3 作戦会議②
「あー、その前に……ちょっと、テストを受けてもらいたいんだけど」
「……どういうやつ?」
明らかに声が硬くなる川野に苦笑する。
「俺が作ってきたやつ。英語・数学の2科目を用意してきたから、とりあえず受けてみてほしい」
「……ごめん、どういうこと? 作ってきたって、何」
宇宙人でも見るような目で川野が俺を見た。俺は用意してきたテストを彼女に差し出す。各教科で2枚ずつ、計4枚のプリントだ。問題数はそれほど多くない。中1~高1までの範囲から、基本的なものをピックアップして出題している。
「ほら、これ」
「……えええぇぇ~」
プリントを受け取ると、川野は目を見開いた。軽く引いているようにも見える。
「ちょっと凄すぎるんですけど。浅葱、なんか悪いこと考えてない? 私に貸し作りまくって、とんでもないことさせてやろうみたいな」
「……なんだよ、それ。やるなら徹底してやるタイプなだけ」
「徹底してやるタイプにしても、徹底しすぎでしょ。テストって先生にしか作れないものだと思ってた。……あ、でも、浅葱は私の先生だったか。ありがとうございます、先生!」
「そういうのはいいから、さっさとテスト始めて」
「はーい」
川野が大人しくテストを解き始めた。表情は意外にも真剣そのものだ。俺は時間潰しに英単語帳を開こうとして、プリントを見た時の川野の顔をふと思い出す。そして、その後の川野の台詞。
『私に貸し作って、とんでもないことさせてやろうみたいな』
……もしや川野は、俺に負い目を感じてるのか?
「ちょっといい?」
「はい、なんでしょう」
テスト用紙と睨めっこしていた川野が、きょとんとした顔でこちらを見る。
「テストを作るのって、作成者側にもメリットがあって。実は普通に教科書読むより、はるかにいい勉強になるんだ。だから、これは自分のために作ったようなもので……」
川野は穴が開くほど俺を見つめていた。こちらがそっと目を逸らすと、視界の端で彼女が微笑む。
「ありがと」
「……なんでだよ。今言っただろ、自分のためだって」
「そーだね、自分のためだもんね」
「……何、その子供をあやすみたいな言い方」
「べっつにー。ただ、素直じゃないなーと思って」
「俺は最初から最後まで素直だよ」
「はいはい、そうですねー」
……なんだろう。今、鼻であしらわれたような気がする。
釈然としない俺をよそに、川野は再びテストに集中し始めた。あまりムキになっても余計に子供扱いされそうなので、心の中でため息をつきつつ、俺は単語帳を開く。しばらく単語帳を進めていると、川野がテストを解き終えた。
テスト用紙を回収して丸付けを始める。川野がアイスカフェオレをストローで啜ってから、思い出したように言った。
「でも、なんで英語と数学? 国語とか社会とか理科はいいんだ」
「……これはあくまで俺の考えだけど」
ごほんと咳払いしてから、俺はテストの狙いを説明する。
「英語と数学は他教科に比べて中学との繋がりが大きくて、苦手な人はたいてい中学レベルで躓いてる。しかも自分ではそれに気付いてないから、完成までに時間がかかるんだ。だからこの2教科に関しては、川野がどのレベルで躓いているのかを先に把握しておきたかった」
「……ちょっと分かるかも。理科とか、中学の時とは別の教科みたいだし」
「そういうこと」
話しながらも採点を進め、しばらくして「終わったよ」と言う。川野が緊張の面持ちでこちらを見る。俺は遠慮なく宣告した。
「うん、どっちも中学レベルでつまづいているな」
「ぐえー、やっぱりかー!」
川野が机に突っ伏した。彼女の長い金髪がテーブルの上に扇状に広がる。そのままの体勢で、川野がぼそぼそと続けた。
「私、マジでなんで星蘭に入れたんだろ。浅葱も不思議だと思わない?」
