2.探偵と豪邸とおかしな人々
依頼人は紫波家のお嬢様だという。電話口に出たのは代理人だったので、どんな依頼人なのかは今のところわからない。ただ、お嬢様だと言うのだから、清楚な服装が似合う深窓の令嬢に違いない。
紫波家と言えば、この辺りでは名の知れた富豪である。土地をうまいように転がして、大金を作り出すとそれを元手に冷凍食品会社を設立し、二代程で地域的な一大企業まで成り上がった成金企業である。お金持ちだが、評判はあまりよくないらしい。私は詳しく知らないのでよく分からないが、ミーハーな友人の一人がそんな事を言っていたような気がする。
それとも、これは一般市民のひがみなのだろうか。
海岸沿いの雄大な風景を隣に、オンボロで廃車寸前の車がトロトロしたスピードで走っていた。後続車がいれば派手なクラクションを鳴らされるだろうスピードだ。
冬原カーである。
外装はベコベコだし、色が剥げて元が何色だったのかよくわからない。たぶんシルバーだったのだろうと思うけど、定かではない。それに内装もひどい。微かに変な臭いがするし、シートのスプリングがへろへろで、お尻が痛い。エンジン音もうるさくて仕方ないし、今にも爆発しそうな音がしている。とても車検をクリアしたとは思えない……。
「で、僕らはどこに向かってるんだ? 僕は誰かにひっくり返されたせいで、詳しい話を聞けなかったからね」
冬原さんはハンドルを叩きながら、嫌みったらしく口を開いた。
「そうですね。誰が仕事を断ろうとしたんでしたね」
私も嫌味を返す。ギスギスする車内。
「……ま、過去は水に流そうか。それで、どこに向かってるんだい、千郷君」
「紫波家の家ですよ。家っていうか、噂ではお城みたいだって話ですよ」
私も過去を流して、優しく答えた。
「お城ねえ……」
疑わしそうに呟く冬原さん。
「さらに驚くことに、城が建っているのは島らしいですよ。何でもその島も紫波家の持ち物だとか」
「成金め! 島なんて、島なんて……うらやましいっ!」
ハンドルを叩いて突っ伏す探偵。
アホらし。
悔しがるのはいいが、前を見ろ。
「海岸からそう離れていないところにある小さな島らしいです」
「小さくても島は島だ。人間が持ってていいもんじゃない!」
「どこまでひがむんですか。心の狭さが露呈してます。やめてください。それに……冬原さんだって、いつか島ぐらい持てるかもしれませんよ」
心の底から、完全なるお世辞だったが、バカな探偵は気をよくしたようだった。私はあきれつつもナビゲートを続ける。この車の化石にはカーナビというものはない。ラジオが聞けるかどうかもあやしいから仕方ないとは思うけれど。
「橋で本土とつながっているそうなので、私達が向かうべきはその橋ですね。この辺までくるとほぼ一本道だと言われてますから、迷うことはないでしょう」
「ふむ。楽なもんだな。僕のドライビングテクニックを披露できないのが残念だ。華麗なドリフト走行を見せてあげたかったよ」
遠慮してほしいところだ。この車でドリフトなんかしたら、途中でバラバラに分解してしまうだろうから。
そもそも、見たくないし。
ペンペロペンペロという死にかけたエンジン音で車は走る。スポーツタイプの自転車が颯爽と私達を追い抜いて行った。
しばらく進むと(普通の車ならもっと短い時間で辿り着いたことは間違いない)長い橋が見えた。
車が二台、ぎりぎりですれ違うことができるぐらいの幅しかなく、真新しいとは言えない、古びた外観だった。長さだけは立派だったが、キラキラと陽光を反射する雄大な海原と比べると、いかにも人工物なこの橋はかなり貧相な感じがする。
その何だか物悲しい橋の手前には立派な門扉があった。
「千郷君千郷君」
「何ですか?」
「これは僕の見間違いなのかな? まさかとは思うが、この門が紫波家の玄関なのかい?」
「玄関なわけないじゃないですか。これはあれですよ、ただの門です。海岸にあるからおかしく見えますが、これを庭付きの屋敷だと仮定してください。海岸は塀で、橋は玄関にいたる小道。そんな感じじゃないんですか」
「ふーむ。そう言われればそんなもんかな。ま、いいや」
冬原さんは運転席のウィンドウから身を乗り出して、門の隣に備えつけられたインターホンを押す。
ピーンポーン。
と何のヒネリもない音がした。お金持ちのインターホンも音は一般庶民と変わらないらしい。
『はい』
「えーと、冬原と言いますが……」
『ああ、はい。わかりました。門を開けますので、お入りください。それから玄関でもう一度呼び鈴を鳴らしていただければ、お迎えに上がります』
「はーい。わかりました~」
小学生みたいな返事をして、冬原さんはウィンドウを閉めようとした。だが、自動ボタンはウンともスンとも言わずに、窓は全開のままぴくりとも動かなかった。
「……潮風を浴びたいと思わないかい、千郷君」
とくに思わないが、ここでそう言うとまたぞろ、この探偵はヘソを曲げるに違いない。
「……そうですね。海岸を走るんですから、窓は全開がふさわしいですよ、たぶん」
冬原カーは音もなく開いた門を通過し、橋へと乗り出した。冬原さんの気遣いで開けられた全開の窓から爽やかな潮風が吹き込んでくる。
橋を進んでいくと、突如エンジンが悲鳴を上げた。今までも呻いたはいたが、悲鳴はギリギリ踏ん張ってたのに!
ギョルギョルルルル!
「え? どうして? ついに限界が来たんですか!」
「バカなことを言うな! 冬原カーはまだまだやれる! 調子が悪いのは、この橋がちょっとのぼりだからだ!」
「ちょっとのぼりって、どのぐらいちょっとなんですか! 目で見てわかりませんよ!?」
車が震え出した。いよいよヤバい!
「冬原さん! 車、揺れてますよ!」
「違う! 揺れてるのは橋だ!」
んなわけあるか!
「僕の車は大丈夫だ!」
冬原さんの車も、冬原さんの頭もどっちも大丈夫じゃない! 壊れかけてる!
「やだやだ! 揺れてますよぉ~! 酔う!」
「ええい、落ちちゅけ!」
「あんたが落ち着け!」
私のチョップが慌てふためく探偵の脳天に炸裂した。
冬原カーはなんとか地獄の淵から生還し、無事に橋を渡りきり、島にたどり着くことができた。
島はやはり小さかった。まぁ、小さいと言っても島としてはの話なのだが。橋を渡る最中に観察したところによれば、直径は目算で一キロほど。
周囲は切り立った崖になっていて、船が接岸できる場所は皆無だ。島と本土をつなぐ唯一の手段は橋であるらしい。橋の向こうには本土が普通に見える。かすかにとか、うっすらとかではない。割合はっきりくっきり見える。橋の長さは一・五キロぐらいだっただろうか。冬原カーの速度が異常に遅かったため、体感距離はもっとあるように感じたが、それほどでもないのだろう。
「うわっ……! すごっ」
私は冬原さんの車を降りて、思わず声をあげた。目の前には、とんでもなく大きな城がそびえ立っている。島の大部分を占めた巨大な城だ。あちこちがツンツン尖がっていて、まるでヨーロッパの古城のようだ。
一体どこのノイシュバンシュタイン城だ。ここは日本じゃないの?
お金ってあるとこにはあるもんなんだなぁ……。
紫波家が大金持ちだということは知っていたが、これを見せられると不思議な気分になる。
世の中にはエレベーターが動かないボロボロビルに住み、まともに動かない車に乗った人間もいるというのに。
「冬原様ですか?」
私と冬原さんが城に圧倒され、黙ったまま突っ立っていると、服から靴から全身を黒色で固めたおじさんが近づいてきた。本当に全身のコーディネイトが真っ黒で、髪だけが白髪混じりのロマンスグレーである。ぴしっと背が伸びていて、清潔感にあふれている。よれよれの探偵とは大違いだ。
「そうです。名探偵の冬原貫太郎です」
「助手の春山千郷です」
私と冬原さんは軽く頭を下げる。
「私はここ、シュルト城の執事、黒柿といいます」
黒柿さんは私達に向かって丁寧に頭を下げる。
おお……執事だ。執事なら黒いスーツで当然か。それにしても本物の執事ってはじめて見た。現実世界にも棲息してるんだな、執事って。やっぱりあれかしら? 紅茶を淹れる時はものすごい高さから淹れるのかしら?
お金持ちだから執事って安易な発想だけど、お金がないと執事なんて雇えないもんね。流石成金の紫波家だ。まったく……世の中にはエレベーターが動かないボロボロビルに住み、まともに動かない車に乗った人間もいるというのに。
「到着が遅いので心配して、外に見に来てしまいました。そのご様子だと、事故に遭われたというわけではなさそうですね」
「ええ。ピンピンしています。少しばかりお城に見惚れていただけで、車の調子が悪かったとかそういうわけではないです、はい」
冬原さんの訳のわからない言い訳にキョトンした表情になる黒柿さん。
「こちらへどうぞ。冬原様、春山様」
気を取り直した黒柿さんに案内され、城の中に入った。一歩、城に足を踏み入れると広いホールだった。
呆れかえるしかない。天井はとんでもなく高いし、広すぎるだろ!
