1.探偵と助手っぽい人
事の発端はこんなところから始まる。
就職戦争に敗れた私は働き口がなく、毎日ぶらぶらしていた。
私を働かせないなんて、世界はホント、資源を無駄にしている思う。
それはさておき、私はある日、家の近所の喫茶店で大学時代の先輩とお茶をしていた。
落ち着いた雰囲気の店内に春の日差しがやわらかく降り注ぐ、穏やかな午後の一コマ。時間が時間なので、店内に人はまばらで、渋い雰囲気を醸し出す寡黙なマスターがカウンターの裏で働く音が聞こえてくる。
四人掛けのテーブルで私の対面に座っている先輩は、私の魔法について知っても、欠片も気にしなかったレアな人だ。おかげで私はこの人と友人付き合いをしているというわけだ。
先輩の前にはアイスコーヒー。私の前にはアップルティーとレアチーズケーキ。先輩はアイスコーヒーには手をつけず、テーブルに紙を広げてせっせとペンを動かしている。
「何やってるんですか、先輩」
「仕事だよ」
紹介が少し遅れたが、この人は百日紅三郷(♂)。
女の子みたいな名前だが、れっきとした男である。わずかにカールした茶髪に甘いマスク。少々、小柄だが間違いなくイケメンの部類に入る。しかし、見かけに騙されてはいけない。この人は変人かつ変態なのだ。
ちなみに彼の仕事はイラストレーター。大学在中にデビューしたつわものである。
デビュー作は耽美的なBL風味の作品で、そっち系の作品が好きなマニアに大いに受けたらしい。そこからぼちぼちと濃いBL本の表紙などを手掛けたり、凄惨な場面を描いたグロテスクな絵を生みだしたり、見てると気分が悪くなりそうな抽象画を描いたり、お子様には見せられないようなエロ画(男女を問わない)を描きあげたりして、そのへんの世界ではけっこうな人気を博しているという。
そんな百日紅先輩だが、驚くことに最新作は低学年向けの児童書で(BLでも、エログロでもない。そんな児童書があってたまるか)私はそれを聞いたとき「ああ、先輩に児童書の表紙なんて頼む馬鹿がいるとは……」と嘆いたものだったが、そこは先輩、きっちりと児童向けに表紙を仕上げやがったのだった。完成品を書店で見かけたが、それそれは柔らかなタッチで、ふんわりとした可愛い絵だった。とても同じ野郎が描いた絵だとは思えなかった。
……この本で先輩のファンになった人が今までの作品を見たら卒倒するかも、なんて余計な心配をしたものだ。
「ちょっと締め切りが近くてね。小説誌の連載用なんだけど……とりあえず下書きを、と思ってね」
「仕事ねぇ……それは無職の私に対する当てつけですか。そうなんですか? そうなんですね? そうですね!」
ビシッと指を突き付けてやったのだが、先輩はどこ吹く風だ。
「それは被害妄想というものだよ、千郷ちゃん」
ふん。わかってますよ、それぐらい。
「で、何描いてるんですか? どんな絵なんです?」
ヒョイと先輩の手から用紙を奪い取り、それを覗きこむと、簡単な線だけで描かれた少女(美少女)が空から落ちて来ているシーンが見えた。
「児童書の次はあれですか、萌え系の絵に挑戦するんですか?」
「そう? そこまで萌える絵ではないと思うよ? でもまぁ、そうなるのかな。ライトノベルが主流の小説誌だからね」
先輩は私の手から下書きを取り戻しならが言う。
「ヒロインが空から降って来る描写があったからねぇ……いの一番にそれを描こうと思ったよ」
「え? 好きなんですか? 空から降ってくる女の子が?」
だとしたら、あれかしら? 天空の城のファンなのかしら?
