第十七話「時間」
<――死神の“お裾分け”にあやかり
一頻り“ぼた餅”に舌鼓打って居た神は……今日も今日とて
その優しき心を以て人々の願いに耳を傾けていた――>
………
……
…
「この世界の……時間を戻して下さい……」
………
……
…
「……またか。
再び自己都合が故に世界の崩壊を招きそうな恐ろしい願いを願う者が現れた。
言うまでも無く……それは無理な願いだ。
時間が戻ると言う事は……君が今、拒絶したかった“何か”を
どうにか出来ると言う、君に取っての“良い点”よりも
君と同時に時間を戻されてしまう“今現在、苦痛の中にある者達の苦しみを”
繰り返させてしまうと言う事であり、例え本人達が覚えていないとしても
そんな酷い無限地獄の様な苦しみを私は与えたく無い。
そもそも、君の暮らす世界は時間の流れを戻せる仕様に無いのだよ。
悪い事は言わない、諦めるのだ“願い人”よ……」
<――無理難題を願う“願い人”の映し出された画面に向け
届く事の無い言葉を発した神。
だが、そんな神の諭す様な言葉とは裏腹に
“願い人”である男性は更に続けた――>
………
……
…
「……お願いです、せめて僕の時間だけでも構いません。
彼女に逢う前の……恋も愛も、何も知らなかったあの時間に……」
………
……
…
「……何だかとても“むず痒く成る様な”台詞だが
唯の恋煩いならば私では無く、愛の女神に……」
<――言わば“部署が違う”とでも言いたげな表情を浮かべつつ
そう言った神……だが。
“願い人”は尚も続けた――>
………
……
…
「……下戸だから酒にも逃げられず
タバコは……僕は勿論、彼女も匂いだけで駄目だったから
吸った事は疎か見るのだって嫌で……賭け事だって興味が無いし
いつも沈んでる僕の為を思って
周りが紹介してくれた女性にも何一つとして興味は持てなくて……
……僕は、彼女と居た短い時間よりも幸せな時間を知らないんです。
僕はもう……全てを失ったんです……」
<――雨に打たれ
鼻を啜りながら必死に願い続けた男性……
……そんな“願い人”の姿を見つめ
ある事に気付いた神は――>
………
……
…
「……すまない、とても不謹慎な発言と成った事を謝りたい。
君は今“墓前”に居たのだね……」
<――力無く
崩れ去る様に項垂れた“願い人”……最愛の者を失い
一人残された苦しみに全てを飲み込まれ
どうする事も出来ず居た男性の姿に決して届く事の無い詫びを伝えた神。
そして――>
「……病とは、斯くも恐ろしい物だ。
君達人間の持つ、希望や活力と言う名の輝ける光の数々を容易に消し去り
蝕み……そして曇らせてしまう。
そしてそれは、病に冒された者だけで無く
その者を包む周囲の環境までをも曇らせ……特に、君の様な
酒にも煙草にも賭け事にも……
……新たな伴侶を迎える事さえも出来ず
何一つとして苦難から逃れるだけの策を持たぬ様な者を
悍ましいまでに苦しめ続けてしまう。
だが……周囲から“生真面目な者”と言う評価を与えられる者程
誰よりも苦しみを感じる人生を強いられると言う
皮肉な世を作り出したのは……作り出してしまったのは。
……他でも無い、私なのだ。
君達人間の想像主たる私は
一体、どれ程不甲斐の無い存在なのだろうか……」
<――亡き伴侶の墓に縋り付き
尚も叩き付ける様な雨の中で願い続けた“願い人”の悲痛な声が故か
神は、自らの想像主たる力とその結果に
一つの疑問を持った様な口振りでそう言った。
……無論、神の声が“願い人”である男性に届く事は無いが
それでも、自らの想像主たる力の至らなさを感じて居た神は
あまりにも悲痛な人生を歩む“願い人”救済の為
全知全能の力を以て様々な考えを巡らせていた。
だが――>
「……すまない。
せめて夢枕にと、君の亡き妻を探したが……彼女は既に転生していた。
そしてそれは……君の住む世界では無い別の世界だ。
それはつまり、創造主である私が望もうとも
再会は決して叶わぬと言う事を意味する。
……救われぬ者を救う為、日々を過ごしている私だが
君達の“最後の砦”としての私は……
……数多くの君達に崇められ
数多くの祈りを捧げられる私には……一体、何が出来ると言うのか。
一体、何が出来て居ると言うのだろうか……」
<――何時に無く、感情を顕にそう言った神
直後……神は“願い人”である男性の映し出された画面の横に
既に転生し、他世界で生きる彼の妻の姿を映しながら
己の力不足を嘆いていた――>
「……今、もし君にどの様な最良の出会いを齎したとしても
君がそれを受け入れるだけの余裕が無い事は分かっている。
だが、其れならば私は……何をどうすれば
君を救う事が出来ると言うのだろうか……」
―――
――
―
「……彼女と行った場所、彼女と食べた物
それら全てが幸せな記憶で……それら全てが僕を苦しめる。
……こんなに苦しい思いを抱える位ならば
全てを忘れて……いっそ……全てを奪ってくれたら良かったんだッ!!!