玄関ホール(こう言っていいのだろうか? これで合ってるの?)からしてアホみたいに広い。冬原さんの事務所がいくつ入るか見当がつかない。
「……なんて広いんだ。ぎりぎりぎり」
冬原さんは激しく歯ぎしりしている。きっとくやしいのだろう。
うん、わかりますよ。冬原さん。ここに比べたら、あなたの事務所なんて兎の穴みたいなもんですからね。
しかも、このホールただ広いだけじゃない。この広いホール壁際にズラリと、高価そうな絵だの、彫刻だの、鎧だの、宝石だのが並んでいるし、ホールの奥には今にもシンデレラがしずしず歩いてきそうなでっかい二股の階段がある。これでシャンデリアでもあれば、間違いなくお城になってしまうだろう。ただあいにくとシャンデリアは見当たらなかった。
黒柿さんによればこのホールに置いてあるものだけで、ウン億の資産価値があるらしい。
ホント、お金ってあるところにはあるのね……。
世の中にはエレベーターが動かない(以下略)。
「すごーい……。ん? あれは?」
私はある机に近づいた。小ぶりな置物が乗っている。可愛らしくデフォルメされ、ニコニコと楽しそうに笑っているタヌキだった。そのすぐ横にこう書かれている
『自由に触ってお楽しみください』
へー。触ってもいいんだ。
私は野次馬根性丸出しで、そのタヌキの置物を持ち上げようと手を伸ばした。
「ん? ふっ! ふぎっ! んん?」
必死で力をこめても、なぜか一ミリも持ち上がらない。それどころかまったく動かない。
「千郷君。一体何をやってるんだ?」
冬原さんが私の肩口から、机をのぞきこんで言う。
「おいおい、君、そんな物も持ち上げられないのか? 非力なふりをするんじゃないよ。君は大の大人を片足でひっくり返す人間じゃないか」
冬原さんは事務所で、私にひっくり返されたことをまだ根に持ってるようだ。
ふん、小さい男め。
「持ち上がらないんです。嘘だと思うなら、やってみてください」
「フン、そんな馬鹿な」
「あの……」
黒柿さんが私達に向かって、遠慮がちに声をかけてくる。冬原さんはそれを手で制する。
「お気になさらず。執事さん。この子は僕をからかっているだけですから」
何を言ってるんだ、こいつは。私は冬原さんをからかう程ヒマじゃない。
私のジットリした視線を無視し、冬原さんは憎たらしい笑顔で、タヌキをむんずと掴む。
そして、
「ふんぎぃいいいいいいいいいい!」
冬原さんは顔を真っ赤にして、地球を持ち上げんばかりに力を込めるが、タヌキはにやにや笑ったままぴくりとも動かない。
「どうなってるんだ!? これは!」
「あの、その置物は持ち上がりません」
黒柿さんが申し訳なさそうに言う。
「旦那様の生来魔法でくっついておりますので」
「くっつく?」
「はい。旦那様の生来魔法は《粘着》でして」
「え? じゃ、この触ってお楽しみくださいは?」
「ですから、持ち上げて、ではなく、触ってお楽しみください」
「…………」
なんか、騙された気がするのは私だけだろうか? こうなって来ると、さっきまで可愛く見えていたタヌキの笑顔が人を小馬鹿にしたものに感じられる。
「もしかして、このホールにある物全部に、粘着が?」
「ええ。その通りでございます。冬原様。このタヌキがのっている机にいたるまで全部でございます」
なんか、この城の主人は憎たらしい奴な気がする。強欲で、自分の物を見せびらかしたがるタイプに違いない。そもそも、生来魔法が粘着って、絶対粘着質になるでしょ。
冬原さんは顎に手をやって、ふむふむ頷いている。
「成程。絶対に盗まれないから、こうやって堂々と飾ってるわけですか。……なんというか、ここの旦那さまは、ずいぶんと憎たら……」
私のさりげないローキックが冬原さんの脛を強打する。
「ぎゃあ!」
冬原さんは情けない悲鳴をあげ、脛を抱えてしゃがみこむ。私はそんな彼に優しく声をかけた。
「冬原さん、どうしたんですか⁉ もしかして持病の『無駄口叩いた症候群』ですか⁉ ときおり激痛が走るらしいですね! 大丈夫ですか?(棒読み)」
お前がやったんだろ! と涙目で訴えてくる冬原探偵。私はそれをスルーした。さっきのはどう考えたって、冬原さんが悪いではないか。依頼者の家族の悪口を言ってどうする。
「あの……大丈夫でございますか?」
「ええ。大丈夫。何のこれしきです。探偵はこの程度の痛みは、痛みと感じないのですよ」
私は半べそをかいている冬原さんに代わって答えた。
いつまで経っても、めそめそをやめない探偵を叱りつけようと私が大きく息を吸いこんだとき、ホールの奥の階段の方から声が聞こえた。
「黒柿! 誰だそいつらは」
階段を降りてきたのは、顔中が油でテカテカに光り、盛大に肥え太ったおじいさんだった。高そうな濃い茶色のスーツを着ていて、履いている靴も高そうだ。色は冬腹さんの靴と同じ茶色なのに、どうしてああも違う物体に見えるのだろう?
ただ、あの突き出た腹。高級スーツが可哀想になってくる。
やめろ、ジジイ! 私の夢を壊すな! その階段を降りてきていいのは、美しいシンデレラだけだ!
私の内心の叫びはじいさんに届くはずもなく、油じいさんはどんどんこっちに近づいてくる。
「美世子様のお客様であります」
「美世子の?」
油ギッシュじいさんは私達の方を、胡散臭げに見てきたが、私の顔を見たとたん、不審そうな顔が、ふやけきったニヤケ顔に変わる。
油ギッシュテカテカじいさんは冬原さんには目もくれず、彼を押しのけると強引に私の手を握る。そりゃ、私は超絶美人なので、この反応は仕方ないけれど、それにしたってもう少し遠慮するべきだろう!
「これはこれは、美しいお嬢さん! 私はこの城の主の紫波太刀男といいます!」
主! じゃあ、こいつが粘着魔法を使う粘着男か! そうなると、これが紫波家の当主? このジジイが⁉
「……春山です」
油ギッシュテカテカ粘着じいさんが私の自己紹介を待っているようだったので、しぶしぶ答えた。
油ギッシュテカテカ粘着デブジジイはしつこく私の手を握り続ける。たぶん、私はかなり引きつった笑顔になっていると思う。
これ以上、私の手を握っていたらお前の頭をカチ割るぞ! と思うぐらい長い時間が流れた。
よし、踵落としでこいつの頭を砕いてやろう、と私が心を決めて足を後ろに引いたところで、やっとこさ、油ギッシュテカテカ粘着デブスケベジジイが私の手を放した。
「いやー、あなたのような美人と知り合えるとは、今日はついておりますな」
油(中略)ジジイは、歯の浮くようなお世辞をぐだぐだと垂れ流す。
いいから、どっかに行ってくれ! 私の思いもむなしく、(全略)ジジイはしばらくしゃべり続けた。しかも、語る内容はぺらっぺら。大半がどうでもいい自分の自慢話だけだった。
粘着ジジイ(今後、こいつの呼び方はこれに統一します)の後ろに突っ立っている冬原さんもずっと、無視されているので、かなりイライラしてきているようだ。
私と冬原さんの堪忍袋の緒が切れかけたころ、粘着ジジイがやっとのことで話を切り上げた。
「あ、そうそう。私は少し仕事があるんでした。心惜しいですが、このへんで失礼させていただきます。よろしいですか?」
やったー。さっさとどっかに行け! 私は心の中で快哉を叫ぶ。
「いやー、楽しい会話というものは、本当に時間が過ぎるのが早いですねぇ」
そんなのどうでもいいから、早く行って!