「好きか嫌いかだったら、好きだね。ヒロインの登場としては王道だし」
「王道?」
「そうだよ、千郷ちゃん。ヒロインはね、大抵の場合、上から降ってくるものなんだよ。まぁ、ヒロインの中には降ってくるというより、降りてくるタイプもいるけど、上から来ることに変わりはない。ヒロインとは、主人公よりも上にいるものなんだよ。基本的に野郎の主人公より、ヒロインの方が立場が上なのさ」
「はぁ……」
「対してヒーロー、イケメンは道に落ちている事が多いね。降ってくるヒロインに比べれば数は少ないかもだけど、これも王道だよ。王子様は降ってこない。地に足ついている。っていうか、地面に倒れてる」
「へぇー」
「つまりこういうことなんだな。主役級の男女二人が出会うとき、主人公が男性である場合は、否応なく事件に巻き込まれてしまうんだよ。男の選択権なんてないんだ。落ちてくるヒロインを見つけた時点から、すでに後の祭りなんだよ。対して、主役が女性である場合、落ちているヒーローを見つけたとしても、それを拾うか捨ておくかは女性の自由だ」
「男が落ちて来るヒロインを見捨てる、という選択肢はないんですか?」
「ないね。そんなことする奴は主人公じゃないよ」
即答する百日紅先輩。
ま、確かにそうだ。空から降ってきた少女が炭鉱に落ちて行くのをただ眺めて「ゴミのようだ」なんて言う少年……ありえない。そんなの主人公じゃない。大佐だ。
「女は男を放って置いていいんですか?」
「いいよ。それは許されるんだよ。ただ、大抵の人は拾うだろうけどね。落ちてる男は主人公好みのイケメンと相場が決まってるからね」
「そんなもんですかねぇ……」
「男性は出会いを待つしかない、出会いも選べない、チャンスは一回だ。女性も出会いを待つしかないが、そのチャンスを選ぶかどうかは自分で決められる。それが物語の始まりだよ。ついでに言えば、女の子が連れてくるのは非日常的なトラブルと、ヒロインをつけ回す敵だね。それに大抵、世界の命運がかかってくるものなんだ。男がつれてくるものはそんなに大層なものじゃない。奇妙な因縁と過去の恋ぐらいだね。主役が男なら、ヒロインと共に世界を相手に大立ち回り、主役が女なら小さいけれど、濃密な世界でヒーローと共にじっくりとした時を過ごすのさ。ま、長々と語ったけれど、これは数あるバリエーションの一つだよ。物語は星の数より多いからね」
「成程……奥が深いんだか浅いんだか、よくわかりませんね。ところで、百日紅先輩、何でこんな話になったんでしょう?」
私の問いかけに、ポカンとした顔でこっちを向いた百日紅先輩はフッと笑いながら言った。
「……忘れちゃったよ」
「それで、千郷ちゃん。今なにしてるの?」
百日紅先輩は仕事道具を片づけながら、そんなことを言った。
「何もしてませんよ。知ってるでしょ、百日紅先輩。なんでそんなに意地の悪い質問するんですか。嫌がらせですか」
「いや、ぼくの知り合いに、仕事を手伝ってくれる人間を探してる人がいるんだけど、もし、千郷ちゃんがヒマだったら、どうかな、と思ってね」
百日紅先輩はストローで、アイスコーヒーをかき混ぜる。それはもう執拗に。
念のために言っておくと、先輩のアイスコーヒーは砂糖も、ミルクも入っていない。そんなコーヒーをぐるぐるぐるぐるかき混ぜる必要なんてあるのだろうか? 味が水っぽくなるだけではないのだろうか? 余談だが、この人はいつの季節でもアイスの飲み物を好む。今は春だからいいものの、冬場にこの人とお茶するのは正直なところ、少々キツイ。なにしろ、真冬の野外でも、アイスの飲み物じゃないと受け付けないのだ。見てるこっちが冷えてくる。
それはともかく、私は百日紅先輩の提案を吟味する。現在の私の状況をみれば、とても助かる提案ではある。だが、百日紅先輩の知り合い、というのが引っかかる。
類は友を呼ぶ可能性が大きい。
「百日紅先輩、その人ってどんな人ですか? あと、仕事の内容は?」
「仕事は事務だって言ってたよ」
嘘じゃない。私の生来魔法が発動する。何にしても、嘘じゃないのはいいことだ。
「で? どんな人なんです?」
私としては、そこが一番気になるところなのだが……どうだろう?
