最後のピース、引き金だったのだろう。
「どうです? その靴調べてみますか? 魔法を使っても、科学を使ってもその靴が太刀男氏の靴であることは証明できると思いますよ」
冬原さんの最終宣告に、黒柿さんはがっくりと膝をついた。
「あんたがクソじ……お父様を殺したのね!」
……美世子、喜んでない? それはないと信じたい。……ま、そこはいいや。
「じゃ、あなたが野間さんも⁉ なんて人だ!」
加須屋がそう叫んだ。
「あ、違います。野間さんを殺したのは別人です」
加須屋の悲痛な声をかき消すように、ケロッとした冬原さんが言う。
「野間さんを殺したのは奥路さんです」
肝心な部分をあっさりと暴露する探偵。その言葉に新たな衝撃がその場を襲った。
「な!」
「私が野間さんを殺したと言うんですか?」
「はい」
詰め寄って来る奥路に対し、平然と頷く冬原さん。
「どうやって?」
「どうやって、と言われましてもね。正直な話、今回の事件で明確なアリバイを持つ者はほぼいません。逆に言えば、誰でも殺害が可能だったということです」
「なら、なおさら私を犯人扱いする理由が不明ですね」
「アリバイ状況だけを見れば、ね。しかし、皆様は知らないのかもしれませんが、現場は隠しカメラによって観察されていた、密室だったのですよ」
密室、という言葉よりも、隠しカメラという単語に反応を見せる人々。特に美世子や厳克郎は衝撃が大きいようだ。まさか、自分の家に隠しカメラがあるとは夢にも思っていなかったのだろう。続けて冬原さんは隠しカメラが金庫を監視するための物であることを説明した。
「そして、調べによれば、犯行時刻を前後して野間さんの部屋に近づいた者はいません。魔法を使ってカメラを欺いたのかもしれません、しかし、知らないカメラに対して警戒する意味はない。もちろん、この中に実はカメラの存在を知っていた、という人間がいる可能性はありますが、私はあえて別の可能性を提示します」
冬原さんには、カメラの存在を知っていたかもしれない人間を調べる必要などない。仮に知っていた人間がいるとしても、今回の野間の事件には何の関係もないからだ。奥路が犯人だということは私の魔法でハッキリしている。奥路の犯行だけを証明すればいいのだ。冬原さんの口ぶりでは、どうやら奥路はカメラの前を通ってはいないらしい。だが、もしも奥路が何らかの方法でカメラを欺いていたとしたら、冬原さんはまた違ったセリフを選んだだろう。
「クローゼット」
冬原さんは唐突に奇妙な単語を口走った。誰もが頭にクエスチョンマークを浮かべたその中で、ただ一人、奥路だけが僅かに顔を強張らせた。
「おい、クローゼットってなんだ?」
「片小名警部は彼の――奥路さんの部屋に行ってませんか? 彼の部屋には備えつけであるはずのクローゼットがないんですよ。奥路さんはそれを、自分を嫌っている太刀男氏が嫌がらせで無くしたものだと言っておられるのですが、僕にはそう思えません」
「……どういう意味です?」
「故人に対し悪しざまに言わなければならないのは心苦しいのですが、太刀男氏は嫌がらせをする場合、この程度の嫌がらせで満足するタイプには見えませんでした」
探偵の言葉に、みな一様に納得したような表情を浮かべる。……哀れな奴だ、粘着ジジイ。私も冬原さんに賛成するけれど。
「太刀男氏が嫌がらせするならば、もっと陰湿で粘着的でじっとり湿った嫌がらせを……コホン、失礼しました。今のは余計な言葉でしたね。そして、この推測が正しいとして、奥路さんはどうしてそんな事を言ったのか? わざわざ太刀男氏と自分の不仲までアピールして? つまりですね、彼は便乗しようとしたんですよ。別々の二件の事件を同一犯だと思わせようとした。そして、自ら太刀男氏の事件で疑われるような状況を作った。太刀男氏の事件ではどれ程、疑われようと彼は犯人ではありませんからね。事件が同一犯だと判断されて、その上で自らは太刀男氏の事件で完璧に無罪を証明する。自分が起こした野間さん殺害を煙に巻こうとしたのです」
「そ、そんなものは何の証拠にもならない! 言いがかりに過ぎないでしょう!」
「野間さんは強い力かつ、扁平な物で殴られた事によって亡くなりました」