「あ、そうだ、黒柿、私の靴はどうなってる? 磨いておけと言っただろう。あの茶色の靴をさっさと用意しておけ!」
「磨き終わっていますので、すぐにお持ちいたします」
いきなり怒りだした主にも冷静に対応する黒柿さん。ソツのない対応だ。今、履いている靴も茶色なのに、茶色好きなのかしら? 1ミリたりとも興味ないけど。
「それでは春山さん。我がシュルト城をごゆっくりご堪能ください」
粘着ジジイはそう言って本当に、名残り惜しそう私を見つめた後(虫唾が走った)にどこかに消えた。
私は黒柿さんに聞こえないように、小声で冬原さんと会話する。
「とんでもないジジイでしたね」
冬原さんのスーツで手のひらを拭きつつ、私は言う。
「おいっ! 君は一体何をやってるんだ! 粘着ジジイの汗を僕の服で拭うんじゃない!」
ふむ、どうやら冬原さんもあのジジイのあだ名を粘着ジジイにしたようだ。……冬原さんと感性が同じだというのは少しへこんじゃうかも。
ブツブツと文句を言う冬原さんを無視し、私は黒柿さんに向きなおる。
「では、黒柿さん。依頼者のところに案内していただけますか?」
「かしこまりました。春山様」
「さぁ、文句言ってないで、行きますよ、冬原さん」
「……君は助手じゃないのか? 僕が探偵だよな?」
そんなの知らない。探偵が頼りないから、こうなるのだ。
今回の依頼者の名前は紫波美世子。このシュルト城の主である粘着ジジイ(紫波太刀男)の一人娘だ。
美世子は四十代ぐらいのケバケバしい、小太りの女だった。
私のイメージしていたお嬢様と全然違う……深窓の令嬢なんかじゃない。
彼女は私達を自室に招いて、いきなりぐだを巻き始める。
「あいつは絶対に浮気してるのよ! しかも、あのクソ餓鬼と!」
美世子は怒鳴りながら、部屋にある物を吹き飛ばしている。……どうやら、美世子の生来魔法は《吹き飛ばし》のようだ。それ自体はどうでもいいのだが、怒りのままに物を吹き飛ばすのはやめてほしい。迷惑すぎる。
美世子の説明は要を得ず、何を言っているのかわかりにくかったが、まとめるとこんな感じだった。
まず、あいつというのは、旦那さんの厳克郎のことで、クソ餓鬼というのは太刀男の愛人のことらしい。
つまり、美世子からすると、自分の父親の愛人と、自分の旦那が浮気している状態になる。
……………………。
ドロッドロだ……。
往年の昼ドラだ……。
私と冬原さんはゲンナリした気分で、美世子の話を聞きつづける。このままでは私の精神が持たないし、肉体的にもいつ物が当たるかわかったものではない。
誰か助けて! もういや! 粘着ジジイとケバいオバさんの話なんて、もう聞きたくないよぉ。
「今日はクソ親父……お父様の個人的な誕生パーティーがあるのよ。それにね、あのクソ餓鬼も呼ばれてるはずだから」
「へーそうですか」
冬原さんが限りなく棒読みな相槌を打つ。彼の顔色はすこぶる悪く、もうすでに土気色になりつつある。
……どんだけ話聞きたくないのかしら? まぁ、その気持ちもわからなくはないんだけど。
「何人も来るはずだから、あなた達もそれに紛れればいいわ」
「了解です」
「私の友人として招いたって事にしておくから」
「委細承知しました」
「必ずあの女の尻尾を掴むのよ!」
「がってん承知の助」
冬原さんは限りなく適当に頷いている。美世子がそれを見て、今よりもっと怒りだすのでは? と危惧したが、意外にもそんな事はなかった。どうやら、このケバいオバさんは完璧に自分の世界に入り込んでいるらしい。周りがあまり見えていないようだ。
「絶対に証拠を掴んでよ!」
「万事オッケー」
……適当すぎる言葉を返す冬原さんも冬原さんだが、美世子の言い草も酷い。彼女の言い方ではもうすでに浮気していることは決定事項で、あたかもそれを確認するだけのようだ。実際はまだ浮気しているとは決まってないハズだけど。
「ああ、ムカつく!」
美世子が叫ぶ。それに釣られて物が飛ぶ飛ぶ。ついに備えつけのテーブルが浮き上がりかけたのを見て、冬原さんがすばやく口をはさんだ。冬原さんとは思えない反応の速さだった。
「わかりました。ええ、わかりました。もう十分です。ええ、すぐさま調査に移りますよ。もうお話は結構です。一事が万事、僕らにお任せください!」
冬原さんは青い顔で逃げ去るように、物が飛び交う部屋を飛び出る。私も頭を庇いつつ彼の後に続いて逃げだした。後ろから美世子のどなり声が聞こえてくる。
「いいわね! しっかりやるのよ!」
「ほらな。浮気調査なんてロクなことないんだよ。なんで、僕がこんな不快な思いをしなきゃならないんだ。話が長いおもしろくない楽しくないつまんない、それに内容はドロッドロだし……飛び交う物は危ないし、もうーめんどくさい」
美世子の部屋から飛び出した探偵の口から、大量の愚痴が勢いよく飛び出した。
「黙ってください。私もイライラしてるんですから、それ以上文句を言うと、いつ足が飛ぶかわかりませんよ」
私の脅しに冬原さんは文句を飲みこむ。
そこで、不機嫌だった冬原さんは急に晴れやかな顔になって朗らかに言った。
「ま、今回は簡単な調査ですむな」
「どうしてです?」
「あれだ。あのオバサンの旦那、なんて言ったっけ? あの……」
「厳克郎」
「そうそう。厳克郎。そいつに浮気してるかどうか、君が直に聞けばそれで済む。そうすれば、君は嘘を言ってるかどうか、すぐわかるだろ?」
「はい?」
ナニヲイッテルンダ、コノオトコハ。
冬原さんの「どうだ、名案だろ!」っていう顔がムカつく。この人は馬鹿だ。
「あのですね、冬原さん。浮気調査って、秘密裏に行うもんじゃないんですか?」
お馬鹿探偵の肩がピクッ震え、頬に浮かんだ冷汗がタラリと流れ落ちる。
「……そうだね。その通りだ。うん。君を試しただけだよ」
冬原さんはぼそぼそと言い訳を続ける。
「もちろん僕も気づいていたよ」
「嘘ですね」
私は冬原さんを切って捨てる。
「とりあえず、色々調査しますか?」
「そうだね」
粘着ジジイの誕生会があるらしいし、色々と話は聞けるだろう。誕生会に来る人間が厳克郎の浮気について知っているかはさて置いて。
もちろん、調べる以前に本音を言えば、浮気調査なんて放りだして、この屋敷を丸ごと爆破してやりたい、という気持ちもあるのだけれど。
私達はとりあえず城を出た。外の新鮮な空気を吸いこむと、爽やかな磯の香りが鼻をついた。今まで粘着質な空気とか、ドロドロの空気ばっかり吸っていたので外の空気はおいしい。城の中庭は暖かい光が差し込んできていて実に穏やかだ。
「いやー、生き返りますよね。冬原さん」
無理に明るくそう言って彼の方を見ると、この世の終わり、みたいな生気のない顔した黒い影がいた。
やだ、呪われそう……。
「帰りたい……」
冬原さんはうなだれる。
……気分的には大賛成だが、そうはいかない。これは仕事なのだ。すごすご逃げ帰るわけにはいかない。
私達が折れそうな心にムチ打って、庭をうろついていると、黒柿さんが車を洗っているのに出会った。
「おや、冬原様と春山様ではありませんか。どうかされましたか?」
黒柿さんは車のフロントガラスを手で撫でている。
「いや、ちょっと……散歩というか……。っていうか、黒柿さん何をやってるんですか?」
せっかく洗ったフロントガラスを手で触るのはいいのだろうか? 汚れるんじゃないの?
「ああ、これですか? 私の生来魔法をかけておるのです」
「へぇー。どんな魔法か聞いてもいいですか?」
もちろんです、と黒柿さんは笑う。
「私の魔法はですね、《撥水》です。すなわち、液体を弾く魔法です。あまり使い道がないん
ですがね」
黒柿さんは謙遜するが、そんなことはないだろう。水をこぼしちゃダメなところに魔法をかけておけば、それなりに重宝するだろうし、きっと今も服にその魔法をかけているにちがいない。そうすれば絶対に服が濡れないはずだしね。少なくとも、私の《嘘発見》や冬原さんの《コップ浮かし》よりは役に立つはずだ。
「そうそう、執事さん。一つ、質問いいですかね?」
冬原さんは真剣な表情で、たたずんでいる。
おお、初めて見る彼の探偵らしい格好! それなりにさまになってるじゃない!
「かまいませんが……」
真剣な探偵を前に黒柿さんは神妙に頷く。
そして、満を持して、冬原さんはおごそかに問いかけた。
「厳克郎さんは浮気してるんですか? ぎゃ!」
私は零コンマ一秒で反応し、すばらしく勢いのついた回し蹴りで、冬原さんの腰を蹴りつける。地面に倒れこんだ彼の襟首をつかんで、ぐっ、と顔を引き寄せる。
「冬原さん、あなた何言ってるんですか? さっき浮気調査は秘密裏にするって言ったじゃないですか。何をいきなり関係者にぶっこんでんですか。ふざけないでください。っていうか、黒柿さんにまで迷惑をかけることになるじゃないですか」
「厳克郎様ですか? ああ、確かに浮気なされていると思いますねぇ。どこの誰、とは存じ上げませんが」
って、黒柿さん、あんた、答えんのかい!
