2 作戦会議①
指定されたカフェの奥の2人席。正面には川野が座っている。俺が先に来て席を取って待っていると、彼女が後から入ってきた形だ。お互いに注文を済ませると、川野が改まった様子で口を開く。
「……実はさ、みんなにはまだ内緒にしておきたかったんだ。浅葱に勉強を教わること」
「やっぱり」
「やっぱり?」
「いや、なんかそんな気がしたから」
こんな陰キャと一緒にいるのを見られたら、川野の株が落ちるからな。彼女は口ではそうとは言わないが、流石にそのくらいは分かる。
「そっかー、浅葱にはお見通しだったかー」
川野が照れ臭そうに頭をかいた。その透き通った金髪に思わず目がいく。
「ほら、私って割とバカだし、勉強もあんましないタイプってみんなに思われてるじゃん? そんな私が今更誰かに頼んで勉強を教わってるって知られたら、笑われるんじゃないかなーと思ってたんだけど……浅葱はもう気付いてたんだね」
「……あ、うん、もちろん」
ごめん、思ってたのと違った。俺が思うより、川野は性格が良かったみたいだ。
……勉強を頑張ったら笑われる、か。
小学生の頃、卒業アルバムの一番後ろに、クラス内で様々な項目のトップ3を並べるページがあったのを思い出す。俺は「勉強」の項目で1位だった。
どの項目も、ランクインした人の名前の横にコメントが書かれていた。例えば、「一番早く結婚しそうな人」1位の成田の横なら「クラス1のイケメン!」「いいお父さんになりそう」みたいな。
肝心の俺についてのコメントは、「クラス1のガリ勉」「休みの日に勉強しかしてなさそう」。完全に悪口だ。俺みたいなクラスの端っこの人間を笑い者にするつもりで、確信犯的に1位にしたんだろう。
まあ、俺と川野の状況は厳密には違う。でも、何かを頑張っているところを見られたら、笑われるんじゃないかという懸念は痛いほど分かる。なぜなら、当時の俺はまさにそういう経験をしたわけで。
……だから、今から俺が川野に言うのは――過去の俺が誰かに言われたかった言葉だ。
「……少なくとも、俺は笑わないけど」
「――えっ?」
川野が大きく目を見開いた。その顔を見ていると、自分がとんでもないことを言ったような気がしてくる。
「あ、いや、その、俺一人笑わなかったところで、だからなんだって話では――」
「ぷっ」
誤魔化そうと言い募る途中、川野が吹き出した。くすくすと笑う彼女を見守っていると、やがて笑い終えた川野が口を開く。
「何そんな慌ててんの。せっかくかっこいいこと言ったんだから、もっとどっしり構えてよ」
「……そんなこと言われても」
「でも、ありがと。ほんのちょっと、勇気出た」
右手の人差し指と親指で「ほんのちょっと」の仕草をしながら、川野がにこりと笑った。思わず胸がどきっとする。ちょうど飲み物が届いたので(俺はコーヒーで川野がカフェオレだ)、照れ隠しついでにコーヒーを啜ってから本題に入る。
「で、川野はどうして俺に勉強を教わりたいんだ。今度の中間試験でいい点を取ったら、欲しいゲームを親に買ってもらえるとか?」
「……あのね、小学生じゃないんだから」
川野が一瞬呆れ顔をしてから、腕を組み少し考えて「でも、ある意味似たようなものかなぁ」と思案げに続ける。
「1学期の期末試験までに真ん中より上の順位取れなかったら、塾に通えってお父さんに言われたのね? 私、塾には行きたくなくて」
塾に行きたくない、か。何か事情があるのか、単に勉強したくないだけか……まあ、こうしてわざわざ俺に頼みに来るくらいだ。流石に後者はないだろう。
「なるほど。じゃあ、とりあえず期末まで教えればいいのか?」
「……そういうことになるのかな」
一瞬間があって、川野が言う。それからいたずらっぽい笑みを浮かべ、俺の顔を覗き込んできた。
「でも、浅葱の気が変われば、期限が伸びる可能性はあるよね?」
「可能性の話をするなら、ほとんどなんだってあり得る」
「てことはあり得るんだよね?」