奥路の抗議を無視し、淡々と語りを続ける冬原さん。
「あなたの魔法は《透過》だ。それも生き物には効果がない」
「おいおい、まさか」
片小名警部が思わず、といったように口を開いた。
「はい。奥路さんはクローゼットで撲殺されたんです。彼はクローゼットに《透過》をかけて、床をすり抜けさせ、野間さんの頭上に落とした。生命体に効果のない奥路さんの《透過》は床をすり抜けても、野間さんをすり抜ける事はできない。野間さんは落ちて来た重いクローゼットの底板によって頭を砕かれたのです」
「成程……いや、ちょっと待て、それだと死体はもっとペチャンコになるんじゃないのか?」
「いえ大丈夫です。野間さんはクローゼットとのファーストコンタクトで瞬間的に頭を半分潰
されて、即死してしまいます。言い方は悪いですが、その瞬間、野間さんは生命体ではなくなる。故に頭を砕いた後のクローゼットは野間さんをすり抜けてしまったのです。おそらく凶器のクローゼットはまだ地下に埋もれているのではないでしょうか。流石の生来魔法も地球の裏側まで効果があるとは思えませんから、奥路さんの部屋の真下の――野間さんの部屋の真下でもあるわけですが――島の地下にでも眠っているでしょう」
「成程。あとで《透視》の使い手を呼んで確認させよう。未市尾」
「手配しておきます」
「いかがです、奥路さん」
ぎりぎりと冬原さんを睨みつけていた奥路さんがフッと力を抜いた。
「そうですね」
「認めるんだな?」
奥路さんは警部の言葉に頷く。
「しかし、どうやって被害者をクローゼットの真下に誘導した? クローゼットは落とすことしか出来ないんだから、被害者を真下にいさせる必要があるだろう」
「……あんなにうまくいくとは思っていなかったんですよ。奴が部屋にいることだけはわかってた。確かに殺意を持って落としましたが、外れる可能性の方が大きかった。それでも天は私に味方したんです」
どこか晴れやかな笑顔で奥路さんはそう言った。
「あなたにとって運がよく、野間さんには不運すぎたということですね。あなたは殺してしまったと知って焦ったでしょう。ダメ元殺人だったのですからね。妙なトリックを考えている暇もなかった。苦肉の策でひねり出したのは、黒柿さんの太刀男氏殺害事件に便乗することだった。それもうまくいった、とは言い難いものですが」
冬原さんは勝ち誇ったような声でそう言った。それは明らかに犯人に対する探偵の勝利宣言だった。奥路さんも負けを認めたように項垂れた。
と、思ったら。
奥路は素早くこちらに近づいて来ると(あっけにとられて誰も動けなかった)、私の首に腕を回して隠し持っていたらしい包丁を手に大声で叫んだ。
「動くな! 誰も動くな! 誰かが動いたら、天井を透過させる!」
その言葉にこちらに駆け寄ろうとしていた片小名警部達が動きを止める。天井が透けるということは、上の部屋のあらゆる物が落ちてくるということだ。
そんな雨の中、無事ですむとは思えない。野間さんの二の舞になってしまう。
冷静に周りを観察しているが、徐々に冷汗が吹き出してくる。奥路のごつい腕が首に食い込んで苦しいし、突きつけられた包丁は……恐ろしすぎる。せめて相手が素手で、もう少し距離があって、相手がもっと隙だらけで、私自身がもっと冷静だったら!
「お、落ち着きにゃさい! そんな事をしても何の意味もないでしょう! 千郷君を放しなさい!」
引け腰ながら果敢に声を上げる探偵。さっきまで確実に優勢で余裕綽々だったのに、今となっては形勢逆転してしまった。
「こら、奥路! その人は何の関係もないだろう? 放すんだ、余計な人間を巻きこむんじゃない」
警部も優しく声をかけるが、顔に迫力がありすぎて優しさが消えて行く。
「そうですね。正直、こんな事したくないと思います。それでもせっかくあいつを殺せたんだ。捕まりたくはないんですよ。ツイてる今なら逃げおおせる事ができるかもしれない」
「そんな事は不可能だ! 大人しくするんだ!」
警部が必死に説得しようとするが、奥路は聞く耳を持ちそうにない。
奥路は私を引きずりながら、ジリジリと玄関の方へ向かっていく。
ホントにヤバい。どうしよう? だ、誰か、助けて!