私はずっこけそうになりながらも、冬原さんから手を放し、なんとか立ち上がる。
黒柿さんはにっこりと笑って、小声でつけくわえる。
「私が言ったことは内緒にしておいてくださいね」
「まぁ、それはもちろん……」
ふむ。この義に厚そうな執事さんも、見かけによらないようだ。
「どうしたもんだろうなぁー」
冬原さんはソファの上に寝転がって言う。きっと気持ちがいいんのだろう。冬原さんの事務所のソファは、クッションがぺったんこだったしね。
「行儀が悪いですよ、冬原さん」
それでも、私は冬原さんの助手兼飼い主として、彼に注意をうながす。
私達は休憩用に与えられた一室にいた。大きなクローゼットに巨大なテレビ。フカフカっぽいベッドが二つに、冬原さんがくつろいでいる豪奢な応接セット。豪華絢爛とはまさにこの部屋、みたいな空間だった。照明はもちろんのごとくシャンデリア。
ちなみに私達に与えられた部屋は二階である。私はあのシンデレラ階段を昇ってこの部屋にやってきた。粘着ジジイはあの階段に似合わないが、私にはばっちりだ。どうせなら水色ドレスでも着てくればよかったな。誕生パーティーもあるらしいし。……まぁ、そんなドレスなんて持ってないけど。
私達は部屋でまったりとくつろぎながら、これからの対策を練っているところだった。
「そう言えば、あの……なんていったけ? ほら、あのケバいオバさん……が言ってたよな」
「美世子ですか?」
「そうそう、美世子。それが言ってただろ。今日ここに、愛人……名前なんだっけ? まぁ、いいや、とにかく愛人が来るって言ってただろ?」
「言ってましたね。粘着ジジイの誕生会に呼ばれてるって話でしたよね」
ちなみに、当該愛人の名前は豊吉良有乃という。その豊吉良は美世子に見せてもらった写真では二十代後半ぐらいの水商売っぽい女だった。写真で見る限りは、おっとりした女性に見える。
それにしても、冬原さんの人の名前の憶えられなさには呆れるしかない。本当に憶えていないのだ。私にはわかる。なぜなら、冬原さんの言葉の中に嘘がないからだ。わざとやってるわけでも、ポーズでやっているわけでもないらしい。ただ、記憶力に問題があるだけのようだ。
これって探偵として、下手すると人として失格なんじゃないの?
「じゃ、その愛人が来たら浮気現場をばっちりと写真に収めちゃえばいいんだな。それで万事解決だ。晴れてここから、おさらばできる」
「浮気現場を押さえるって……無理でしょ。この城がいかに広いとはいえ、奥さんと愛人がひとつ屋根の下ですよ? そんな状況で浮気なんてできますか? ましてや、厳克郎ですよ?」
遅ればせながら厳克郎について説明すると、名前こそいかついが、写真で見た限りはとんでもなく貧相な感じの男だった。青白いし、骨と皮みたいに痩せてたし、全然さっぱり覇気が感じられなかった。
「ふっ、そういうのが燃えるんだよ。そういうタイプなんだ」
「冬原さんがですか?」
「違うに決まってるだろ! 誰が僕の話をしてるんだ! 厳克郎の話だよ。ギリギリの状況を楽しんじゃうタイプなんだよ」
「本当ですか? 何を根拠に?」
私は疑わしげに冬原さんを見つめる。しかし、冬原さんは力強く言い切った。
「間違いないね。根拠は探偵の勘さ」
驚いた。今、冬原さんは嘘をついていない。
……もちろん、冬原さんが嘘をついていないからといって、それが正しい、というわけではない。冬原さんがそう思いこんでいるだけの話だ。
こういうところも《嘘発見》は使いづらいんだよなぁ……。この魔法が反応するのは、相手が意図的に、自分の意思で嘘をついた時だけなのだ。
相手が正しいと思いこんでいる時は、たとえそれが事実と異なっていようと、魔法は反応しない。例えば、今の冬原さんの言葉のように。
「まぁ、チャレンジするだけなら、してもいいんですけどね」
「もちろんチャレンジするさ。なんだったら捏造してもいい。千郷君、CG処理の魔法かなにか使えるかい?」
「捏造は絶対にダメです」
嘘じゃないのが冬原さんの怖いところだ。どれだけ帰りたいんだ、まったく。
「それにしても、のどが渇いたな……。千郷君、なんか飲み物もらってきてよ」
「いやです。なんで私が召し使いみたいなことしなきゃならないんですか」
「まぁ、そういうだろうとは思ってたけど……。じゃ、僕は行ってくるよ」
「はーい。じゃ、ついでに私の分も何かもらってきてください」
「うん、わかったー。って、おいっ! 僕は君の召し使いじゃないぞ!」
「え? ついでと召し使いはまったく違いますよ?」
ていうより、何が楽しくて冬原さんとコントみたいなことをしなきゃならないのだろう? 楽しくなんてない、悲しすぎる。この虚しさはなんだ……。
「……なんだこのやり取り」
冬原さんも同じことを思ったらしい。彼は首をふって続ける。
「君も一緒に来い」
「ええっ? 面倒くさいですよ」
「おいおい、おいおいおい! 僕に任せていいのか? 第一、僕は君の好みなんか知らないぞ。僕がとんでもなく苦い青汁とか持って来てもいいのか?」
そんな奇抜な物を持ってこようと思うのはあんたぐらいだ!
「いいのか? ひとりで留守番なんかしてて。粘着ジジイが襲いかかってくるかもしれないぞ。そうなったら誰が君を守るんだ?」
「自分の身は自分で守りますよ。……っていうか、冬原さんと一緒にいても、冬原さん、私のこと守ってくれないでしょ?」
「まぁ、否定はしないな」
「そこは否定しろよ!」
私は裏拳付きでツッコむ。
ああ、またコントを演じてしまった……。恥ずかしい。
しかし、どうして冬原さんはかたくなに私を連れていこうとするのだろう?
「……さては冬原さん。あなた、迷子になるのが怖いんですね!」
私は冬原さんに向かって犯人を追いつめた探偵のごとく、ビシッと指を突き付けた。
「なばばば、何をバカなことをををを……」
冬原さんは可哀想なぐらい動揺した。……これを嘘だと見抜くのに魔法はいらないわね。
「仕方ないですね。ついて行ってあげますよ」
あまりにも悲しそうだったので、ついつい声を掛けてしまった。私の言葉に引きつっていた冬原さんの表情が安堵に変わる。……どんだけ、心細かったんだ、この人。
正直、今ついていくのもかなり面倒だけど、あとで迷子になった冬原さんを探しまわることを思えば楽なものだ。
あとで楽するためには、今苦しまなくてはならない。昔の偉い人だって、そんなようなことを言っていたはずだ。先憂後楽!
城の中は無駄に広かった。本当に広かった。たぶん、この城の大きさを表すときは東京ドーム何個分、という単位が使われるに違いない。……言いすぎか。島自体もそんなに広いはずないから城がそれより広いはずがない。でも、体感的にはそのぐらい広いのだ。
これでは急に吐き気をもよおしたときに、城の端っこの方にいたりしたら、トイレに駆けこむことなんて絶対にできないだろう。……ま、トイレぐらい、いくつでもあるのだろうけれど。
「まったく、なんて広いんだ。これじゃ、急にトイレにいきたくなったとき、どうすればいいんだ? 漏らすしかないじゃないか」
冬原さんはひがみ半分で文句を言っている。
……さっきから、ちょくちょく思ってはいたのだが、私と冬原さんの考えることがちょっと、いや、かなりかぶっている気がする。
もしかして、私の思考回路は冬原さんに似ているのだろうか? ……いやだな。もしそうだったら、ホントにいやだ。
私がもんもんとした思いを抱えながら歩いていると、運よく厨房らしき場所にたどりついた。運よくということは、私達は気がつかない内に迷子になりかけていたようだ。危ないところだった。
私達は厨房の中をのぞきこむ。
「おや……えーっと……くろ……黒柿さんじゃ、ありませんか」
「冬原さま? どうかされましたか?」
黒柿さんは冬原さんが、一瞬、言葉につまったのを華麗に流して、礼儀正しく問う。
「いえ、ちょっと、のどが渇いたもので、なにか飲み物でもいただけたら、と思いまして」
「ああ、それは気づかずにいました。申し訳ありません。すぐにご用意いたしましょう。何になさいますか?」
「じゃ、ウィスキー……」
ガツン!
私は何も言わずに、冬原さんのすねを蹴りつける。冬原さんは痛みのあまり、声も出せずにぴょんぴょん飛び跳ねている。
仕事中だ。お酒を飲む必要性がまったくない。飲酒など言語道断だ! そのまま痛みに跳ね回るがいい! この下郎が!
……こんなセリフが出てくるとは、もしかしたら、私は思っている以上に疲れているのかもしれない。
「黒柿さん、紅茶にしてください。部屋で飲みますから、ポットでお願いします」
「かしこまりました」
黒柿さんは私に向かって、優雅に一礼した。
黒柿さんが紅茶をいれてくれるのを、静かに待った。
私の隣から、なにやら怨念のこもったつぶやきが聞こえてきていたが無視だ。
「できました。どうぞ、春山様」
「ありがとうございます」
黒柿さんは私にポットとカップの乗ったお盆を差し出し、かたわらのお盆を手に取った。そのお盆の上でクッキーが山盛りになったお皿と、コーヒーの入ったポットが浮いている。私は自分のお盆を、冬原さんに押し付けて黒柿さんに問いかける。
「浮遊の魔法ですか?」
「え? ああ、そのようなものです。これは美世子様のおやつですが。こうしておけば私がお盆を落としさえしなければ、上の物は落ちませんから」
見たところ、お盆に学習魔法がかけられているようだ。かなり複雑な魔法陣が見える。もしかしたら、黒柿さんは学習魔法のかなり優秀な使い手なのかもしれない。
「では、失礼します。あまり遅れると、美世子様に怒られますので」
「あ、はい。お気をつけて」
私のちょっと的を外した返答に苦笑いしながら、黒柿さんは厨房から出て行った。
「私達も行きましょうか。ね、冬原さん」
冬原さんは虚ろな目で、ポットに喋りかけている。
「誰か……誰か学習魔法を使えない奴はいないのか……君はどう思う、ポット君……まさか、
君もスキルを使えるとか言うんじゃないだろうな⁉」
「ちょ、しっかりしてください! なにポットに話しかけてるんですか! だ、大丈夫ですよ。人の価値は魔法でなんて決まりませんよ。魔法が使えなくたって、ふ、冬原さんには冬原さんのいいところが……いっぱい、いっぱいあります……よ」
「おいっ! 言葉が尻すぼみになってるぞ!」
「まぁ、いいじゃないですか。とにかく部屋に帰りましょう」
なんだか冬原さんが可哀想になった私は、彼からお盆を奪い取ると、さっさと厨房から出ることにした。
意気消沈の冬原さんを連れて部屋に戻る途中で、とんでもない人物と会ってしまった。
豊吉良有乃である。今回の調査対象だ。
うわーっ! 豊吉良! 今絶対に会っちゃいけない人物じゃない!