百日紅先輩は手で髪をすく。そのしぐさが異常なほど、さまになっている。
……むかつく人だ。そして先輩はさらり、と言ってのける。
「一言でいうなら、変人だね。付け加えると、子どもみたいな変人だね」
嘘じゃない……。
「元を辿れば、その人はぼくの先輩の友人の兄の奥さんのいとこの知り合いなんだけど」
「……それって、ホントに百日紅先輩の知り合いなんですか?」
まぁ、さっき言ったとき嘘じゃなかったので、本当に知り合いだとは思うけれど。
「もちろんだよ。何度か会ったことがある。それに、ぼくが千郷ちゃん相手に嘘なんかつくわけないだろう?」
百日紅先輩は心外だというように、肩をすくめ、紙ナプキンで折り紙をはじめた。何してんだ、この人。
「それで、どうする? 千郷ちゃん。その人、まぁ、変人だけど悪い人じゃないよ」
ふーむ。考えどころだ。どうしよう……。
ただ、私は今、贅沢を言える立場ではないのだ。苦渋の決断ではあるが、仕方がない。
腹をくくれ! 春山千郷! 安心しろ。私は完璧に有能なのだ! 変人の一人や二人、片手であしらえるはずだ!
私は萎えそうになる自分の心を叱咤激励し、先輩の話を受ける覚悟を決めた。
「わかりました。そのお話受けます。百日紅先輩、その人を紹介してくれますか?」
「あ、そう? やってくれるんだ。あの人も喜ぶと思うよ」
百日紅先輩はにっこりと笑う。ああ、笑顔がまぶしい! この人をよく知らなければ、たぶん、一発でほれてしまうだろう。って、バカやってる場合じゃない。先輩の知り合いだというのに気を取られ、肝心なことを聞くのを忘れていた。
「そう言えば、その人、何をやってるんですか?」
私はざっくりとチーズケーキを切り分け、大きな破片を口に運ぶ。
先輩は紙ナプキンで見事なクワガタ虫を折りあげると、そのクワガタを私にプレゼントしてくれた。
「探偵だよ。その人は探偵をしているんだ」
探偵……。
私はクワガタで口元を拭いた。百日紅先輩は悲しそうな目で、汚れたクワガタを見つめている。私はクワガタをテーブルに放り出しながら考える。
探偵か……。私は探偵なんて職業についてる人に、実際に会ったことはない。もっとも、これは私に限ったことではないだろう。普通に生活していれば、探偵に頼る機会など、そうそうないはずだ。もちろん、フィクションの探偵は知っている。ホームズとか、明智とかだ。ま、百日紅先輩の知り合いのその人が、物語の名探偵達に匹敵するような人物であるはずがないけれど。
もう話を受けると言ってしまったので、相手の職業が探偵だろうが、なんだろうがあまり関係はない。
百日紅先輩の持ってきた話だ。流石にそこまで危険な仕事にはならないだろう。こういうことに関して、先輩は信用できる。先輩が私にわざわざ危険な話を持って来るはずがない。
私は少々、強引に自分を納得させた。今から思えば甘すぎる。もし、私の生来魔法が時間を行き来する魔法だったら、確実に過去に戻って、自分をぶん殴ってでも止めているところだ。
だが、その時の私は何も気がつかない。
そこからはたわいない話で、先輩と盛りあがった。百日紅先輩は恋人にするのは、考えただけで鳥肌ものだが、友人としてなら全く問題ない。それどころか、こんなに面白い人は、なかなかいないだろう。
帰り際、先輩に一つだけ、ほんのお遊びのつもりで、ある質問をした。
「そういえば、その探偵さんと先輩を比べると、どっちのほうが変人ですか?」
普通ならこんなことを訊かれると、人は怒りだすものだが百日紅先輩は違う。楽しそうにあはは、と笑って爽やかに言った。
「ぼくと比べる? ぼくじゃ勝負にならないんじゃないかな。明らかにあの人の方が変わってるよ」
……嘘じゃない。嘘じゃないよ……。
話を受けたことを早くも後悔しそうだ……。
あくる日、私は百日紅先輩から送られてきた地図を頼りに入りくんだ道を歩いていた。先輩から郵送で送られてきた地図は手書きの地図だった。
……なんで手書き?