絶望的な思いで集まっているみんなの方を見た。ほとんどの者は恐怖を浮かべながらこちらを見ているだけだ。警察もホール中を人質に取られたような格好なので思うように手が出せない。誰もが動けない中、私の上司である探偵だけが、みんなと違う表情を浮かべていた。
端的に言うと、流れるような変顔を繰り返していた。
何あれ! 何なの!? あ! ジェスチャーか! ……でも相変わらず何を伝えたいのか、さっぱりわからない! こんな状況なのに、いや、こんな状況だからだろうか、思わず笑いそうになった。
「おい、そこの探偵! 何をやってるんだ!」
変顔を披露する探偵に奥路も不信感を覚えたようだ。包丁を冬原さんに向けて怒鳴る。
「ぼ、僕は千郷君が心配なんですよ!」
大慌てで手を振りまくる探偵。
「何もしてません! 本当に!」
っ! 嘘だ! 何かしてる! 冬原さんは何かしてるんだ! でも、何をやってるんだろう?
「ホントに! 彼女を放してあげてください!」
泣きそうな顔でギャーギャー叫びながら、バタバタと腕を振る冬原さんに注目が集まる。
私の足に何かがコツンと当たった。驚きを噛み殺し、チラッと下を確認すると、足元に並々と水が入ったコップが浮かんでいた。
これは! さっき冬原さんが《撥水》の証明に使ったコップの残り!
コップは奥路にバレないように小刻みに、だが、執拗に同じ動きを繰り返している。
『スキ』
コップの動きを解読するとそうなる。
え? 何? スキって……好き? 告白? この状況で? そんな馬鹿な……あ、隙か!
メッセージを理解してハッと顔を上げると、大暴れしていた冬原さんが微かに頷いた。
「やめてあげてください! ほら、彼女はそんなにもお淑やかなのに! 人質には僕が!」
冬原さんの言葉に嘘が混じっている。この際、どこが嘘なのかなんて詮索はしまい。
「うるさいっ! 黙れ! 落とすぞ!」
あんまりにも叫び続ける冬原さんに向かって、奥路が包丁を突き出して怒鳴った。探偵の方に大きく一歩踏み出して脅迫したため、必然的に包丁は私の首を離れ、密着していた身体も離れた。
その瞬間、足元を漂っていたコップがロケット顔負けのスピードで上昇し、正確に奥路の顎を捉えた。
「ガッ!」
コップがぶつかった衝撃と飛び出した水が奥路の視界を奪う。
「千郷君っ!」
冬原さんに合図されるまでもない。
私は瞬間的に行動を開始していた。まず、ヒールを奥路の足に振り下ろす。痛みに弛んだ腕の拘束から抜け、肘を鳩尾に叩きこむ。ついでに顔面に裏拳を叩きこんだあと、包丁を持った腕を掴んで膝に落とす。手から離れた包丁を遠くまで蹴り飛ばして武装解除。この間、僅か一秒である。
「グウッ!」
そこでやっとこさ、奥路は反撃の様子を見せたが、もう遅い! だが、まだ油断できない。捕まったら終わりだ。単純な力比べになると恵まれた体型の奥路には勝てない。
手首を捻り上げつつ、掌底で奥路の顎を打ち抜いた。体勢が崩れた奥路の腕を引っ掴み、一本背負いっ! 決まった! 七コンボ!
ドシン、と地面に叩きつけられる音がするはずだったのだが、どうしてか、肉同士がぶつかるような湿った音がして「デギャ!」という冬原さんの悲鳴が聞こえた。見れば、奥路の下に冬原さんが挟まれている。
何!? 何やってるの、この人! 奥路を助けようとでもした……もしかして、私を助けようとしたの? にわかには信じがたいが、状況を見ればそうとしか思えない。まさか、冬原さんがそんな行動をしようとは。しかし、一連の流れを傍から見ていたら、私を助けようと駆け寄った冬原さんに、私が奥路を叩きつけた絵になっていたのかもしれない。
呆然としていた私だったが、奥路が呻いたので我に返った。
まずい、一刻も早く奥路の意識を奪わねば、天井が透けてしまう。
私は飛び上がって勢いをつけ、膝を容赦なく奥路の鳩尾に落とした。「ごぅ!」と呻いた後、奥路は静かになり、天井が透ける危機からは解放された。
小さな被害として冬原さんが奥路に押しつぶされた――厳密に言えば、私が膝を落としたせいで、副作用的に押しつぶされた――ものの、それは許容範囲とするしかあるまい。私だって好きで冬原さんを圧迫したわけではないのだ。みんなの安全を守るためには必要なことだった。それだけだとも。
「ふう……やれやれ、危ないところだったわ。何にせよ、これで安全ね」
そこで顔を上げると、みんな一様にポカンとした顔をさらして、こちらを見ていた。
み、みんな、一体、何に驚いているんだろう?