となりを見れば、冬原さんもびっくりした顔をしている。私達は顔を見合せて、すばやく小声で会話した。
(どうしましょう?)
(気を強く持て! 千郷君! 落ちついて対応すれば大丈夫だ!)
(そ、そうですよね!)
私達は意志の力で動揺を押さえこみ、落ちついた表情で豊吉良嬢に挨拶をする。
「あばばばば、ここここんにちは」
「きょんにちは」
冬原さんはどもっていたし、私は言葉を噛んだ。
……とてもじゃないが、落ちついているとは言えなかった。
「? ……大丈夫ですか?」
豊吉良は不審そうにしている。当然だろう。私から見ても、私達ふたりはあやしい奴に見えるもの。
「え、ええ。もちろん大丈夫ですよ。あ~、私達はこれで……」
私と冬原さんは意味なくヘコヘコしながら、豊吉良のとなりを抜けた。豊吉良は首をかしげていたがさして気にしたふうもなく、廊下を歩き去って行った。私達は廊下の角を曲がったところで大きく息をつく。
「ふぅ~~~~~~」
「ああ~……寿命が縮みましたね……」
私達はこそこそと逃げるように、部屋へと戻った。別にこそこそする必要はなかったが、私達の気分はそんな感じだったのだ。理解してほしい。
与えられた部屋に戻り、ふかふかのソファの上で、ゆったりと紅茶の香りを楽しんだ。それから、ゆっくりと一口だけ透き通った琥珀色の液体を口に含んだ。甘美なため息。
「ああ、すっごくおいしい。やっぱり茶葉が高物だからですかね?」
「……君は気づいていなかったのかもしれないが、それ、ティーバッグだったぞ。しかも安っすいやつ」
冬原さんはバカにしたように鼻で笑う。
まさか、そんな! ふむ、たぶん、お城で紅茶を飲むという日頃ないシチュエーションが、私の舌を狂わせているに違いない。……まぁ、私はそこまで紅茶にくわしいわけではないんだけれど。
「ところでどうします? 私達豊吉良に顔を見られてしまいましたよ」
「よくよく考えれば、別段見られたって困らないさ。僕らは今、あの……ケバいおばさんの友人として来てるんだからな。うん……あのおばさんの友人って自分で言ってて悲しくなってくるな。……いや! やっぱりダメだ! 見られたらもうダメだ! 無理だと断わろう!」
「断るのは論外だとして、どうしたもんですかね。ちょっとばかし不審に思われた可能性大ですよね。だいたい、冬原さんがあんなに動揺するからいけないんですよ。何ですか『あばばばば』って」
「なんだと? 君だって『きょんにちわ』とか言ってただろ」
冬原さんは不満顔で、ぶうぶう文句をたれる。
「私は素人ですよ? 冬原さんは仮にもプロの探偵じゃないですか」
「ふっ、僕は浮気調査については素人だよ」
なんで自慢げに語ってるんだ! 仕事ができないって自分で言ってるようなものじゃないの?
「しかし、ちょっと楽しくなってきたな。君もそう思うだろう?」
バカ探偵はへらへらと締まりなく笑う。
……いきなりどうしたんだろう。ついに本格的におかしくなってしまったのか。
「おい、その危ない人を見るような眼をやめろ。僕は大丈夫だ」
「大丈夫じゃない人ほど、自分は大丈夫だと主張するって法則をご存知ですか?」
「知らないよっ!」
「じゃ、冬原さん。おかしくなったのでなければ、どうしてそんな薄気味悪い笑顔を浮かべてるんですか?」
「千郷君、流石の僕も傷つくぞ。仮にも上司の笑顔を見て薄気味悪いってなんだよ」
だって仕方ないじゃない。ホントに薄気味悪んだから。
私は肩をすくめてごまかす。
「――ふん。まあいい。僕が楽しくなってきたって言うのは、この状況のことさ」
「はい? この状況ってケバいおばさんの貧相な旦那の浮気調査をするってことですか?」
「違うよ。そんなの楽しいはずないだろ」
冬原さんは紅茶を一口飲む。
「うん。普通だ。ティーバッグ製だから実に普通だ」
「……それって私に対する当てつけですか? って、まあいいです。で、何が楽しいんです?」
うっとりと夢見るような眼差しで優雅にカップを持ち上げる冬原さん。
「豪邸で開催される家主の誕生パーティー。集まる謎めいた人々。人の立ち入る事の出来ない絶海の孤島。そして、そこへ導かれてきた名探偵とおとぼけ助手。このシチュエーションなら間違いないく事件が起きる! これはもうこの世の摂理と断言してもいい! 今晩の晩餐を楽しんだ後、おそらく明日の朝には誰かの――多分、粘着ジジイの死体が発見されるだろう」
「縁起でもない事を言わないでください。粘着ジジイの生き死にになんて毛ほども興味はありませんが、仮にもそいつの家ですからね。誰に聞かれてるかわかったもんじゃありません。だから、滅多な事は言わないでください」
つーか、冬原さんのセリフにはツッコミどころが多すぎる。いちいち挙げていったらキリがないが、それでも訂正してやらねばなるまい。それが飼い主――違った、助手としての務めだ。
「まず、絶海の孤島ではないですよね。本土が見える位置にありますし、気合いを入れれば泳げない距離でもありません。それに橋がありますから人の立ち入りもごく簡単です。次に、集まる人が謎めいた人かどうかなんて今はわかりません。ま、おそらく普通の人が来るのでしょうが。謎めいた人々なんてそうそういませんよ。もう一つ、導かれたのは名探偵とおとぼけ助手ではなく、超絶美人の助手とおマヌケ探偵です。合ってる部分なんて豪邸で開かれるパーティーってくだりだけじゃないですか」
「君はロマンの欠片もわかってないよ!」
ソファに置いてあったクッションを抱き締めながら悶絶する探偵。
「そんなにバッサリ切り捨てなくてもいいじゃないか!」
「仕方ないじゃないですか。冬原さんがトンチンカンなこと言うからですよ」
「今に見てろ。必ず事件は起きるからな。後で吠え面かいても知らないぞ」
「冬原さんも事件が起きなかったからって、後で泣かないでくださいね」
私と冬原さんの間でバチバチと散る火花。
……不毛な意地の張り合いだ。
「まあ、どうでもいいことですよね……」
「……だな」
私達は互いのカップに紅茶を注ぎ合うことで一時休戦し、不毛な争いを棚上げにした。
「で、どうします? 浮気調査の方法ですけど」
「そうだなぁ……尾行するのが手っ取り早いかな。僕らはほとんど知り合いがいない誕生パーティーに呼ばれてるんだから、いなくなっても誰も気づかないだろ。それを逆手にとって浮気の疑いある片方を張ろう。どうせ、浮気調査なんて忍耐勝負だ。今日中に証拠を掴めるのが望ましいけど、それは期待薄だろうからね」
おお……冬原さんがまともな事を言ってるぞ。成長したね、冬原さん!
「……君、今、失礼なこと考えてるだろ」
「いえ、まったく。それは被害妄想ですよ。……ただね、冬原さん。そのプランには問題が少し」
「ん? どの辺が?」
「確かに知り合いのいないパーティーですが、だからこそ、私が目立ってしまうんです。どの程度の数の女性が訪れるのかは知りませんが、私レベルの女はそういません。嫌でも目立ちます。豊吉良になんて負けませんし、ましてや美世子……ハッ! 月とスッポンどころではありませんよ」
私は笑みを浮かべながらやれやれ、と首を振る。いつでも注目の的とは、美人も困ったものだ。
「……君の自信家っぷりも大したもんだな」
そこで冬原さんは安っぽい腕時計に目を落とし、だらけていたソファから立ち上がる。
「そろそろ客人が集まり出す時間帯だ。僕らも観察を始めよう。僕らは粘着ジジイの愛人が……あの、その……オバさんの旦那の浮気相手だと……」
「旦那の名前は厳克郎です」
「そうそう、厳克郎。そいつの浮気相手が……」
「豊吉良」
「――だという前提で話してたが、それはオバさんの勘違いで全く知らない相手の可能性もある。これから新しく訪れてくる奴の中にいるって可能性も否定できない。気は進まないが、頑張って仕事をするとしよう」
「ですね」
せっかくまともな事を言ってるのに、人の名前が出て来ないので締まらない。やれやれ、行先は暗いみたいね。大丈夫かしら、ホント。
私と冬原さんはまず、ポットを返しに厨房に向かった。流石に私は二度目なので迷う事はなかった。ただ、冬原とかいう探偵は、私が立ち止まると絶対に一人で進もうとしなかったので、たぶんまだ道を憶えていない。憶える気がないのか、それともやっぱり馬鹿なのか……。
「すいませーん。ポットを返しにきたのですが」
ひょいと厨房をのぞき込むと、純白の料理服に身を包み、とんでもなく長いコック帽をかぶった女性が忙しく立ち回っているところだった。黒髪ショートカットの小柄な人だ。
「お? ああ、美世子さんのお客さんか」
「春山千郷と、こっちが冬原貫太郎です。料理人の方ですか?」
「料理長の総白髪明里だよ。ま、料理長って言っても一人しかいないんだけどね。ああ、ポットはその辺に置いといてくれていいよ。後で洗っておく」
総白髪さんはおたまで空きスペースを指し示す。
「ちなみに私は『総白髪』だけど、髪の毛は染めてるわけじゃないから」
ニヤリと笑って、自身最強の鉄板であろうネタを披露する総白髪さん。彼女の動きにつられ長いコック帽がグラグラと危なっかしく揺れた。何だってあんなに長い帽子をかぶってるんだろう?