しかもやたらと読みにくい。書き方が下手なのではなく、美麗すぎるのだ。裏路地という裏路地が描写され、挙句の果てには自動販売機や標識なんかもこと細かく描きこまれている。一種の芸術作品と言ってもいい素晴らしい仕上がりだった。さすがは、あれだけ器用にクワガタを折っていた人間だ。仮にもプロのイラスト描きだけはある。なんて素晴らしい地図なんだろう。
って、アホかぁ!
案内用の地図に芸術性など不要、はっきり言って邪魔でしかない。こんなところにプロの技を使ってどうする!
せめて、住所ぐらい書いてくれてたらいいのに、と思う。そうすればスマホの地図アプリか何かを使えるのに……。
仕方がない……魔法を使おう。
私はペンをとり出すと、先輩が送ってきた地図の裏にある魔法陣を描き、その魔法陣の周りにまた別の呪文をふたつ書きこむ。
これで大丈夫だと思うのだが。
私の描いた魔法陣は物に宿る人の記憶を呼びだすもの。そして呪文は案内の呪文と浮遊の呪文。
うまくいけば魔法陣は百日紅先輩がこの地図を書いていたときの記憶を呼び出し、浮遊の呪文が紙を浮かせ、案内の呪文がその記憶に従がって、私を目的地に案内してくれるはずだ。
……百日紅先輩がこの地図を書いているときに余計な事を考えず、私を目的地に案内しようと、それだけを考えていてくれれば!
はたして、魔法はちゃんと私が考えていた通りに効果を発揮した。手書きの地図は散々な出来栄えだったけど、百日紅先輩はちゃんと案内しようとしてくれてたんだ!
ありがとう、先輩! 大好き!
私はふわふわと浮かびながら、案内してくれる地図のあとをのんびりと追いかける。
一応、説明しておくと、これは学習魔法と呼ばれる魔法だ。
読んで字のごとく、学び習うことによって習得する魔法である。
この学習魔法は扱いが難しい上に、発動には手間がかかる。発動時には必ず呪文か魔法陣が必要になるし、それを書くのがまた、とんでもなく面倒くさいのだ。
というか、まず魔法学を学ぶ、というところから大変で、才能のあるなしによって使える魔法に大きな差が生じる。
もちろん、私は才能豊かだったので学習魔法については小、中、高、大学といつの時代もトップクラスの成績を修めていた。
巷に流れる噂では学習魔法を全く使えない、という者もいるらしい。まあ、流石に、そんな奴は見たことないけど。
これに対して、私の嘘を見破る、といった魔法のことを――何度も言ってはいるが、もう一度――生来魔法という。
これは人が生まれたときから持っている魔法で、個人個人で様々な種類がある。発動も簡単で――私なんか常時発動のフルオートだ――強力なものも多い。
そして、この魔法については使えない者はいないようだ。
総じて、魔法の力量差は――もちろん、時と場合や種類にもよるが――学習魔法よりも生来魔法の方が強いのが普通である。
以上、閑話休題。
私は道先案内紙(地図)のあとを、小走りで追いかける。
なぜか途中で魔法の調子が悪くなり、浮いている紙のスピードが速くなったのだ。
ほらね。この私ですら学習魔法を失敗することがある。
いかにスキルの扱いが難しいかをわかってもらえただろうか?
紙のスピードはどんどん上がる。私はもはや小走りではなく、必死で走っていた。一応就職的なものだと思って、ちゃんとした格好をしてきたのがあだになった。
ヒールは走りにくい! まだパンツスーツだったのが幸いだ。スカートだったらこうはいかない。
くっ! ……こんなことなら、速さを制御する呪文も書いておくんだった!
私は歯を喰いしばって、ロケットのごとく飛んでいく紙のあとを追いかけた。
なんで、私がこんな目に……。
これも全て、地図を芸術的に書いたあいつのせいだ。
百日紅め!
私は息を切らしながら、両手を膝について激しくあえぐ。
「はーっはーっはーっ……うっ、げほっ!」
さ、百日紅先輩には、このおとしまえをつけてもらわなければ……。
だが、必死で走ったおかげで、なんとか紙に離されることなく、目的地にたどり着くことができた。道行く人々には奇異の目で見られたが、そんなことかまうものか。人は時として他人の視線を気にせず行動しなければならないのだ。
……私は恥ずかしくなんてないっ!