「む……情け容赦なくボコるとは聞いていたが、本当に容赦ないな……」
片小名警部のマジな呟きが聞こえる。
なんだか無性に恥ずかしくなって、私はみんなの視線から逃れるように、遅まきながら冬原さんを助け起こした。
最後にドタバタがあったものの、この瞬間を持って、事件はおおむね無事に解決された。
黒柿さんはそのあと、嬉々とした広木刑事に手錠をかけられ、そのまま連れていかれた。奥路はなぜか白眼を剥いて泡を吹いていたので、担架で運ばれていった。
一体誰があんなことをしたのかしら?(棒読み)
額に絆創膏を貼りつけた探偵が、連れて行かれる犯人達を見つめている。
「……よくわかったな」
探偵の後ろから片小名警部が声をかけてきた。
「そうですね。ツイてました。……警部、さっきは申し訳ありませんでした。情報交換するって言っておきながら……突然、逃げ出しまして」
冬原さんはいつになく殊勝に言った。警部はヒラヒラと手を振りながらぶっきらぼうに言う。
「ああ、それか。もういい。お前はちゃんと事件を解決したんだからな」
それを聞いた冬原さんはにっこりと笑う。
「そうですか。安心しました」
続けて、情けない表情になって言う。
「正直、姿を見せたら殺されるんじゃないかって思ってました」
「……それ言う必要ないだろ。綺麗に締まってたのに」
「まあ、警部はぶん殴ると息巻いてましたけどね」
「未市尾、余計な事は言わんでよろしい。確かにぶちキレかけたし、散々、辛酸をなめさせられて、本気で捕まえてやろうとも思ったが、全て過去の話だ」
「そうですね、失礼しました。しかし、私も先ほどは、どう料理してやろうか、と考えたものです。無事に解決できたので、もう何も文句はありませんが」
「二人の言葉、嘘じゃありませんよ。マジでそう思ってたみたいです」
私の耳打ちに冬原さんの笑顔が青くなる。
「……ま、何にせよ、ご協力に感謝する」
片小名警部はガシガシ頭を掻くと、私達に向かってピッと指を振った。似合わない仕草だった。言いはしなかったけど。
「じゃあな、探偵サン」
そんな風に言ってカッコつけながら、片小名警部は去っていく。未市尾さんもペコリと頭を下げて警部を追って行った。その二人の背に向けて冬原さんが声をかけた。
「ええ、また会いましょうね。片小名警部に未市尾刑事!」
「嫌だ! もう二度と! 絶対に! 会いたくない!」
片小名警部はふり向いてそう叫んでから、ダッと逃げ出した。未市尾さんは振り向きもせずに駆け出している。
「そんなこと言わずに~!」
小さくなる警部の背中に、冬原さんの言葉がまるで、呪いのように降りかかっていた。
……ご愁傷様。
警察から解放され、一種、弛緩した空気がお城を包んでいた。特にやることがなくなってしまい、もうここにいる理由もないので私と冬原さんは城を後にする事にした。冬原さんは事件を解決したので、約束通り美世子から報酬をせしめ、ニタニタ笑っている。いや、もしかすると美世子からの報酬よりも総白髪さんがくれた報酬が嬉しいのかもしれない。あの愉快な料理長はディナーの材料で豪華なお弁当を作ってくれていたのだ。別に私達だけにくれたわけではなく、城にいたみんなに配っていたのだが。
特にお別れを言いたい人もいない。城にいた人の中で仲良くなったのは総白髪さんだけだし、その彼女にはお弁当を手渡されたときに、ちゃんと挨拶をしている。礼儀として美世子には挨拶をしたが、彼女はもう私達の事などどうでもよさそうだった。