「おい、千郷君。あの料理長は何だってあんなに長いコック帽をかぶってるんだ? バランス王でも目指してるのかな?」
冬原さんは顔を寄せて聞いてくる。でも、私に答えられるはずないじゃない。仮にも名探偵を名乗りたいなら、シャーロック・ホームズよろしく推理でもすればいいのに。
「む。料理長たるもの長いコック帽は当たり前じゃないか。長ければ長いほど偉い気がするだろう?」
冬原さんの呟きが聞こえていたらしい。総白髪料理長は腰に手を当ててふんぞり返る。そんなものなのだろうか……。まあ、言われてみればそんな気がしないでもないけれど。
ふと、パスッという音が聞こえて来て、なんだろうと思って、形から入る系の料理長の後ろを見ると、大根やら人参がすさまじい勢いで切られているところだった。包丁も何もないのにスパスパ切られている。
魔法だ。呪文や魔法陣の痕跡はなさそうなので、おそらく総白髪料理長の生来魔法なのだろう。
「あれが気になるかい?」
クイッと親指で後ろを指す総白髪料理長。
「《カット》だよ。私の生来魔法」
ザクザク、スパスパと人参はみじん切りにされ、大根はクルクルと桂むきにされている。
「春山さん、冬原さん、申し訳ないがディナーの用意があるから、もうお引き取り願ってよろしいかな?」
「あ、すいません。では失礼します」
「素晴らしい晩餐を期待しててくれたまえ」
親指を立てて片眼をつぶる総白髪料理長。お茶目な人だ。料理の腕はいかほどなのだろう……少し不安なんだけど。
「期待してます!」
同じように親指を立て、ウィンクする冬原さん。
えらく嬉しそうだ……あ、そうか。普段まともな食事を摂ってないのね。そう言えば事務所を掃除した時もカップ麺とかコンビニ弁当の空き容器しかなかったし……貧乏な探偵の食生活はよくないらしい。料理は得意だとか言ってたくせに、料理する機会がないとは宝の持ち腐れもはなはだしい。
ここでたらふく食べておこうという腹だな。
厨房を後にし、私達は特段あてもなく玄関方面へ向かった。私と冬原さんがお宝がたくさんくっついている玄関ホールに顔を出したとき、タイミングよくとある一団が玄関から入って来るところだった。
男が多い。というか、全員男だ。
この一団から情報を引き出すのなら、私のほほ笑みでイチコロだな。現に私が姿を見せた途端、入って来た男どもの視線が私に殺到する。厳密に言えば私と冬原さんも方を向いているのだが、私を差し置いて隣の探偵に注目する意味があろうか。いや、ない!
私は余所行き用のとびっきりの微笑を浮かべ、男性陣に会釈する。
「こんにちは。わたくし、美世子さんの友人の春山と申します。この度、太刀男さんの誕生パーティーにお呼びしていただきました。皆様も同じですか?」
冬原さんが「お前は誰だ?」みたいな目でこちらを見てくるので、さりげなく彼の足を踏みつける。探偵がぴょんぴょん飛び跳ねる謎のダンスを披露している間に、私は男性陣に取り囲まれた。
「初めまして、春山さん。僕は加須谷崇芳といいます。紫波産業部長」
加須谷なにがしは背が高い男だった。額が広くて眉毛が細い。おそらく三十代後半から四十代前半ぐらい。
「今、付き合ってる人はいません」
加須屋は笑顔と共にそう言うが、嘘だ。
クソ野郎認定してやろう。
私は差し出される手をさり気ない仕草で無視して、後続に向きなおる。
「賛各宏です。紫波産業営業部の若手エースです」
爽やかなバカっぽい笑顔を浮かべた男だった。たぶん二十代中盤。
少なくとも、この男は嘘をついてはいない。ただ、エースという評価がこいつの思いこみなのか、正統なものなのかは不明だ。見た感じ前者のような気がするが。
「道山一成です。よろしく」
毛の長いキザったらしい男だった。一瞬だったが、奴の視線がいやらしく私の体を眺め回すのに気付いた。男はこっそりと見ているつもりなのだろうが、女子はそういう視線には敏感なのだ。虫唾が走ったが微笑は崩さない。これも仕事のためだ。機会があったらボコってやろう。
「奥路道重といいます」
そう言うのはかなり体格のいい男だった。二十代後半ぐらいで、たぶん、あだ名は『ラガーマン』か『熊』なはず。……いや、わかんないけどね? 見た目的にはそんな感じなの。
最後の一人は五十代ぐらいのおじさんだった。年の割に身体も締まってるし、精悍な顔つきでロマンスグレーの髪も似合っている。
「野間、宇宙と書いてコスモです」
キラキラネームだ……。しかも一応キラキラなのだが、どこか古臭い。この年代でこの痛々しいキラキラ感は大変な苦労を強いられてきたのではないだろうか。……別にどうでもいい話だが。
「いや、美人ですな。お会いできてうれしく思いますよ」
ん?
あれ? 嘘だぞ。
お、おかしい……野間の言葉に嘘がある! い、一体どこに? 「美人ですな」って部分はないにして……いや、どこにあってもおかしい! 私は美人だし、お会いできればうれしくなるはずだ!
野間……もしかして、ブス専なのかしら?
「おい、千郷君、顔がアホみたいになってるぞ」
冬原さんが顔を寄せて囁いてくる。
「ハッ!」
驚きのあまり完璧なほほ笑みが崩れていた。私は慌てて表情を戻す。
「おや、あなたは?」
集まった男達はやっとの事で冬原さんに気づいたらしく、不思議そうな顔をして問いかける。おそらく急に現れたとでも思ったのだろう。仕方あるまい、私の隣に並んだ冬原さんに真っ先に注目する人間などいないのだ。
「僕は冬原といいます。初めまして。えーと……美世子さんの友人の冬原です。ええ、はい。もちろん友人ですとも」
誰が何を言う前から、言い訳くさい言葉であたふたと説明する冬原さん。なんで一人でテンパってるんだ?
不審な冬原さんに不審な顔になる男達。
「で、では、みなさま、夕食の時にまたいずれ」
不審げな五つの顔に見つめられて、大いにあせったらしい迷探偵は浮気情報を探る事も忘れ、敵前逃亡をはかる。
「あ、冬原さん! ちょっと! あ、皆様、後でお会いしましょう、楽しみにしております」
私は何がなんだかわからずにポカンとしている男達に頭を下げ、冬原さんの背中を追いかけた。
奴を一人にすると迷子になってしまうはずだ。後で探すのは面倒くさい。
「ふぃー……緊張した~」
廊下の暗がりで額を拭う冬原さん。私は彼に詰め寄った。
「なぁーにが『緊張した~』ですか! 何だって浮気調査に向かった探偵が何の情報も得ずに逃げ帰るんですか!」
「仕方ないじゃないか、見たか? あの人達の不審げな顔を。あのままだったら僕らが美世子の友人じゃないとばれたかもしれない」
「冬原さんが要らん動揺するからですよ。あと、いい加減に名前を覚えてください。でないと永久にあたふたすることになりますから」
「よし。それもそうだ。えーと美世子美世子美世子美世子美世子美世子美世子……」
「旦那の名前は?」
「美世子! じゃない! 厳克郎」
冬原さんはあっけなく自分の言葉につられたものの、なんとか正解に辿り着いた。
「やればできるじゃないですか」
「いや、それほどでも」
「褒めてません。皮肉です」
照れる冬原さんをバッサリ切り捨てる。皮肉だということを説明しなければならないとは……ギャグを説明するのことの次ぐらいに恥ずかしいじゃない。
「じゃ、次にいきましょう。はい、この屋敷にいる人、全ての名前、少なくとも名字は答えて下さい」
「冬原貫太郎。春山千郷。紫波美世子、厳克郎。粘着ジジ……じゃない、えっと、太刀男。あと……執事の黒柿さん?」
「そうですよ、自信もって言ってください」
「帽子長料理……」
「帽子長料理って誰だ! そんな奇抜な名前あるわけないでしょうが! いや、音は似てるんですけどね? 総白髪明里さんですよ!」
まあ、総白髪明里も十分に奇抜な名前だとは思うけれど。
「そうだった。料理を作ってくれる人の名前は覚えければ失礼になってしまう……えっと、あとは愛人橋花子」
「名前を創作しないでください。全然違います。豊吉良有乃ですよ。愛人橋花子って、どこもカブってないじゃないですか。完全に役割にひっぱられているじゃないですか」
それからも散々だった。この人の知能指数はミジンコ以下だ。
「カス」
「加須屋です」
カスはお前だ。
「四角」
「賛各です! なんですか、そのわざとらしい間違いは!」
そこまで近かったらちゃんと憶えてろ!