何故僕では無く、彼女を連れて行ったのです……何故……ッ……」
<――幾度と無く地面に拳を叩き付け
血の滲む拳の痛みに気付けぬ程、深い苦しみに支配されていた男性は
暫くの後……
……降り頻る雨の中
まるで抜け殻の様に立ち上がり――>
………
……
…
「……ごめん、サユリ。
僕がもっと男らしくて、カッコいい男だったら……違う。
もっと僕に、君を助けるだけの力があれば……
僕が君の身代わりに成れて居たなら……君を幸せに出来て居たなら……」
<――思い詰めた様子で
自らを責める様にそう言うと――>
「僕はもう……辛いんだ。
今直ぐ君の元に行って……今直ぐ君を抱き締めたいんだ……
……サユリ、愛しているよ。
サユリ……ッ!!! 」
<――直後
懐から取り出した刃物で自らの手首を切り裂いた――>
………
……
…
「さん……さん! 分かりますか?! ……」
<――叫ぶ声
手術室へと搬送される医療用担架……意識不明の“願い人”を助ける為
懸命の治療を続けた医師達――>
………
……
…
「んっ……こ、此処は……ッ!! 」
<――奇跡とも言える程の確率で一命を取り留めた“願い人”
彼の腕には、痛々しいまでの包帯と……
……これ以上の自傷行為をさせぬ為か
拘束具の様な物が巻き付けられていた――>
………
……
…
「おぉ良かった……目が覚めましたか」
<――暫くの後
“願い人”の病室に現れた医師は、彼に対しそう言った。
だが――>
「……何故です」
「何故、とは? ……あぁ! 拘束具の事は……」
「違うッ!! ……何故、彼女を助けず
僕みたいな男を助けたのかと聞いているんですッ!!!
僕は……僕はもう……生きて居たくは無いと言うのに……何でッ!!!
何で必死に生きようとしていた彼女を救ってはくれなかったんですかッ!!! 」
<――拘束具の為叶わなかったにせよ
今にも掴み掛からんばかりの気迫を以て
そう食って掛かった“願い人”に対し、宥める様に応対をした医師
だが、尚も収まる事の無い彼の怒りと悲しみを抑える為か
医師は、彼に“鎮静剤”と呼ばれる薬を投与した後
病室を後にした――>
………
……
…
「……ええ、分かっています。
もう暴れたり、大きな声も出したりしません
“自傷行為”だってもうしないと誓います……」
<――幾許かの日が過ぎ
退院前の手続きと共に、医師に対しそう宣誓をしていた“願い人”
だが、彼の本当の考えは“違って”居た――>
「……そうですか。
では、晴れて退院と成る訳ですが
痛みや後遺症など、何か少しでも違和感があれば直ぐに……」
「ええ、ご丁寧にどうもありがとうございます。
では……」
<――直後
一切の寄り道をせず、自宅へと帰還した“願い人”は
大切に仕舞い込まれた“思い出の品々”を取り出し
それら全てに目を通し始めていた――>
………
……
…
「……そうそう、此処に行った時
君が水たまりに足を取られて……助けようとした僕も一緒に転んだよね。
君は嫌がったけど、僕は君の体についた泥汚れさえ何だか美しく思えて
泥だらけでこの“記念写真”を撮ったんだ。
なぁ、サユリ……サユリ……っ!! ……」
<――幾つもの思い出に目を通しては、嗚咽を抑えきれず
幾度と無く亡き妻の名を呼び続けた男性……そして。
全てに目を通した後、彼は何かを思い立ち電話を手に取った――>
………
……
…
「……ええ、ずっとお休みを頂いていた上
突然の退職願いなんて最低だとは分かっているんです。
でも……」
「……分かった。
君程の有能な人材を失うのはとても痛いのだが
君がどうしてもと望むのなら無理に引き留める訳にも行かない。
……だが、何時でも帰って来て構わないのだからね? 」
「はい、ありがとうございます……僕みたいな勝手者の為に其処まで
ええ……はい、では……今日までお世話になりました……はい。
失礼致します……」
………
……
…
「……これで良し。
ねぇサユリ……僕ともう一度、色んな場所に旅行へ行こう。
それで僕は、君と行った最後の場所で……君の所に行くんだ」
<――そう発した後、旅の準備を始めた彼は
亡き妻の写真を懐に、自宅を後にした――>
………
……
…
「……此処はちっとも変わってないねサユリ。
僕達が初めてキスをしたこの場所は……」
………
……
…
「この店、潰れてたのか……残念だな。
サユリとこのお店のおばちゃんの“掛け合い”面白かったんだけどな……」
………
……
…
「……見えるかい? サユリ。
あのビルの光が“宝石みたい”って
どんな宝石よりも瞳を輝かせながらそう言ったあの日の事……」
………
……
…
「サユリ……この教会で僕達は結ばれたんだ。
病める時も、健やかなる時もって……ずっと側に居るって……
サユリ……サユリ……ッ!