執事がいなくなり、客人を見送ろうと考える人もいないので、私達は二人でひっそりと玄関を出た。
まったく、妙きちりんな事件に巻き込まれたものだ。
暗くなり、影のようにそびえ立つ城を見上げながら思った。
なんだかんだあったが、ともかく無事に終える事ができてよかった。
今日一日に思いをはせる私の後ろで、冬原さんが愛車の冬原カーのエンジンをかけるのに四苦八苦している。探偵の努力もむなしく、冬原カーはボッスン、ボッスン、ブッスンと呻き声をあげつづけている。
「ああ! やっと生き返った!」
冬原さんの歓声に混じって、弱々しいながらもまともなエンジン音が聞こえて来たので、私はそちらを振り返った。
「やっとですか。いいかげん買い替えたらどうですか。中古でももっとマシな車売ってますよ」
「馬鹿を言うな! 冬原カーはまだやれる! 大体、僕には車を買い替える余裕などない!」
……胸を張って言う言葉じゃないんだけど。まあ、深い追求は控えよう。
「な、お前はまだまだやれるよな! なんたって僕の相棒なんだから!」
冬原さんは車をパシッと叩いた。彼の相棒である冬原カーはそのスキンシップに沈黙を持って答えた。具体的に言うと、エンジンを止めて無音の抗議をしたのだ。
「ああーっ! また止まったぁー!」
頭を抱える冬原さんの隣で、ため息をついた。もうそれしかできない。
やーれやれ。最後の最後まで、どこか緩んだ終わりよね。
それから数十分の格闘のすえ(私は冬原さんを眺めながら総白髪料理長のお弁当をつまんでいた。彼女の料理は絶品だった)、なんとか冬原カーは息を吹き返し、私達は車の機嫌が悪くなる前にそそくさと乗りこんだ。
「いやー……。疲れましたね」
トロトロ走る車の窓から漆黒の海を眺める。
「そうだな」
「なんてったって、生まれて初めて殺人事件に遭遇したんですから」
「そうだな……いや、ぼ、僕は初めてじゃないぞ! ぼ、僕はいくつもの殺人事件を解決していて――」
嘘だ。
なんで今更そんな嘘をつくんだろう? 理解に苦しむ。
私のうんざりした顔に気づいたのか、冬原さんは言葉を切った。
「まぁ、嘘だけど……」
「知ってます」
「……だよね」
冬原さんは気まずそうにうつむく。……落ち込んでないで、前見て運転してほしい。
意気消沈する冬原さんに、私はひとつの疑問をぶつけた。
「そう言えば、なんで黒柿さんと奥路は殺人なんかしたんでしょうね。黒柿さんにとって粘着ジジイは長年仕えてきたご主様じゃなかったんですかね? 奥路だって野間さんと仲がよかったと言われてましたし」
「動機の問題かい? それは……僕にもわからないな」
「わからないって……えらく簡単にあきらめますね。確かに人の内面はわからないもんですけど、気にならないんですか?」
「うーん、あんまりだね。正直、動機を推理するのは難しいし、僕は苦手でね」
「そんなもんですか」
「うん。そんなもんだね。ま、適当でいいなら、色々と言えるよ」
「へぇ……。例えば?」
私はそう問いかけながら、体を浮かしてお尻の位置を微調整する。この車のシート、クッションがぺらぺらすぎて、ずっと座っているとかなりお尻が痛い。ちなみに、運転席にはシートとは別にクッションが置かれていて、冬原さんはそれに座っている。
まったく。こっちはうるわしきレディであるというのに……。冬原さんには助手席に女性を乗せているという意識はないのだろうか?