「奥道」
「混ざってます。奥路と道山です」
いや、『奥の細道』とか言わなかっただけマシか……。この人、本当に興味ないこと覚えねぇな!
「宇宙と書いて、コスモさん」
「…………。まあ、合ってるんですけどね。一応言っときますけど、野間ですよ、野間」
野間よりもコスモの方が印象的なので仕方がないとは思うが……。
「あの年代で『コスモ』なんて名前だったら相当な艱難辛苦をなめたに違いないね。僕だったらグレるな」
冬原さんはもっともらしく頷きながら言う。
「冬原さんは貫太郎じゃないですか。全然キラキラネームじゃありませんよ。どちらかというと地味な……」
「おいっ! 誰の名前が地味だ! 日本全国七千八百三十二万六千人の貫太郎さんに謝れ!」
「そんなに貫太郎さんがいるはずないでしょ!」
冬原さんに各人の名前を千回ぐらい復唱させたあと、私達は美世子に頼み、訪れた人々が休む部屋の情報を手に入れた。あの人達はよくここを訪れている(美世子に言わせれば、粘着ジジイに取り入るため)らしいので、休む部屋は基本的に毎回同じらしい。
基礎情報を手に入れた私と冬原さんは本格的な調査に乗り出すことにした。
無駄にゴージャスな赤い絨毯の上を歩く探偵は、各人の名前を覚えた事で先程のうろたえをすっかり忘れたらしく、晴れやかな顔をしている。浮気調査なんて嫌だってあれほど言ってたのに……それも忘れているのだろうか。
「じゃ、千郷君。さっきも言ったとおり、美世子の代理人として客人の様子を見る、そういう段取りでいこう」
「さっき友人だって言いましたけどね」
「ものすごく親しい友人なのさ。代理人を務める事が出来るぐらいにね。何、心配いらない。臨機応変に対応すればボロなんて出ないよ」
仕方ない。私もいい案が浮かばなかったし、これはこれで名案だと言えるだろう……言えるよね? 冬原さんがボロを出さなければなんとかなるはずだ。
ま、ちょっとぐらい怪しまれても大丈夫。私の美貌があれば大抵の事はごまかせる。
「まずは……」
「野間コスモだな。一番近い」
冬原さんのドヤ顔が腹立たしい。名前を覚えただけで何を調子こいてるんだ、この探偵は。
野間に用意された部屋は私達の部屋から二つおいて左隣である。足を運んで重厚な扉をノックしたのだが、あいにく返事はなかった。
「どこかに出かけてるんですかね?」
「上司である粘着ジジイの所に挨拶にでも行ったんじゃないのか。他を見てみよう。もしかしたらみんないないかも、だけど」
「かもしれませんね」
私はため息をつきながら階段を上った。他の人の部屋は三階にあるのだ。私達の部屋の真上に位置する加須屋から始まり、左にずれて賛各、道山、奥路と続く。
三階に到達し、目的の部屋に歩を進めると加須屋の部屋の扉が薄く開いており、中から話声が聞こえてきた。どうやら中にいるのは加須屋だけではないらしい。私と冬原さんは目配せし合い、扉を挟むように壁に張り付いて耳をすました。完璧に盗み聞きの態勢である。モラル的にはよくないが、仕事なので仕方ない。第一、仕事でもなければあんな野郎どもの話を盗み聞きしようとなんて思わない。
「……めんどくさいっすね」
この軽い感じの声はおそらく賛各だ。私は両手で三角を作って冬原さんに合図する。探偵は戸惑い顔で同じように手を三角の形にしてきた。……今、口を開いたのが賛各だって伝えたつもりだったのだが、冬原さんには伝わらなかったのだろうか。あの表情を見るといまいち理解できていないような気がする。つーか、何のジェスチャーだと思ってるの?
「確かにな」
この野太い声は奥路に違いない。声の主が奥路であるという事実をどうやって冬原さんに伝えようか、と思ったが、どうせ伝わらないので潔く諦める。
「何だって有休使ってまで、社長の誕生日なんて祝わなきゃいけないんすかね……」
「声が大きいぞ、賛各君。どこで誰が聞いているかわからない。ここで社長にいらん事を聞かれてみろ。会社からは永久追放間違いない」
「そう言ってもすっね、加須屋さん。あ、加須屋さんの魔法でこの城を粉々にしませんか?」
「僕に犯罪者になれっていうのか。勘弁してくれ」
「でも、できるならしてもいい?」
笑いを含んだ声が聞こえた。このいけすかない声はキザ男の道山だ。それに対して苦笑まじり加須屋が答える。
「……否定はしない」
わかってはいたが、粘着ジジイの人気はめちゃくちゃ低いらしい。人気がないというより、最早恨まれているのではないか。家を粉々にするとか、あんまりだ。
でも粉々にする時は私も呼んでほしい。金槌か何かを持って馳せ参じよう。
って、そんな馬鹿な妄想をしている場合じゃない。
「なんとか、こっそり社長を消す方法ってありませんかね」
「物騒だな、賛各。何かあったのか?」
「そうなんすよ。道山先輩には言ってませんでしたっけ? 昨日、社長のミスがなぜか俺のせいになってたんですよ。そんで、小一時間の説教っすよ」
「たまにある事じゃねーかよ」
「そうなんですけど、昨日の今日なんで、ムカッ腹が立って。しかし、紫波産業に入社したときは勝ち組になれたと思ったんすけどねぇ。社長は勝ち組かも知んないけど、ケチ組でもありますもんね」
「同じ文句ばかり言うな。お前、昨日もベロベロに酔っぱらってそんなことを繰り返してたんだぞ」
「え? マジっすか、奥路さん。すいません。昨日の事はよく憶えてなくて……」
「確かに昨日、奥路君は介抱で大変そうでした」
「うわー加須屋さん、止めてくださいよ。ホント、すいません」
賛各がバツの悪い思いで小さくなったのか、微かな笑いがさざ波のように広がった。
「こうなりゃ、汚名を返上するためにも、皆さんの分まで社長に嫌がらせでもしましょうか。なんとかバレないようにできないかなぁ。でも、俺の魔法は嫌がらせに向いてないしなぁ」
「賛各君の魔法か。確かにね」
「《時報》っすからね。時間なんかわかっても意味ないっすよ。俺の魔法マジしょぼい。そんなもん時計もってりゃ済む話ですよ。あーでも、奥路さんとか、嫌がらせ向きじゃないですか? 社長が椅子に座る瞬間とか狙ってくださいよ」
「お前が嫌がらせするんじゃなかったのか? というより、私の魔法は生命体には効果がない。何度も言ってるだろう」
「あ、そうでしたっけ?」
「大体、生来魔法で嫌がらせなんてするべきじゃない。自分が犯人だって言ってるようなものだ」
「ハァアー……世の中うまくいかないもんっすよね」
私と冬原さんは扉に耳をつけたまま、盗み聞きを続ける。彼らは聞かれたらまずい、と言いながらも小声で粘着ジジイの文句を言い続けている。
今のところ、ここでじっとしていても有益な情報が聞けるとは思えない。私は冬原さんに軍隊よろしく、手で合図を送った。正確に描写すると、手を上げて廊下の奥を指差した。
『一旦、距離を取りましょう。向こうへ行くんです』
それに対する冬原さんの反応は微妙だった。手を上げた後、バタバタと飛び立つように腕を振る。
何が言いたいのか、さっぱりわからない。
私はもう一度同じジェスチャーを返した。
対して、冬原さんは一通り変顔を披露してから、素早く手を動かした。
だから、何が言いたいんだ! あと、なんで変顔を見せたんだ! それで何が伝わるんだ⁉
大声でそう言いたかったが、流石に声は出せない。それに冬原さんの表情を見れば同じ事を思っているのがわかる。私達は互いに何を言いたいのか理解できないもどかしさから無言で睨み合う。
しばらく手を振り合ったのだが、結局ジェスチャーで意思の疎通は叶わず、私は冬原さんの腕を引っ張って加須屋の部屋から離れた。私達は部屋から離れ、階段のところで互いに向き合った。
「何が言いたいんですか!」
「君は何が言いたいんだ!」
同時に口を開く。
「『向こうへ行こう』ですよ!」
「『あっちへ行くぞ』だよ!」
同じような言葉を発する私達。
「…………」
「…………」
沈黙。私達は階段の上で睨み合ったまま、深いため息をついた。
「……不毛なやり取りだったな」
「まさしくですよ。何だってあんなに必死でジェスチャーで伝えようとしてたんですかね」
さっさと手を引いて行けばよかった。
「しかし、あの粘着ジジイは嫌われてるな。それはもう蛇蝎のごとく嫌われてるな。仕方ないとは思うけど、家を粉々にされるぐらい嫌われてるなんて、もう人としてヤバいよ。それにしても、あの加須屋某はこのでかい城を粉々にできる魔法を使うのかな? だとしたら、絶対に怒らせたくない相手だ」
「そうですね……なら爆破系ですかね? 私の知り合いにも一人、爆破系の生来魔法使いが
いますが、けっこう危ない奴ですよ。能力的にですけど。って、そんなことより浮気調査はどうするんですか。そっちが最優先ですよ」
「そうは言ってもなぁ……」
冬原さんはボサボサ頭をガシガシ掻きながら嘆息した。
「君、あの部屋にお邪魔する根性あるか? 美世子の友人だって偽った状態であの悪口言ってた部屋に笑顔で入れるか? いやさ、君は笑顔で入れるかもしれないが、向こうが気まず過ぎるだろう。まともな話なんて聞けないよ」
それは確かに……。
「こんなことなら美世子の友人なんて言うんじゃなかったな。美世子にこき使われてる哀れなパシリとでも言っておけば、同士として盛り上がれたかもしれない。しかし、現に僕らは紫波家派だと思われてるだろう?」
「そこがネックですね。彼らに味方だと思わせる事ができれば、紫波家の恥については口が軽そうでしたもんね」
と、そこでガチャリと扉の開く音が聞こえ、加須屋の部屋から人が出て来た。私達は見つからないように大慌てで階段を駆け降りる。
どうしてこんなに慌てたのかはよくわからないが、多分盗み聞きをしていたという負い目があったのだろう。
もう少しで二階、というところで私の前を行く探偵が奇声を上げた。
「うひゅ!」
冬原さんは慌てすぎたせいで階段を踏み外したらしい。彼の体がぐらりと傾き、あ、危ない!落ちる! と思った瞬間、冬原さんの動きがぴたりと止まった。
足を踏み外した状態のまま、空中で静止している。
「おお!? これは?」
間違いなく魔法。誰だ?