……ごめんよサユリ。
そろそろ、次の場所に行こうか……」
………
……
…
「嗚呼……漸く到着したよ。
サユリ、此処が最後の場所だね……君と来た最後の……」
<――懐から取り出した写真に対し、静かにそう語り掛けた男性。
彼は……海に架けられた桟橋の先で、海を見つめながら
まるで、寄せては返す波の流れに最愛の伴侶との出会いと別れを重ねたかの様に
一時の笑顔を浮かべては、一時の悲しみに飲まれていた。
……そんな中、急激に雲行きの怪しくなり始めた空
豪雨の訪れを予感させる状況に、周囲の観光客達が早々に岸へと戻る中
彼は……再び懐に手を伸ばした。
そして、もう二度と救われる事の無い様――>
「……今度は失敗しない。
サユリ……僕は今、君の元へ行くよ……」
<――直後
彼が懐より取り出した刃物は
彼の右腕に依ってその首にあてがわれた。
だが――>
………
……
…
「ん? ……雨か。
でも……酷いな、神様は。
サユリの元に行きたいって言ってるのに雨を降らせて邪魔をするなんてさ……
……サユリの顔に
まるで、涙みたいな雨粒を落とすなんて……」
<――左手に握られた写真を見つめながら静かにそう言った男性。
だが、そんな彼の姿を見ていた神は――>
―
――
―――
「……違う、断じて私は君の元に雨など降らせては居ない。
君が自らの手で生涯を閉じる事を良いとは思っていないし
それを止める事が出来るのなら幾らでも邪魔をすべきだと思っている。
だが……君に取って
“弱り目に祟り目”の様に降らせる雨などありはしない。
私すら“予想だにしていない”雨が降っているのだ。
一体、何故……」
<――神にすら理解の出来ない豪雨
掛け値無く“超自然現象”とでも呼ぶべきこの状況に、神は……
……“願い人”が暮らす世界の“稼働状況”を確認し異常が無い事を知った。
だが、同時に――
“……我が呼び掛けに応えし偉大なる水神よ!!
荒れ果てた大地に、再びの恵みを齎し給えッ!! ”
――“願い人”の暮らす世界と共に映し出されていたもう一つの世界
転生後の世界で魔導師と成っていた“妻”の発動させた
“降雨の魔術”に依って齎されし雨の姿
この決して、繋がる筈の無い両世界の理に――>
………
……
…
「……そんな筈は無い“二つの世界が繋がる”筈など。
だが、何故だ……何故、私はこんなにも
“そう、有れかし”と願っているのだろうか……」
<――全知全能の神にすら理解の出来ぬ状況を前に
誰の目にも“救い”とは見えぬ豪雨を
“そうで有れ”と願う様な発言をした神。
だが……尚も“願い人”の首にあてがわれ続けていた刃は
その危うさを保っていて――>
「……何れにせよ、この雨を降り止ませねば
君から……君を止める者をも遠ざけてしまいかねない。
今直ぐに君を救う為、私はこの雨を降り止ませなければ成ら……ん?
……何故だ?
君よ……何故だ?
何故、君は“笑っている? ”――」
<――神の眼前に映し出されて居た“願い人”は
確かに笑みを浮かべていた。
そして――>
―――
――
―
「……バカだよ、僕は。
ずっと……最初から
君も一緒に居てくれた事に気付いてすら居なかったなんてさ」
<――豪雨の中
自らの首にあてがった刃物を静かに下げた男性は
自らに打ち付けられる激しい雨を見上げ、嬉しそうに言った。
そして――>
「……君が居ると、何時も雨が降って
君が楽しそうにしていると何時も雨が降って……
……“くせっ毛”な君は雨が嫌いだとほっぺを膨らませたよね。
でも、そんな君の姿が僕には輝いて見えて……
可愛くて……愛おしくて……
……あの日も、雨に包まれた君とここで一緒に抱き締め合ったよね。
あの日も……今日みたいな、土砂降りの日だった。
……分かったよ。
僕は……君を忘れたりしない。
君と言う大切な人を決して忘れない。
……それがどれ程僕を辛くさせても
君と出会った時間を……僕は絶対に忘れたりしない。
君と抱き締め合ったあの日も、君を失ったあの日も……僕は。
生涯、君を忘れないよ……」
<――直後
清々しさすら感じさせる表情を浮かべた“願い人”
そんな彼の姿を待ち望んでいたかの様に、空は晴れ間を見せた――>
―
――
―――
「……種の保存、次世代への繋がり。
その為に起きる全ての出来事は、必然ではなく偶然の連続だ。
人間に限らず、この世界に私が生み出した全ての生き物は
多かれ少なかれ、愛と呼ぶ存在を知っている……だが、それ故に
これほどの苦しみを覚えるのだろう。
……最愛の人を失いし者よ。
今、君を包むその雨粒の一つ一つが
君の苦しみを癒やす事を……私は願って止まない」
===第十七話・終===
次回は8月6日に掲載予定です。