私はハンカチで額の汗を拭いつつ、顔を上げた。
目の前に目的地であるビルが建っている。
『風明ビル』と書かれている。
そのビルの第一印象。
汚っ!
その次に思ったこと。
ボロっ!
おそらく、『風明ビル』の『風』は隙間風のことで、『明』の文字は『迷』とか『冥』の書き間違いなんだろう。
ここ、大丈夫なのかしら……?
私は不安な思いを通り越し、不吉な思いを抱きながら、ビルの中に入る。薄暗いエントランスホール(というと本物のエントラスホールに殺されそうな気がする)で、エレベーターに乗ろうとした。
エレベーターは二階に停まっているという表示だったので、やっほう待たずにすむ! と思ってボタンを押したが、いつまで経ってもエレベーターはやって来ない。このビルの一階と二階がとんでもなく広い、とかいう特殊な構造でもない限り、このビルのエレベーターは壊れているのだろう。
あーはいはい。この疲れた私に階段を昇れというんだな。ちくしょう!
私は階段を踏みつけるようにして、かんかん音を鳴らしながら昇って行く。目的地は六階。全力で走ったあとの足にはこたえる。
目的地にたどり着くころには、とんでもなく不機嫌になっていた。荒みかけた心を落ち着かせるために息を整えたあと、廊下を見まわし目的のドアを見つけ近づいていく。目的のドアといっても、一つしかないのだけれど。
目の前のドアにはこう書かれている。
『冬原探偵事務所』
なんかもう、このドアの窓ガラスをブチ破りたい気分だ……。
はっ! いかん! 私としたことが、自暴自棄になってしまうところだった。危ない危ない。
私は大きく深呼吸をして、再度気持ちを落ち着かせる。顔にとっておきのステキな笑顔を張りつけ、ドアを押し開けて元気よく声をあげた。
「すいません!」
「は~い。ちょっとお待ちを~」
なんだか気の抜けた声が聞こえた。っていうか、この部屋汚い! 紙が散乱してるし、空気がこもってる!
奥の部屋からバタバタと音が聞こえ、扉がバタンと勢いよく開き、中から何か転がり出てきた。
「うぎゃあ!」
物体Ⅹはゴロゴロと私の前まで転がって来て、そこで大の字になって止まった。
なに、これ……。
物体Ⅹを見下ろす私の脳裏に、百日紅先輩と交わした先日の会話がよみがえる。
『ヒーローは地面に転がっているものなんだよ、千郷ちゃん』
頭の中に出現したミニ百日紅先輩が、にっこりと笑いながらそう言い放つ。
やめろ、どっかに行け!
百日紅先輩を脳内から追い出して、足元で目を回している男を見る。
…………。
私のヒーローはこいつなのだろうか?
全然、全く、これっぽっちも、私好みのイケメンではないのだが。
私はこれを拾わなければならないのだろうか?
私には『ヒーローを捨てる』という選択肢はないのだろうか。
「いや~お見苦しいところをお見せしましたね~」
転がっていた男はすぐに復活し、へらへら笑いながら頭をかいた。
無精ひげの目立つ、ひょろ長い、ぼさぼさ頭の男だ。よれよれのスーツにくたびれた茶色い革靴。おそらく、二十代後半から三十代前半の間だろう。
これが百日紅先輩の言っていた探偵だと思われる。
この人……ダメ人間のにおいがする。それもかなり。
ダメ探偵(まだ決まったわけではない)が、ほほ笑みらしきものを浮かべながら口をひらいた。
「はいはい、何のご用でしょう。我が、冬原探偵事務所は信頼の実績と安心の……安心の……保証? いや、安心のサービス? あ~……安心の……えーと……ま、そこはどうでもいいでしょう。それで、何のご依頼ですか? 殺人事件ですか? 殺人事件の解決の依頼ですか? それとも……殺人事件の依頼ですか?」
「違います。まず、私は依頼者ではありません」
私は無理やり探偵の口上をさえぎった。っていうか、どんだけ殺人事件を望んでるんだ?
