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5 英語

「じゃあ、ここを誰かに読んでもらおうかな」


 5時間目の英語の授業中、英語教師の朝倉が教室中を見回した。誰も手を挙げないのを確認すると、朝倉が「ふむ……」と黒板の右端に白のチョークで書かれた日付を確認する。


「今日は4月17日だから、17……の7を取って川野!」

「え~! そこは普通17番でしょ」

「正直、17番の私もそう思ってた。ありがと、渚。代わりに当たってくれて」


 当てられて頬を膨らませる川野に、立花が言った。どうやら彼女が17番だったらしい。二人のやり取りに教室中に笑いが起き、朝倉も特にそれを咎めない。


「油断してたな、川野。さ、早く立って読んでくれ」


 朝倉が言うと、川野が渋々立ち上がった。こうして一人で立っているところをみると、改めて彼女は役者が違うなと思う。すらっとしていて、まるでモデルのような佇まいだ。


 ところが教科書を開いた途端、川野の様子がおかしくなる。


「えっと……ロングロングアゴ、ゼア、リブドアヤング――」

「川野、ちょっと待った。その発音じゃ、超長い顎みたいに聞こえるじゃないか。アゴ、じゃなくてagoな。long long ago」

「ロング、ロング、アゴ」

「いやいや、long long ago」

「ロング、ロング、アゴ」

「……全然変わってないな」


 朝倉が困ったように言うと、誰かがぷっと吹き出した。釣られて数人が笑い出し、終いにはクラス中に笑いが広がる。


「川野って勉強できないんだ」

「あの子は1年の時からそうだったよ」

「へー、なんか親近感湧く」

「美人で親しみやすいって最強だよな」

「でも、超長い顎は笑う」


「あはは。私、英語はからっきしなんだよね~」


 皆が好き勝手言い合う中、川野も開き直って笑う。その顔を見ていると、俺は腹が立ってきた。笑っている周りの連中にも、それを止めない朝倉にも、へらへらと彼らに同調する川野にも。


 いいのか、そんな感じで。本当に勉強に本気なら、笑われて悔しいとか恥ずかしいとか、普通ちょっとは思うはずだが。勉強を教えて欲しいと俺に頼みにきたくせに、川野の勉強への熱意はそんなものだったのか。


 ……なんて考えてしまう俺がおかしくて、ノリが悪いだけなんだろうな。


 まあ、いい。とにかくこれで、川野の頼みを断ったのが正しかったとはっきりしたんだ。俺にとってはある意味良かったじゃないか。


 ――そう思いたいのに、なぜこんなにモヤモヤするんだろう。


「分かった。川野、もういいから座ってくれ」

「はーい」


 呆れたように先生に言われ、川野は大人しく席に着いた。朝倉が再び黒板の日付を確認する。


「17の7に当てたから、今度は1を取って……浅葱」


 朝倉に呼ばれ、俺は無言で立ち上がった。自分でも意図してかは分からないが、普段より椅子を引く音が大きくなる。それでもその音がかき消されそうになる程、教室には笑いの余韻が残っていた。


「Long long ago, there lived a young elephant. He was so curious that……」


 未だ騒めくクラスメイトに構わず英文を読むと、徐々に静かになってきた。ある程度読み進めると「よし、そこまで」と朝倉に言われて席に着く。今度は椅子を引く音がはっきりと聞こえた。


「浅葱は流石だな。ただ……川野はちゃんと聴いてたか? さっきから浅葱の顔ばかり見てたが」


 えっ……と思わず川野を見るも、彼女はすでに朝倉の方を向いている。

 

「あっ、はい、もちろん! すごって思いながら聴いてました! ……てか、音読してる人の方を見るのは普通でしょ。意地悪なこと言わないでよ、先生」

「はは、悪い悪い。確かに今のは意地悪だったな。……じゃあ、次は――」


 ようやく矛先を逸らされた川野が、ほっと息をついた。彼女から目を離せずにいると、シャーペンを持った方の手で、川野がさらりと髪を耳にかける。あらわになった耳たぶが、少し赤くなっていた。


「っ!?」


 俺は慌てて目を逸らす。なんだか見てはいけないものを見たような気がした。


* * *


 放課後の図書室は空いていた。定期テストが近づくとここも混み合うが、何もない時期は人気がなく過ごしやすい。元々読書が好きなのもあって、校内でも特にお気に入りの場所の一つだ。


 図書室奥の個別ブースに座ると、持ち込んだ本や参考書を仕切りに立て掛けた。数学の問題集を開き、簡単な計算問題から始める。こうして脳を少しずつ慣らし、エンジンが掛かってきたら難しい問題に取り組むのが俺のやり方だ。


 問題を解き始めてまもなく、右手からドサッという音がした。眉をひそめて振り向くと、テーブル席に座る川野が見える。先ほどの音は、彼女が鞄をテーブルに置く時のものだったようだ。


 川野は俺の存在には気付かず、鞄の中をがさごそと何か探している。しばらくして彼女が取り出したのは、英語の教科書だった。教科書のあるページを開き、小さく口を動かし始める。


 ……まさか川野のやつ――。


 慌てて鞄から英語の教科書を取り出し、今日の授業で扱った英文を探す。……確かこれだ。英文を見つけると、文章と川野の口の動きを見比べる。Long long ago, there lived a young……間違いない。川野はこの文章を読んでいる。


 彼女の口の動きを見ると、読むスピードは遅いしところどころ発音を間違えているしで散々だ。それでも川野は今、今日の英語の授業の復習をしていた。授業中はへらへらしていたあの川野が。


「……だから何だ。俺には関係ないだろ」


 俺は自分に言い聞かせるように言うと、数学の問題集に目を戻す。内容が頭に入ってこない。もう一度エンジンを掛け直すべく、計算問題から解き始めた。

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