6話 絶体絶命
その声に、私は振り返ることができなかった。
遠すぎる存在で、見つめることすらも叶わなかったその人の声に酷似していたから。そして、アルバート様を呼び捨てにできる関係性から、その人であることはほぼ間違いなかった。
ヒンメル学園中等部に入学したあの日、彼が私達の学年の入学式で述べた祝辞に心打たれた。それ以降、さりげなく彼の動向を気にしてしまう自分がいた。
微力でも彼の為になれればと、異能に気づかれるリスクを冒してまでも王宮関連施設で働きたいと思った。
「ミス・シュベルト。私ならばアルバートに言って聞かせることができる。ガーゴイルをいじめるな、とね」
「!!」
なぜ、彼は私のことを知っているのだろう。
コメートラント国第三王子ジャン・シュテルニア殿下ともあろうお方が、貧乏男爵家の末子など知っているわけがないのに。まさか貴族の末端まで暗記させられているのだろうか、などまで考えて、それどころではないことを思い出した。
『嬢ちゃん、すまねぇ。全然気配がなかった』
『私も気が付かなくて、すみません。いつか、いつかこんな日が来てしまうと思っていました』
私はガリオンさんに念話で返した。
「教えてくれ。君は、誰と話していたんだ?」
ジャン・シュテルニア殿下。現在は税務局に所属しており、ゆくゆくは王弟として王を支えていく人。
私の人生はここで詰んだ。彼に捕縛され、軍部に引き渡され、地下牢で幽閉されて生きていくことになるのだから。
彼にどこから見られていたかはわからないけれど、もう言い逃れはできないだろう。
せめて、家族が捕縛されることは防がなければ。
祖父以外は私の能力を知らない。勝手に巻き込むことはできない。
私は意を決して後ろを振り返った。
三年前よりもさらに大人びいた殿下は、想像していたよりも素敵だった。
夜空のような紺色の少し癖のある髪、切れ長なグレーの瞳をした彼は、まっすぐに私を見つめている。
彼の視界に自分が映っているというだけで、心が落ち着かない。
私はすぐに気を取り直し、深く頭を下げた。
「殿下、どうかお願いです。私はいくら罰せられても構いませんので、家族は守っていただけませんでしょうか」
この国には『妖術等準備罪』並びに『妖術等準備ほう助罪』が存在する。前者は魔法や呪術等を行おうと準備しただけで罰せられるものであり、後者は、それらに加担したり黙認した者を罰するものである。私が捕縛された場合、同居の家族はほう助罪に問われる可能性が高い。
「それは君の返答次第だ、ミス・シュベルト」
その声は、とても冷たく聞こえた。
心臓を掴まれているような感覚すらした。
「とにかく、ここは危険だ。他の所で話がしたい」
私は言われるがままに頷いた。
『ガリオンさん、どうかお元気で』
『すまない。本当にすまない。嬢ちゃんが無事でいられるよう、女神様に祈り続ける』
『ありがとうございます』
念話で別れを惜しみ、私は歩き始めた。
不安と恐怖で足がすくみそうになる。
私は一体、どうなってしまうのだろうか。
少し進んだところで不意に殿下が手を差し伸べてくださった。
「お手を。柵がぐらついている」
罪人に対しても殿下は紳士であり、それが嬉しくも虚しくもあった。
私は遠慮がちに彼の手を取った。
剣だこのある大きな手は、思っていたよりも温かかった。
これからへの不安、恐れ、虚しさ、嬉しさそんな感情がぐちゃぐちゃに混ざり合い、心のキャンバスいっぱいに塗り拡げられていくようだった。
そもそも、なぜあんなところにジャン殿下がいたのか。なぜ私のことを知っていたのか。
それらの疑問はもちろん口にすることなどできなかった。
扉の外では、殿下の近侍らしき茶髪の青年が待ち構えていた。殿下に耳打ちされた青年は「すぐに準備いたします」と足早に去った。
その後、戻ってきた近侍は持ち出し禁止保管書庫の鍵を持っており、私の案内で書庫に移動することになった。
◇◆◇
近侍を外に置いたまま、私と殿下は書庫内の小さな作業台に向かい合わせに座った。こんなに雑多で埃っぽいところに殿下を居させてしまうのが申し訳ない。
すみませんと謝るものの、気にしないでくれとさらりと返されてしまった。
「教えてくれ、君は何者なんだ」
「私は、モノと会話できるのです。一定の条件を満たす相手だけですが」
私は包み隠さず話した。
創られてから300年以上経っている古い物と会話できること。
全ての古いものと話せるわけではなく、魔石類が装飾されているもののほうが疎通率が高いこと。
話し終わると殿下は腕を組み、うーんと考え込んでしまった。
不可思議を認めない国では、にわかには信じられない話なので無理もない。
「では、君はやはりあのガーゴイルと会話を?」
「左様でございます。えっと、殿下には申し上げにくいのですが、、」
「すまない、そこは盗み聞きしてしまった。アルバートがあのガーゴイルに嫌がらせをしたんだろう?あの子ならやる可能性があるな」
「それで彼がヘソを曲げてしまって、雨水を逆流させ、雨漏させてしまったんです。そんなこと言っても、信じていただけませんよね」
私は目を伏せた。
もしも私が殿下の立場ならば、こんなおとぎ話信じるわけがない。
殿下はうーんと唸った後、徐ろに言葉を紡いだ。
「信じがたいが、信じるべきだとは思う。西館の雨漏りは私もこの目で確認したし、動くはずがないガーゴイルが内側を向いていたのも見てしまった」
殿下は苦虫を潰したような顔をしている。
「信じていただけるならばありがたいです。申し訳ありません。この身かわいさに能力を隠して生きてまいりました。両親兄弟は私の力を知りません。どうか、家族に対しては寛大な措置をお願いしたいのです」
私は机に額がつくほどに頭を下げた。
何としても家族は守らなければならない。
育ててもらった、愛してもらった恩を、仇で返すわけにはいかない。
「この国の法律では、間違いなく君の家族はほう助の罪に問われるだろう。シュベルト家は爵位を剥奪され、全員地下牢に幽閉される」
「そんな」
私は視線を伏せた。
覚悟はしていたけれど、殿下の口から直接言われると足元がすくみ、全身から血の気が引いていくのがわかった。家族の笑顔が音を立てて崩れていくイメージが頭から離れない。
「それを救う方法があるとしたら、君はどうする?」
その言葉に、私ははっと顔を上げた。
そんなことを言われたら、返事は決まっている。
「何でもします。家族を救っていただけるのであれば」
「即答してもいいのか?何をさせられるかわからないのに?」
私の言葉を予想していなかったのか、殿下は少し戸惑ったように聞き返してきた。私は小さく頷いた。
「既にご存知かもしれませんが、私はシュベルト家の実子ではありません。ただの孤児だったのです。祖父母や両親が養子に迎えてくれ、温かく育ててくださいました。その恩を仇で返すことはしたくないのです」
「なるほど。本当に、何でもすると?」
「はい。どんなに厳しい処罰も受け入れます」
「それならば」
殿下は不意に立ち上がり、私の顎に手をかけた。
突然のことに何が起こったのかわからず、ただ彼を見つめることしかできなかった。
「俺の犬になってくれないか」
その言葉に、その冷たい笑みに背筋が凍った。
その時悟った。
私はとんでもない人に捕まってしまったということを。