私の言葉に探偵(ほぼ、ダメ探偵ということが確定した)はキョトンとした顔になる。
「はい?」
「百日紅三郷さんから、聞いてませんか? 仕事の手伝いをしに来た、春山千郷です」
「…………」
探偵は沈黙する。
あれ? 聞いてないの? まさか、百日紅先輩連絡してないの?
探偵はしばらく、どこかここではない世界を見つめていたが、急に我に返ったようで、いきなり声をあげた。
「ああ! はいはい! 百日紅君のね! ええ、お待ちしておりましたよ! よろしくお願いします。千郷さん。まさか、百日紅君の言ってた人がこんなに美しい人だとは思いもしませんでした! 僕は冬原……えーと、名刺が……」
探偵は背広の内ポケットに手を突っ込んで、ごそごそ探っていたが、結局何も取りださなかった。きっと、名刺が切れていたのだろう。
曖昧なほほ笑みを浮かべた探偵は、取り繕うように丁寧なおじぎをして、自己紹介を締めくくる。
「僕は冬原貫太郎です。よろしく」
冬原探偵は手を差し出してくる。
私はさりげなく、その手を無視し仕事の話に移った。
「それで、冬原さん。私はどんな仕事を?」
冬原さんは手をプラプラさせながら、悲しそうに言う。
「……事務だね。書類とか片付けてくれると助かる」
冬原さんはいきなり言葉使いをくずした。少し気になるのだが、事務って片付けのことじゃないよね? それって雑用っていうんじゃないの?
だが、まぁ、いいだろう。この人は仮にも、私の雇い主になる人物だ。初っ端からたてつくことはない、言うことを聞いてやろう。仕方がない、私は心が広いのだ。完璧な美人というのもつらいものだ。
「……わかりました」
私はさっそく片づけに入った。
一時間後、私は部屋をあらかた片付け終え、おそらく、書類に埋もれていたので、久しぶりに日の目を見たであろうソファに身を沈め、テーブルの上に重要と思われる書類を積み上げ、この事務所の帳簿らしき物をながめていた。
……不安になった。
お金の出入がおかしい気がする。特に入りが。
「……冬原さん、あの……つかぬ事を伺いますが、ここの経営大丈夫なんですか?」
「もちろん、大丈夫さ」
安心させるような笑みを浮かべて頷く冬原探偵。
しかし……その言葉は、
嘘だ。
残念だったな! 私に嘘は通じないのさ!
「大丈夫じゃないんですね」
「な、何を言う! 君は僕の言うことが……信用できないにょか!」
噛んでますよ。冬原さん。
「言っておきますけど、私に嘘は通じませんよ。私の生来魔法は嘘を見破るものですからね」
「むむむ……。それって、ホントか?」
冬原さんは腕を組んで唸る。
「ええ」
「試しても?」
「かまいませんよ」
「じゃ、一つ目。僕はもてる」
「嘘」
「……正解だね。二つ目、僕は友人が多い」
「嘘」
「僕は貧乏だ」
「ほんと」
「僕はよく変人だって言われる」
「ほんと」
「僕は仕事で失敗したことがない」
「嘘」
「僕は格好いいとよく言われるし、料理が得意」
「嘘」
……ほとんどの質問に私の魔法はいらなかったような気もする。なんとなく見たらわかる質問が多かったし……。
なんでこの人自分で自分の傷をえぐってるの? 聞いてるこっちが涙ぐみそうなんだけど。
「……もう、やめようか。なんか、言ってて悲しくなってきた……」
「ほんと」
私の最後のとどめに、冬原さんはぐったりと机に突っ伏した。そして、そのままもごもご喋る。
「へぇー……嘘を見破る、ね。便利そ」
「便利そうだ、とか言ったら、ぼこぼこにしますよ」
私は禁句を言いそうになった冬原さんをにらみつける。
「ん? ……ああ、そういうことか」
冬原さんは顔をあげて、つぶやく。
「どういうことです? 私が何を言いたいのか、わかったんですか?」
「多分ね。あれだろ? 君の魔法は言葉のどこに嘘があるかわからないんだろ? 実を言うとね、最後の質問で虚実を混ぜたんだ。確かに、僕は格好いいなんて生まれてこのかた、一度たりとも言われたことないけれど、料理の腕は確かなんだぜ」