「無事ですか?」
声が聞こえたのでそちらを見ると、一階の方から野間コスモが上がって来るところだった。
「おっと、そんな場合ではない。私の魔法は三十秒しか効果がないので――《物体の三十秒停止》が私の生来魔法です」
そう言った野間は意外と軽やかに階段を駆け上がって来ると、冬原さんを足を掴み、階段に乗せ直した。
「すばやく体勢を変えてあげないと、この人は三十秒後に階段から落ちてしまいますからね」
「あ、ありがとうございます」
私は遅ればせながら野間を手伝って、冬原さんを直立不動の状態にポーズを変えた。これで落ちる心配はないだろう。しかし、ポーズはきっちりしているものの、冬原さんの顔は落ちそうになった瞬間のものなので、ひどく情けない表情になっていた。私がその表情を写真に収めた瞬間、野間の魔法が解けた。
「…………お、動ける」
あれ? もっと驚くかと思ってたのに、冬原さんのリアクションは薄かった。
「おい、こら、千郷君」
「な、なんですか」
冬原さんは驚くこともなく、なぜかジットリした視線を私に向けてくる。
「君、僕の体勢をなおしながら、身をつねってただろ。痛いぞ」
うっ! なぜバレた!?
「……もしかして意識ありました?」
「ああ。視線も動かせなかったけど、目は見えたし、音も聞こえた。もちろん体の感覚もあった」
「チェッ! せっかくひっそり鬱憤を晴らせると思ったのに」
「陰険だな、君は! って、それよりも、ありがとうございました、コス――野間さん。おかげで階段から落ちずにすみました」
「いえ、お役に立てて何よりです」
ロマンスグレーの紳士はそう言って、自分の部屋に帰って行った。その背を見送りながら冬原さんが嫌みったらしく呟いた。
「どこぞの助手と違っていい人なのかもしれないな」
まったく……陰険なのはどっちよ。
私達は一旦、与えられた部屋に戻ることにした。加須屋達から浮気の情報を得ることが、というより、話すら聞けなかったので、時間をおいてチャレンジすることにしたのだ。正直、冬原さんではないがもう帰りたい。でもダメだ、ここが堪えどころなのだ。
私は仕事になんて負けない!
「……はあ」
冬原さんはソファに寝そべりながら重いため息をついた。相変わらず、だらけきっている。さっきまでは元気だったのに、どうやら自分が浮気調査なんてしたくない、という事を思い出したようだ。
「厄病神みたいな声出さないでください」
「君は厄病神の声を聞いたことがあるのか?」
「……イライラしてるからって、八つ当たりしないでくださいよ。言葉のあやです」
「なあ、千郷君。こうは思わないか」
ソファに顔をうずめた探偵がモゴモゴと呟く。
「こうって、どうですか?」
「厳克郎は浮気なんてしていないんじゃないだろうか。何もかも、あの性格の悪そうな美世子が勘違いしているだけなんじゃないだろうか。そうだとも、厳克郎は浮気なんてする奴じゃない」
「いや、あなた、厳克郎の何を知ってるんですか」
「あいつはいい奴だ! 僕の勘がそう言ってる」
「……まあ、その辺はどうでもいいです。しかしですね、仮に冬原さんイチオシの厳克郎が浮気してないにしても、その証拠が必要ですよ。ぶっちゃけて言えば、浮気してる証拠を掴むより、浮気していない証拠を掴む方が難しいと思いますけど」
「厳克郎は浮気魔だ! 間違いなく浮気をしている! 僕の探偵としての勘がそう言っている!」
あっさりと前言を翻す探偵。ずいぶんとまあ、コロコロと変わる勘を持っているようで。
「こうなったらもう他人を介しての調査なんて、まどろっこしい真似はやめだ。厳克郎に張り付こう。そうだ、それがいい」
「まあ、そうですけど」
浮き沈みの激しい探偵についていけない。
私が深いため息をついた時、いきなりでっかい悲鳴があたりに響きわたった。
「きゃああああああああああああああああああああああああああ!」
「な、なに?」
私はおろおろとあたりを見回していたが、冬原さんの反応は素早かった。だらだらと寝転がっていたソファから飛び起きると、部屋の扉に突進する。私も状況はよく理解できていなかったが、とにかくすぐに後を追った。
「悲鳴はどっちから聞こえた?」
「わかりません。でも、シンデレ……階段の方では?」
「よし、シンデレラ階段だな! とにかく行ってみよう」
冬原さんは廊下を駆けだす。
階段にたどりつき、やっと冬原さんが立ち止まる。冬原さんのそばに例の愛人、豊吉良有乃がへたりこんでいる。冬原さんは階段の上で立ち尽くしたまま、下を見おろしている。
「ど、どうしたんですか?」
私が声をかけると、冬原さんは呪縛が解けたようにまた駆けだした。大股で走り、階段をひとつ飛ばしで駆け降りる。
「ちょっと、冬原さん! 待ってください!」
私もその後を追いかける。階段を降り切ると、冬原さんの体の先に何かが見えた。
……あれは、人?
その物体のそばには青い顔の黒柿さんが立ちすくんでいた。
「わ、私も悲鳴につられて、今来たばかりで……」
「ちょ、ちょっと、冬原さん! これ、これって!」
私はあせるあまり、まともに口がきけない。
私の視線の先で、粘着ジジイが倒れていた。血だまりの中に倒れていた。頭が割れているらしい。どう見ても……
「だ、旦那様……」
「死んでる……」
粘着ジジイこと、紫波太刀男が玄関ホールで亡くなっていた。
「なんてこった! そんな馬鹿な!」
冬原さんは驚愕に顔をゆがめながら立ちすくむ。
「早い! 事件が起こるのが早すぎる! まだ晩餐も始まってないのに! こういう事件は探偵がご飯を食べてから起こるもんだと、相場が決まって……」
「んなこと言ってる場合ですか! 何に驚いてるんです! み、みんなに知らせないと」
「そ、そうですね! 春山様、ここはお願いします。私は皆様に!」
棒のように突っ立っていた黒柿さんは私の言葉で我に返り、あたふたと走って行く。後から思えば、城のみんなに知らせて回るよりも、さっさと警察に連絡するべきだったが、誰もそんな事は思いつかなかった。人は慌てると常識が吹っ飛んでしまうものらしい。
「食事が出来なかったのは悲しいが……実に興味深い」
冬原さんの眼が妖しく輝き出した。血の臭いが漂ってるにも関わらず、嬉々として粘着ジジイに顔を近づける。
「ちょっと冬原さん! 何やってるんですか! そんな事しちゃいけません!」
「君は僕の母親か! ええい、放せ!」
私は現場保存のために、死体に近づいた冬原さんを引っ張った。ジタバタと暴れる冬原さんを強引に押さえつけ、関節をキメる。
「ギャー! 痛い痛い! 何をするんだ、君は!」
「あ、すいません! ついうっかり……」
死体を見た動揺で、無意識的に攻撃を加えていた。
「冬原様っ!」
顔色を失った黒柿さんがドタバタと階段を駆け降りてくる。黒柿さんはよほど動揺しているのか、粘着ジジイの死体のそばでプロレスに興じている私達に何の反応も見せず、戦慄く声で言った。
「死体がもう一つ……野間様も死んでおられます」
それだけ告げて、黒柿さんは膝から崩れ落ちる。
「何ですって! これは……まさか」
驚きのあまり力の抜けた私の拘束を解いて、自称名探偵は立ち上がった。
「れ、連続殺人……」