「……うん、まあ」
根負けして頷くと、川野がすんと真顔になって「よし」と拳を握り締める。どういう感情なんだ、それは。
とにかく、これで期限と目標は決まった。次は現状の把握に移る。
「それで、これまでの定期テストの成績表は、持ってきてくれた?」
「……持って、来ました。でもこれ、本当に見せなきゃダメ?」
川野があからさまに暗い顔をする。そんなに見せたくないものなのか。
「申し訳ないけど、成績を見ないことには俺は何も言えない。見当違いのアドバイスをしたら、川野にとっても良くないし」
「それはそうだけど……うーん……」
「さっきも言ったけど、笑わないから」
「……浅葱がそう言うなら」
川野が渋々といった様子で、オレンジ色の成績ファイルを渡してくる。俺はそれを受け取ると、ファイルを開いて中を確認した。ふむふむ――。
「……なるほど」
「あ、今絶対にバカにした! 『こいつ、想像以上のバカだ』って思った!」
「いや、バカにしてないし、想像以上なんてこともないよ」
別に強がっているわけじゃない。一口に成績が悪いと言っても、真ん中より下から最下位付近まで、一応全てを想定していた。川野の成績は、単に後者寄りだっただけだ。
定期試験での川野の順位は、250位~300位辺りを推移していた。学年全体の人数が300人をわずかに上回るくらいだから、常に最下位争いをしているということになる。
川野が目を逸らし気味に、いつになくぼそぼそと言う。
「去年の秋頃から自分なりに頑張ってみたんだけど、半年真面目に聞いてなかったから、授業は意味分かんないし、問題集はむずいしでほんと大変で……結局大して成績上がんなくて、どうしようってなって……」
「…………」
「ごめん、結構無理言ってるよね。1学期末までに真ん中以上なんて」
「いや、無理じゃない。可能か可能じゃないかで言えば、全然可能だと思う」
「……本当?」
俺は川野に頷いてみせた。それでも川野は半信半疑のようだ。
「浅葱はなんでそう思うの?」
「……まず、川野の成績なんだけど」
成績ファイルをテーブルの上に開き、川野が見やすいような向きにする。
「川野の成績を大きく下げているのは数学と理科。ここは正直、壊滅的にできていない」
「……だよねー」
「ただ、この2科目を除けば、まあまあ見れる成績になる。国語は平均以下とはいえ、赤点ラインを大きく超えてる。社会も赤点ラインは超えてる。英語はまあ、アレだけど」
「あ、あははー」
「逆に言えば、英語・数学・理科。この3つさえなんとかなれば、割と戦えるようになるはず。もちろん、他教科も全体的に今より伸ばすのは前提として」
「……要するに、全部頑張らなきゃいけないってこと?」
「そういうこと。でも、幸い今はまだ4月。期末試験まで2ヶ月ちょっとある。それだけあれば、勉強期間としては十分だ」
そこまで話して一息ついてから、数学の証明を終えるように言う。
「要は期末試験までの時間と現在地、そして目標の位置から逆算して、俺は全然いけると思った。根拠としてはこんなとこだけど……どう?」
川野にも理解できるように、上手く説明できているだろうか。話していて徐々に自信がなくなってきたので、川野の様子を窺う。彼女は目をきらきらさせていた。
「すごっ! 正直、もっとふわふわしたこと言われるのかと思ってたけど……なんか、めっちゃそれっぽい!」
「いや、それっぽいって……」
褒められてるのか貶されてるのか微妙なラインだな。まあ、川野は褒めてるつもりなんだろう。
「やっぱ浅葱に頼んで良かったよ! 流石、学年1位は違うね!」
「ずっと1位ってわけじゃないけどな」
「まあ、細かいことはいいじゃん。……で、今日はこの後どうする? 一応、学校で使ってる問題集とかは持って来てるけど」
「あー、その前に……ちょっと、テストを受けてもらいたいんだけど」
「……どういうやつ?」
川野の声が明らかに硬くなった。