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4 中学時代

 翌日の昼、俺は学食に来ていた。学食に来るのはいつものことだ。俺はここで毎日かけそばを頼み、一人でそばを食べている。


 1年の頃はクラスメイト二人とここに来ていたが、彼らは進級して別のクラスになった。二人は新しいクラスに馴染んでいるようなので声をかけづらく、始業式からずっとぼっち飯を続けている。


 まあ、1週間もすれば慣れた。他人に気を使わなくていい分、案外これはこれで楽だ。さっさと食べて食堂から消えれば、周囲の目も気にならないし。


 ただ、今日は少し時間をかけて食べた。それでもかけそばの量など高が知れていて、10分もすれば食べ終えてしまう。いつもは5分で食べ終えるので、これでも粘った方だ。憂鬱な気持ちになりつつ、トレイと食器を返却棚に下げて教室に戻る。


 教室に入ると、隣の席では相変わらず川野を中心に盛り上がっていた。川野が一瞬こちらを見て、俺はすっと目を逸らし席に着こうとする。そこで初めて俺の席に座る立花に気付いた。


「うわっ!」

「えっ、何」


 思ったより近付いてたからか、びっくりして声が出てしまう。立花がちょっと引いていた。クラスメイトの注目が集まり、居心地が悪くなる。


「浅葱、どーした? あたしがここにいるのなんていつものことじゃん」

「瑞穂が開き直っちゃ駄目でしょ」


 立花が冗談めかして言うと、飯田が彼女にチョップする。立花がへへっと笑いながら、「ごめんごめん」と席を立った。別に、と応じて席に座る。鞄から数学の問題集を取り出すと、皆の注目がようやく逸れた。心の中でほっと息をつく。


 立花の言う通り、彼女が俺の席に座っているのなんていつものことだ。気付かなかったのは、俺が自分の席を見てなかったから。では何を見てたのか。そんなの考えるまでもない。


 ……川野渚。俺が彼女の頼みを断ったのには理由がある。くだらない理由だ。でも、俺のような教室の片隅で生きる存在にとっては、引きずるに足る大きな黒歴史だった。


 中学のある時期から、それまで全く人気のなかった俺がクラスメイトによく話しかけられるようになった。理由ははっきりしている。皆が受験を意識し出す頃で、俺の唯一の取り柄が勉強だったからだ。


 勉強というステータスは、小学生の頃は全く持て囃されない。それどころかガリ勉と腐される材料ですらある。ところが高校受験が近づくと、急にもてはやされるようになるのだ。


 俺は周囲の手のひら返しに呆れつつも、悪い気はしなかった。自分に人が寄ってくることなど、未だかつてなかったから。承認欲求に飢えていたんだろう。俺に教えを乞う生徒には、喜んで勉強を教えていた。


 次第に勉強のことで質問に来る生徒が増えると、俺は自分が人気者なんじゃないかと思うようになった。勘違いも甚だしい。決して俺そのものが人気なわけじゃなく、勉強を教えてくれる俺が、皆にとって都合の良い存在だっただけなのに。


 中3になると俺は、当時気になっていた女子に勉強を教えることになった。何度か彼女の質問に答える内に、恋心を募らせる。ついに俺に春が来たんじゃないか。季節は夏だったが、恋愛経験のない俺はそう思い始めていた。


 そんなある日の放課後のことだ。忘れ物を取りに教室に戻ると、中から彼女の声がした。クラスメイトの女子と話していて、一瞬「浅葱」という名前が出た。俺は教室に入るのをやめ、悪趣味だと知りながら、扉の隙間から聞き耳を立てた。


 二人の女子の声がはっきりと聞こえた。


「てか、たぶん浅葱に狙われてるよ? 実際どうなの、浅葱は」

「え、無理。普通にイタいでしょ、あいつ」

「あー、分かるかも。浅葱って勉強できるのは確かにすごいけど、なんかイキってる感じがするよね」

「そうそう。あの無理してる感じが、見ててちょっとキツいかなー。良いやつなんだけどね。勉強めっちゃ教えてくれるし」

「あはは、そりゃそうでしょ。浅葱はあんたのこと好きなんだし。ほんと、悪いやつだなー」

「人聞き悪いな。私は別に、浅葱を利用してるわけじゃないからね? 単に勉強できる人に教わってたら、その人がたまたま私のこと好きだったってだけで」


 気付くと俺は駆け出していた。足音の大きさにも構わず、全速力で階段を降りて昇降口に向かう。背後で二人の女子の声が、さざ波のように遠のいていった。大袈裟じゃなく人生が終わったと思った。顔から火が噴き出るほど恥ずかしかった。


 そうか、俺はイキってたのか。元は教室の隅でひっそりしてるのがお似合いの陰キャなのに、無理して前に出てる変なやつって好きな子に思われてたんだ。そんな自覚はなかったのが、何よりも恥ずかしい。全身をかきむしりたくなるほどに。


 結局、その日は忘れ物を取りに戻らず、俺は帰宅して寝込んだ。いや、正確には寝込めなかった。目を瞑ると教室のあの女子二人の会話や、これまでの自分の「イキった」言動が脳裏に浮かび、無性に叫び出したくなるからだ。


 翌日からは学校へ行くのも億劫になったが、もうすぐ卒業だからと言い聞かせてなんとか最後まで俺は通った。でも、周囲との関わり方は変わった。なるべく人と関わらないよう、目立たないよう残りの半年ちょっとを過ごした。


 当時のことを思い出すと、今でも恥ずかしさに身悶えする。現に数学の問題集を開いている今も、目の前の問題に集中できていない。複素数について考えなければならないのに、脳裏を川野の顔が過ぎる。


 ……川野が勉強を教えて欲しいなどと言わなければ、こっちは余計なことを思い出さずに済んだのに。


 彼女は表面的には誠実そうに見えた。でも、信用はしきれない。川野は女子で、しかも完璧で究極のJKだ。言わば俺みたいな者の一番の天敵。そう思うと深く関わる気にはなれない。


 結局俺は俺らしく、陽キャと関わらずに隅っこで大人しく過ごすのが平和なんだと思う。だから川野の頼みを断ったのも正解なんだ。なのに、なぜ俺はまだ彼女のことを気にしているのだろう。


 シャーペンを置き、椅子の背もたれに寄りかかる。どうも頭が上手く回らない。思考能力が著しく減退している気がする。


 ……こういうときは暗記ものだな。


 数学の問題集をしまい、英単語帳を鞄から取り出す。心の中でぶつぶつ単語を唱えると、徐々に英単語に脳が支配される気がした。余計なことが頭に浮かぶ時はこれに限る。


 昼休み中、俺は英単語帳を進めていた。

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