……まぁ、ないに決まっているわね。
「例えば? 黒柿さんについては、そうだなぁ……」
冬原さんはハンドルを指でトントン叩きながら考えこむ。
「……長年のうっぷんが溜まってたとか?」
考えこんだ割には普通……。
「まぁ、うっぷんも溜まるだろうな。なにせ、相手は粘着ジジイだ。僕なら一分……いや五秒で音を上げるね」
「ふむ、その意見には全面的に賛成しますね」
粘着ジジイの相手は、人間の出来た私でも三分が限界だと思う。それを思えば、黒柿さんは仏のような心の持ち主だったのかもしれない。……ま、仏だろうが結局、殺人を犯しているけれど。
「奥路については、そうだな……もしかすると、という考えはあるよ」
冬原さんは急に何かを思いついたように顔を上げた。
「どんな考えです?」
「奥路は野間さんからセクハラを受けていたのかもしれない」
「……ほう」
「僕が階段から落ちかけたとき、彼に助けられただろ? その時の野間の手つきがね……今思い返すと、そんな感じだった。そう考えれば野間の魔法は実にセクハラ向きだ。三十秒間は好き勝手できるわけだからね」
「でも三十秒後、ボコボコにされません?」
「さあ? 何か弱みでも握ってたんじゃないのか」
探偵は実に気安く肩をすくめた。
そう言えば、野間は私を見ても何の反応も見せなかった。私の事を美人だと言ったときも嘘だったし、会えてうれしいも嘘だった。野間の趣味が女性になく、男に向けられていたとしたら、そうなるのかもしれない。冬原さんも被害に遭いかけたらしいが、この探偵は鈍感な上に、野間の趣味に合わなかったのだろう。奥路がタイプだとするなら、冬原さんは対極と言ってもいいほど離れている。
「ま、全部仮説さ。証拠も何もない、思いつきみたいなもんだよ。あの二人にしたって、僕らには理解できない深遠な理由があったのかもしれないし、はたまた、僕らの知る由もないけど、過去に壮絶な因縁があったのかもしれないぜ」
冬原さんはそう言ってへらへらと笑う。
「というわけで、動機の問題は僕らの手にはおえない、ってことさ。動機はとんでもなくプライベートな事だ。僕はその辺をつつき回そうとは思わない。事件の捜査ってだけで十分にプライバシーをつつき回すことになる。それに動機なんてわからなくても犯行を特定する事はできるしね。動機については片小名警部たちが調べてくれるんじゃないかな」
そんなものかも知れない。私もどうしても知りたいというわけではないし、気にするのはやめよう。
「……もしかすると、後でこっそり理由を教えてくれるかもしれないぞ」
「そうですね」
冬原さんのつぶやきに対し、おざなりな返事をかえす。
どう考えても、片小名警部が冬原さんに動機を教えてくれるとは思えない。
天地がひっくり返っても、それはないだろう。
しばらく会話が途切れた。がっちゃん、ごっちゃん、どったん、ばったんとか車のエンジン音とは思えない騒音を撒き散らしながら、冬原カーはのろのろ進む。
ぼんやりと騒音を聞いていたが、ひとつ重要な事を思い出した。
「そう言えば……冬原さん! 大事なこと忘れてますよ!」
私は助手席で飛びあがった。だが、冬原さんは私の動作に何の反応もせずに落ち着き払って答える。
「なんだい?」
「なんだい、って! そんな場合じゃないでしょ! 浮気調査ですよ! 浮気調査! 厳克郎の浮気調査はどうするんです!? 本来はそれが仕事だったはずですけどっ……!」
「ああ、そう言えばそうだったなぁ」
「いや、もうちょっと焦りましょうよ!」
私の言葉に耳をかさず、冬原さんは朗らかに笑いながら言う。
「いやー、すっかり忘れてたな!」
嘘だ……。
もはや怒る気力もわかず、私はぐったりとシートに深くもたれかかった。
言い知れぬ倦怠感を感じる……。もうどうでもいいや。美世子も気にしてなかったっぽいし。
フヒューとため息をついた私に、冬原さんが唐突に声をかけてきた。
「そうだ。お礼を言っておくよ、千郷君」
「はい? 何のお礼ですか?」
心当たりがありすぎて、どれに感謝されているのか全然思いつかないぞ。
「僕が事件を解決できたのは、君が魔法で犯人を特定してくれたおかげだ。ありがとう。いや、僕が解決したんじゃないな。僕らが――僕と君が解決したんだ」
探偵はこちらを見て、ニッコリと笑いながら頭を下げた。
「君の魔法は素晴らしいよ。僕はこれほど役立つ魔法に出会ったことないな」
…………。
まったく、この探偵は……。
「……ま、冬原さんもよくやってくれたと思いますよ。私が奥路に捕まったときも、助けようとしてくれましたもんね。その辺には感謝してます。……っていうか、前見てください。運転中だということを忘れずに」
「おっと、悪い悪い」
冬原さんは鼻歌交じりで前を向く。
なんだか、不思議な気分だ。
ふと窓に目をやるとすっかり暗くなった空をバックにオレンジ色の街灯の光がゆっくり、のろのろと後ろに流れて行っていた。
ウィンドウガラスに映った私の顔は、微かに笑っているように見えた。