冬原さんの言葉に嘘は混じっていない……。もしかすると、この人は見かけより頭の回転が速いのかもしれない。
……なんだか、認めるのはしゃくだけど。
「つまり、君の魔法はイエスノーの言葉には強いけど、言葉が多くなればなるほど、精度に問題がでるってわけだ」
「そうです。その通りです。ま、この魔法の重大な問題はそこじゃないんですけどね。一番の問題は嘘だとわかっても、真実がなにかわからないことです」
「あ~……なるほど。それは大変だな。……でも、それでも、僕は君がうらやましいよ。僕の魔法の方がどう考えたって役にたたないから」
冬原さんは深いため息をついた。
「冬原さんの生来魔法ですか? どんなのですか?」
このダメ人間の生来魔法がどんなものか、少しだけ気になる
「これ」
冬原さんは気だるげに言い放つ。机に置かれていた彼のコップがふわりと、宙に浮かんだ。
「浮遊の魔法ですか? 役立たずには思えませんけど」
《浮遊》ならすごくうらやましいが……。
「役に立たないよ、こんなの。浮遊の魔法には違いないけど、僕が浮かせられるのは、コップだけなんだから」
「…………」
それは……役立たず、でしょうね。せいぜい、大勢でレストランに行った時に飲み物を運ぶとかぐらいしか活用できないわよね……。
「正確に言えば、コップ類だけどね。グラスとか、ジョッキとか、湯呑とか。ただ、種類が増えたからってそれが何? って話だし、しかも、これらを浮かせることができるのは、中に飲み物が入っている時だけ……」
冬原さんは遠い目をして、窓の外を見つめる。
なんて可哀想な人……。でも、
「まぁ、それは置いといてですね、冬原さん。話を戻しますけど、ここの経営まずいですよね」
「ちっ! 忘れてなかったのか。いまいましい奴め」
窓から私に目を移して、冬原さんは毒づく。やっぱり話を逸らそうとしてやがったな!
「なんとかなるさ、仕事が入ればね」
「じゃ、仕事を探してください。今すぐにでも」
私はきっぱりと言った。
「いやだ! 必死で仕事を探すなんて、名探偵にあるまじき行為だ!」
冬原さんは机をばんばん叩いて、抗議する。
あんたは子供か! 第一、あんた名探偵じゃないだろ!
私はそう言いたいのをぐっと堪え、理性的に言う。
「浮気調査でも尾行でも素行調査でもいいんで、とにかく仕事してくださいよ」
「浮気調査? ハッ! そんなもの、何の魅力もないじゃないか。僕は心躍る不可思議な謎こそを求めているんだよ」
「そんな謎に出会ったこと、あるんですか?」
「当然だよ」
嘘だ。
「私に嘘は通じないって言ってるじゃないですか」
「嘘じゃにゃい!」
「動揺して噛んでるじゃないですか!」
「ええーい! うるさい! とにかく僕は浮気調査なんてしないんだ!」
私はみっともなく駄々をこねる冬原さんを完璧に無視し、テーブルの上の上の書類を手にとった。紙束をぱらぱらとめくっていく。
私はため息をつくとペンを取りだした。色々と記入しなければならない書類が出てきたからだ。
このペンにはある魔法がかかっている。学習魔法のもっとも初歩的なもので、自動筆記であ
る。この何の変哲もないペンは魔法によって、人の言葉通りに文字を書くことができる。そして、今は私の言葉に反応するようになっている。
つまり、私は今、しゃべるだけで文字が書けるのだ。
ただ、これも使う時は注意が必要だ。
簡単に説明すると、えーとか、あーとか、言ってはいけないということだ。そんなことを言えば、それさえも書かれてしまうことになる。この魔法を使うときは、簡潔に書きたいことだけを述べなければならない。
私は早口で書類の空白を埋めていった。
「ふー……」
私は言い終えると、背伸びをする。書類の空欄はすべて埋まった。
「君は学習魔法も使えるんだな……」
冬原さんはなぜか、うらやましそうに言う。どうしたんだろう? そんなにうらやましがることではないはずだが……。
……ま、まさか!