「別に不思議でもなんでもないよ。中学レベルでつまづいてても、高校受験を何となくで乗り切るやつなんてごまんといる。要はみんなが思うより、中学の内容も馬鹿にできないってだけ。特に英語なんて中学レベルを完璧に抑えれば、高校どころか大学入試でもそこそこ通用したりするし」
「えっ、そうなの!?」
川野ががばりと身を起こした。俺は頷く。
「例えば中学の教科書の例文は、英作文にかなり役立つ。平易で使いやすい表現が多いから、例文をそのまま覚えれば、自分の引き出しがかなり増えるんだ」
「例文をそのまま覚える……なんかこの前も言ってたよね。そんなことできるものなの?」
「意外とできるよ。例えば俺はほら、こうやって単語カードにして覚えてる」
「……わー、単語カードを文章に使ってる人始めて見たー」
ちょうど持ち歩いていた単語カードを鞄から差し出し、川野に渡す。川野はそれをぱらぱらめくり、感嘆の声を上げた。
「これもう単語カードじゃないじゃん。文カードじゃん。……ちょっと問題出していい?」
「いいよ、それはもう全部覚えたから」
「マジか……んじゃいくよ。えー、『練習を軽視すべきではない』」
「Practice should not be made light of.」
「おおー、やるね。じゃあ、次は……」
川野が単語カードをめくり、適当なページから第二問を出題してくる。
「『その経験は私の人生に大きな影響を与えた』」
「The experience affected my life significantly.」
「……ええぇ~、ほんとに覚えてるんだ。単語を覚えるのでもしんどいのに、どうなってんの? これ」
単語カードをめくりながら、川野が呆然と呟く。
「実はそんなにしんどくない。文法をちゃんと学べば、英文がある程度理屈立てて組み立てられてると分かるから。理屈をベースに覚えようとすると、かなりすっと入ってくる」
「……あの、ほんとにごめんなんだけど。その経験を味わったことないから、浅葱が何言ってるのか全然分からない」
「……まあ、定期試験でそこそこの点を取るだけなら、ここまでやる必要はない。英作文の出題される難関大を目指すなら、話は別だけど」
「難関大……」
神妙な面持ちで川野がおうむ返しする。
……そう言えば、文理選択や志望大学までは聞いてなかったな。
まあ、志望大学はいいか。それは踏み込みすぎな気がする。文理選択は今聞いておいた方がいいだろう。いくら定期テストで点を取るのが目標とはいえ、文系志望なのに理科に力を入れても仕方ないし。
「川野は文理どっちにする予定?」
「もちろん、文系一択。数学と理科が苦手なのに、理系行ったら死んじゃうよ」
「……それもそうか。分かった。文系に進むなら、理科の比重は少なめにしよう。数学は……数学も国公立か私立かで変わってくるな。国公立は考えてる?」
「えっと……うん、一応」
川野が身を縮めて頷く。星蘭高校で国公立を目指すのは、文理問わず基本的に成績上位者だ。成績表やテストで彼女の実力を確認した後では、確かに頷きづらいのかもしれない。
「分かった。じゃあ、やっぱり数学はちゃんとやろう」
「了解です、先生!」
「先生はやめて」
ビシッと敬礼する河野につっこんでから、俺はコーヒーを飲み干す。川野のプラスチックカップも、すでに中身はほぼ空だ。これなら問題ないだろう。
「……川野。今、財布にいくらある?」
「えーっと、千、二千……四千円とちょっとかな。なんで?」
「それだけあれば十分か。じゃあ、そろそろここを出よう」
俺が立ち上がると、川野が不思議そうにこちらを見上げる。
「えっ、でも、まだテスト受けただけだけど。こんなんで終わっていいんだ」
「いや、まだ終わりじゃない。これから道具選びをする」
「……シャーペンとか消しゴムとか?」
俺は首を振った。
「参考書選びだよ」