「まさかとは思いますが……冬原さん、学習魔法ひとつも使えないんですか?」
「そんなバカな、僕だって使えるよ」
即答する冬原さん。だが、嘘だ。
まさか、学習魔法を全く使えない人がいるなんて……。
「わ、私はじめて見ましたよ。スキルをひとつも使えない人……」
「僕の心の傷をいじくるんじゃない! 僕は魔法はからっきしだけど、魔法学の理論にはくわしいんだぞ!」
冬原さんはぴしゃりと叫ぶ。
……冬原さんのそのセリフは負け惜しみ感が半端じゃなかった。どうやら、彼の中でひとつもスキルを使えないことは、ひどいコンプレックスになっているようだ。……まぁ、当然ではある。
必死で言い訳を繰り返す冬原さんを見ていると、私は哀れな小動物を見ているような気分になった。憐みの目で彼を見つめる。
「僕をそんな目で見るのはやめろ!」
冬原さんがそう怒鳴ったとき、突如、電話が鳴り響いた。
リリリリリリリリリリリリ!
っていうか、黒電話ぁ!? 古っ!
冬原さんは飛びつくように受話器を持ち上げる。その慌てた様子からすると、久しぶりに電話が鳴ったようだ。
「もしもし、こちら冬原探偵事務所。はい。ええ、そうです」
冬原さんは陽気にぺらぺらしゃべっている。
「え? 浮気調査? それはちょっと……」
突然、冬原さんの元気がなくなる。
ん? なんか話の雲行きが、あやしくなってきてるんじゃない? まさか、このまま断るなんてことないわよね? せっかく舞い込んだ仕事を?
しかし、さっきまでの言いぶりを思い出すと不安になる。
「ええ、そうですね。残念ですが、今回はお断りさせ――」
私は探偵から受話器をひったくった。素早く通話口を手でふさぎ、こちらの音を遮断する。
「ちょ、何するんだ!」
受話器を取り返そうと掴みかかってくる冬原さんに対して、私は何も言わずに彼の足首にローキックを叩きこんだ。
「ぎゃふ!」
冬原さんはきれいに半回転し、床に叩きつけられ、ぐったりしている。私は冬原さんがダウンしたことを確認し、受話器を耳につける。
「もしもし? 冬原探偵事務所ですが、お仕事はお受けしますよ」
『はい? いや、でも、今お断りすると……』
「え? まさか、そんなこと言ってませんよ。ああ、たぶん電話回線が混線したんですねぇ。いやー、申し訳ありません。ここのところ電話の調子が悪くて~」
『ああ、そうでしたか……』
通話の相手は、私のきわどい嘘にも深く突っ込んでは来なかった。やれやれだ……。
私はそのあと、必要事項を聞いて受話器を置いた。
「千郷君。なんてことをしてくれたんだ……」
冬原さんは床にキスをしたまま、恨み事を言っている。
「僕は浮気調査なんてしたくないんだよ。僕が求めているのは、心躍る不可解な謎なんだよ」
「そんなこと知りません。そういうセリフは名探偵になってから言ってください」
私はばっさりと切って捨てた。「不可解な謎なら、あなたの肩の上に乗ってるじゃないですか」というセリフを寸のところで飲みこむ。
「はっきりと言っておきましょう。今この事務所の経営はかつかつです。仕事を選り好みできる状態ではありません。百万歩譲って冬原さん一人で経営しているなら構いませんが、今は私がいます。私のお給料が払われないということは許されません。以上です」
「……わかりました」
冬原さんはうむを言わせぬ私の口調に、観念したかのように頷いた。もしかすると、私が足を振り上げたのに恐れをなしたのかもしれない。
「じゃ、受けた以上やらねばなるまい。僕は仕事に向かうよ。留守番よろしく」
冬原さんはそそくさと扉に向かう。私もそのあとに続いた。
「何でついて来るんだ?」
「冬原さんを一人にしたら、サボるかもしれないじゃないですか」
「…………」
「どうしたんですか? 早く行きましょう」
私は冬原さんに、まぶしい笑顔を向けてそう言った。